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神殺しのユラギ  作者: くるい
一章 とある便利屋の業務日誌
11/34

十一話 神話のような世界の記録

 それは本当に昔の話だ。

 ユラギが異世界転移どころか、生まれてさえいないずっと昔の話。

 まだこの世界が〝この世界〟ではなかった頃の記録。


 ――まずこの世界ではない、というのは世界の体系を意味している。例えばその時代に世界を覆う〝灰〟はなく、〝冒険者〟や〝ギルド〟があるはずもなく、人間が住まう都市など一つもなかったような時代。

 世界は今よりも遥か多くの未知に包まれていて、一歩外を出歩けば自分の知るモノなど何一つない異世界だった。


 歴史を記した文献でも少しだけ触れられている。当時の事件の『神隠し』――こうして転移してきたユラギと同様に、様々な()()が掃除機に吸われるようにして同じ世界へ放り込まれていたという現象により、世界はぐちゃぐちゃになっていた。

 ならばきっと今成立する此処は、雑多に掻き混ぜられた大量の物が寄せ集められて成した世界、ということなのだろう。


 だが今はその話は中心ではない。

 本題はキースの能力についてであり、そしてその話は〝成立する前の世界〟にて、害種と呼ばれるモンスターに直接関わってくる――。



 ◇



「初めに釘を刺しておくと、これから話す事の大半は一般に公開していませんので。じゃあ話します」

「それ、外部に全く晒してはいけない情報ってことですか?」

「その方がいいです」


 そんな大事な情報まで話すというのか。

 無駄に信用が厚い、それとも口を滑らしたらという意味の釘だったのか。

 ともかくユラギは頷き、了承する。


「――世界に〝灰〟が蔓延したのは、『神隠し』が終了した直後と伝えられています」


 さて。『化物亭』での食事は既に終わり、満腹になったユラギはリシュエルの自宅へ上がっていた。


 一人で住むには贅沢であろう二階建て一軒家。

 彼女が所有する二階の書斎を使い、授業に近い形でそれは開かれていた。ユラギはろくに読めもしない本が積まれた机を遠目で眺めつつ背もたれに体重を預け、レイシスはぐでんぐでんに酔っぱらってリシュエルに纏わりついて爆睡している――勝手に一人で飲んで勝手に一人で潰れていた――因みにキースは一階の寝室で就寝しているようだ。

 縛り上げられたままでトイレとかどうするのだろう。


 リシュエルは酒臭いレイシスを押し退けながら、机横のスイッチを押す。すると机の中心部分から真四角のモニターが現れ、光が上部へ展開した。

 それらが形造るのは立体映像(ホログラム)。球体が机の上に浮かび、緩やかに回転を続けている映像だ。地球によく似た天体図である。表示されているのは当然、この星だろう。


「うわ、いくらしたんですこれ」

「そういう生々しい話はやめてください」


 つまり結構高いらしい。どんな技術で再現されているかは分からないが、少なくともランシードの事務所でこんな最先端技術みたいなモノは見たことはない。


「こほん、これはこの世界を外部から観測した際の形状とされています」

「外部ってのは宇宙ですか」

「はい。実際に私達が観測したわけではありませんが、昔の人たちがそう解釈して、こうして造られています。便宜上外部のことは〝宇宙〟と呼ぶことにしていますが、世界の上部に何かしらの障壁が張られているらしく、今まで外から実際に世界を観測できた試しはありません」

「障壁ですか……まぁ、簡単に外から見えるんなら未開の地なんてとっくにないですね」

「ですです」


 リシュエルは出力された天体を指で弾いた。くるりと回転した星は徐々に拡大していき、机に半ば沈み込んで姿を消す。モニターの画面がぱっと変わり、次に映し出されたのは――この都市だ。

 ユラギが画面を確認すると、リシュエルは次々にモニターに映し出される情報を切り替えていく。最初以外はまるで知らない図だが、どこかの位置情報ではあろう。


「これらは我々ギルドの〝開拓者〟が探索し、持ち帰った情報を元に作成された世界地図です。穴だらけですけどね」

「……まだ、十分の一も埋まってないんですね」

「世界は広いってことです。それに真っ直ぐ歩いて端から端へ辿り着けるほど単純な世界ではないので……はい、では見てください」

 最後に指で弾くと再び天体が浮かび上がる。

「この天体が開拓者が解析し世界を〝開拓〟した記録、この世界の歴史そのものなのです。では、これを今から数百年間分、巻き戻していきます」

「巻き戻す……?」

「再現技術というものですよ。過去に何があったのか、集積された情報から過去を暴き出し、出来事をなるべく正確に解釈し、データベースに記録し続けている媒体です。なので大体のことは検索すれば出てきますよ」


