第四話 温度
今日は、
目を覚ました瞬間に
胸がざわついた。
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時計は見ない。
日付も、
確認しない。
もう、
意味がないからだ。
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それでも、
体は
正確に動く。
同じ支度。
同じ靴。
同じ道。
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横断歩道に向かう途中、
急に
足が止まった。
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理由は、
分からない。
危険を感じたわけでもない。
予知でもない。
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ただ、
引き止められた気がした。
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右手が、
少しだけ
温かい。
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握られたような、
圧。
確かに、
そこに
何かがあった。
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「……?」
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私は、
自分の手を
見下ろした。
当然、
誰もいない。
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横断歩道。
信号は、
まだ赤。
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腕時計を見る。
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八時三分。
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今日は、
事故が起きる。
そう、
知っている。
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でも、
私は
前に出なかった。
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誰かを
止めようとも
しなかった。
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ただ、
その場に
立っていた。
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胸の奥に、
妙な感覚が
残っている。
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行かないで。
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そんな言葉が、
聞こえたような
気がした。
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次の瞬間。
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エンジン音。
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私は、
反射的に
顔を上げた。
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車は、
減速していた。
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ブレーキの音が、
いつもより
早い。
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信号が青になる。
人の流れが
動く。
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事故は、
起きなかった。
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私は、
息を止めていたことに
気づき、
ゆっくり吐いた。
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——初めてだ。
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何も起きなかった
朝。
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理由は、
分からない。
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でも、
右手の温度だけが
まだ
残っていた。
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会社に着く。
同僚が、
何気なく言った。
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「今日、
駅前、
静かだったね」
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私は、
曖昧に
頷いた。
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昼休み、
窓の外を
見ていると、
ふと
不安がよぎる。
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もし、
あれが
偶然じゃなかったら。
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もし、
自分の意思でも
なかったら。
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夜。
ベッドに
横になる。
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今日は、
眠るのが
怖くなかった。
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目を閉じる直前、
また
あの感覚が
よみがえる。
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誰かの手。
温度。
ためらい。
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そして、
離すまいとする力。
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私は、
小さく
呟いてしまった。
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「……大丈夫」
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誰に向けた言葉か、
分からないまま。
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意識が、
静かに
沈んでいく。
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世界は、
今日も
同じ日を
なぞる。
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でも、
確かに
少しだけ
違っていた。
第五話:ずれた手




