十七話 絡み合う思惑
――何故便利屋に依頼を飛ばしたのか。
道中、ユラギはその疑問について考えを巡らせていた。
モールド・バレルから送られてきたアンテリアーゼ偽装の依頼を発端とした事件。様々な事情が絡み合い複雑化しているのは言うまでもないが、何故最初に依頼が送られてきたのかという点については考えておかねばなるまい。
そもそも、依頼さえなければ便利屋は自動人形やアンテリアーゼ達と邂逅することもなかったわけだ。その彼女達が依頼を事前に知っていたことからも、依頼の送り主自体はモールド・バレルと確定してしまっていいだろうが……何故送った?
館での考察通り便利屋は邪魔以外の何者でもなかったはずだ。
どの場面に於いても便利屋が介入さえしなければ彼らの思う通りに事は運んでいたはずである。アンテリアーゼの脳を回収するために罠を張ったなら、それこそ下手な芝居を打つ理由がないし便利屋を雇って仲介する必要性も見当たらない。
かといって便利屋を始末するための依頼だったのならアンテリアーゼ達もグルである必要があるわけで。
が、そんなわけでもなく――。
しかしモールド・バレルは便利屋を呼んだのだ。
その結果手掛かりを掴まれた上、アンテリアーゼの脳も奪えず仕舞い。モールド家こそ崩壊したが、ギルドの冒険者達が守ることで穴を埋めている。
彼らの目的である都市崩壊は順調とは言えないだろう。
「見方を変えれば分かるのかもしれないけど……現状は無理かな」
脳を確保するのに実力行使では不可能な条件があったとか、便利屋をこの事件に介入させたことには他の意義があったとか……どちらにせよ散漫としていて、イマイチ彼らの狙いが不明瞭のままだった。
都市を崩壊させるのが目的という前提を崩せは色々視野は広がるけど、じゃあ何がしたいんだという話になるのでこれも保留にして――到着。
ユラギは立ち止まり、眼前に聳える一軒家を見上げる。
近未来感満載の二階建て物件、地下室まで完備のリシュエル・ラウンジ宅を眺めつつ一人腕を組んだ。
先日の館と比べると見劣りするが、一般宅という基準で考えると結構なものである。まだ少女から逸脱していない年齢で一軒家を所有しているのはかなりの大物だ。
上司から散々こき使われていたり、故あって暴れん坊炎髪少年や《科学者》にして齢数百の女の子(?)と同居せざるを得なかったりと中々に可哀相な面はあるが、それはそれ。
ユラギは扉横の認証機に手を翳し、訪問を知らせる。
一分ほど待っていると分厚い木製扉が外側に開かれ、中からちんまりとした少女が顔を覗かせた。
「……はーい……いつも配達ごくろーさまなのです……」
眠たげな眼をこしこしと右手で擦り、前髪を分けて少女はこちらを凝視する。寝起きなのだろう。まだ結ばれていない桃色の髪が背中で揺れている。可愛らしい薄ピンクの寝間着のシャツが少しはだけ、鎖骨とその下の膨らみが露わになっている。
ああ、これはキースの教育上よろしくない姿だ。
ユラギはそう切に思った。
「あぇ……あれ……?」
しかして彼女は首を傾げた。
ぴょこんと頭頂部から跳ねるアホ毛を直しつつ、瞼をぱしぱし瞬かせる。どうやらお目当ての配達ではなかったことに気が付いたらしく、彼女はじいっと顔を近付けて。
硬直した。
「おはようございますリシュエルさん。遊びに来ました、ユラギです」
「……なんで?」
「その寝間着可愛いですね」
「は、はい!?」
リシュエルは大層驚きながら下を向き――そして胸元がはだけていることに気が付いた。誘導成功。
「……」
ぱちん。無言で胸元のボタンを留める。
そしてその顔が再びこちらを向いた時、彼女の表情は完全なる虚無と化していた。一瞬で目が覚めたに違いない。
「――ユラギさん」
「はい」
彼女は言った。
「おはようございます。殴っていいですか?」
殴られた。
◇
「この私に用事? ……いや帰れ」
地下室をまるまる占領した上に自らの研究スペースへと改造していたレイシスは、やってきたユラギを一瞥するなり面倒臭そうに荷物整理へ戻り始めた。
早朝でも関係なく動いている彼女は、リシュエルから借りたであろう可愛らしい寝間着姿でよく分からない機械を組み立てている。
このままだと本当に帰らされそうだったので先日の事件について少々説明し協力願えないかと頼みこむと、レイシスは作業を続けながらも「なら適当なところへ座れ」と言った。
ユラギは部屋の入口から先、配線や機材だらけの周囲を見渡して首の裏を掻いた。
これは……どこに座ればいいのだろう。仕方なくレイシスの背後まで回り込み、彼女の隣に設置してある唯一座れそうな四角形の塊に腰を下ろした。
「……おい馬鹿よく考えろそこに座ったら物取り出せないだろ」