 解釈違いも当然起きるし何度も情報は書き換わっていますが――リシュエルは付け加える。

 そんなのは当たり前のことだ。ユラギは地球での歴史等を思い返し、納得する。考古学者とか歴史学者とかがやるような分野だ。この世界の過去については非常に曖昧な部分が多いとは認識していたが、それでも粘り強く調査は進められているらしい。


 再現により巻き戻されていく星の形。青白く映るホログラム天体の形が徐々に黒く塗り潰されていく。前に遡るほどに、人がこの数百年間で解明してきた情報が消え去っていく。

 そうして全てが黒く塗り潰されるかと思われたが――だが途中で球体から黒い穴が、即ち〝灰〟と呼ばれた部分が、全て唐突に消滅する。


「ここが世界の起点です。灰が世界を覆う前、ですがこれ以上前は我々が観測できない『神隠し』時代――つまるところ神代の世界なので、世界の形状は遺産を以てしても、殆ど再現も観測も行えていません」

「なるほど。神隠しは当時の神様なんかが止めたとか抑えたって聞きましたけど、〝神代〟って呼ばれてるんですね」

「そうですね……残念ながらこれについては私もユラギさんと同じくらいの知識しかないのです」


 起点、この灰で覆われた後が問題だと彼女は言った。


 モニターが切り替われば、今度はモニター全域が四角い地図へと変化した。暗闇の中、幾つかの都市だけがぽつりぽつりと見えている。

 これは――聞こうとする前にリシュエルがその点を指差していく。


「これが最初の世界です」

「……これが?」

「今とは違って都市と都市を繋ぐ転移門(ポータル)なんかはありませんから、それぞれが完全に独立して存在していたのだと思いますよ」


 一寸先は暗闇っていうのは正にこれを言うのだろう、そうユラギは感じた。あの秘境で灰に潜っていたような状況が――世界に、全体に起こっていたと考えれば非常に分かりやすい。


「灰が続く未開へ足を踏み出せないわけではありませんが……当時は害種の存在や認知が薄く、また定義も曖昧だったので、まともに戦えたかどうか。下手に外へ出たらそれが最期だったのでしょう――その状況を救ったのが、神代を生きた〝神様〟です」

「神様ですか」


 神代世界を生きた存在、か。しかし言われてもピンと来るわけもない。


「私だってそうなのです……まぁともかくですね。その神様ってのは三人いました」

「え、一人じゃないんですね」

「顔も名前も存在も何もかもが不明な神様でしたが、今でも分かっている特徴が一つだけあります――それが〝色〟」

「色……? まさか〝赤〟とか?」


 頷く。リシュエルがモニターをなぞると、点から三つの色が広がる映像が再生されていった。〝赤〟〝青〟〝紫〟三つの色がペンキを塗り潰すみたいに灰を塗り替え、世界が広がっていく。


「よく分かりましたね。神様は〝灰〟を各々の〝色〟で押し返し、世界の一部を取り返してくれました……なんで赤だと?」

「キースが見るからに赤いんで。あとレイシスさんが言ってたこと含めるとそうなんじゃないかな、と」


 炎と称するしかない髪を持ち、無限の炎を生み出すキース。そのキースの能力は『本当は炎ではない』とレイシスは言い切ったのだ。ヒントは散りばめられていたし、これで察せなければ何でも屋失格というもの。

 まあ、勘ではあったのだが。


「ただ、これだとキースは神様ってことになりますけど……違うんですよね」

「確かにユラギさんの言う通りキースが持つ力は赤色ですが、違います。それに〝神様〟が世界を救っただけならキースを保護する理由はありません。もっと大々的に喜ぶべきでしょう」

「そうならないのは、その後に何かがあったから」

「――はい。世界は途中までは神様に救われ続けていましたが、それは数十年後にぷつりと途切れました」


 灰は様々な色に支配されるように覆われていく。赤に青に紫に。このまま進行すればモニターから灰が消え去るハズで、けれどそうはならなかった。

 途中で全ての色が消失した――それが救世の終幕だった。空白となった世界を、再び灰が浸食していく。


「何故かは判っていませんが、神様の加護はここで潰えています。ですがこのまま手をこまねいている人間じゃありません。支配されていない空白を何とか人間の物とし、灰を追い払い、人間の世界を保持するために〝ギルド〟が生まれたのですよ」

