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day1<03>天城文月編




 清川がパンに噛り付き、風太が缶コーヒーを飲んでいる間に私は重大な事を思い出した。恩師である上田教授に一言も実験について報告していない。

 失敗は多くあれど、今回の異世界行には収穫も多々あった。同じ学究の徒である上田教授なら喉から手が出るであろうその成果をすぐさま伝えて差し上げなくては恩に報いる事ができないではないか!


「急ぎ教授に挨拶しなくてはな……どうした?」


 私の発言の直後、二人は喉に異物を詰まらせたらしく一斉にむせ出す。


「その格好で行くつもりか!?」

「そうです! 絶対信じてもらえませんよ!」


 そうだろうか。二人は教授の奇人振りに少々目を狂わせているのかもしれないが、あの人の頭脳は極めて鋭い。恐らくは私の立振る舞いだけでも私が私であると見破るのではないか。

 いや、流石の教授も私がこんな姿になるとまで予測も付かないに違いない。しかし論理詰めで話をすれば納得して下さると私は確信している。


「教授はあれで柔軟な思想の持ち主だよ」

「柔軟とかそういう事以前の問題でしょう」


 どうにも納得してはくれないようだ。仕方がない、さっさと話を付けてくるとしよう。


「はは、まあ二人はゆっくりしているといい」


 私は立ち上がって扉に向かって歩き出……。


「何故私の肩を掴む」

「行かせるとでも思ったか?」


 清川の手は襟元から服の中に滑り込まれていて、例え私が服を脱いですり抜けようとしても逃げられない事だろう。

 しかし、私も服を脱ぎ捨ててまで逃げる気はないのだが。用心深い奴だ。


「何が問題なんだ」

「僕には何が問題ではないかが分かりません。どう考えても、その格好で出歩いてはいけないです」

「その通りだ!」


 風太に続いて背後の清川も私の格好を気にしている。


「何かおかしいか?」


 このワンピースの衣装に問題があるのだろうか。


「いえ、服装の事じゃありません」

「えっ」


 風太の否定の言葉に素っ頓狂な声を上げる清川。


「おかしいか」

「いや、その……」


 清川は言いよどむが、言いにくい事を発見したのだろうか。


「我々男性には気付けない問題でもあるのか?」

「え、そうなんですか?」

「うん。まあ、そうだな。生地が薄過ぎるな」


 何だ、そんな事か。


「本来寝間着だからな。こんなものだろう」

「寝間着で出歩いちゃまずいでしょう……」

「とは言っても、あいにく持ち合わせはこれだけだ」


 呆れ顔の風太に私も同意見だ。常識的に考えると、寝間着で出歩くのはよろしくない。しかし、着替えるべき服が存在しないのでは仕方がないというもの。


「なら買いに行こう!」

「見てくれは悪いのかもしれないが、服を着ているのだから問題はないだろう」


 清川の声が妙に張り切っているが、以前のように付き添い代を請求してくるんじゃないだろうな。私の生活にはそう余裕はないと言うのに勘弁してくれ。


「これからどうするんですか? ずっとその服でいるという訳にはいかないでしょう」

「確かにそうだが」


 女性用の服を買いに行く羽目になるとはな……。異世界に滞在していた頃は服は王宮の者が勝手に用意してくれていた。あちらでは男性用の服を着ようものなら異常者扱いだったので、やむを得ず装飾の少ない女性ものの袖を通していたが違和感を禁じ得ない。よくこんなものを女性は着ていられるな。冬など、寒くはないのだろうか? 

