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神殺しのユラギ  作者: くるい
一章 とある便利屋の業務日誌
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二十九話 侵蝕せし灰

 ――かつて神の加護によって、円状拠点都市エクサルは灰の脅威から逃れることに成功した。

 その神が匙を投げ放棄した現在もなお、形は崩れず保たれている。


 だが、灰という暗黒に包まれた世界で、それは本来あり得ないことだ。

 海底で空気を留めてはおけぬように、濁流の如く侵蝕する灰に対処できる者は人間の中にはいない。


 しかし都市は灰を寄せ付けず、今日まで安全を保ち続けてきた。

 その理由は、神がこなしていた役割を人類総出で賄っていたからだ。

 例えば最端に位置する三つの御柱。彼らは己の技術を投じて空間をせき止め、外界との接続ごと灰を遮断している。

 例えば科学者。彼女は知識と遺産の力を以てして都市の基盤を補強し、人々の暮らす世界を構築している。


 そういった人々の存在で辛うじて保たれているのがこの小さな世界だ。

 それが、神の在り方によって生まれた歪な奇跡だということも彼らは知っている。


 ――モールド・アンテリアーゼも、御柱として生きる上でその仕組みは理解していた。

 己が手にする《機械技師》というのは、一から修行し身につけたものではない。元々は神が一人で賄っていた都市の権能を分割し、代行として生まれた役割だ。その役割を得るということは、代行の一部を執行することに他ならない。


 力を持つ者達は都市が持つ力を恩恵として授かる――その代わりに、悪用をされないようにと都市からの制約を受ける。

 この制約が厄介な枷となる。


 元々神は、人々が不自由なく暮らせるようにと、完結した理想の箱庭を創造した。そこにいる限りは灰に浸食されず、世界は繁栄をし続けられる。

 ――故にその神は、理想となる都市の存続を第一に動く。

 ――故にその理想と基準は、神が去った数百年前から二度とアップデートされないのだ。


 だから、神の意志を引き継いだ人間の制約は今の人のためにはなっていない。


「私の持つ恩恵は《機械技師》としての技術。その制約は単純に都市の利益となる物の生産だけど」


 ざっくりと言えば、自動人形(オートマタ)のような成果物の製作だ。都市の発展に繋がる物や、稀に侵入する害種を殲滅する防衛装置などを絶えず生み出し続けることがこの恩恵に対する制約だ。

