3話:元気になるおまじない
昨日あったことが嘘のようです。いや。あれは幻だったんですね。
「お前、注文間違えてるぞ!! 何やってるんだ、馬鹿!!」
厨房に桑原さんの怒声が響き渡る度に、私はますます隅っこに縮こまった。
「川野さん、ちょっと休憩してきたらどうですか?」
佐藤さんは注文間違いのスイーツを作り直しながら、言った。
いや、私すっごい足手まといな気が……。
「そうですね。とても足手まといですよ」
「え? 佐藤さんも……」
「私の心が読めるんですか? 多分、あなたの心は誰にでも読めるような気がしますが」
佐藤さん、手厳しい正論、ありがとうございます。
私はぺこりと佐藤さんにお辞儀して、休憩室へ向かった。
この前の事務室みたいなところは休憩室だったみたいだ。私はホットティーを淹れてテーブルに座る。
「なんだか失敗ばかりだなぁー」
「どーしたの?」
ぼそっと呟くと、ふわふわした声が横から遮る。
わああああ!! いつから居たんですか!?
「ついさっきだよー。あーちゃん、ぼうっとして気付かないんだもんねー」
「あーちゃん……」
多分、藤堂さんの中で私はあーちゃんという呼び名で決まってしまったみたいだ。
それにしても、私の心って誰にでも読めるんだなぁ。
「藤堂さんはいつからそこにいたんですか?」
「うーん。寝てたら、あーちゃんの声が聞こえてきたんだー」
「あ、起こしちゃってすみません!!」
がたがたっと立ち上がって、お辞儀した。
藤堂さんはいつものふわふわした声で続ける。
「大丈夫だよー。でも、あーちゃんはなにかもやもやしたことがあるみたいだねぇー」
「いや、私、失敗ばっかで……」
そう言うと、藤堂さんはふわふわとした調子で何処かに行ってしまった。
そうだよね。みんなやっぱり呆れてるよね。泣きそうになって俯いた。
「あーちゃん。顔を上げてクダサイ」
またあのふわふわした声が聞こえてきた。言われた通り顔をあげる。
唇にあたる固い感触。そして、舌にほんのり甘いミルクの味が広がる。
「んふふー。元気になるおまじない」
甘いキャンディーは緊張した私の心をゆっくりとほぐしていく。
多分、藤堂さんにはそういう力があるんだろうな。
ゆっくりと舌でキャンディーをころがしながら、微笑む。
「ん。おいしでひゅ」
あわわ。思いっきり噛んじゃったよ。
恥ずかしさで顔が真っ赤になる。藤堂さんはそんな私をじいっと見つめた。
そして、へらっと笑って……。
「あーちゃん、可愛いー」
腕を広げて、近づいてこようとする。しかし、藤堂さんはそのポーズで止まったままだ。
「こら。何やってるんだ、良。ごめんね、こいつスキンシップ激しいんだ」
よく見ると、草野さんが藤堂さんの襟元を掴んでいる。
「い、いえ」
「あー。敬語とか堅苦しいからいいよ。後、駆でいいから」
「あ、うん。駆君」
言い直すと、駆君はにこっと笑った。
今のでほとんどの女子は瞬殺だと思います……。
「そうそう。その方がしっくりくるなぁ。じゃあ、俺はこいつ連れて戻るからね。藍も戻っておいで」
男の人に名前で呼ばれるのは慣れていない。
少し、顔が赤くなる。
「じゃあねー。あーちゃん」
駆君に引きずられながら、藤堂さんは手を振った。
えっと、さようならー。苦笑いを浮かべて手を振り返した。