「ああ、これ荷物入れるやつなんですか。生憎とその姿を見ていなかったもので」
「何故両手広げて首を振っている!? 退けと言ってるんだこの野郎」
「他に座るところないですし……」
このごちゃごちゃした機械類は一体何の研究に使うのか。
普通大切に扱うだろう複雑そうな部品もその辺りに大量に転がっているし、文字で埋め尽くされた紙束や本は整理されずに積みあがっているし、とにかく足の踏み場を探す方が難しいのだ。
よくぞたった二日でこんな要塞を設立できたと褒めてやりたい。
「まあまあ、後で俺が手伝いますから」
「――ふん。それで、私から話を聞きたいと言ったが何を知りたい? 何もかもを教えてくれと言われても答えられんぞ」
「そんな無茶振りはしませんよ。昨日の事件なんですが――とりあえず、自動人形について訊こうと思いまして」
「ふむ……確かその個体は紫色の瞳を輝かせたんだったな」
頷くと、レイシスは顎に手を当て悩むように声を洩らす。
「一応聞くが、そいつの能力は見たのか?」
「詳しくは分かりませんでしたが、触れずに相手を吹き飛ばしたりしてましたね」
「それだけじゃ判然としないな。そも私が直接見ていない以上正確な判断など無理だが」
しかし、と続けて。
「紫の持つ力はキースの持つ赤のように直接的な攻撃能力を与えていない可能性が高いため分かり難い――が、問題は能力の中身じゃないな。そいつが〝神造四災〟などと名乗ったからこそ、私のところに来たんだろうし」
そうですね、と相槌を打つ。
能力自体を解明することも必要ではあるが、レイシスの言う通り判別の情報が足りない。キースくらい乱発してくれれば話は別だったが。
聞きたいことは幾つかある、一つずつ潰していこう。
「機械にその力が宿ることってあるんですか?」
「ない。神子は新たに宿った生に付随するものだ」
レイシスは即断する。
しかし、彼女なりに思うところはあるらしい。部屋に放り出されていた本の一冊を手に取ると、頁を捲りはじめる。
「神子が人間にしか顕れないと断言はできんが、まず事例がない。機械に付随するというのは流石に無理がある。そして例え私が全力を尽くしてもキースから〝赤〟を剥いで機械へ移植など無理だな。当然、人の力で生み出すこともできないからな」
「そうなると……あれは単なる四種の色になぞらえただけってことですかね」
「可能性は高い。何せ都市を滅ぼすとか宣言している連中の代物だ、願掛け程度で名付けられているかもしれん――流石にそれだけではなかろうが、な。私から言えるのはここまでだ」
言って、ぱたんと本を閉じると再び床に放り投げた。
「……まあ、いいか」
「なんだ言いたいことがあるなら言え」
「いえ……別に……」
ちゃんと片付けた方が、とは流石に言えなかった。
自分の部屋でもないし。
しかし、そうなると力の所在から相手の目的を探るのは難しいだろう。
あの力が偶然の産物でしかなく機械に顕れないとなると、今回の事件を世界の謎に関連付けして調査を進めることはできない。
「さて。他に聞きたいことは?」
「そうですね。過去に、似たような事件ってあります? 御柱が襲われたとかそんな感じの」
「いや……ないはずだ。散発的に争いはあるだろうが、今回の動きに関連されるようなものはない」
――類似する事柄から事件の流れを推測するのも、無理と。
この道は最初の時点でランシードが洗っているのだろうが、やはりないか。
六百年の時を直に生きているレイシスが言うならその方向で追うのも止めた方がいいだろう。
「じゃあ、この事件についてレイシスさんがどう感じるかっていうのも聞いておきたいですね」
「というと?」
だが、相手の不可解な行動には何かの理由があるはずだ。
それはユラギに解くことはできなかったが、様々な知見と知識を持つ彼女なら別の観点からメスを入れられるのではないかと思って――言うと、レイシスは即座に首を振る。
「知るか馬鹿。だが本当にこの都市を終わらせたいんなら破壊兵器でも投入すりゃこんな都市ひとたまりもないさ。そうしないなら相手の最終目的は〝都市の崩壊〟じゃない。過程にそれがあるだけだろ? 後は知らん」
「――過程、ですか」
半ば投げやりな返答であったが――そこにユラギはある引っ掛かりを覚えた。レイシスの言う通りそうしない理由がユラギには分からなかったからだ。
だが、崩壊が単なる過程の一つならば話は変わる――確かに彼らは都市の崩壊を狙っているのかもしれないが、単に都市を崩壊させるだけなら今回の手段を取る必要がないのだ。
目的が別にあるという推理は実に理に叶うものだった。
もう一度考え直そう。便利屋を介入させたのは必要があってのことだろうが、彼らが便利屋という完全な外部存在に期待したのは、何だ?
