11話
「そんな野郎のとこにマナをやろうとしてたのか、お前は!」
彼女の兄を名乗る魔が何を言ったかは上手く聞き取れなかった。
しかし、俺が想像もできない、碌でもないことだったに違いない。
……そこにいたのは、常日頃の彼女ではなかった。
俺が悪戯をして怒らせるようなものとは一線を画する、怒り。
瞬時に俺の姿を隠すように抱きしめ、アポロンという魔から距離を取った。
それは、兄と呼ばれる者に対するものではない、とよく知りもしない一般論をあげる程には異常だろう。
今も昔も立ち位置は彼女の後ろ、目線は変われど、そう大して変わらない。
俺は成長しているってのに、いつまでも小さな子供扱いだ。
実際、魔である彼女は1000年以上生きていることになるらしいから、赤ん坊と変わらないと思っているのだろうが。
何というか、この差は一生狭まることがないのではないかと言う不安に包まれる。
「こっちだってお前の事情なんか知らなかったんだ、仕方ねーだろ?普通、今の状態見たら完っ全黒だ」
そう、互いの心臓の上にある印は黒い渦を描き続けている。
ウピスが言うことには俺が母親の腹の中に居た時に契約の移行を行ったのではないかと睨んでいて、正式に契約しなくては解除もできないらしい。
契約の移行も互いの了解がマナーで、この状況では契約違反とのこと。
「そらな、私だって最初はミネルヴァに腹も立てた」
そんな自分の母の名はミネルヴァ。
負け戦を勝ち戦に変えるとまで言われた『知略の魔女』、だったらしい。
冷酷、無慈悲の権化であったその人が自身の命と引き換えに俺を産み落としたと語る彼女は、いつも人間というものは理解できないと締めくくる。
「だが、永久に流れるこの命……多少の娯楽は必要だろう?」
そう、一緒に居るのはただの気まぐれ、長い時を生きる彼女の暇つぶし。
「理解できないな、ただの面倒事としか感じられない」
そう切り捨てるアポロンと名のる魔の考え方に賛同する自分。
なのに、彼女の酔狂がいつ終止符を打つのか、ソレを考えると顔も知らぬ母に付けられた鎖を手放そうとは思えなくなる自分がいる。
「アイツ行動も普通じゃねーし、馬鹿だけど。お前がミネルヴァじゃねーこともお前の方が使い魔だって分かってたからな」
「そいつがまた何でマナを……」
とにかく、また身を隠すことになるのだろう。
「原因はお前自身だよ、アル」
聞き慣れない名称に兄妹を見上げる。
どうやら、ウピスのことらしいと数拍遅れて理解した。
彼女のことを俺はほとんど知らない。
ふと漏れ聞く、母と彼女が契約関係にあった頃の暴れっぷりはまるでおとぎ話だ。
酷く曖昧で、ざっくりとした途方もない話。
それ以外に彼女から昔のことを語ろうとはしないし、俺は怖くて聞けないでいる。
懐かしそうに、どこか寂しそうに見える横顔を見ると、彼女の眼の前には別の誰かがいるようで酷く不安になってしまうのだ。
……彼女にはこの曖昧な鎖など何とでも出来てしまうに違いない。
今だ、と思えば、俺が『待って』と一言声に出す間もなく。
「お前と契約を結べる程の奴は少ない」
「なら、そのやり手に挑むのは無謀と思うのが普通だろう?」
負けじと彼女が言い返せば、男はカラカラと笑う。
「お前に見合うと自信があるからに決まっているだろう?」
俺は怖くて仕方がない。
彼女が俺に飽きる日が来ることが―――――