二十八話 脱出
「――あぁ、くそ、最悪。本当に最悪。何もできないしすることもないってのが、特に最悪ね」
だだっ広い室内に、虚しさを帯びた嘲笑と悪態が響く。
「……ッチ。考えても始まらないわ。聴取の時間まで外へ出ることも叶わないし」
そうぼやき、額を右手の平で覆う。
そうして金色の髪を乱暴に手櫛でかき上げ思案に耽るのは、御柱と呼ばれる特別な家の娘――だった少女。
自動人形の一件で国を取り仕切る御役人に捕縛され、軟禁部屋に収容されてからどれほど経過しただろうか。
たったの一秒も眠れていない目元には深い隈が浮かび、艶を失った髪が油で束になっている。気持ちが悪い。
汚れた様相とは裏腹に、室内は広く不気味なほどに清潔だ。
罪人を捕らえるにしては客人でも呼べるほど整えられている。尋問用の机は複数人が並んで食卓を囲めるほど広く、椅子にはクッションさえ敷かれている。
壁際の棚には数日健康に暮らせるだけの食糧も配置され、極めつけにトイレもシャワールームも完備と来た。
ああ、生活に困る不自由さなどどこにもないだろう。
出先で宿を借りた時と何ら変わりない。
――その一切を使わず、部屋の隅で膝を抱えていれば当然だ。
ただ思考を重ねる。考えるのはこれからのこと、先の動き方。視線の先にある、唯一部屋に不釣り合いな魔導製の大扉を睨み付けて。
モールド・アンテリアーゼは親指の爪を噛んだ。
「……あいつら、大丈夫かしらね」
そう言って彼女が思いを巡らせるのは、同様に連行されたシルヴィにジョゼフ、メアリの三人だ。同じ牢へと繋がれるわけではなく彼らの所在は不明のまま。
が、自身の状況から推測するに彼らの身に害が為されていないことだけは確信していた。
この都市の役人とはそういう存在なのだ。根本的に人のそれとは違う。だが時間の問題でもあろう。
メアリの調査が終われば次はこちらだ。御柱の一人であり彼女を制作した機械技師に対し、動機も理由も全て、頭の中で考えているモノ全てを必ず抜き出しにやって来る。
終われば処刑コース一直線だ。
その前に、何らかの手は打たなくてはならないのだが。
「……これは弄り過ぎたツケ、かしらね。ままならないわ」
後頭部をがしがし掻いて、気を紛らわせる。
考えるのは自分のこと。そして自分の身体のこと。
機械技師として連行されたアンテリアーゼは、投獄の際に身ぐるみを全て剥がされていた。隠していた物を含めて遺産由来の衣類、機械技師の装飾品など、全て奪い取られている。
小奇麗な部屋を罪人予定の女にも用意するくらいだ。流石に裸のままではないが……。
そこは彼ら機構として動く存在の為せる行いと言ってもいい。彼らの前では、名称と称号が存在するモノは無力と化す。故に最悪の事態へ身を置かれる可能性も視野に入れ、盗まれることのない札を用意はしていた。
だらりと、力なく床に落ちる自分の左腕へ視線を落とす。
その手首部分を右手で鷲掴みにし、引っ張り上げるように持ち上げ、太腿の上でそれを離した。
ずしりと下敷きになった箇所が潰れる重量感に溜息を吐き、左側に寄せていた体勢を正中に変える。
「多少の欠陥なら許容の範疇……と思ったけど。この機械の腕、まともに手入れできない状態をちょっと考えてなかったわ。失策ね」
違法な事をしていたのは何も戦闘用の自動人形だけではなく、自らの肉体にも改造を加えていたのだ。
それが左腕で、残した札。身体を直接調べられない限りは暴かれることはない切り札である。
この腕に《機械技師》の技能は使っていない。
その技能を用いて改造を行えば、必ずここの人間達には勘付かれてしまうからだ。だから技能の一切を封じ、己が経験と蓄積された技術のみを使って施術を行った。
それは決して褒められたものではなく、通常の生活に支障を来す重大な欠陥を残してしまっているが――そこはそれ。
「……こんなとこでお披露目会するつもりはなかったけど。遅すぎんのよ。いい加減、こっちで動くしかなさそうね」
処刑されれば何もかもが終わりとなる。
機を逃せば、何考えているか不明な血縁の手によって家を滅ぼされる惨劇を見るだけだ。
「ていうか遅いってレベルじゃないわ。尋問ならとっくに始まっているはず……メアリを調べているにしても流石に解析に時間が掛かり過ぎよ。機構として動く彼らとしては、おかしい」
