九頭(ここのつこうべ)の蛇神様
新しい年が明けた。
ここ鳳町には、新年の初詣にピッタリな神社がある。
それは『久谷神社』という鳳町には不似合いな立派な構えを持つ信仰の場所で、同町の南側に少し離れた小高い丘に位置し、入り口には幾重もの高さ5m級の赤い鳥居が並び参拝客を迎え入れる勇壮さを誇っている。
鳥居をくぐると、そこには神職にあたる神官や巫女にきれいに整備された立派な石段が108段。この数はわりとアジア地区では意味を持つ数字のようで、その先には紅を主体とした立派な殿堂が待ち構える、どこか異国の雰囲気を少しだけ取り入れた神社だった。
ちなみにこの『久谷』には、鳳町に古くから伝わる『雛の森』と対になる言い伝えがある。『雛の森』が心が満たされないままに世を去った幼子の魂が集まる場所であるのに対し、『久谷』は安らかな死を迎えた魂が眠る場所とされていて、それがあると言われている位置が『雛の森』の伝説が残る北の石着山のちょうど反対側。従って久谷神社は町の南側に建設されたわけだが、今はこの言い伝えを知っている人も少なくなり、ただ参拝の地としての役割だけが近隣では有名になっている。
また久谷神社の神官に詳しく聞けば、かつて鳳町を襲った荒神を屈服させた久谷明神の勇壮な物語を聞くこともできるが、それはまたいずれの機会に。
この周辺では久谷明神は最も大きな規模を誇る神社で、新年の参拝客は鳳町のみならず、近隣の連雀町や三世鶏町からもやってくる。
普段はわりと閑散としている鳳町もお正月だけは別の話で、新年を迎えた今日、久谷神社は気が遠くなるほどの参拝客で溢れかえっていた。
遂に今年度を以って籠目小学校の卒業を迎える詩織と真夢は、小学校生活最後の記念に、特別に2人だけでの深夜の初詣を許されていた。
たいがいの鳳町民の初詣のルートは真っ直ぐ久谷明神に向かうのだが、2人はせっかくの初の仲良し同士での初詣だったので、どうせなら除夜の鐘を突くところも一緒に見に行こうということになった。そこで彼女たちはいつもの年末にどこから鐘の音が聞こえてくるのかと両親に尋ねると、付近の住人のほとんどが檀家となっている『暦延寺』ということだったので、2人はまずそこに向かうことにした。
暦延寺は普段は住職のいないお寺で、こちらは外装が少し貧相ではあるが、実はちょっとした『あること』で有名なお寺でだった。ここには昔から何種類もの様々な彫刻が陳列されていて、まるで本尊である仏様の地位を脅かすような立派な物も奉納されているのである。
実は約4年ほどの前の話だが、かつて中学2年生だった神酒、七海、絵里子の3人が、職場体験ということでこの寺を訪れていたことがあったが、そこで神酒はある大失態を起こしていた。
それはこのお寺に奉納されていた鳳凰像を壊してしまったというもので、彼女はこの像が自分勝手に壊れたと言い訳をしたが結局聞き入れてもらえず、その後1ヵ月に渡り毎日清掃奉仕をさせられていたという笑い話が伝わっている。
やがて定刻が迎えられ、鳳町は新年を迎えた。そして2人は改めてお互いに新年のあいさつを交わしたが・・・。
彼女たちはそこで、あるうんざりとするものを目撃してしまった。
暦延寺からいくらか離れた場所にある久谷明神。今日は2人は今から向かう初詣を楽しみにしていたのだが、その参拝客が半端では無い。
いつもの年はもっと参拝客は少ないような話を聞いていたのだが、今年は大雪の影響か何かがあったのだろうか?
初詣の行列が鳥居を越えるどころか、その周辺をぐるりと囲むまで膨らんでいたのである。
「ええ〜!?こんなに初詣のお客さんがいるのか〜!?」
普段田舎暮らしの詩織にとって、この客の多さには度肝を抜かされるものがある。彼女は今日は鳳町の人口の3倍ぐらいの人数がここに集まっているのではと疑ってみたが、だからと言ってどうなるものでも無い。
「シオリちゃん。順番待ってると、夕方になっちゃうかも知れないね。」
ごった返す人の波の中、詩織と真夢はまるで恋人同士のように腕を組んで歩いていたが、その腕によほど力を入れないと逸れてしまいそうなほどの密集ぶり。そんな環境にほとほと困り果てた2人は、まるで掻き分けるように人の波に向かっていったが、普段人ごみをあまり経験していない詩織と真夢は、結局久谷神社の入り口まで押し戻されてしまった。
「ああ〜・・・、人に酔った・・。」
「マムも〜!」
「どうする?マム。」
「う〜ん・・・、どうしよ?」
結局2人は久谷神社への参拝を渋々あきらめ帰途に就いたが、彼女たちはその途中であることに気が付いた。それは先ほど除夜の鐘の見学に行った暦延寺のことで、確かあそこにもお賽銭箱が置いてあって、御参りができるような雰囲気があったことを思い出したのである。
「暦延寺って、どんな神様が祀ってあるの?」
「知らないのだ〜。マムが知らないのに、あたしが知ってるはず無い!」
「シオリちゃん。そんなに自信持って言わなくても・・・。」
そして2人は手をつなぐと、結局暦延寺に向かうことにした。
