29話
「何を……」
吐血する、兄を見る。
「私が、そんな嘘を許すと思うか」
目を見開き、されるがままの背中を容赦なく蹴り飛ばす。
この世界に嘘は無い。
ただ一つあるとするならば、目の前の男のみ。
「全く、貴様はどうしてこうもこうも至らぬことを思いつくんだ、え?」
突き刺さる緑から流れ出る赤が白衣を浸食していっても大した感情を抱くことない。
ぐったりとしたその体に近づき、足で転がす。
右胸を貫通した蔓は意志通り元いた土の中に消える。
「まだ、大根芝居を続ける気か?」
力を失くした体に声をかける。
閉じられた瞼がすっと引き上げられ、体が溶けた。
器を脱ぎ捨てた本体がむくりと起き上がり、体に着いた土や枯れ葉を払いながら立ち上がる。
「完璧だと思ったんだけどな」
「ふん、それは貴様の中でだけだ」
実際のところは最初から確信していた訳では無かったが。
本物の過去に本物の登場人物、その中に3つ―――否、4つか―――自身の意志を持ち動き回る存在。
それらはこの世界の秩序と異なる。
「これはあの子の器の記憶だな?」
この世界に関係しないマナがこの世界に存在できるのは偏に器の力だ。
「君の推測通りモルスの記憶だ」
正式な名はモルペウス。
この内乱の跡、兄とモルスを含む数人の同僚は私同様に人としての生を捨て、私同様に心臓を止めた。
移り住む際に人間として生きた名前を捨て、それぞれの力を神々になぞらえて新たな名を付け、異空間に住みついき、現在に至る。
人の領域を超え、母国を滅ぼしたことを忘れる無いように神話に例えることで自分達に罰を与えたのだ。
攻撃に特化していた兄と私は弓の神―――アポロン、アルテミス
夢を操る事が出来た彼はモルペウスと名乗るようになった。
そんな彼を飲み込んだのであれば過去の記憶を少々改竄するのも可能だろう。
「アポロンの契約者でもあれば皮を被ることもできるだろうし」
私が自由に動けるのは自分の体だからということを引いてもおかしな部分が多々ある。
「あくまで過去のことだからな、それに反する動きは出来ない」
私は、研究員達の政府軍に居たことは知らなかったし、政府軍や多国籍軍と正面衝突した場面は存在しなかった。
「私の保護対象を引き込むことで、貴様に攻撃が出来ないからと言って私が何もしないとは考えないだろう。私が中に入ることは予想済みだった、そうだろう?」
ソレくらい頭の回る奴でなければ、ミネルヴァから力技を引き出せる筈がない。
だからこそ、マナと力を発揮できないであろう兄を切り離したのだから。
「そのつもりでおびき出したからね」
「あの親子もお前の子飼だな」
本人達は血を分けてくれた親切な魔女か何かと思っていたんだろうが。
「あの子の情報を流したのもお前だろう」
どうせ、娯楽のひとつ。
良いように動かして、用が済めば捨て駒だ。
「アタリ。僕としては此処でショックを受けて溶けちゃうの期待してたんだけど」
溶ける―――精神不安定による事故の喪失を指す―――という現象だ。
「残念だったな。無駄に年食っては無い」
その幻影の中の登場人物の精神の一部になる場合と跡形も無く消える場合の二種類がある。
「で、次はどうする気だ?」
ミネルヴァといた時のようなゾクゾクとした感覚に身をゆだねる。
ここまで仕掛けてきたのだ、本気で狩り取ってやろう。