この密室に時を計る機器は設置されてはおらず、時間経過は正しく認識できない。しかし、体感ではかなりの時間が経過しているはずだった。
機械化した左腕の負担の掛かり方でもある程度測れるのだから。
だというのに、ここまで一切の動きがないのはあまりに不可解であった。メアリに施した《機械技師》の調整は見ればすぐに分かるだろう。一体何が原因でアンテリアーゼの尋問に至らないかは不明だ。
本来なら尋問までの時間を待ち、左腕の起動はそこで行うつもりであったが――。
待っている暇はない。
彼女は壁に右手を付き、体重を掛けて一気に立ち上がる。重くだらりとぶら下がる左腕を肩を押し上げることで無理矢理引っ張り、壁伝いに鉄扉へと移動する。
耳を当てる。音はしない。ならば最早今でもいいと結論付け、魔導製の大扉を睨み据える。
「ここで使うのはアホらしいと思ったけど……重たい腕抱えてんのもいい加減限界よ」
もたれ掛かるようにしていた壁から右手を離し、その手を左腕に添えた。そして、鉄材でも掴むように無理矢理その腕を引っ張り上げ、大扉に手の平を押し当てる。
見かけはただの細い腕だが、人口皮膚を張り付けた半機械の左腕。自動人形と同じ素材を埋め込み、組み上げたソレに命令を送り込む。
「術式展開。疑似腕部起動。半自動制御状態へ移行――」
何重もの青白い魔法陣が腕に展開したと同時、鉛のように動かなかった左腕が背後に振り上げられる。
そして、強く握り締めた五指を、扉の中心部へ思い切り打ち込んだ。
青白く輝く粒子と魔力が迸り、扉に張り巡らされた術式が露わになる。毛細血管が如く無数に這う線が、一撃の圧に耐えられず粉々に砕け散り――ガァン! と、鉄と鉄とが弾け、轟音が部屋中に反響した。
中央から砕けた分厚い鉄の板が廊下側へ吹き飛び、無機質な床へ転がっていく。
この実践で初めて起動することとなった自動人形と同じ機械の腕。その出来栄えと想像通りの性能に一つ頷き――廊下へ出た彼女は、そこで眉をひそめた。
「……どうなっているの?」
誰もいない。
付近にどころではなく、彼らの存在が欠片も見えてこなかったのだ。当然、彼女には誰かの気配を的確に探り当てるなどという獣の感覚は持ち合わせていない。
起動した腕の探知が何の反応も示さないことに動揺していた。
密室内にいる内はまだ外部との干渉を絶たれていたのだということで説明はついても、通路に出てこれでは話が違う。
道理で誰も尋問に現れないはずである。
そして、彼らが誰もいないということ――それだけの理由があったことは、想像に難くはなかった。
その時知り得る情報の中でもっとも適切かつ実現可能な手法で都市を守護する連中だ。そんな奴らが揃って居なくなるなど、一体何が起きているのか――と。
予想が付かないアンテリアーゼではない。
「くそ、やられた……!」
大きく舌打ちし、苛立ちを叫びに変えた。
父親がとうとう動いたのだ。何をしたかまでは不明なれど、彼らの動きでそれが分かってしまった。
彼女は即座に走り出す。
ああ、止められなかった。とうとう後手どころか、何もできないまま一手を許してしまったのだという事実が身に伸し掛かる。
しかし、だからといって諦めて動きを止めるわけにはいかなかった。やられた事実は覆らないし、父親が動いてしまったのであれば、既に家や立場どころの騒ぎではない。
だが、少なくとも。
この場に共に連行された身内を救出するのは主としての務め。
引き剥がされたとはいえ、そう遠く離れた階層に隔離されてはいないだろう。室内に閉じ込められているなら探知は機能しないが、ならば力づくで確認していくだけのことだ――と、必死で通路を駆け回る。
けれどもそう簡単には見つかるものではない。
手当たり次第に扉を破壊して回るしかないのは効率的にも最悪で、自分に掛かる負担も激しい。
それでも、止めるわけにはいかなかった。
連中が居ないなら今以上の好機はない。ここまでやってしまったなら、次に見つかればその場で始末されてもおかしくない行動に出ているのだから。
だから、突然に腕の探知が反応を見せた瞬間、アンテリア―ゼは反応することができなかった。
近付いて来たわけではなく、背中側に突然発生した探知の網。流石に派手にやり過ぎて優先度が変わったかと警戒心を背後へ向ければ、見えた姿は予想もしない者の姿だった。