暦延寺は久谷神社とは打って変わって人は閑散としているが、やはりお正月ということで、深夜にも関わらず数名の参拝客の姿が見える。
2人もそれらの客に倣い、寺社内に祀られたいくつかの小さなお堂を回り、そのお賽銭箱にお賽銭を投げ込みながら、ようやく新年の抱負を誓うことができた。
ちなみに2人の願いは【ティムに逢えますように!】だが、その他は次のようになっている。
詩織の新年の抱負は【真夢と一緒にたくさん遊ぶ】で、真夢の抱負は【詩織と一緒に勉強を頑張る】。この2つを一緒に叶えられれば、それは微妙に【神わざ】なのだろう・・・。
「マム。何をお願いしたの?」
「ナイショ☆シオリちゃんは?」
「それじゃあ、あたしもナイショにする。」
「どっちも叶うといいね。」
「うん♪」
ようやく2人は念願の初詣を終え、少し眠くなってきた頭にあくびで空気を入れながら家に帰ろうとした時、そこで詩織があるものを見つけた。
実は彼女たちはズルをしてお寺の裏側の林を抜け近道で家に帰ろうとしたのだが、お寺の裏に隠れるように建つ小さなお堂を発見したのである。
そのお堂は他のものと違い、まるで参拝客を避けるように茂みの中に目立たないように建てられている。
暦延寺を訪れる数少ない参拝客は、その企みにはまったように、誰一人このお堂に気付かず暦延寺を後にしていくが、それに気付いた詩織と真夢は、なんだか誰にも手を合わせてもらえない神様がいることを可哀想になり、そのお堂にお賽銭を供えた。そしてその御神体をしげしげと眺めたが・・・。
「ねえ、なんだか変な形の神様なのだ。」
「うん。まるで・・・何にも似てないね。」
それは高さ20cmほどの、本当に奇妙な御神体だった。おそらくこれは木製で、その中央はただ木の塊だが、そこから曲がりくねった突起が幾つも伸びていて、いったい何を表しているのかよく判らない。
するとその時、お寺の裏から2人に声をかけてきた者がいた。それはこのお寺の住職で、先ほどまで除夜の鐘を突いていた張本人である。
住職はこのお堂を見つける人が少ないことをよく知っていて、久しぶりにこのお堂に手を合わせてくれたのが2人の可愛い参拝客だったことを微笑ましく思い、つい声をかけてしまったのだった。
「ほう、この蛇神さまに御参りに来るお客さんを見るのは、久しぶりじゃのう。」
2人は住職にあいさつをすると、彼が言う【蛇神】という言葉に興味を持った。
「これ、蛇の神様ですか?」
「うむ。そうじゃよ。」
「どのへんがですか?」
「ほら、ここからニョキニョキと首が伸びているだろう?これが蛇の頭を表しているんじゃよ。」
住職の話によると蛇には9つの頭があり、九頭の蛇神と呼ばれているのだという。
九頭の蛇神は、実は鳳町ではかなり古い時代に信仰されていたこともあったが、現在は久谷神社の久谷明神が主流になっている。それもそのはずで、実は久谷明神が屈服させた荒神こそがこの九頭の蛇神で、それ以来この御神体は人から隠されながら祀られるようになったということだった。
「ふ〜ん。」
「なんだか可哀想な気がするのだ。」
「うむ。しかしお嬢ちゃんたちはラッキーじゃぞ!」
2人は和の象徴のような住職が【ラッキー】という言葉を使ったことを『あれ?』と思ったが、とりあえずその意味を聞いてみた。
「蛇はお金の象徴じゃからな。もしかしたら、今年は金運に恵まれるかも知れんぞ。」
「ホントか〜?」
「おみくじか宝くじみたいな神様だね☆」
すると2人は先ほどまでの祈願の中に金運が入っていないことを思い出し、顔を見合わせるとニンマリとした。
「マム。金運だってさ。」
「うん。マムに必要な運だと思う!」
「あたしも!」
そして2人は、九頭の蛇神様に10円ずつを供えて手を合わせ、深々とお辞儀をした。
『お年玉いっぱいもらえますように・・・。』
『マムはせめて1万円以上欲しいです・・・。』
真夢が意外に現実的なのはさておいて、この微笑ましい光景を目にした住職は、ニコニコしながらお寺に戻っていったが、この後詩織に意外な出来事が起きた。
参拝を終えた2人が暦延寺の出入り口に向かおうとしたところ、詩織が自分の足元に、キラリと光る何かが落ちているのを見つけたのである。
不思議に思った詩織がそれを拾うと、彼女は小さな声を上げた。
それは、ピカピカに光る500円玉だったのである。
「あ〜!!早速金運アップしたのだー!!」
・・・・・・・・・
しかし、隣にいた真夢は、詩織を白い目でにらんだ。
もちろん詩織は、彼女のその痛い視線の意味を知っている。
「アハハ・・・、もちろん冗談なのだ♪」
「ダメだよ、シオリちゃん!お寺で拾ったお金は、全部神様や仏様の物だからね!」
「もちろん判ってるよ〜☆」
そして2人は500円玉を持って九頭の蛇神様のお堂まで戻ると、もう一度それを供えて柏手を打った。
改めて神前に願う、古き友との再会。
蛇はいつか天に昇り、勇壮な海竜へと姿を変える。
もしも九頭の蛇が天に昇り竜に変わった時・・・。
彼女たちの願いは叶うのかも知れない。
竜の傍にいる、小さな友人との再会の願いが。