城下町の時
チャイムの音が教室に響き、今日の授業の終わりを告げる。翔は帰るための準備をしながら、ショートホームルームが始まるのを待つ。
「ショウ、今日部活あるからパスで」
裕司が突然話しかけてくる。
「あれ? 部活なかったんじゃないのか?」
「あー、なんかOBが来るみたいでやることになった。って事でよろしく」
「あぁ、わかった」
翔と裕司の会話が終わったタイミングで担任が教室に入ってくる。
翔はどうでもいい先生の話を聞き流し、ぼんやりと辺りを見渡す。
(‥‥‥ん、今白菊さんと目があった? そういや、放課後に約束してたな‥‥‥てか、昼飯食った後から、クラスメイトの様子がおかしいんだよな〜。やっぱり、こうなるのか)
「───と言うわけで今日はこれで終わり。はい、さようなら〜」
担任はいつも通りの適当な対応でショートホームルームを終わらせる。
(白菊さんは‥‥‥どこだ?)
「月雲くん」
翔は自分の名前が呼ばれ振り向くと、そこには茜ぎ立っていた。
「白菊さん!?」
「あの、今日一緒に帰りませんか。ただ、私は掃除があるので良かったらでいいんですけど‥‥‥」
茜は翔との身長差から自然と上目遣いになりながら話す。
「俺もちょうど白菊さんに言おうと思ってたところ。じゃあ、教室の外で待ってるから」
「あっ、はい。すぐに終わらせますね」
茜は嬉しそうな様子で掃除に取りかかる。
教室を出た翔が何をして時間を潰すか、と悩んでいると、隣に晴海がいることに気づく。
苗代 晴海。裕司と同じく翔の幼馴染でクラスのムードメーカー。ボーイッシュな性格とよく似合うショートヘアーが男子からの人気を集めている。
「よっ」
「おう」
それっきりお互いに何も話さず、沈黙が続く。
「ねぇ、」
晴海が長い沈黙を破る。
「翔はさ、茜ちゃんの事どう思ってんの?」
「えっ?」
突拍子もない質問に翔は少し声が裏返る。
「だからさ‥‥‥いや、やっぱなんでもないや」
翔の頭の中がますますこんがらがる。晴海はそんな翔を尻目に、
「でも、茜ちゃんを悲しませちゃ駄目だからね」
「何で、お前がそんな事を言うんだ?」
晴海は舌を少し出して、翔を馬鹿にすると、
「それくらい自分で考えなさい。じゃあ、私は部活行くから」
あぁ、晴海はたしかバレー部だったな、と翔が考えている間に晴海はその場を去っていた。
(よくわからねぇ〜。けど、何で白菊さんが出てくるんだ?)
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「───おーい、翔。起きて」
光希の呼ぶ声で翔は目を覚ます。
(この世界に来てから、気絶すんの何回目だよ‥‥‥)
「あ、起きたね?」
簡素な木造りのベッドに寝ていた翔はザッと周りを見ると、ここが今まで一度も来たことがない所だと気付く。
「痛っ!!」
翔が体を起こそうとすると激しい頭痛を感じ、左手で頭をおさえる。
「あれっ?」
(左手って折られたはずじゃ──)
「何で左手が治ってる? って反応だね。翔はどこまで覚えている?」
「どこまで? 王城に行って、決闘して‥‥‥俺、負けたのか?」
翔は左手を折られてから頭を握られた記憶はあった。だが、いつ気絶したのかがわからなかった。
「そう、翔が攻撃しようと言霊を紡ぐより速く、剛波が地面に叩きつけていたよ」
「そうか、負けたのか‥‥」
今になって、もっと慎重にいけば良かったなど、様々な後悔が押し寄せる。
「まぁ、そんなに落ち込まないでよ。やれるだけはやったんだからさ」
翔はそんな光希の励ましを無視し、マジマジと自分の左手を見つめる。折れたはずの左手には傷一つなく、縫った後などもない。
「王国お抱えの治療系加護の集団の力だよ。腕を一本治すくらい簡単にできるって」
「へぇー、すげぇな」
いつも通りの腕に感動を覚える翔。
(元の世界でこれがあったら便利だろうな)