 それはそれとして、ここは日本である。日本ならばズボンを穿こうが文句を言われる筋合いはない。

 この際だ。ある程度纏めて買ってしまうといいだろう。男性用でも着れるものがあるかもしれない。

 今のワンピースだってさっさと処分だ、処分。リサイクルなり、売るなりしてしまおう。


「どうしたんです?」


 おっと少し考え込んでしまったようだ。まさか私がこんなにも服装にこだわっていたなんて気付かなかった。見た目より頭脳を重視して私は今まで生きて来たが、その私も流石に女装は耐えがたい、という事だな。


「いや、風太の言う事も最もだ。教授に挨拶した後、衣服を買いに行こう」

「天城文月! 教授に寝間着で会うのは失礼と思わないか? もし畏敬の念を抱いているなら相応の服装で会うべきではないのか!」

「その発想はなかったな」


 清川の何故か随分と切羽詰った台詞に私は心動かされる。

 彼女は礼儀について私へ疑問を呈したのだ。教授に寝間着で会うのは教授への侮辱、あるいは教授を軽く見てはいないのか、と。

 教授ならば私が尊敬している事を十二分に理解して下さっているとは思うが、相手の気持ちに甘えるのはいけない。

 真剣な付き合いをしたいならば、まず佇まいからきちんとすべきという訳か。

 清川にしてはいい事を言った。


「よし、では急いで服を買いに行こう」


 しかし教授に合うのに相応しい服装とは一体どういったものがいいのだろう。あまりにフォーマルな服装では堅苦しいだろう。しかしラフに過ぎると今と変わらない。

 何と言う事だ。今の私にはバランスのとれた服装が分からない。

 ううん、恐らく大学内の女学生を思い浮かべ参考にすれば……駄目だ、私ほど身長の小さな人が思い浮かばない。

 頼る気はなかったが、頼れる者は彼女しかいないか。


「それで、だな」


 清川に頼み事をするのは、対価の法外さから差し控えたいところではあるのだが……。TPO弁えた服装を揃えないと教授に失礼だ。


「風太はこれから講義があるとして、清川には付いて来て欲しいのだが構わないか?」

「勿論だ!」


 やけに乗り気だな。


「悪いが何かを奢ったり、買う余裕はないぞ」


 一応、ここをはっきりさせておく。もし、無理なら一人でも何とかしよう。


「むしろ私が服を買ってやる! さ! 行こう!」


 いきなり手を握るんじゃない。私は急いで財布などをメッセンジャーバッグに詰め込む。


「風太! 行ってくる!」

「いってらっしゃい先輩!」




「……で、何故清川の家に寄るんだ」


 私たちは大学から歩いて十分の清川のマンションを訪れていた。全くと言っていいほど仕事をしていないにも関わらず、彼女は親の脛をかじり広々とした一室を借りている。リビングと寝室が分かれているのにも驚かされるが、いまだ入室を許可された事はないが資料室と銘打たれた部屋まである。それに加え、ダイニングキッチンやらベランダやらもあり羨ましい限りだ。

 意外な事に、リビングだけはしっかり整頓されている。大型液晶テレビにダイニングテーブル、ソファが並べられ木目の床には白地のカーペット。汚さないか心配なほどすっきりした空間だ。


