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神殺しのユラギ  作者: くるい
一章 とある便利屋の業務日誌
27/34

二十七話 赤の遺志

 暗闇の室内。

 設えたベッドで、仰向けに眠る少年は苦し気に呻く。

 それは痛みか、悪夢か――脂汗をたっぷりと掻いて、やがて瞼が開かれる。


「――うる、せぇ」


 赤く燃えるような色の瞳が、明かりのない天井を見つめて。


 ぽつりと、キースは呟いた。

 誰もいない、何もない、薄暗いだけの狭い部屋。


 此処は、秘境で防衛兵器(ガーディアン)にやられた傷の療養のための部屋だ。


「なんだ?」


 起きてみれば、すぐに異常に気が付いた。

 外が嫌に騒がしいような――そんな直感染みた感覚をキースは抱く。


 妙だ。ひりつくような空気が部屋にまで伝わってくる。

 壁一つ隔てた外から、何やら粘り気を帯びた薄気味悪い感覚がある気がするのだ。


 薄いシーツを剥ぎ、寝ている場合ではなさそうだと上体を起こすと――刺すような痛みが脇腹付近に走った。痛みに気付けば、すぐに激痛が全身に伝播していく。

 手酷く痛めつけられた傷はまだ、癒えてはいない。


 本当は安静に眠っているべき状態ではあるが、彼は無性に外が気になった。

 嫌な感覚は、痛みと同時に肌に纏わりついている。


 ひとまず、その原因は確かめておこうとベッドから這い出た。外を確認するため部屋から出ようとして――近付いた眼前の扉が勢いよく開け放たれる。


「リシュ――……?」


 薄暗い部屋に通路の光が差し込んだ。

 少年が眩しさに目元を覆えば、眼下に映るのは小さな体躯と真っ白な髪。少年より更に頭二つほど低い位置から、その少女はこちらを見上げてくる。

 やや間が空いた後、白い眉根が中央に寄せられた。


 科学者、アリス・レイシス・シャインハートがそこに立っていた。


「なんだ起床してたのか。丁度お前に用事があったところだったから都合がいいといえばいいが……まず私はお前の待ち望むリシュエルではないと言っておこう」

「な、このホム――……レイシス」

「わざわざ言い直したか。あやうくお前の傷口を抉るところだったが許してやる、キースレッド」

「……うるせぇな。そこどけよ」


 その少女らしからぬ物言いに深く溜め息を吐き、キースはがしがしと頭を掻いた。燃えるような色の髪を乱暴に掻きむしり、少女を無視して廊下に出ようとする。


「どこに行く気だ。用があると言ったろ馬鹿者」

「……なんだよ?」


 その弱々しく華奢な肩を押しのけようとすると、逆に上から手を掴み返された。鋭い視線でこちらを睨んでくると、そのまま大きく外側に払われる。


「外が気になるか? それは私との問答より大切なことではない」

「……意味が分からねぇし、用ってなんだよ」


 レイシスはふんと鼻息を荒げ、やれやれと腕を組んだ。

 不貞腐れた様子のキースを観察するように眺め、そして行く手を阻むように扉の前を陣取ってくる。


「いつまで腐ってるのか知らないが現実は変わらんぞ。お前は機械如きに負けたし実際身体もぐちゃぐちゃで全治数十日の大怪我だ。今は何日目だ? 何故ベッドから離れている」