アンテリアーゼの縁談と自動人形の製作依頼の裏で行われていた脳の売買という取引。
そこにあの形で便利屋を投入したのは「お馬鹿なアンテリアーゼの代わりにやってくれ」という内容だったが、果たしてモールド・バレルは本当にそんな理由で依頼を頼んだのか?
理屈は通るが手が迂遠だ。最初にユラギが考えた通り、父親権限で娘を介さず勝手にできる範疇だろう。
アンテリアーゼは「父親は未熟な駒を使わない」と言っていたくらいだ、彼だって便利屋を調べて依頼を寄こしているはず。だったらランシードは中立側の人間ではあるが、都市に深く関与する人間であることも分かっていたはずだ。
ぶっちゃけランシードがヤバすぎてどこからも手出しされないだけで、彼女の素性は徹底して隠されているわけでもないのだし。
数年前から動いていた計画なら今更外部を頼る理由はない。
あるとすれば――やっぱり、彼は娘を護ろうとしていたのではないだろうか?
ユラギが最初に切り捨てた考えだったが、あれはアンテリアーゼの行動を含めて低い可能性を排除したまでのこと。
仮にこの動きがアンテリアーゼをどうにかして助けるための動きなら矛盾に理屈が通る。モールド・バレルが敵側の組織に何らかの理由で利用されているなら堂々と計画の邪魔はできないだろうし、娘に事情など説明するわけがないし、それなら便利屋を使うのも分かるのだ。
例えば。
マイルズ・オーガンとの脳の取引が計画に必要であったが、モールド・バレルはその事態だけは防ぎたかった。そこで便利屋に依頼を送って介入させ、強引な手段で娘を現場から離した。
マイルズ・オーガンはランシードの偽装を見抜き、異変を察知して逃げたわけだが、あの時彼に付いていた自動人形達は仕立屋を知っている。だから存在に気付き、先んじて罠を仕掛けたのだ。
ユラギはそこで思い出す。勝手なことをしてくれた――と去り際にアリムが言っていたことを。あれは自衛のため勝手に通報したマイルズ・オーガンに放った台詞なのではないだろうか。
つまり妙に複雑な状況を生んでいたのは、モールド・バレル、マイルズ・オーガン、そして自動人形達それぞれの思惑が別にあったからだとすれば。
――繋がった。
低い可能性だが道筋は立った。
そうなると今後どう動けばいいかも見えてくる。
まずやっておかねばならないのは今も狙われているアンテリアーゼの安全を確保し続けること。次に、先んじて通報するという手で事件からお上手に逃れたマイルズ・オーガンをどうやって引きずり出すか――だ。
他からも情報は引き出せるだろうが、他都市のどこにいるかも分からないモールド・バレルや神出鬼没の自動人形を追うより、所在が判明している貴族を狙うのが手っ取り早い。
それについては便利屋の提出書類とアンテリア―ゼ達の証言でどうにかできるはずだ。
「なるほど。ありがとうございます、レイシスさん」
「そうかそりゃよかった――で、聞きたいのは本当にそれだけか。その程度の用事でお前は私を訪ねたのか?」
「え? あ、でしたらもう一ついいですか。昨日現場に来た都市の役人達が〝紫〟色の制服を着用していたのですが、あれには何か特別な意味でも?」
突っ込む暇も余裕もなかったため触れていなかったことだが、気にはなっていたのだ。
ランシードが何も言わなかったためユラギも大事に扱わなかったが、わざわざ確執深い色で揃える理由があるのかと。
「……ふむ、まああの説明じゃ疑問には思うか。紫は不吉の象徴ではあるが同時に守り神としての意味もあるんだ。奴らが紫色を背負うのは都市の守護者を指しているだけで別におかしなことじゃない。真に恐れられているのは外の〝灰〟だけでな」
「そうでしたか。まぁ、言われてみれば確かに」
キースの赤にしてもそうだが、言われなければ大半の人間はでは分からない程度の認識である。恐らくはその力と関わっているレイシスだから感じられるのだ。
時代が時代なら色だけを理由に迫害されても可笑しくはないが――技術の高さや異能の多さもあって、盲目的な差別とまではならないのだろう。
「――私がお前に言いたいのはそうじゃない。お前は私に聞くべきことがあるはずだ」
彼女はユラギの両肩をがっと掴んで顔を近付けてくる。
先程からどうしたというのだろう。レイシス的には、ユラギは別の質問をしてくると思っていたらしい――そんなものは。
「えっと……何か俺について気がかりなことでもありましたか? 心当たりはないんですが」
「――はん。そういうことか」
とりあえず訊き返すも、レイシスは一人納得したように勝手に頷き出す始末。
何を理解されたというのだろう。全然分からないんだけども。