「ところでここはどこなんだ?」
見慣れない居場所にいることに不安を感じる翔。
「ここは僕の家だよ」
「光希の、家?」
「うん、城下町にある小さな一軒家だけど結構高かったんだよね」
(この歳で、マイホームかよ‥‥‥)
「へぇー」
「あっ、今から渢を呼んでくるね」
「渢? 誰それ?」
「僕の、妻だよ」
あぁ、と納得した翔は黙って光希を見送る。
(家、妻、地位の三つ持ちか。やっぱり光希ってハイスペックだよな)
翔は窓があることに気づき、外を覗き見る。外には、露店が並んでいて、多くの人で賑わっていた。
(何か異世界に来たなぁ〜って実感する風景だ)
部屋の扉が開けられ、光希と女が入ってくる。女の風貌はとても整っており、美しい金髪のポニーテールで、翔も思わず見惚れるほどだった。
「翔、紹介するよ。これが僕の妻の氷室渢」
「初めまして。光希の妻の渢です。これからよろしくお願いします」
「こちらこそお願い、します」
とりあえず相槌を打った翔だが、自分がまだ自己紹介をしていないことに気づき、慌てて付け足す。
「月雲翔、気軽に翔って呼んでください。‥‥‥これからってどう言うことですか?」
渢との会話の一部分が翔の中で引っかかる。
「光希、説明してないの?」
渢は翔の質問をよく理解できず、光希に助けを求める。
「うん、してないよ」
平然とした顔で光希は言い切る。
翔はしばらくの間、光希から幾つかの話を聞かされた。
まず、王城での七雄への推薦は光希が死んだパートナーの跡を翔に継がせるためのもので、光希の思いつきで始めた事だった。
次に翔のこれからについてだが、これからは光希に正式な弟子となり、七雄となれる様に修行をする事になる。現在の七雄の空席は二つで、王国としてもなるべく早くにこの二席を埋めたかったのだ。
「まぁ、本当は翔が決める事だけどね。勝手に決めさせもらっちゃった」
とんでもないことをさらりと言う光希。
「‥‥‥」
あまりにも唐突な事だったため、翔は返す言葉が見つからない。
「光希、やっぱり翔が混乱してるわよ」
「うん、ちょっと突然すぎたね」
「光希はいつも勝手に決めるんだから。こないだだって──」
渢の光希に対する説教が始まる。
(これって、まずいか? もしこのままだと俺、七雄の一人になる気がするんだが‥‥‥いや、あまり考えないようしよう)
「俺は別に大丈夫なんで、渢さんもあまり光希を怒らないでください」
「あら、そうなの?」
態度を急変させた渢が翔の方に向き直る。
「よかった〜、断られたらどうしよかって心配したよ」
「そんな事言うなら最初っから話しておけばいいでしょ」
渢が光希の頭をグーで殴る。かなりの力で殴ったようで光希はしばらくの間、悶え苦しんでいた。
「じゃあ、早速家の中を案内するわね。翔、着いて来て」
「あっ、はい」
地面に転がっている光希を放置して、翔は渢の後を追う。
光希の家を一通り見て、翔が思った事は、普通、の一言だった。翔がいた世界よりは少し違うが、それでも生活の便では何の問題もなかった。家の広さは大通りに面している事もあり、普通よりは狭いらしいが翔は自分の家と同じくらいに感じた。
「渢〜、説明終わったの?」
どこからか光希が現れ、渢と翔の間に割り込んでくる。
「えぇ、終わったわ」
「そう、なら翔、少しいいかな?」
「ん? まぁ、いいけど。何かすんのか?」
それは来てからのお楽しみ、と言い残して光希は玄関の扉を開け、外に出ようとする。すかさず渢が、
「日没までには帰って来なさいよ〜」
とだけ言って、台所へ向かう。
「っで、ここで何をするんだ?」
翔が光希に連れてかれたところは、城下町の外で特に何もなく、ただ草原が広がっているようなところだった。
「うーんとね、最初に言っておくけど翔は剛波に勝ててたよ」
「っ!!」
翔が起きてからずっと考えていたことを光希に言われて、翔は動揺する。
