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day1<02>天城文月編




「あー、もう七時か」

「目覚めたかね」


 ソファーで眠っていた清川が起きた。こんな早くに起きるとは珍しい。


「どうした」


 私を見つめてどうかしたのか。


「あー、いや。現実なんだと思って」


 なるほど。受け入れにくい事なのだろうな。


「すまないな、こんな体になってしまって」


 迷惑をかける事になるだろう。

 不快に感じているのかもしれない。

 だがこれも私の行動の結果なのだ。私はこの状況を甘受しなくてはならない。


「謝るな!」


 いきなり謝罪されてもそれこそ迷惑だったか。


「わ、私は天城文月が天城文月である限りは文句ないのだ」


 はは、清川に慰められるとは。清川は恥ずかしいらしいが、私には嬉しい一言だった。


「ありがとう」

「何かごめん」

「ん? いや、これは心からの感謝の気持ちだよ」


 だから顔を背けたりする必要はないんだがな。

 そうだ。


「朝食がまだだろう。私が買って来るよ」

「気にしなくていいんだぞ!」


 何、ちょっとした感謝の印だ。私は机に置きっぱなしだった黒の革財布を手に取る。


「では待っててくれ」


 資料室を出ると、廊下から差し込む朝日が眩しい。今日はいい天気だ。

 学舎の中を歩いている間、見かける人間全てが私に視線を向けて来た。無理もない、大学に何の用事があるかと疑問なのだろうな。


「おい君」

「私かね」


 誰かと思えば私の研究の反対派筆頭、加賀ではないか。ああ、私に及ばないまでも百八十の大台は超えている彼の身長が恨めしい。


「こんな場所で何をしているのかな、保護者の方はどうしているの?」


 こいつ、私と接触すると毎回嫌味を放つ割に子供には優しいのか。眼鏡をキラリと光らせ、わざわざ私の目線までかがみ、おまけに普段は表情を見せない顔に笑顔を浮かべている。

 悪い奴ではないのだな。


「悪いが、道案内は不要だよ。何度も通っているから」

「そう? でも気をつけなさい。君みたいにかわいいと不審者に襲われるかも知れない」

「ありがとう。何かあったら大声でもあげるよ」


 私はそう言って加賀の元から去って……ん?


「何だね?」

「やっぱり危なっかしいね。私が保護者の元まで送り届けてあげよう」


 こいつ。ふふ、そうだ。正体を明かしてやれば黙るだろう。


「しつこいぞ。私は天城文月だ」

「へえ、文月ちゃんっていうんだね。いい名前だ」

「いや、だから私は天城文月なのだ」


 やっと気づいたか? 笑顔が曇っている。


「ははははは、面白い冗談だ。君があの天城文月っていうの? 異世界組の?」

「そうだが」

「駄目だよ」


 何で私は抱かれている? 見知らぬ少女をいきなり抱き上げるとは、昨今の情勢を(かんが)みれば恐れを知らないとしか思えない。


「誰に聞いたか知らないけど彼の名前を騙っちゃいけない。あれでも彼は凄い人なんだ」

「何?」


 普段私が接している君からは、とてもそう思っているとは感じられない。

 とはいえ、加賀の奴。目が真剣だ。


「完璧すぎてちょっと意地悪しちゃうんだけど、でも彼は私の尊敬する人物なんだ」


 何だか本人とは名乗りにくいな。


「あれ、そういえば君の口調……彼に似ているね」


 私は早くここを去りたい。


「あれ、しかし、いやまさか」

「失礼させてもらう!」


 私は強引に加賀の胸元から飛び降りると出しうる限りの全力でこの場から逃走した。


「はあ……はあ……」


 体力の減衰が著しい。以前の私なら三階から一階まで全力で走っても呼吸が乱れる程度だったのに、今では二階まで駆け下りた辺りからは早歩きだ。何にせよ、加賀からは逃げられたのでよしとしよう。