 そういった命令は自らの意志ではなく外部から受け強制されている物のため、造ること行為は止められない。


 逆に言えば、それ以外に影響はないと言える。

 例え拘束され実際に成果を生み出せない状況下でも、アイデアや設計図は脳内でも組み立てられるから。


「――でも、ランシード・ソニアはそんな単純な命令を受けているわけじゃない」


 彼女の場合は身体能力に関する恩恵を授かっているのだろう。

 であれば、制約として生じる制限は自身のそれと別種の物になるのは想像に難くない。


 内容までは把握こそできないが、役割は恐らく都市内の自浄作用であろう。それは彼女の積み上げた仕事の実績が物語っている。

 人間殺し。同胞殺し。都市という土台を踏み荒らす行為を行った者は全て、彼女に始末される対象だ。


「私と行動を共にしなかったのは、今はまだ殺害する判断が下されていないから……か」


 事実上〝モールド・アンテリアーゼ〟は都市の意向に背いた行動を取っている。それが人々の為であったとしても、少なくとも都市の為にはならない。


 今が非常時でなければ、何かをきっかけに殺されていた可能性も高い。

 けれど、それだけが理由でもないはずだ。

 彼女が避けて通った要因は別に存在する。


 ――思考は終了。

 管理室の扉を出て、アンテリアーゼは通路へ出る。

 無機質で殺風景で、誰の姿も認められず、不気味に白く回路のように続く複雑な道。


「こっち側ね」


 眉間に皺を寄せて睨む方向は、シルヴィ達が囚われている方向ではなく真逆の道。

 迷うことなく身体を反転させ、その先へと足を向ける。


「シルヴィは一旦後回しね。腕が動く数分ならまだ何か起きても対処はできるし……何より、見過ごすとこの先詰む予感がするわ」


 確かめるように呟き、そのまま逆方向へ突き進む。

 目指す目的は意図的にランシードが避けたルート。

 自分のこの勘が正しければ――起動した腕のセンサーが、こちらへ接近する反応を確認した。


 反応は一つきりだが、ランシードのものではない。センサーが示しているのは人とは僅かに異なる微細な〝紫〟の反応。

 それはここにはいないはずの存在あり、アンテリアーゼが真に警戒すべきで、本来であれば見つかってはならない人物だ。

 通路脇からその姿は現れる。


「随分と建物内が荒れていると思えば……《機械技師》モールド・アンテリアーゼ、君の仕業によるものか」

「今は非常時よ。灰の対処に出向かないってそれ、アンタ規律に違反してない?」


 通路の奥から姿を見せたのは、反応通りの存在だった。

 紫を基調とした制服に身を包み、彼は――こちらを見据えて諫める口調を差し向ける。


「俺には優先される事項がある。それよりも問題は君だ。この非常時に脱獄など、称号持ちなら許されるとお思いか」

「関係ないわ。滅びちゃったら外には出られないでしょ?」

「滅びは来ない。そのために俺達が居る」

「その先を考えていないだけじゃなくて?」

「――」


 彼は、それに答えない。

 表情の窺えぬ黒瞳でこちらを見下ろし、この手を取れと言わんばかりに右手を前に差し出してくる。


「事情が事情ということもある。今すぐに自らの意志で戻れば不問で構わないが……」

「お断りよ。自分の意志で外に出てる奴が何の理由もなく牢に帰るわけないでしょ」


 右手で空を払いその戯言を跳ね除ける。

 ――前提として、彼ら相手に会話の類は通用しない。話が通じていると感じたのなら、それはたまたま会話が噛み合っている時だけだ。本質的には会話ではない。

 しかし、その選択肢をこちらが選んでいる以上は得られるものもある。彼らはある一定の判断に基いて解答を行うため、その言葉に嘘はないからだ。


 だから彼が、明確な目的を持って中央の区画へ戻ってきているのは確実だ。

 十中八九狙いの一つはランシード。彼女に依頼――命令を行い、悪環境を打破する算段を付けているのだ。


 ランシードは彼らの意図を早くに察知し、撤退していたと考えるのが自然であろう。そうしたのは、都市に迫っている崩壊が止められないと分かっているからこそだ。

 ならば敵を増やさないために、彼の足止めをする必要がある。


「アンタに提案があるわ。これは氾濫する灰に立ち向かうための策でもある。こちらの条件を一つ呑んでくれるのなら私も手は尽くしてあげるし、大人しくしてあげなくもないけど」

「俺に譲歩をしろと?」

「そうよ。《機械技師》の視点はあった方が有益でしょ。譲歩する価値はあるんじゃない?」


 彼の視線から左腕を身体で隠し、手振りと共にゆっくりと接近する。

 一般的な思考回路を持つ人間なら、この提案は怪しんで然るべきだが――決定的な敵対行動を向けられるまでは彼らは敵意を示さない。


「……非常時により、提案を聞こう。しかし虚言が混じれば即座に戻って頂く。良いな?」

「まあ、それで構わないけど――起動。視認、対象を指定。目的を設定。魔力放出による阻害」

「……何を言っている?」

「分からないかしら?」


 男はこちらの話へ耳を傾けるも、それが単なる会話ではないと気付きそう告げる。アンテリアーゼは彼の紫紺の瞳へと視線を合わせ、隠していた左腕を真っ直ぐに伸ばした。

 彼に照準を合わせ、手の平を翳す。


「――大人しく眠れって言ってんのよ。邪魔だから」


 直後、手の平から高密度の魔力が表出し陣を描く。

 腕を纏うよう螺旋状に巻き付くそれを確認し、彼はそこで初めて敵意を知覚する。張り付けられた人格と姿形は人そのものでも、本質は設定に従い行動する機構が故に――全てが遅い。