「何が言いてぇんだよ、俺を煽りにでも来たのか?」

「否定はせん」

「あ?」

「だが先に、純然たる事実を述べにきた。お前にはいささか唐突な宣告かもしれんが、あまり時間もないしな……」


 いつもの調子で矢継ぎ早に喋った後、淡々と彼女は告げる。


「この都市は〝灰〟に呑み込まれようとしている。かつてお前が住んでいた場所と同じだ」

「――は?」


 呆けたキースの思考が止まった。

 その脳裏に、瞳の奥に炎が過る。

 かつて己の世界を覆った恐怖の象徴。怒りに任せて一切合切を灼き払ったあの過去が、再びキースの過去を通してやってきた。


 真っ暗な部屋中に火炎が猛る。ベッドを呑み込んだ火が家具に燃え移り、煌々と足元を照らす。

 キースは嗚咽し、慌てて口元を片手で覆って――次いで表情が強張った。燃え盛る髪から熱が発される。制御を外れようとしたそれを、しかしキースは力強い意志で抑え込む。

 ――今度は、それでは駄目だと唇を噛んで。


「おい」


 眼前の少女の瞳に、己が燃やした炎の色が映った。


「――っ」


 その瞳を見た瞬間、部屋中を焼き尽くす火の勢いが止んだ。

 実際に焼かれていたわけではなかったのだろう。

 暗く狭い部屋は元通りで、冷静になったキースの髪から炎が退いている。


「お前の力ではどうもできんぞ。戦の覚悟とか持たせに事実を告げたわけじゃない」

「おい……リシュは、今どこにいる? 灰に呑まれるってどういうことだ? そうだ、冒険者共は、あの()は――」

「質問が多いわ馬鹿たれが。冷静に見えるだろうが私だって動揺してないわけじゃない、余りに状況の推移が早すぎて困っているところなんだ」


 うつむいて言ってみせ、レイシスは首を振る。

 数百年の記録を内包する彼女が表情を歪ませる。

 そのような状況が、よほどでないわけがない。


 侵入するような嫌な感覚。

 身体の内をまさぐる怖気が、はっきりと正しいことをキースは悟る。そして、何故レイシスが現れたのかも。


 彼女がキースの質問に言葉を濁したのだ。一度に大量の問いを投げた以上、返答に詰まるのは仕方ないとはいえ。

 けれど、キースのもっとも欲しい答えが分からぬ彼女ではなかった。


 ここに来たのがリシュエルではなかったのが――全ての答えだったのだろう。


「あいつは……リシュは、どこだ?」


 震えた声が、部屋へと響く。


「……いない。奴は()()()と共に調査に出掛けてる」

「じゃあどこに行った!」

「そこまで知るわけないだろ。だが、この状況下で戻って来ないなら最前線で灰の対処に当たっているか――」


 彼女が言葉を詰まらせる。

 そして、短い舌打ちを一つ。

 その奇妙な間を、しかし焦るキースでは気付けなかった。


「この都市にいないかだ。都市内に居るなら()は私とお前をまず確保して行動に移すだろうしな、できない場所にいると予想するのが自然だ」

「なら、俺は」

「――だから私はお前を連れてここを出る。様々な準備はとっくの昔に済ませてる」


 キースに答える余暇を与えず、彼女は言い切る。


「移動後にでもお前が理解できる範囲で教えてやるからさっさとついてこい。それとも、一人で宛もなく無駄なことをするか? 何をするにせよ、この()()()()()()の知識を借りぬ手はないと思った方がいいぞ」

「……クソ、ちゃんと説明しろよ」


 キースは鼻白むと、深い溜め息を吐いて視線を落とした。

 レイシスの一方的な態度にむしろ冷静になったのかもしれない。


「こっちだ。時間がない」


 先導するレイシスに大人しく着いていく。

 廊下を進んで行き着く先は、彼女が間借りし小さな研究施設と化した一室だった。


 中央に置かれた真四角の塊に触れると、彼女は何事かを呟き始める。

 呼応するようにして光の線が塊の外郭を走った。

 刹那――それは変形して、浮遊する物体へと変化する。


 両端が尖った黒い何か。複雑な形の入り混じるその物体の中央には人一人が乗り込める空間が確保されていた。

 キースの脳裏に思い起こされるのは、秘境奥地で見たモノ。


「事前に構築しておいた短距離空間転移装置だ。移動するぞ、お前も早く乗れ」


 思わず後退るキースを尻目に、レイシスは横に積み上げられた機材の上へ登り、ぴょんと物体へ飛び乗った。衝撃でやや下方へ落ちるが、すぐに元の中空へ位置を戻す。


「…………分かった」


 だが、アレとは違う。遅れてそう認識させて忌避感を拭い去り、キースも乗り込む。


「行くぞ」


 キースが乗り込むのを確認すると、レイシスは()()として聞き取れぬ何かを呟きはじめた。それが終わるか否かといったところで――空間が歪み、景色が変質する。


「なっ……」


 視界があらぬ方向へと歪み、自身の身体が捻じ曲がるような感覚と激しい吐き気がキースを襲う。

 そして、キース達の姿は、室内から消失した。









 ――直後、誰もいなくなったはずの扉が開かれる。

 無数の足音が鳴り響いて止まり、数名の人影が室内に侵入する。その姿は紫の制服を着用した者達。円状拠点都市エクサルを守護する者の姿だ。


「《科学者》様の姿は確認できない。既にこちらを発たれたようだ」


 先頭に居た男がそう告げ、部屋の内部を見渡した。

 無数の機械片や、設計図などの書類束に積み重なる学術書。

 そして中央に空いた何もない空間――そこで男は膝を折り、目を細める。


「……遅かったな。しかしあの方の助力は必須だ。俺はこのまま科学者様の足取りを……」

 