「馬鹿、何日もお風呂に入ってないんだぞ。外に出られるか」


 彼女の”外”の定義に、大学が入っていないのは確かだ。


「シャワーで済ますから少しだけ待っててくれ」

「早くしてくれよ」


 浴室に消えた清川を見送り、私はソファに腰掛ける。私くらいなら寝っ転がれそうだ。寝っ転がってしまえ。

 壁に掛けられた時計の針の音と、微かに聞こえるシャワーの音。真上を向くと、窓から差し込む穏やかな陽光が白の天井に明暗のコントラストを付けているのが瞳に映る。


「帰って来たんだな」


 だが、今の私は以前と違う。

 上手くやっていけるだろうか。


「やっていくしかないか」


 そうだ、もう後戻りはできない。どうにか今を受け入れてやっていくしかあるまい。

 何だか少し疲れたな。ちょっと休ませておう。




 何だか頭が心地よい。


「起きたか」


 目を開くと、清川の顔が映る。頬がほんのりと染まっている事から判断するとまだシャワーを浴びてそう時間は経っていないようだ。


「今は何時だ?」

「あーと、十時五分前だな」


 寝る前は八時半頃のはず。少し眠り過ぎた。


「すまないな、すぐに出発しよう。手をどけてくれ」


 今まで私の髪を梳いていたらしい。されてみると気持ちのいいものではある。だが長すぎて邪魔だ。

 異世界では髪を短くしようとしたら絶対にしてはならないと脅された。しかしここなら問題ない。時間が空いたらざっくり切ってしまおう。


「も、もう少し」

「分かった。手短に頼む」


 せっかく整えてくれるのだ。好きなようにやらせるべきだ。




「もう、いいんじゃないか? 買い物の時間がなくなりそうだぞ」


 時計の針は十時半を差している。私が気持ちが良くてうっとりしていたのも悪いが、いい加減手が疲れて来ないのか?


「はっ! そうだな! では、行こう!」


 やけに機嫌のいい返事だ。服装も、たまに見るお洒落を意識したものを選んでいる。足の長い彼女がジーンズを穿くとスタイルが際立つな。私もジーンズに着替えたいものだ。

 マンションを出た私たちは十分ほど歩いて、大学前にある地下鉄駅に入り地下構内で電車を待つ。


「何処に向かおうか」


 正直言って、私にあてはない。清川には何かあるだろうかと聞いてみた。


「無難に三つ先の駅にあるデパートでいいんじゃないか」


 デパートか。確かに色々ありそうな響きだ。


「ではそうしよう」

「うん。それより気付いてるか?」

「何がだ」


 こちらを見下ろして、にやつく清川。ああ、以前は逆の立場だったのだが今では身長差が如何ともしがたいほど付いてしまっている。


「周りの目線、だよ」


 目線? 言われてみると何だかこちらへの視線が多いようだ。パジャマ同然の服で歩く私は注目されてもおかしくはないか。あるいは余所向きの格好をした清川の美貌に魅せられているのだろうか。

 いずれにせよ多くの人間にこの姿を見られるのは抵抗があるが、慣れるしかないだろう。思えば私が異世界で過ごした時間を加えても、私がこの姿になってから三週間ほどしか経過していないのだ。

 とはいえ、数瞬だけ羞恥心で頭が熱くなるのは避けられなかった。ま、表情に出ないだけましというものだ。


「電車が来たぞ」


 こくりとうなづきを返した清川は鼻を押さえている。おかしな事をしているが、取り敢えず電車に乗る。幸いこの時間帯は電車に乗る人が少なかったようで、席に座る事ができた。

 乗った後も鼻をつまんだままの清川は何をしているのだろう。


「どうした」

「いや、目が疲れたなって」

「少し揉む位置が違うのではないか? ここら辺だろう」


 清川が押さえているのは鼻先辺りである。そこでは意味ないだろう。そうだな、目尻の近くがいいんじゃないか。


「どうだ。こっちの方が効き目がないか?」


 清川の目尻に辺りを軽くつまんで押してみる。


「こ、効果抜群です……」

「そうだろう」

「ああん」


 私が手を離すと清川が変な高い声を上げた。破廉恥な奴め。


「場を弁えろ」


 君みたいな美人が大人の男どもがいる前でそんな声を上げるんじゃない。勘違いする輩が出たらどうするんだ。以前の私なら一ひねりにしてやれたが、この体躯ではそれも望めない。


「すまない」


 結局鼻から手を離したのは三つ目の駅に到着してからだった。一体何がしたかったのだかさっぱりだ。もしかすると、鼻血でも出そうだったのか。


「そんな訳ないだろう!」


 聞いてみると否定されてしまった。なら何をしていたのかと聞いても女の子だからと意味不明な供述でごまかされた。今の私もなるのか気になったが、答えてくれなかった。仕方ない、この件は捨て置こう。

 駅内部を通り、そのままデパートに入店する。さて、これからどうすべきか。困って清川に視線を移す。


「どうしたらいいだろう?」

「ごふう」


 ご……え? 何語だ?