「やはりお前――無意識にその話題を避けているのか。おい私も座りたい、退け」
レイシスは肩から手を離すと、手刀を作って「はよしろ」と左右に掃いた。その台詞に妙な違和感を覚えつつも大人しく横へとずれる。
彼女は小さく右側へ空いたスペースへ飛び乗るように座り、ふうと一息吐いて――もう一度言った。
「あるだろ聞くこと。何故それを聞かない?」
「この事件についてはある程度見解が見えましたが――レイシスさんが俺に言いたかったのは、そういうことでしたか」
己の胸に手を当て、ユラギは視線を下へ落として――言う。
そうだ。ユラギがレイシスへ会いに来ると言ったら、本来ならそれを聞くべきはずなのだろう。
胸の内にて宿っている、不明の力。生み出すユラギの異能――この雷についてを何故聞かないのか、彼女は最初からそう言っていたのだ。
知っているのだろう。ユラギの持つ力に見当が付いているのか、或いは直接か。
「私が言わなければこのまま帰っていただろうからな。それだけが疑問だったんだよ。お前が熟知しているなら話は別だが、自分の能力も知らずに使っているだろ。そしてお前は〝私なら知っているかもしれない〟と考えるはずだ」
「……もしかして、俺の力も四色のどれか、とかなんです?」
「いやそれはない――が、今のでハッキリと理解したよ。ならその質問は、その力を理解した上でお前から私にするまでは決して答えることはない」
レイシスはその細い腕を伸ばし、ユラギの鳩尾付近まで伸ばしてくる。
つう、と人差し指の腹がそこを撫ぜた。
「しかし、この知識だけは持って行け。その力は――お前を蝕む可能性を秘めている。お前から訊きに来なかったのならば、これはそういうことらしい。今のお前には意味も分からんだろうが」
「……言いたいことは分かりました。いえ、本当にどうして聞かなかったんでしょうね、何となく自分の事を知るには早いような気がしただけだった気もするんですけど」
とにかく、この力の部分が彼女に引っ掛かったのは間違いないようだ。
何せ彼女は秘境でユラギの能力を見ているのだから――その時には既に、キースだけではなくユラギの雷の真相についても辿り付いていても不思議ではない。
――半年よりも前、そしてこの世界に来る前の僅かな空白。
ボロボロだった己の姿が脳裏に焼き付く。
記憶を失っていた期間、やはり自分は何かをしていたのだろうか。
それを彼女が少しでも知っているかもしれないのならば、知っておくべきではないのか――。
「ほら質問終わったんだろさっさと帰れ」
レイシスはどん、と胸を突くようにしてユラギを突き飛ばした。
「うぐっ……ってああ! いっだだ!」
無防備の状態で鳩尾を突かれたユラギはあえなく落下、散らばる機材が背中に突き刺さって転げまわる羽目に。
いやいきなり何するんだと睨み付ようとして――こちらを見下ろす白銀の瞳がどこか妙に印象的に映り、ユラギは思わず吐こうとした言葉を見失う。
その瞳が部屋に入った瞬間に「帰れ」と言ってきた表情と、どこか重なった気がした。
「……帰る前に、機材搬入くらいは手伝いますよ?」
「なんだいや別にいい、いや、あ、謝らんぞまさか倒れるとまでは思わなかったんだ――すまん」
綺麗に謝られてしまった。別に怒る気はなかったのだけど……。
まあ、仕事もあることだし、手伝いは別の機会にさせて頂こう。
背中を擦りつつ、足場を確認しながらユラギは立ち上がる。
「じゃあすまんついでに、もう一個質問いいですか?」
「なんだよ……これ以上は教えられんぞ」
教えないのではなく、られないと来たか。
けれど今はそのことについて訊くつもりはない。ユラギを蝕む可能性とは何を示しているのか少し不明だが、とりあえず今後の有用性だけ知っておければ、今はそれだけでいいのだ。
「この力……いずれ俺に使いこなせますかね?」
訊ねると、レイシスは答え難そうな顔を作って。
「いや。お前は十分に使いこなしている」
そう答えた。
どういった意味かは聞いても答えてくれないだろうが、ユラギにはその解答で満足だった。
今後の仕事で必要になるやもと思って聞いたのだが――そう答えられたのなら、能力に過剰な期待は寄せない方がいいのだろう。
どうやら、解答の台詞的には鍛錬を積んで強くなるものでもないようだし。
既に使いこなしている――なら、今まで通りに切り札として扱うだけだ。
「仕事が終わったら、またご飯でも奢りますよ」
「ほう。期待しておくからな」
ユラギはレイシスに頭を下げる。
足の踏み場を探しつつ、地下室を後にするのだった。