 周囲に流れる様々な力の残滓を感じ取る中、男は違和感に首を傾げた。


「どうかした?」


 扉の先で待機している一人から声を掛けられ、彼は「ああ」と首を小さく振る。


「気のせいだろう。お前達は壁へと向かい、対処に当たってくれ」

「分かったよ。活動限界まででいい?」

「それでいい」


 男が指示を出すと、他の者達は踵を返して部屋から退出していく。最後まで残った彼も部屋から出て行こうとして、もう一度室内へと振り返った。

 僅かに、赤い力の残滓が視界の端に映り込んだ。


「やはり……気のせいではないな」












「着いたぞ。ほれ降りろ」


 次にキースが目を開いた時、そこには空が映っていた。

 ただし正常な空ではなく、灰色に染まる異質な景色を。それは都市の外に漂う灰が結界を越え、内側まで侵入していることを意味する。


「……こいつ、は」

「いや馬鹿そこで呆けるな。結構狭いんだよ降りろ」

「――うるせぇよ耳元で叫ぶんじゃねぇ」

「あん?」


 脇腹を軽く突かれ初めて、呼び掛けられていたことに気が付いた。隣で罵声を繰り出すレイシスを押し退け飛び降りると、着地した先でつま先が冷たい感触に触れる。


 それは滑らかで平らな金属の感触だった。

 足元から見渡すようにして視線を上げれば、眼下には街並みが。どう見てもここが地上ではないことを理解し、キースは眉をしかめた。

 ここはキースの知るどの場所とも一致しない。


「……ここは建物の上、なのか?」

「正確には搭の上と言うべきだな、その最上階だ。私以外には来られん場所だよ」


 言われ、視界の端まで進んで下を見れば、見るのも億劫になるほど下に地面が見えている。背後へ振り返れば、階下へ通じる扉があった。


「急かすような真似して悪かったとは思っているよ。説明もできなかったことだしな」

「……本当に何の説明もなしに連れてきやがったな。で、どういうことなんだ?」

「端的に言えば、お前を逃がすためにやったんだよ」

「俺を、逃がす?」


 そうだと頷き、レイシスはその場で座った。そのまま、柵一つない足場の縁から両足を伸ばし、ぷらぷらと動かす。

 遠方を見つめ、彼女はとある一方向に指を差した。


 その先は、霞掛かるほど小さく見える巨大な壁を覆うように灰が溢れている。アレを放置すれば、杯に水を流し込むような速度で都市を呑み込んでしまうだろう――。

 キースがその方向へ目を向けているのを確認し、レイシスは言った。


「お前の力は炎ではなくもっと抽象的な力だ、というのはいい加減に理解しているな。既に説明はしたからな、覚えてなかったらお前は間抜けだ」

「一々一言多いんだよ分かってる……それが、なんだよ?」


 己が炎という形に限定していることまで含めて、それは事実のこと。自分でも何なのか形容こそできないが、他の人間が持つ能力とは隔絶したモノだ。


「一部の連中からしてみれば、お前のその能力は文字通り何をおいても欲すべき類の能力でな。見つかれば利用されるのが分かっていたから、こうして逃がしたわけだ」


 ――狙われる力。

 これを避けるでもなく欲しがる人間がいるのを信じられない、とは思わない。有効活用ができると思っている内は、その人物にとっては何をおいても欲しい力だ。


 実際、そこに偽りはない。

 力をただ振るうことで正しさを証明できるのならば、この力を忌む理由などないだろう。

 ただ、生まれて今日まで間違えた使い方をし続けてきた自分だったから、拒絶をしていただけなのだ。理屈では分かっている。力を上手く扱えたのがその一部を証明さえしている。