「その腕は、」


 台詞半ばまで口を開いた瞬間、手の平から放った閃光が辺り一帯の通路ごと男を呑み込んだ。

 遅れて鼓膜を突き破らんばかりの轟音と振動とが全身を抜けて行く。


 ――閃光が晴れた先、男の姿はどこにもなかった。

 どころか通路の天井ごと破壊したため、見事に破片となって通路を埋め尽くしている。

 男は今頃、その瓦礫の下敷きだろう。死んではいないだろうが。


「……ま、時間稼ぎにはなったかしら」


 熱された鉄と、焼け焦げる血と肉の臭いが鼻を突く。

 絡み付く螺旋状の輝きが解けて空気中へと溶けると、左腕はだらりと垂れ力を失った。


「稼働限界ね……想定以上に負担と消耗が激しいけど、休むわけにもいかないわ。シルヴィを迎えに行かないと」


 ぐらついた身体をどうにか支え、鉄塊と化した左腕の手首を掴んで胸元に引き寄せる。

 そうして重心をなるべく中心に戻し、アンテリアーゼは踵を返した。

 






 シルヴィを捜して目的地へと向かっている最中のこと。

 囚われているはずの部屋とは別の通路にて、一人こちらに向かって歩いて来るその姿が見つかった。

 彼女はこちらの姿を認めるや否や、驚いた顔をして駆け寄って来る。


「――アリア! 捜しまし……ってどうしたのそれ!? 焼け焦げてますって!」

「……どうしたもこうしたもないけど、ちょっと無茶しただけ。シルヴィこそ、部屋から出てたのね」


 扉のロックは解除していたため、そこに気が付いていれば確かに外に出られはした。

 解除音などもないため扉に張り付いていなければ開けられなかっただろうが、先程の通路を吹っ飛ばした時の衝撃が届いていたのかもしれない。外に出ようとするきっかけとしては十分だっただろう。