「さ、婦人服売り場に行こう!」


 またしてもうやむやにされた。女性には秘密が多いというがこれほどとは。もう気にするのにも疲れたからいいか。

 清川に先導され婦人服売り場に行く。ううむ、今まで入った事のない空間だ。私には縁のなかった品々が多数展示されているが、これから先お世話になるのだろうか……恐ろしくて、寒気がするね。


「そういえば、君の身長を測ってなかったな」


 清川がそう呟いて固まる。そして私を凝視する。


「何だ?」

「いや、これはもしかしたら子供服売り場に行く必要があるかもしれない」


 子供服だって! 私が子供服を着るのか……ん、婦人服を着るよりはましか?


「何にせよ、身長を測ってみないとな。ちょっと君」


 私は近くを通る若い女性店員に声を掛けた。


「いかがなされましたか?」


 呼んだ店員は笑顔でこちらに歩み寄り、用件を尋ねてくる。


「身長と体重を忘れてしまったんだが測る事はできないだろうか」

「そうですか、ではこちらにどうぞ」


 どこかに案内されている間、店員がにこにこしながら私に話し掛けてくる。


「ご姉妹でいらしたんですか」


 姉妹か。そう見られてしまうのか。


「違う。彼女の部屋にこれから何日か泊まるんだが着替えがなくてね」

「はあ、仲がよろしいのですね」

「四年は付き合った仲だ」


 話しているうちに私たちはフロアの隅にある、カーテンで区切られた区画に案内される。案内された場所の壁にはメモリの描かれたテープが壁に貼り付けられていて、すぐそばには体重計も置いてあった。


「失礼ですがおいくつですか」

「あと三か月ほどで二十二だ」

「し、失礼ですが……もう一度お聞きしても?」


 聞き返すのも無理はない。本人である私ですら信じたくないのだ。


「今は二十一だよ」


 私の言葉を聞いた女性店員は何故かガッツポーズをした。本当に理由が分からない。


「ちょっと! あまり近寄らないでくれるか!」


 そして清川。君はいきなり私と店員の間に割り込んでくるな。邪魔だ。


「今から身長体重を測らせて頂きますので」


 清川の不可解な行動を店員は冷静に受け流し私ににじり寄ってくる。おかしいな、清川と同じ匂いがする。


「そんなの私でもできる!」

「いえ! ここは店員である私が!」


 終いには二人で取っ組み合いを始め出した。もう放っておいて自分で測定してしまおう。木のサンダルを脱ぎ捨て、壁に沿って立つ。頭の上に手を乗っけて、手だけを壁に付けたまま体を壁から離す。百四十センチ。測定を間違えたか。私はサンダルを履き、もう一度壁に立った。今度は百四十二センチ。大して違わない……。

 そうだ。私は長ったらしい髪を貞子スタイルにして測定してみた。おお! サンダルに加え髪も込みで百四十六センチだ! さらに、髪を二重三重に重ねると、だな。はっはっはっは! 百五十センチに届いたぞ! あと四十二センチで元の身長と同じだな! 


「……」


 何……だと……。私は身長に困った事は無かったが、ここに来て初めて小さな者たちの気持ちが理解できたような気がする。

 受け入れよう。百四十センチという現実を。次は体重だ。電源を入れ、体重計に乗ると三十三キログラムと出た。三十三、か。これまた随分軽くなってしまったものだ。以前は九十キロもあったんだがな。それなりに筋肉も付いていた。しかし今では……考えても無駄だ。