 実際、秘境の時はそうだった。


「俺は要らねぇよ……こんなモン」

「ッハ。私だって〝こんな記録〟は要らない。だが持っているものを棄てるべきでないのも確かだ」


 灰に沈みゆく景色を彼女は呆然と見つめ、抑揚のない声で続けた。


「だが、要らないというなら提案はしておくか。なら、その力を私に寄こせ」

「――お前、」


 睨み、しかし言葉に詰まった。

 今までのやり取りから発される言葉ではないと、ふざけるなと叫ぶつもりだった己の言葉は、喉元で突っ掛かって行き場を失った。

 レイシスは首だけを動かし、その真っ白な瞳でこちらを射抜いている。表情一つ動かさぬ透徹な視線に耐えかね、キースは彼女から目を離してしまう。


「……欲しいのかよ?」


 どう返事をしていいか分からなかった。

 散々悩んだ挙句、キースにはそんな問いを投げるしかなかった。


 他の有象無象であれば問答無用で焼き殺していたのかもしれない。だが、レイシスのそれは、空虚な感情をそのまま言葉に出したかのようだった。台詞にあまりに中身がなかったから、ふざけるなと怒る意志さえ失せたのだ。


「先に私は答えを出しているはずだが。でもお前は要らないんだろう? 要らない上でどうするかを私に委ねるなよ」

「……渡さねぇよ。この力が神子とやらの能力だってこと以外は分からないが、俺にとってやっぱりこいつは呪いみたいなもんだ。同じ轍を他人に踏ませるわけがねぇ」


 出来る出来ないの話はともかく、言われなくとも力を誰かに明け渡そうとは思っていなかった。

 この力は呪いだ。世界一つを容易く滅ぼせる力など、それ以外になんと呼ぶ。


「フン。最初からそう言え」


 やはり答えを待っていたと言わんばかりに、レイシスはあっさりと引いて。


「話を戻そう。今度はお前の力を欲しがる連中のことを教えてやる」

「……なあ、そもそもどうやって利用するつもりだ?」

「〝燃料〟だよ。お前の力は際限のない神子の力。使い方を変えれば、あらゆる概念を動かし、生命を存続させる燃料になる」


 ――そう、例えば。

 レイシスは都市を見渡して、こう言った。


「この()()とかな」

「――まさか」

「そうだ。お前を欲する連中とはこの都市の機構そのものだよ。付け加えれば、都市の加護によって活動する全てがお前の持つ力を欲している」


 この都市を存続可能な力。長きに渡り、灰という脅威から世界を護るだけの力。今まで都市の安寧が保たれていたのは、燃料となった者がいたということ。


「……数百年も、燃料ってのになり続けてる奴がいるのか?」

「いるぞ。そいつはこの場所で今も眠り続けている」


 レイシスは親指で背中側を示した。

 その先は、塔の内部へと繋がる一枚の扉だ。

 この場所に己の身を犠牲にした者がいる。呪いと呼ぶ力と同種のそれを手にした奴が――。


「なんでこの場所に、俺を、連れてきた?」

「他意はない。皮肉にもお前を逃がすのに最適な場所がここだったというだけだ」


 レイシスは小さく首を振って否定する。

 それもそうだ。キースを生贄に差し出すつもりなら説明などしない。それに最初から〝お前の力ではどうもできない〟とも言っていた。

 その言葉の真意はキースに測れないが、意味がないことをレイシスは言わないはずだ。


「……なあ、お前はどうするのが最善だと思ってんだ?」

「あん? 何を基準にしての最善だよそれは。まさかとは思うが、力の用法を聞いて心変わりでもしたのかお前」

「――分からねぇ。けど、俺の力で救えるものがあるかもしれねぇってことだろ」

「一体何を救えると? 言ってみろ」

「少なくとも、アイツの帰る場所は失くならねぇ」

「おいおい何を言い出すかと思えば……お前はリシュエル・ラウンジにそこまで惚れ込んでいるのか。まぁ、人々の平和をとか叫ばれるより虫唾は走らんが」


 とそっぽを向き、都市の外へと目を向けてしまったレイシスの顔は窺えない。


「そのためなら犠牲になるのか。()()も」


 彼女は淡々と、常通りの言葉を続けている。

 だが、そこに積怒の感情が内包されていたのを、キースは僅かに感じ取った。


 怒りを灯し続けてきた力が過敏に反応しているのかもしれないが――大声と早口で捲し立てるわけでもなく、何も言わぬ小さな背がそう見えた。

