ガードレール
君は山道を車で走っているんだ。片側は崖になっている。ガードレールも何もない。ただし、崖とは言ってもわずか50センチ程度のもんだ。まぁ、これくらいなら別にどーって事はない。落ちたって死にやしないだろう。そこで君は横目でチラリと助手席に座っているある人物を見てみてるんだな。何故かって言うと、その人物はこの道路を造った責任者だからだ。そして彼はこの道にガードレールを付けなかった張本人でもあるんだな。君は彼にその点について何か言おうか悩んで結局は止める。
なんでかって? まぁ、さっきも言った通りだよ。崖って言ってもわずか50センチ。それを正式に崖って言うかどうかは知らないけど、とにかく、落ちても大事故を起こす危険はないだろう。確かに面倒な事にはなるかもしれないけども、まぁ、滅多に人死には出ない。だから……
と、そこまでを言いかけて、それを聞いていた彼は「そうじゃないよ」とそう言った。
「どうして、道路を造った責任者が助手席に乗っているんだよ? 一体、どんな状況なんだ?」
僕はその言葉に頭を少し掻くと「そこは気にしないでくれよ、これは単なる例え話なんだからさ」とそう言って話を続けた。
……ところがだ。車を進めるうちにその崖はどんどんと高くなっていくんだな。1メートルを超え、10メートルを超え、遂には50メートル程に。しかし、それでもまだその山道にガードレールはない。
“これは危ないのじゃないか?”
君はそう思う訳だ。この高さから落ちたらまず死ぬだろう。運が良ければ助かるかもしれないけれど、もし助かったとしても大怪我を負うに決まっている。
だから、こう思う。
“どうして、この道にはガードレールがないのだろう?”
な?君 もしそんな道があったら、そう思うだろう?
その僕の問いを聞いて、彼は渋々ながらそれを認めた。
「まぁ、確かに思うかもしれないな」
と、そんな事を言う。
返答に満足をした僕は続ける。
……それで君は、助手席に座っている道路責任者にこう言うんだ。
「どうして、この道にガードレールを造らなかったんだ? こんな道じゃ危なくって仕方ないじゃないか。誰かが落ちて死んだらどうするんだ?」
すると、彼はこう応える。しかも、当然だと言わんばかりの口調で。
「この道にガードレールを造らないといけないルールなんてないんだよ。だから、そんな文句を言われても困る」
君はその説明に憤慨する。
だって、ガードレールがなかったら、誰かが落ちて死ぬかもしれないんだぜ? ルールがどうとかいう問題じゃないだろう? そうは思わないか?
しかも、もし誰かが落ちて死んだら、当然、その責任者は責められる事になるんだな。だからそれは彼自身の為でもある……
「お前の言いたい事はよく分かったよ」
と、そこまでを聞いて、その彼はそう言った。
「つまり、だから仮にルールなんかなくたって、マスタ設定のテストはやった方が良いって言ってるのだろう?」
僕はその言葉に大きく頷いた。
「その通りだよ。もしも、マスタ設定をミスって障害が発生したら、色々な人が迷惑を被ることになる。しかも、その責任を君は取らされる。テストをサボるべき理由はどこにも見つからないんだよ」
僕らはあるシステム会社で働いている。僕の所属している部署では運用を担当していて、そしてその時は中途採用の新人の彼とマスタ設定のテストを行うかどうかで議論していたのだった。
「落ちても危険はないのだったら、コストに見合わない場合は、ガードレールをつけないって選択肢もありかもしれない。けど、落ちたら死ぬような崖にはガードレールは絶対に必要なんだよ……」
……うちの部署にはマスタ設定のテストを行う行わないを判断するルールがない。まぁ、ルール化が難しいからね。それでリスクとコストとを考えて、各々の担当者がそれを行うかを判断している。ところがだ、それを良い事に、彼はもし失敗したら大きな危険があるようなマスタ設定まで怠けようとしていたのだ。
しかも、このテストにかかるコストは大したもんでもないのに。
だから僕はさっきみたいな例え話で、彼を説得していたんだ。説得しながら僕はこんな風に思っていた。こんなのは当たり前の話だと思っていたのだけど、実は、案外、そうでもないのかもしれないって。
世間でも信じられないようなお粗末なリスク管理の話をよく聞く。特に国で。原子力発電所の問題とかね。断っておくけど、福島原発事故が起こった後の今でも、日本のリスク管理能力は低いままなんだよ。
本当にそのリスクに見合うだけの体制になっているのかどうか。原発だけじゃなく、色々と僕らは監視をし続けないといけないのじゃないかと思う。
じゃないと、連中は何をするか分かったもんじゃないから。