「それが今のギルドの在り方、ですか」

「はい。なので結果的に神様は世界を救ったと言えます。人間が独力で灰に対抗出来るまでにしてくれただけでも感謝するべきですから――ですが」


 問題は更にその後。

 それではキースがこうなる意味が分からない。そもそもキースが保護された理由には繋がらない。彼がこの都市に来る経緯は色々大変な事情もあったのだろうが、神様の能力をそのまま保有しているのなら、保護されるまでもなくキースは〝救世主〟だったハズだ。


「ある日、産まれながらに〝色〟を手にした赤子が現れました。最初はユラギさんが疑問に思った通り、〝神様〟の力を継承した神子などと騒がれていたようですね」


 ――その赤子が。

 ヒトを、マチを、クニを、滅ぼしてしまうまでは。


「赤子は生まれながらにして絶大な力を持っていましたが、それを持つ赤子は神様じゃありません。神様と同じ力を手にした赤子は動くだけで人を八つ裂きにし、泣くだけで町を壊してしまいました――言い伝えですけどね。どこまで脚色が入っているかは知りませんが、そういった〝神様〟の力を持つ人間が産まれ、何度も人間の世界を滅ぼしたという伝承もあります」

「……なら、キースはもしかして」

「探索中に〝滅んだ国〟を見つけ、燃え盛る世界の中で私が保護した〝赤〟の色を持つ少年です」


 リシュエルが『事情がある』と言っていたことが、今の話とぴったり繋がる。そりゃ酒場なんかでは話せないわけだ。いくら伝承と言っても、そんな話を。

 何故、そんな彼を――自分に紹介したというのか。


「不思議ですか? それはユラギさんがキースをはっ倒せる人だからですよ……私、ユラギさんなら大丈夫かなって思ったんです」

「そんなご無体な」

「実際にあんまり驚いてないじゃないですか。私の上司の太鼓判もあるんですよ? 彼はめっちゃ巻き込めその方がいいって言ってましたし」

「……俺にも被害行ってたぁ!」


 ――まぁそれは、置いておいて。

 話を元の軌道に戻す。


「と、いうわけなのです。大体の話はこんなところなのですよ。今は〝赤〟と〝青〟と〝紫〟と、言わずもがな〝灰〟の四つは不吉の象徴とされています。この都市じゃそこまでないですけど」

「ああ、まあチンピラとかああいう悪い人達がそういう色を好んで身に纏うくらいですからね……キース君って、かなり重要人物では?」

「……それは、分からないのです」


 言葉を濁すようにリシュエルは言う。どう表現すればいいのかと言いたげに、彼女は困惑の表情を露わにする。


「私だってキース以外の人達は知らないんです。この事情を知っているからこそ繋がりましたが、どうしていいのか。私には判断出来ません」

「国は、ギルドは何と言っていたんです?」

「彼の意志を尊重するということで、アドリアナさんが伝えていません。都市を収める首脳達も今は何も言ってきていませんよ」

「……それは。なるほど」


 ――そうか、アドリアナが全て隠しているのなら納得する。彼女は自らが信頼する人間にしかこの話を通していないのだろう。

 だから彼は都市を歩いていても、公的な治療を堂々と受けてさえ何事もなくいられたのだ。

 何も知らなければキースと〝色〟を関連付けられない。確かに炎だと言われればそれまでだし、実際キースは炎しか使っていないのだから。


「なら別にいいんじゃないですか? 隠しておけば」

「――え? で、でも」

 何故驚いた顔をするのだろう。至って真面目に、ユラギは思ったことを言うだけだ。

「リシュエルさんはキースを普通の冒険者にしたかったんですよね? だったらそれでいいじゃないですか」


 別にバレていないならそれでいいはずだ。アドリアナはきっと、そうするために先にレイシス(・・・・)とパスを繋いだんじゃないのか。

 未だにリシュエルに張り付いてアホ面を晒している少女を眺める。彼女は明らかに何か大事な事を知っている存在――その彼女がキースを見て『気を付けろ』と言ったのなら、それでいいハズだろう。