 だからだろうか。


「できるかもしれねぇってだけで、やんねぇよ……。救われた命自分から捨ててそんなことできねぇ」


 自然と、否定が口から零れていた。

 キースの心が一瞬揺らいだのは確かだ。忌むべきはずの力で世界を救えるというなら、贖罪にはなり得ると驕った感覚を抱いてしまったのも事実。


 それでは駄目なのだ。

 一度滅ぼしたものは、一度救うことで帳消しにはならない。一度犯した罪は二度と拭えない。故に、助けられた命を捨てて誰かを救おうというのなら、それはただの愚か者だ。


「ったく、お前は一々――っ!?」


 だから。常に、最善を尽くさなければならない。


「教えてくれ、レイシス。俺はどうすりゃいい。どうするのが最善だ? この力で何ができる?」


 その時できる最善を尽くすのだ。

 今までこの力は忌むべき力の象徴でしかなかった。それは死の淵を救ってくれたリシュエル・ラウンジにとって、どう足掻いても邪魔にしかならないもので。

 今までの最善は、独り立ちしてこの世界を一刻も早く離れることだった。それが一番、誰のためにもなる選択だとずっと思ってきた。


 だが、やれることがあるのなら――その力が使えるものだと教えられたのなら、知った今は違う選択を取る。


「おま、マジで何して、はな、はなせ……! おい馬鹿痛い痛い馬鹿離れろ力が強すぎる!」

「……っあ? わ、わりぃ、つい」


 気が付けば、何故かレイシスを腕ごと抱えそのまま持ち上げてしまっていた。あまりに軽い体重だったせいか、自分のことで精一杯になってしまっていたせいか――目線の位置で少女は叫ぶ。


「あぁ? ついだとこの野郎? 乙女の素肌をいきなり握り潰しておいて無意識とのたまうか――わ! 馬鹿離すな!? 落ちるだろうが!!!」


 手の力を抜こうとして真下が地面一直線だったことを指摘され、慌てて引き戻す。


「はぁ……はぁ……お前……この乱暴者が……こんなところで記録など引き継いだら次の私はお前をブチ殺すことを何より優先させてたとこだったぞ」

「あ、いや……マジでわりぃ」


 床の上にへたるように崩れ落ち、レイシスは荒い息を吐きながらキースを睨みつけてくる。そこには弁明の余地が欠片もなかったので流石に謝り倒すしかない。

 彼女は先程のやり取りでやや赤くなった腕を撫で、睨みつける目つきはそのままにこう呟いた。


「まぁ、いい。許してやる。お前の意志はしかと伝わったよ、私の知を使うというなら授けてやる――それこそが私の存在価値だからな。後で殺す」

「……ごめん」

「お前のしおらしい態度をこんな場面で垣間見るとは思わなかった」


 レイシスはやれやれと首を振り、眉をしかめて苦笑する。

 そして――その表情が、すぐに無へと戻った。


「それで? 言っておくが何しても崩壊を防ぐのは無理だぞ。どちらにせよこうなる結末だった。お前が身代わりとなっても同じだ」

「……そうかよ」

「さあ、お前が何かを為したいと願うなら、他でもないお前が最善を決めろ。私はそれに従い適切な知を授ける」

「んなこと言っておきながら、お前は俺に全部話す気ねぇだろ」

「ある一線は引いているさ。お前に必要ではない情報は与えん。それを知るのは、知る必要があったとしても()じゃない」

「意味分かんねぇこと言いやがる。全部知ってからの方がいいだろうが」

「っは、全部? お前の寿命が尽きるのが先だよ」


 単なる冗談、ではないのだろう。

 寿命までは流石に本気ではないにしても、彼女の皮肉めいた言葉はそれほどまでに真っ直ぐだった。


 もう一度、遠くで起きる光景へ目をやる。

 壁から浸食する灰が、徐々に内側に浸食する光景。

 かつての故郷を幻視して、心に小さな焔を灯す。


 あの日、差し伸べられた手をキースは忘れない。

 かつての化物は炎の中から引っ張り出され、人の形を取り戻した。忌み嫌われて拒絶され、無かったものとされてきたこの力に為せる機会があるのなら、やるべきだ。


「いや、違う……これは俺がやりたいことだ」

「あん?」

「なんでもねぇよ。俺は――」

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