「測定は終わったし、服を見てこよう」

「え!?」

「お、お客様!?」


 君たちは知らん。勝手にやっていろ。


「天城文月! 君はまだ胸とか測ってないだろう!」

「そうですよちゃんと測らないと!」

「胸なんて膨らんでないからいいだろう」

「そんな事はない! 測らないと駄目だ! そういうものなんだ!」

「そうですよそうですよ!」


 そういうものなら仕方ない。私は歩みを止め、二人の元に戻った。


「服越しでは正確に測れないのか?」

「脱いでください!」

「そうだそうだ!」

「わ、分かった」


 この二人は大丈夫なのだろうか。さっきから調子が上がり過ぎではないか? 心の奥で心配をしつつ服を脱ぐ。あ、そういえば下着を着ていないな。買わなくては駄目だろうな。


「君たち大丈夫か!」


 いきなり二人が鼻血出し始めた。


「だ、大丈夫ですぅ」

「気にするな!」


 店員が取り出したディッシュペーパーを二人で分け合って鼻に詰め込んでいる。見目麗しくない光景だ。それよりも清川の健康に疑問符が付く。


「そうか? 清川、君は電車でも鼻を押さえてたじゃないか。病院に行ったらどうだ」


 何でもないような症状が以外にも重傷というのはよくある事だ。特に鼻血は血管が破裂している訳だしあまり甘く見ない方がいい。


「いや、本当何でもないんだ。な!」

「そうですとも!」


 この店員にも分かるような簡単な原因で鼻血を出したかのような言動だ。もしかすると、はしゃぎ過ぎなのかもしれないな。清川は妹がいたら溺愛するタイプなのだろう。

 しかしはしゃいでいるのが恥ずかしくて表に出せない訳か。何だ、可愛い奴じゃないか。


「では測りましょうか!」

「手伝うぞ!」

「はーい、腕を上げてくださーい」


 体を這うメジャーの異質感に軽く体が震える。何と言うか、こそばゆいな。体を一周したメジャーが私の目の前で合わせられる。


「な? ないだろう」


 全くもって谷間とかふくらみというものが感じられない。


「絶壁だな」

「絶景です」

「ああ、そうだな」


 目の前にいる店員の頬がうっすらと桃色に染まっているが、意外といい成績なのだろうか。私にはただの寸胴体型にしか見えない。

 続いて腰と尻の計測が行われたが店員の手がやたらと肌に触れるのも普通なのだろうか。あと清川と手首の掴み合いをしていたが、あんまり遊ばないでくれ。


「何だか疲れたな。適当に選んできてくれないか」


 他人に素肌を触れられるのはあまり精神衛生上よろしくないね。私はしばらく何も考えたくないよ。


「いいのか?」

「ああ、そこの店員さんと一緒に頼むよ」

「分かった任せろ」

「お任せください!」


 二人とも駆け出してしまった。元気な奴らだ。

 五分間一人でゆっくりしていると両手に服を山ほど抱えた二人が戻って来る。しかもそのセンスがひどい。

 フリルだらけの代物やら、パンツが見えそうな短いスカートやら、裸と大差なさそうな上着やら。私の求めている服を清川は知っているはずだろう。


「私は適当にと言ったんだが」

「まずは着てみましょうよ!」

「そうだぞ!」


 この二人は些か調子に乗り過ぎてやしないか。君たちの好みの服を持ってこいと言ったんじゃないんだぞ。清川には伝えたはずだが、教授に面会しても失礼のないような服装を用意して欲しいんだ。


「もういい、私が選ぶ」

「ええー」

「そんな!?」


 服を抱えたまま不満を上げる二人を置いて私はカーテンを引いて展示フロアに出た。慌てて付いてくる二人を余所に、私は売り場をさっと見回したところサイズの合うものが見当たらない。