 ともかく、そこまで動く手間は省けたというものだ。

 それまでフラフラと歩いていた足を止め、アンテリア―ゼは壁に寄りかかる。

 シルヴィはこちらの姿を上から下まで眺め、最後に左腕へと視線をやる。その顔が険しいものに変わって――自分も改めて惨状を確かめる。


 そこに張り付けた人工皮膚は一部が溶けるように崩れ、重々しい機械の腕が表面に現れていた。先ほどのエネルギー放出の圧に耐え切れず破損したのだ。

 設計上では耐えられるように作ってはいたが、実際に運用してみればどこかに計算違いがあったらしい。

 まぁ、《機械技師》の恩恵を得ないように創意工夫をして製作した腕だ。完璧な性能は端から期待していないし、むしろこの程度の損傷で済んだことに感謝さえしている。

 お陰で張り付けた機械の中、本物の肉と骨までは吹っ飛ばずに済んだのだから。


「……使っちゃったんだね、それ」

「使わなかったら何のためにこういう手札を仕込んでたって話よ。あーしばらくこの腕持ってて。重すぎて肩の筋肉断裂するわ」

「だ、だから自分の身体は大事にしなさいってあれほど!」

「言われた記憶はないわね。捏造をするな」

「あれほど、って私は心の中では思っていましたよ」

「せめて外に出しなさいよ」

「言っても止まるお人ではないので……まあいいかなって?」


 なるほど意味不明なこと言いつつ、心配げにシルヴィは左腕を両手で抱えるように持ち上げる。

 それでようやく重量感から解放され、安堵するように力を抜いた。


「てかアリア……くんくん、お風呂一回も入らなかったの? 汚物みたいな臭いはしませんけど、ええ」

「わざわざ否定する意味あった? 殺すわよ。ていうかなんの処置も無しに入ったら腕壊れんでしょうが」

「だから腕を機械化するなってあれほど!」


 自由な右腕で側頭部を殴りつけると「ぎゃん」と小さくシルヴィが叫んだ。


 先程までの空気感との落差は一体なんであろうか。

 まぁいい。

 気は楽になったと深呼吸一つ、アンテリアーゼは左肩を揉み解しつつシルヴィへ問う。


「ジョゼフは?」

「さっきまで一緒に居たけど、アリアとメアリも捜さなきゃってので別れてるよ。大丈夫、ちゃんと彼もお風呂は入ってたよ」

「次言ったら解雇ね」

「うわぁん! いじめだよそれは!」

「いじめられてんのはこっちなんですけど……」


 というか扉を破壊して救出に向かわなかなければここまで辿り着けなかったのだし、もう少し主を敬って欲しい――というのは、まぁ言ってないからいいとして。


「アリア、ここからどうする?」

「捕まった時に没収された遺産を回収しておきたいところだけど、流石にどこにあるかも分からないし……メアリの方はジョゼフに任せて、一旦建物の外に出るわよ」

「――ん、了解。それなら私の背中に掴まって」


 そう言い、しゃがみ込んだ彼女に体重を預ける。

 メイドの中でもアンテリアーゼの側付きであった彼女は、戦闘力に秀でており力持ちだ。

 華奢とはいえほとんど同じ背丈の人間一人と機械化した腕の重量を難なく背負い、外へ向けて駆ける。


 アンテリアーゼは出口への最短ルートを指示しつつ、現時点で知り得ている情報を彼女に伝えた。

 とりわけ灰の侵蝕度と役人の動向を優先的に説明すれば、シルヴィは驚きはしつつも警備の手薄さに納得した様子で返事を返してくる。

 彼女は基本的に阿呆な言動をすることが多いが馬鹿ではないのだ。

 頭の回転も早く、理解力は高い方である。


「状況的に、一度逃げてしまえば私達が追われることはもうないわ。問題は逃げたところで先がないってことなんだけど……」

「一応確認なんだけど、始まった侵蝕は元通りにはできないんだよね?」

「まあ無理ね。他の御柱がどうしているかは分からないけど、出来て遅延が精々かしら」


 既にその灰が流れ込んでいるという状況になるなら尚更だ。

 悔しいが父親の企みを達成させてしまった形になる。

 こうなってしまった以上は防ぐ手段を考える意味がない。


 せめてまだ屋敷に残っていれば対策は打てたものだが――弱音を吐きそうになった言葉を喉奥で押し留め、次善の案を告げる。


「ひとまずはギルドに身を寄せましょう。外に出られる唯一の組織なんだから、あそこ以上の場所はないわ。彼らならその後の事も考えてはいるでしょうし」

「そうだね。私もそれが良いと思うけど……」

「勿論、そこで保護されているつもりなんてないわよ?」


 言い淀む彼女にそれ以上は言わせず、こちらから指針を告げる。


 使用人はシルヴィやジョゼフだけが全てではない。

 家を守らせている使用人達が残っている。既に世界の外の灰に呑まれてしまっているだろうが、彼ら全員を見捨てていく選択肢があるわけがないのだ。


「腕直して準備したらすぐ家に戻る。残念だけど休めるとは思わない事ね」

「……ありがとう、アリア」

「なんでお礼? 当たり前の事よ」


 懸念は、多かった。

 これから先の事を考えねばならないが、それ以上に――ランシードの言葉が頭に引っ掛かっている。

 〝ユラギに会ったらよろしく頼む〟と、彼女はそれだけを言った。


 彼の名をわざわざ出したのだ、会えと言いたいのはすぐに分かった。

 ……何故、あのタイミングで彼の名を出した? その理由が判然としない。

 自分を助けるために彼は動いたそうだが、だから会えということでもないだろう。そういう意味ではないはずだ。


「あ、そろそろ出口だよ」


 その言葉に顔を上げると、通路奥の窓越しに外の景色が見えた。

 通路の終わり、受付前の開けた空間には当然人の姿など見えない。

 二人は誰憚ることなく扉を通り、外へと脱出する。


「……っ。想定よりずっと、侵蝕してるじゃない」


 見慣れた街並みの薄暗さに、夜かと思って見上げてみれば――。

 灰色の霧が、空一面に広がっていた。

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