 学内の売店はまだ開いていないので大学前のコンビニへと足を踏み入れる。


「いらっしゃ……」


 懐かしい入店音にしばし耳を澄ませてから、買い物に移った。

 私はいつものコーヒーさえあればいいとして、清川はカニパンが好物だったな。ついでに風太の飲み物でも買っておいてもいいだろう。


「会計を頼む」


 この男性店員、やけに私を見てくる。手元を見ずして作業をこなしていくのは流石と感心するが私に言いたい事でもあるのだろうか。ああ、また保護者が何だか小言でも聞かされるのかな。


「ありがとうございました……」


 やけにぼんやりした店員のいるコンビニを後にして大学に戻る。


 この時間帯だとちらほらと大学に来る者たちが、おやあれは風太じゃないか。

 相変わらず寒がりなようで、四月にも関わらず厚いコートに身を包んでの通学だ。ちょっと私の足では追いつけない距離だが、道のりは同じだったので後を追う。

 風太が資料室に入ってからしばらくして、私も中に入った。


「ただいま」

「おかえり、遅かったな」


 加賀の邪魔さえなければもう少し早く戻れたんだがね。


「あれ、由以子先輩の知り合いですか?」


 風太は私に気付けなかったか。残念な気持ちがミリ単位で生じる。


「ああ、そうだな」


 含み笑いをする清川。ふふ、私も付き合ってやろうか?


「風太も私を知っていると思うがな」

「え? どうだったかな。僕の記憶には……あれ?」


 お、何か気付いたか? 風太は眼鏡をくいっと掛け直すと、私に顔を近づけてくる。改めて見ると女顔だな。私ではなく、風太が女になったらよかった気がするよ。


「ち、ちょっと……そういえば今日は天城先輩の顔が見えませんね。何処にいるんです?」

「目の前にいるじゃないか」


 ネタバレが早くないか清川?


「は、え、何を?」


 まだ気付かないか。いやむしろ気付く方がどうかしているのかもしれないが。いい加減話そう。


「私だよ」

「ま、まさか……」


 震える事は無いと思うぞ。


「そうだ、私が天城だよ」

「えええええええええええええええええええええええええええええええ!?」


 清川に劣らない狼狽ぶりだ。ただ、私の近くで大声を出すのはやめて欲しい。清川も腹を抱えて笑っているので余計にうるさい。


「何を言い出すかと思えば! ふざけないで下さいよ!」


 風太はいきなり怒鳴ると懐から携帯電話を取り出した。私の携帯電話が鳴った。どこに消えたかと思ったら資料と資料の間に隠れていたのか。


「ありがとう、おかげで携帯が見つかった」

「な……」

「はははは! 諦めたらどうだ?」

「何を言うんです! 信じられるはずがないでしょう!」


 確かにそうだ。清川よりも常識を持っているだけの事はある。


「おい」

「何でもないさ。それより話を聞いてくれないか」


 私は事の顛末などを風太に説明してやる。


「まだ信じてはくれないか」

「そうですねえ……僕も本当は会った当初から信じたい気持ちで山々なんですけど」


 頑固な奴め。だがそれがいい。しっかりした証拠がないなら疑うのをやめてはならない。


「いくつか質問をしてもいいですか」

「もちろん」

「先輩の誕生日はいつですか?」

「七月十三日」

「では、僕の誕生日は?」

「八月二十一日」

「昨日僕が先輩に見せたものは?」

「ハリソンの第五原則からなる魔法陣の反証」

「……僕と先輩の接点は?」

「君が大学の内部情勢も知らず多次元世界論を学びたいと公言して干されかかっていたから私が誘った」


 ふう、とため息をついて風太は苦笑する。


「信じられないですけど、今は天城先輩という事でいいです」

「今はそれでいい」


 時間を掛ければ風太も確信してくれることだろう。


「素直じゃないな矢代風太!」

「やめて下さいよ由以子先輩!」


 清川が風太にヘッドロックをかけ、風太は女性相手に手を出せず講義の声をあげる。

 いつも通りの風景だ。


「二人ともその辺にして朝ごはんにしよう。風太もコーヒーくらい飲むだろう」

「ありがたい」

「ありがとうございます」


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