美2
なまじ顔の良い女は厄介だ。自身の美を超越しない限り、欲望するものは何一つとして手に入らないからだ。何だか可哀想? 決して同情してはならない。同情する余地など一つも残されていないし、もし仮に同情したとしても誰も救われない。それが不幸という訳ではないが、不幸に直面しつつあるのは間違いない。不幸とは欲望するものが手に入らないことではない。欲望するものが何か皆目見当もつかないことだ。得てして美とは超越するものではない。置き去りにするものだ。時々音が光を追い越すように。だから美が彼女の元を去るまで耐えるしか無いのだが、それが去ったと認めるのは母が我が子を手にかけるよりもずっと耐え難いことだ。
端から美というものは彼女の手中にない。それにも関わらず、美を所有していると認識してしまうのがすべての始まりだ。持っているのを手放すのは何よりも恐ろしい。ただ単に転落するよりも。
多くの人が求めているのは、象徴としての美、仮初の美である。だから彼女らがそれらを必死に見繕ったところでたかがしれている。いつかメッキが剥がれ落ちる。いずれ美に追い付かれるだろう。追い越されて必死にしがみついて、追い抜いて通せんぼする。
あるいは、その過程において自分の美を追い求める。自分だけの美を。だがそれが何だというのだろう? 汎用性のない美なんていとも容易くガラクタと化すだろう。どれもこれも歪な鋳型に過ぎない。ただの焼き増しだ。
そんなものはやめだやめ! もうやめにしよう。いざ行かん! 美の中間地帯へ。中間地帯? 残念ながらそんなものはない。もうどうしようもない。そもそもどうこうしようとすること自体が烏滸がましいのだ。美とは何処かからか勝手に侵入してきて勝手に去っていくと言うのに。何をそんなに躍起になっているのだ? 美がそこに留まっているだけで最上級の誉れであるのだが、それはもう議題にすら上がらないのか?
顔面の美と美そのものには、何か相関があるように感じられるだろう。それもそのはず顔面の美は美のちょうど半分だからだ。美の中間にある。
「でもさっき美の中間地点はないって……」
「うん、ないよ」
「でも顔面の美は美の真ん中にあたるんだろ? 」
「そうだよ」
「どう考えても矛盾していないか? 」
「そうだね。君の立場だと君の言う通り矛盾しているね」
「どの立場でも矛盾していないか? 」
「……それはどうかな? 少なくとも私は……」
「……はっ? なぜ? 誰がどう見たって矛盾しているよ」
「不幸に肉薄しているとはまさにこの通りだ」
「どう言うことだ? 君は一体何が言いたいんだよ」
「……これを君に話すのは得策とは思えない。君を更なる混乱の渦中に陥れるだけだ。沈黙した方が何倍もましだと確信している。しかし……万が一、万が一の可能性に備えておく必要がある。これはスペアだ。もし耳を傾ける気が少しでもあるのなら心して聞いてくれ。獲物を狙う飢えたハイエナのように注意深く獰猛にかつ冷静に」
「分かった」
「顔面の美と美そのものの関係が矛盾しているのではなく、顔面の美が矛盾そのものなのだ。でもそれなら矛盾するのは当然だと思えるだろう。しかし先程の発言は矛盾とは無縁なはずだ。何故なら美そのものが矛盾しているからだ。美即矛盾也。いかにめちゃくちゃなことを言おうがそれらは全て正しい。あらゆる苦難が、憎しみが、絶望が、苛立ちが、傲慢が、矛盾が、躊躇が、混迷が、怠惰が、怨念が、希望が、勇気が、幻視が、楽観が、諦念が、狂気がそこから滲み出す。そしてその先。先というのは前ではなく、そして進むことでもない。ともかくそこに美はある。美と人間とは表裏一体なのだ。例えそれが絶世の美女だろうと、目を背けたくなるほどみすぼらしくボロボロの服を纏った薄汚く醜悪な老人だろうと」
「……」
「美に殺されたものだけがそれらを破却し得る。それまでは欲望するものは何一つとして手に入らない。ましてや起こり得るはずがない。何かを得ることも、そして失うことも」