31話
「邪魔な奴はいなくなった、お望みどおりだろう」
右の口角を吊り上げる。
ここがこの男の精神世界ならば勝機は薄い。
皮肉なものだ、猪突猛進の私が冷静に自分の勝率を計算をするなど。
それが分かっていても掛けるところは私らしいところだが。
息を吐き出す、その時だった。
ぞわり、突然肌が泡立った。
何も存在しない空間に冷気が吹き込む。
「……どうして」
歴戦を超えてきた無骨な手が荒々しく髪を掻き上げ、力無く垂れ下がる。
「どうして」
頭を垂れている為に表情は分からない。
地を這うように低い、しかし足元に広がる霧のように掠れた声。
先程までの恐怖が嘘のように溶けだすまでに弱弱しい。
「何で笑っていられるんだ」
拳を握ることで押さえていた震えも、いつの間にか止まっていた。
「お前の逃げ道を確実に塞がれているんだぞ」
その通りだ。
「追い詰められているのに、何故そんなに余裕でいられる?」
今、客観的に見て私は狩られる立ち位置にある。
意識を隅々まで行き渡らせようとするものの果てなく続くここに綻びは見つからない。
優秀な箱だ。
二人を放り込んだひびは男の追及を断ち切るために私自身の力で閉じた。
それを絡め取り、より強固な箱を作り上げている。
「感嘆しか、出ないだけだ」
今もなお、書き換え続けられているこの箱、例えるなら編み物。
ふと、袖を引かれるかのように思い出す。
一度だけ挑戦したことがあったか。
『母親』と呟く子供の声に寂しさの色を見つけた、酷く寒い冬の歳。
私は少しばかりそれらしく振る舞ってみようかと気紛れを起こした。
そこで習ったソレは編み目の解き方。
正確には編み方を習いに村の女達のところに通ったのだが編み目を覚えられず、何度も解く羽目になり、結局習得したのはそれだけだった。
苦笑しながら手を添えられ、教えられたのは
―――一番最初の編み目から解くこと
「大した才能だな」
最初に遡ればかなりの時間がかかる。
短期一点集中で切り崩すのも一つだが、此処まで精密に、また複雑に編まれた術を壊すことで何が起こるかなど分からない。
五体満足で生還したいというのが本音だ。
それに、此処まで大掛かりな術を壊せば術士の命も保証は出来ない。
「甘くなったものだ」
そこまで考えて、随分と穏やかな方法に苦笑せざるを得ない。
川底の岩もいつかは角が取れ丸くなると聞く。
仕方あるまい、それだけの時は流れたのだろう。
両手を温める様に擦り合わせる。
息を深く吸い、瞼を閉じかけたその瞬間に微かに聞こえた。
「何が違うんだ」
俯いたままの男に世界が揺れる。
男の不安定な感情に反応しているらしい。
「難しい問題だな」
「……アンタに聞いた俺が馬鹿だった」
ふてくされたようにそっぽを向く男は青年と言うよりも少年のようだ。
「お前とあの子は少し似ているからな」
先程の仕草を含め、どこかしら共通点はあるようだ。
仕方ない、と溜息を吐き、足を浮かす。
面と向かって私を傷つけることができないというところも共通点だろう。
解析は序盤だが織りこまれた術に出来るならば傷つけたくないという意志が読み取れる。
「お前も変わったのかもしれん」
マナに手を挙げたのは置いておけばむやみな殺生はしなくなった。
いつか、してやったように頭を撫ぜる。
「グスター、大丈夫だ」