「そもそも、異能力なんて日常茶飯事でしょうよ。じゃあ言っておきますけど、きっと俺もやばい存在ですよ」

「……はい?」

「俺の反応に少しは違和感とかあったんじゃないですか? 俺、この世界のこと、何も知らない(・・・・・・)ですから」


 ユラギは軽薄に笑って見せる。

 キースの話を聞いて確信したのは、『神隠し』と似た現象でこちらに現れたユラギもまた特異(・・)な存在かもしれないということだ。加えて訳の分からない能力まで身体に付随しているとなれば、きっと何かしらあるのだろう。


 けれどそれは誰も知らないことだ。知らなければユラギはただ雷を操るだけの能力者であり、キースだってそう。

 皮肉にもそういう〝世界〟だから、気付かれなければそれまでだ。


「――まさか」

「ああ、俺が何かだなんて聞かないでくださいよ」

 そこで違和感を察したリシュエルに、ユラギは釘を刺す。

「俺も言いませんから。だからあなたも黙っていてくださいね」


 自らの口元に人差し指を当て、二度叩く。

 さてどうでもいい情報が開示されたところでこの話は終了だ。


 ――大したことではあったのかもしれないけど。別に、それは気にしなくていい(・・・・・・・・)ものなのだ。気にする必要がなくなった(・・・・・)とでも言い換えるべきだろう。

 キースレッド・ブルームはあの能力を確かに使っている。あの力で、あの秘境で誰も仲間を殺さなかったくらいには確かに制御して(・・・・)いるのだ。

 ならば隠してたって、何一つ問題はないだろう?


 ユラギは席を立つと、両手を伸ばして欠伸を一つ。

 少し肩が凝った。こういったお勉強系統はやはりというか、少し苦手分野だったりするのだ。


「――ははははは、そこでそんなこと言えるのはお前だけかもな!」

「あ、聞いてたんですね」


 そこで、酔っ払って爆睡していたレイシスが起き上がった。

 酒臭さにリシュエルは仰け反るが、お構いなしに全体重を預けて立ち上がってくる。足元はふらふらだから今まで素面だったということではないだろう。


「大事な話に……寝てるわけには、い、いかんだろ」

「絶対途中で寝てましたよね」

「……き、聞いてたわ! 嘘じゃないぞ!」

 嘘だった。

「まぁそのあれだ、あれだよ。お前がどういう答えを返すのかだけは気になってたんだ」

「じゃあ、どうでした?」


 訊くと、彼女はこちらに歩き出そうとして――こけた。

 床に顔面が激突した。いたそう。


「いっだ……! ああ、お前が化物など気にしないって言ったのが、分かった気がする」

「それは良かった」


 右手を差し伸べてやる。

 朱に染め上がった白い指先が遠慮なくユラギの手を掴んだ。


「お前には私が何者か(・・・)を教えてもよさそうだ」

「……人間じゃないとは言っていましたが、実は自動人形(オートマタ)とか言い出しませんよね」

「馬鹿言え機械なら酔っ払うわけないだろ」


 けれど似たようなモンだ、そう彼女は答える。


「お前は知らなくて当然(・・・・・・・)だけど、私は人造人間(ホムンクルス)だ。それ自体は別に機密事項じゃないし、真っ当な人間でないのは皆が知ってることだよ」

 その先が、彼女の機密情報。

「――六百余年余りを生きているんだ、私は。リシュエルが話したことの大半の大元は〝私〟が提供した――驚いたか?」

「……えっ。それもうおばあちゃんじゃガハァッ!」


 台詞の途中で思い切り腹をぶん殴られた。

 酔っ払ってる割に果てしなく重く鋭い拳である。肺の空気が全部吐き出されるような痛みにあえぎながら、ユラギはなんとか持ちこたえて。


「…………マジですか?」

「おばあちゃんじゃないがマジだ。この私が十歳そこらの子供だったら逆におかしいだろ」

「……確かに……とりあえず、お腹にめり込んだ拳を退かしてください……」

「フン」


 彼女が年齢通りの存在でないことは薄々分かっていた。それはこの世界がどうというよりも、その方が自然だったという意味で。


 だからか、驚きはあったが、言われて「そうか」と変に納得してしまった自分がいて。嫌な言い方をしたくはなかったが、ここはファンタジーで――ならばその方が、とすんなり呑み込めてしまったのだ。

