どんな絶望にも砕かれない想い
カタカタカタカタ、と絶え間なくBGMのように鳴らしていたキーボードを叩けなくなる。
ゆるゆるとキーボードを叩くスピードが落ちていき、終いにはかた、とか細い音を立てて次の指が迷う。
迷って迷って、下ろす。
次は何て打ちたかったんだろう。
それすらも分からなくなる。
頭の中に浮かんでは消えていく文字達。
言葉の羅列を正しく並べて物語を作るのが、私のしたいことで唯一の出来ることだったのに。
冷めた珈琲で喉を潤した。
苦い苦いそれは、私の心の中にまで染み渡る。
生クリームとか砂糖とか入れるべきだったかな。
働か無くなりつつある頭でそんなことを考えて、パソコンの画面を眺めた。
パソコンの中ではワードが開かれていて、先程まで打っていた文字がびっちりと並んでいる。
でもその文字には、文には何かを感じる要素がひとつも入っていないような気がした。
駄目だ、何だ、これ。
心の中で舌打ちを一つ。
迷うことなくパソコンの電源を落とす。
データは保存しなかった。
保存するだけ容量が無駄だ、あんなもの。
ずっとずっと書いてきた。
それしか出来なかった。
それしかしたくなかった。
それしかなかった。
でも、いつだってどの世界にだって才能の壁は分厚く高くそびえ立つのだ。
才能のない凡人は帰れ、と言うのだ。
凡才は凡才のままだし、秀才は秀才であって天才にはなれない。
天才っていうのはいつだって一握りの存在なのだ。
手の届かない存在なのだ。
積み上がった『落選』の文字に、涙を流さない人がいるんだろうか。
いたらその人は本気じゃないだけだろう。
悔しい悔しい悔しい。
その思いだけが先行してしまう。
「……くそっ」
ガジャン、と拳をキーボードに叩き付けた。
Amazonで購入したお気に入りのそれ。
壊れたらしばらく代用品を使わなくてはいけないけれど、そんなことに頭を回せる余裕もないらしい。
珈琲を飲み干した。
苦味で胃がチクチクする。
ぐちゃぐちゃの頭の中と痛む胃と嫌悪感。
どうしよう、どうしたらいい。
「おい、うっせーぞ」
ノックもなしに開けられた扉を睨む。
私の部屋と外を繋ぐ境界線に立つ兄がいて、怪訝そうな顔で私を見ていた。
とっとと出て行ってくれ、と適当に手を振る。
それなのに兄は気にもせずに部屋に入って来た。
おい、兄妹でも異性だぞ。
少しは気を使うとかしろよ。
思い切り舌打ちをして机の上に足を乗せた。
キーボードを足で退ける。
「……そろそろ書きたくなくなったのか」
ふぅ、とわざとらしい溜息が聞こえた。
兄は回転椅子に座ったままの私の後ろに立っている。
私は振り向かずに目を閉じた。
早く出ていってくれないかなぁ。
「結果がついてこなくて、投げ出しそうなるよな」
ゆっくりと体を回転椅子に沈める。
「引きこもりやめて働くか?」
ギィ、と回転椅子が音を立てた。
「その方が真っ当だよ」
カシャン、と音を立ててキーボードを蹴る。
「結果が出ないんじゃ意味ないよな」
机を蹴る。
「虚しいよな」
カップが割れた。
「しつこい」
回転椅子が音を立てて倒れた。
私の低い声が部屋に響く。
兄は私を静かに見下ろしていて、私はそんな兄を睨み付けていた。
もう一度同じ言葉を吐く。
そう、兄の言葉はしつこい。
分かっているんだ、そんなことは。
もうずっと前から分かっていて、自覚もあって……それでも手放せなくて続けてきた。
誰に何を言われても、真っ当じゃなくても、惨めでも、虚しくても、私は……私は――。
「書きたいんだよ」
いつの間にか掴んでいた兄の胸倉を離す。
ぐしゃぐしゃのシワになったTシャツは、まるで私の心を表しているようだ。
ぐちゃぐちゃのぐしゃぐしゃ。
「それでも、書きたいんだよ」
どんなに才能がなくても書きたい。
ずっと書いていたい。
どれだけ絶望しても、何度も何度も『落選』の文字を見ても、書きたい気持ちが止まることはないんだ。