「君たちどこで服を用意したんだ」


 上を指差される。


「子供服売り場か……」


 しぶしぶエスカレータで三階に上がる。だが、行ってみると案外使えそうな服もあるじゃないか。私は青地のズボンと白地のシャツ、それにジャケットを手に取った。


「天城文月よ。それはどう考えても男の服装だぞ」

「そうかな。でも、別にいいじゃないか」

「よくない!」

「よくありません!」


 一斉に反対される。


「叫ぶな。それに私の財布からお金を出すんだぞ。買うものを自由に選んでいいはずだ」

「なら斉藤さん! 出費は私持ちでこの子の服を買おう!」

「はい!」

「おいどういうつもりだ」


 何故君が私の服を買おうとしているんだ、訳が分からない。大体他人のためにお金を使うのが嫌いな君らしくない行動だぞ。


「さっきの服は私が買う! 文句はないな!」


 断固たる決意をにじませながら彼女はそう言い放つ。どうしてこんな事でそのような気迫を見せているんだ……。


「文句はないが私は着ないぞ」

「構わない! 計測はばっちりだからな。お会計をしたい」

「では一度下に下りましょう」

「私はここで服を選んでるよ」

「迷子になるなよ!」

「なるはずないだろう」


 ずんずんと大股で歩き、捨て台詞まで吐いて清川は消えた。テンションが昂ぶり過ぎておかしくなっているのかもしれないな。いつか後悔すると思うぞ?

 しばらくすると、大きな紙袋を持った清川が戻って来た。


「ははは、あまり買い過ぎたから配達してもらう事にしたよ」


 表情には何か一仕事したような解放感をうかがわせる。それにしても、買い過ぎだろう。冷静になったら後悔の念で叫び出しそうだ。さっき止めるべきだったか?


「使わないものによくそこまで金をつぎ込めるな」

「どうかな」


 一応苦言を呈してはおいた。私に文句は言うなよ。

 私は自分で選んだ衣服をカートに放り込んで会計に向かう。


「三万二千九十円になります」


 そこそこフォーマルなものを五着に加え、下着もとなると値が張るな。バッグから財布を取り出し一万円札を……。


「……」


 一万円札が入っていない。千円札が七枚。これで全部だ。


「君、確かまだ給料日前だったな」


 得意そうな顔をした清川がこちらを見ている。


「貸してくれないか」

「嫌だね。服ならここにたくさんあるぞ?」


 待つんだ。一セットだけなら何とか買える!


「よし、これを着て帰ろう」


 何とか買えたのは三枚セットで九百八十円のシャツと三枚セットで四百円のトランクス、二着買うと二千円のズボンに一足九百八十円の革っぽいスニーカーに、三足セットで三百円の靴下と二千四百九十円の紺のジャケット。ジャケット高すぎるだろう……。もはや私の財布には小銭しか残っていない。

 困惑気味の店員に値札を取り除いてもらい、試着室を借りて服を着る。ああ! 久し振りのズボンだ! スカートなんかとはおさらばだ! イギリス男性に全部くれてやる!

 鏡を見ると我ながらおかしい。少女が男装しているみたいだ。だがそんな事知ったものか! 私は私が着たいものを着るぞ!


「お待たせ」

「やっぱり着ないのか」


 清川の表情には絶望感が浮き出ている。思惑が外れたからってそこまで思いつめた表情をする必要ないじゃないか。罪悪感を感じてしまうだろう。


「落ち込んでも駄目だ。最初から着ないと言ったではないか」

「でもさ……」


 床に体育座りしてのの字を描き出す清川。普段の彼女らしくもない落ち込みようだ。

 彼女にしてみれば、善意の行為だったのかもしれない。それを私が踏みにじったのにショックを受けてしまったか。

 仕方ない。


「いじけるな。君の前でなら着てやってもいいから」

「本当か!」

「ああ」


 花開くような笑顔を見せる清川に安堵を覚える。よかった、機嫌を直してくれたようだ。


「でも、せっかく服を選んだ斉藤さんに見せられないのか……彼女、君のために一生懸命選んだんだぞ」


 面倒だな、もう。


「ああ、もう分かったから下の階に行けばいいんだろう」

「愛してる!」


 飛びついてきた清川のせいで紙袋は手を離れ、床に落ちる。ああ、中身がこぼれてしまったではないか。


「抱きつくな歩けないだろう」

「なら抱き上げる」

「荷物はどうするんだ」

「ちぇ」


 全く、清川の奴は何を考えてるんだ。何だか知らないが口の端がにやついてしまう。


「面白いな君は」

「え?」


 おっと、聞こえてしまったか?


「何でもない。さあ早く下の階に行こう」

「うん!」


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