「一番駄目だったのは、加護を使う事を意識しすぎて体術が全然できてなかったところだね」
「体術? あんなゴリラみたいな筋肉の奴と殴り合えと?」
あの時、翔は自分と剛波との筋肉の差を鑑みて電撃で戦うと決めていたが、光希はそれを真っ向から否定する。
「筋肉の差で勝ち負けが決まるわけじゃないからね。翔の加護は電撃、触ればほぼ一撃の高い攻撃力を持っているんだ。それをもっと生かしていこうか」
「なるほど、ね」
(体術に電撃を混ぜて使うって事か。難しそうだけど使いこなせたら強そうだな)
「もう一つ駄目なところを上げるなら相手の能力を把握し切れていなかったところかな」
「能力の把握?」
「えーと、翔は剛波の加護が何だったかわかる?」
光希に問いに翔は頭を悩ませる。
(剛波は接近戦を徹底していたし、何か特殊な攻撃をしたわけでもない。普通に考えて──)
「天使の加護の強化系、か?」
「うん、確かに正解だよ。で?」
「で? って何だよ」
光希の意味のわからない疑問形に翔は口調が荒くなる。
「それで、翔はどうするの?」
「どうするって‥‥‥」
翔は自分が何か対策をしたかについて考える。
「‥‥‥あれっ? 何もしてない、のか?」
翔が決闘の際にした行動はたった二つ。回避するか、加護を使うかその二つしかなかった。
「翔の攻撃が単純すぎた、それが二つ目の欠点だ」
翔は思わず反論しようとするが、光希の正論に何も言い返せずにいた。
「剛波の加護の弱点、わかってる?」
(弱点‥‥‥?)
「距離攻撃がないこと。ただこれは翔も同じだからあんまり関係なかったね」
「そして、こっちが肝心だよ。剛波には癖があったんだ。それも致命的な」
「癖!?」
「剛波は動き出す前に必ず最初に使う筋肉が動いている。例えば踏み込みだったら左足を一度踏み直していた。それに気づければ楽に勝つことができたんだろね」
「マジか、全く気づかなかった‥‥‥」
(次の攻撃がわかっていれば対応がかなりの速くできるからな)
「早速修行を始めるよ。翔、構えて」
翔と光希は日が暮れるまで斬り合いをし、日が暮れた事で、光希が渢との約束を思い出し急いで家に帰る。
「ごめん、遅れた!!」
家に入るなり頭を下げて謝る光希だったが、渢はそんな光希を無視し、翔を食卓に案内する。
「さっさ、冷める前に食べましょう。今、シチュー持ってくるからね」
そう言い残し台所に行く渢の足音はどこか荒々しい。
「光希、お前どうすんの?」
「うーん、とりあえずは頑張ってみるよ。怒った渢って怖いんだよな〜」
余裕を持っているように装った光希がやたら冷や汗をかいていることを、翔は気づいていた。
「はい、お待たせ。具だくさんのシチューよ」
台所から戻ってきた渢の手にはシチューの入った皿が三つ。それを見た光希がホッとした様子で頬を緩める。
(渢を結局は光希に甘いんだな)
翔は心の中で苦笑いしながら二人を見ていた。
「こんな馬鹿はほっといてさっさと食べましょう」
「渢、遅くなってごめんね」
渢は光希を力強く睨みつけると、怒ってそっぽ向く。
「もう知らないから。いっつも光希は約束を破るもの」
(うわー、光希って女の尻に敷かれるタイプだったんだ‥‥‥)
「そんな事ないよ。ほら、もう絶対に破らないから、ね?」
光希が真剣な眼差しを渢に向けると、渢は少し顔が赤くなり、うつむく。
「そうやって、言うなら‥‥‥許してあげる。次は、ないからね」
渢は先ほどとは打って変わって、ギリギリ聞こえるくらいの声で答えた。
「渢!!」
光希は立ち上がると渢の元まで行き、黙って抱きしめる。
「っ!!」
渢はさらに顔を赤くすると、光希の肩に顔をうずめた。
(ラブシーンは二人だけの時にやれよ。何か気まずいし、シチューでも食べてるか)
その後、冷静になった光希と渢が何気無い顔で食卓に座り、食事を始めた。