その姿は黒装束に淡い緑色を靡かせ、こちらに声を掛けてくる。
「派手な物音がして来てみれば。これには私も驚きだよ」
「あなたは……どうして、ここに?」
「私こそ、どうして君が暴れているのかを問いたいところだが……」
そこに現れたのは、便利屋アリシードの主人。先日の依頼でどうにか敵ではない側へと落とし込んだ人物であった。
彼女はこちらの左腕を見て、僅かに怪訝そうな表情を作った。
「人の腕ではないね? 随分と無茶なことをするものだよ。前評判に違わぬ破天荒さだ」
「……生身であなたみたいなことができるなら、やってないわよ」
「そうかい。いや、別に私は咎めはしないよ」
彼女は事も無げに言い、さてと大扉へ視線を投げた。その先は丁度、アンテリアーゼが次に破壊しようとしていた扉の前。
「その様子だと君は使用人を捜索しているのかい。ただ、その手法は非効率だよ。管理室の位置は私が把握している、付いてくるといい」
「――何故?」
さも会話の流れで、当然のようにランシードは協力を行おうとこちらに歩み寄ってきた。
アンテリアーゼにはその行為が不自然に思え、一歩距離を取った。
彼女は便利屋だからだ。あの時は手綱を握れただけであり、無条件で味方になる存在ではない。お人好しならばともかくとして、この主人は違う。
「……私の協力が不可解、と言いたそうだね?」
「ええ、端的に言えば。捕まえに来たって言われた方がまだ理解できるわよ」
「平常時であればそうなるだろうさ。ただ、今は……そうだね」
答えにしにくい、といった様子で彼女は首を傾げる。
平常時であれば――それは、此処に機構の連中が一人もいない事と関係する事柄と推測される。
しかし、そういった関係ともまた別の事情で彼女が答えあぐねているように思えてならなかった。
アンテリアーゼは警戒を解き、左腕を下ろす。どのみち相手が本気なら、向けた武器など欠片の意味すらないのだ。
「今は、何?」
「いや、依頼はまだ有効だと言っておこう。君が持つ罪とはまた別の話であるからね。納得はしてくれるかい?」
「……そう。義理堅いのね」
「信用が大事なのさ。便利屋の看板に恥を塗るつもりはないよ」
「それが、私を助けることに繋げられるってこと?」
「そういうことだね。まぁ尤も――いや時間がないのだった。長話より、ひとまず急ごうか」
ランシードはついてこいとばかりに身を反転させ、奥へと消えていく。先に行動されては問答は封殺されたも同然だ。主導権を握られたままでは選択肢もない。
彼女の姿を見失わないよう、アンテリアーゼも後に続く。少なくとも今の状況で彼女は敵として活動していない、との判断だ。味方と取れる発言こそしなかったが、無暗に刃向かうのは間抜けも同然だ。
「それに……時間は確かにないわ」
現在は重さを感じない左腕に視線を落とし、アンテリアーゼは奥歯を噛む。術式を一度発動させれば不自由なく動かせる腕は、機械内部に蓄積した魔力で動かしている代物。
そう長くは続かず、故に活動を停止した時点でただの鉄塊と化してしまう。
体力も削られた状態では、引き摺って歩くことすらままならない。
「どうするか、考えておかないと」
果たして、逃げたところでどうするのか。
逃げた先の未来をどう拓くのか。答えは出ていない。
「――ここが管理室のようだね」
後を追うこと少し。
躊躇なく扉を蹴破って侵入するランシードに続いて中へ入れば、そこは壁一面に機械と液晶が張り付けられている部屋だった。
部屋の中央には、建物の精巧な立体地図が投影されている。建物の位置取りを記録しているのだろう。周囲に設置した装置で液晶と立体映像を操作し、警備を行っているのだ。
「随分と遠回りしたみたいね……?」
壁側に表示される平面を見て、ランシードが最短距離を使ったわけではないことにすぐ気が付く。この装置から分かる状況ではその必要性は見当たらないが。
「使用人と思しき人物は、ここに閉じ込められているようだ」
アンテリアーゼの言葉に返事はなく、彼女は続けてそう言った。
「この階層から二つ下。出口から一番遠くはなるが、奥側の階段から降りて迎えに行くのがいい」
「ええ、そうね」
「私は機械の操作はできないが、解錠はここで行えるのかい?」
「実際に弄ってみないと分からないけど、コンソールから操作は届きそうね……ええ、権限を奪えばできるわ」