 だから下手なことを言って誤魔化そうとした、ちゃんと驚く時間を作るためにも。


 それにしても……六百年、それは本当に永い時間だ。歴史が一つや二つ終わるような年月など想像も付かない。

 だから、レイシスがその告白をわざわざユラギにしたということは。


「神隠しの時からずっと、生きてるってことですか。レイシスさんは」

「ま、生きているというのは実は正しくない表現だな。ホムンクルスの構成要素は人間と変わらないから数十年で死ぬ設計なのは同じ。むしろ、最初からこの姿で生まれてこの姿で死ぬ以上、人よりも短い。そうだな、二十年が私という存在(・・・・・・)の寿命だ……うう、頭痛い」


 飲み過ぎからかレイシスは側頭部を押さえる。その小さな呻き声は、ユラギにはまるで別の叫びのように聞こえていた。


「私は死ぬと次の私に全ての記憶を引き継ぐんだ。だから、今ここに存在している私は確実に死ぬ(・・)だろう。次の私は()だが――さて、前回の私と今の私が同じかは分からない。同じだとは、思っているけどね」

「……ええ、と」

「茶化さなくていいぞ、別に場を和ませる必要はないし私に気遣えとも言ってないし思ってない、いらん気を回すな。これはただの事実だ。そしてお前が求めるならば、事実に基づき私は知識を授けてやる」


 きっと彼女はリシュエルが察した程度の曖昧な感覚などではなく、先ほどユラギが発したあの言葉だけで『ユラギが異世界からやってきた』ことを理解した。

 それが神隠しによるものかどうかはともかく。

 彼女は協力をすると言っているのだ。


 ユラギは拳を握り締めた。ぎちりぎちりと皮膚に指が食い込んでいく。


 ああ、聞きたいことは山ほどあるさ、ないわけがない――自分については分からないことだらけなのだ。記憶だって抜け落ちている。

 でも、全部聞いたって彼女が全てを答られるとは思わない。


「なんか言えーおい聞いてるか? 酒のせいではないがすっごく眠いんだ、何にもないなら寝るぞ……あ、吐きそう」

「――レイシスさん。じゃあ、今は一つだけ聞くことにします」


 何より全部聞いても自分が混乱するだけだ。

 今は一心不乱に力を付けたい。

 ――まだ、自分のことに精一杯にはなりたくはなかった。


「なんだあるなら早く言え」

「最後に神隠しが起きたのって、いつかわかります?」

「……ふむ。私の原点(オリジナル)が観測したので最後のはずだ。今より七百年(・・・)は前になる。もっと詳しい情報が必要か?」

「いえ。ありがとうございます」

「よしなら私は寝る、ちゃんと支えろよ……もう駄目起きてると吐く」

「えっ。ちょっと」


 言うなり倒れ込んできたレイシスを咄嗟に支えれば。

 彼女はそれはもう心地よさげな表情をして、ユラギの腕の中に収まっていた。くーくーと寝息まで聞こえてきて、ユラギは思わず苦笑する。

 めちゃめちゃ酒臭い。一体どれだけ飲んだんだ、十は軽く超えていたかな……。


「……あの、リシュエルさん?」

 助けを求めて彼女へ視線をやると、彼女は小さく首を横に振って手のひらを前に突き出してきた。机ががたりと揺れる。

「言いたいことはありましたが――はい、何も言いません。後はよろしくお願いします。私は頑張りました」

「まさか、俺に面倒を見ろと」

「吐かないように優しくしてあげてくださいね」

「いや、俺そろそろ帰るつもりだったんですけど」


 ぎゅう、腹周りが苦しくなった。ユラギは嫌な予感に従って視線を下げる。

 レイシスが背中に手を回す形で抱き着いてきていた。腕を離そうとしても離れない――なんて力だこの酔っ払いは。


「……ちょっと! 待って! 何で逃げようとしてるんですかリシュエルさん!」

「私はキースの様子を見に行きますんで。それじゃ頼みました」


 リシュエルはぴしゃりと言って部屋から出ていこうとする。横を通り抜ける瞬間、させるかと右手を伸ばすと凄まじい速度でそれをリシュエルは回避。追撃に出ようとしたユラギの腕を更に上から叩き落として扉の前まで逃げると、最後にリシュエルは勝ち誇った顔で捨て台詞を吐いた。


「ふふ、世の中の理不尽を教えてあげるのですよ」


 ばたん、と扉が閉じられた。

 ユラギは今の攻防で態勢が崩れてしまい、盛大に後方へと倒れ込む。何とかレイシスだけはと自分の背面を使ってカバーして――レイシスを見やると、今の衝撃ですごい吐きそうな顔をしていた。


「うっぷ……ぐぶ」

「うわああああぁ!」


 世の中ってのは、理不尽なことだらけである。

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