同じ画面と立体地図とを眺め、彼女の言う通り言葉に偽りはないのを確かめる。
何らかの手段で騙そうとしているわけではないのだろう。しかし黙秘はする、と。
表示される立体の下部から操作パネルを呼び起こし、アンテリアーゼは慣れた手つきで操作を続ける。
「ところで、君はこの後どうするつもりだ?」
「それはこの後考える。逆に聞きたいんだけど、警備が誰もいない理由を知ってるなら教えてくれるかしら」
「ああ、灰が都市の中にまで侵入してきているんだ。全員、そちらの対応を最優先に動いているからだろうね」
「そう。なら納得だわ」
この言葉にも嘘はない。
まぁ、彼女が本気で嘘を隠し通すなら表情にも声にも出ないだろうが。ただ、彼らが全て動員される事態に納得できるとすれば、そのくらいは発生していて不思議ではない。
「じゃあ、逃げるしかないわね。あなたこそどうするの」
「私は私にできることしか行えないよ」
「はっ、まるで機構みたいな物言いね――? いや、待った」
封鎖された扉の解錠を終え、手を止める。
アンテリアーゼはそこで、何気なく自分で吐いた台詞に違和感を覚えた。用のなくなったモニターから顔を上げ、彼女へ視線をやる。
左腕の探知は彼女こそ示さないが――そも彼女は何であったか。この都市という存在が抱える始末屋で、彼女は称号を得る一人の人物である。
都市に身を捧げる御柱とは違い、他の称号を持つ人物がどのような制約を受けているかは本人しか知り得ない。
「あなた、何しに来たの?」
彼女が中枢までやってきた目的は何だったのか。
アンテリアーゼは根本的な理由を尋ねる。
あっけらかんとしていたが、彼女は時間がないと言っていた。そう、確かに時間はない。灰が都市を襲うという意味でも、単に機構に見つかっては不味いという意味でも。
アンテリアーゼはその台詞を使用人救助の猶予の話であると解釈していたが――そのどれでもなく、彼女が彼女自身の状態を言っているのであれば?
「君を解放するためだよ。先に滅んでしまうと、君は永久に解放できなくなるだろう」
「そう……崩壊は前提にしているのね?」
「防げないらしいからね。ならば滅びは前提として呑み込むしかあるまいよ」
「じゃあ、私を解放するってのはあなたの意志? それとも、誰かに頼まれた?」
彼女は困ったように眉を八の字に寄せ、そして答える。
「……ユラギには進言されてはいるけれど。君を失う代償が大きいのは事実だからね」
「でもあなた一人じゃ私を助けなかったわ。これは合ってる?」
「時と場合によるとは答える。その質問に何の意味が?」
「認識の擦り合わせよ。あなたの行動の優先順位を知っておこうと思って」
つまり、彼女はユラギに頼まれる形でアンテリアーゼを助けに来た。そして彼女の返答から、外的要因がなければ助けには来なかったのだとも取れる。
そう、便利屋だから――この認識が誤っていた。
あまりに自然に人と同じすぎて、気が付かなかった。
順序が逆なのだ。
彼女は便利屋だからそうしているのではなく、誰かの頼みでそうするから便利屋をやっている――。
「ふむ。質問は終わりかい」
「もう十分に解ったわ、ありがとう。でも話は終えていない」
「出来れば手短に済ませて欲しいものだがね……君の腕も、早めに休ませた方がいいはずだよ。それで?」
嘆息する彼女は、こちらの左腕の状況を見抜いて苦言を呈した。
――ああ、そうだ。確かに腕の方も時間がない。駆動可能限界も近い、数分もすれば徐々に活動はできなくなり、やがて鉄塊に戻るだろう。
「依頼、いいかしら」
「――悪いけれど新規の依頼は受け付けていない。何せ時間がないものでね」
「私と一緒に逃げて、という依頼でも?」
「うん。その依頼でも受けることはできないね。釘を刺しておくと、時間がないという理由以外を答えるつもりもない」
「……ならいいわ。じゃあ、ここでお別れってわけね」
「そうなるね。まぁ、ユラギに会ったらよろしく頼むよ」
彼女はそう言って、音もなくその場から姿を消した。
これ以上の問答を封殺したかったのだろう。腕の探知がやや離れた位置に彼女を検出したのを確認する。
アンテリアーゼはモニターの電源を落とし、吐き捨てた。
「それ、あの男に会えってことよね――? しかも、まるで自分はもう会えないみたいな言い方をして……ふざけてやがるわ」




