寒いお話 ~雨の日、橋の下で差し出された傘は、決して受け取ってはいけない~
暑いな~と思ったので、使い古されたネタかもですが、寒いお話を書いてみました。
ざー。
急に降り出した雨。
下校の時間。下駄箱の前で私はふと雨が降り始めた校庭に目をやった。
今日は雨。朝は晴れていたのに、天気予報、当たったんだ。
それだけで、少しだけ胸が高鳴る。
「きっと、会えるよね。今日も……」
誰にともなく、そう小さく呟いた。
◆
私がそうやって雨の日を待つようになったのは、一か月前からだった。
彼を初めて見かけたのは春。
下校の帰り道、住宅街の外れにある、あの古い小さな橋のある土手の道。
その道を通る時、向かいからいつも決まってやってくる学ランの男子高校生に、私は自然と目が引かれた。
たぶん、わたしと反対側の男子校の生徒。
整った顔立ちとかじゃないけど、なんだか物静かで、きっと本とか好きそうな雰囲気。
本を読んでるところなんて見たことないけど、勝手にそんな想像をしていた。
いつの間にか、私は下校のたび彼の姿を探すようになっていた。
目が合ったことは何度もある。
けれどそのたびに、私は慌てて目を逸らしてしまって――
いつもその繰り返し。
もしかしたら、彼も、わたしの視線に気付いてるかも。
なんて、彼が視界に入るだけで、私は嬉しくて、密かな下校の楽しみだった。
だけど、ある日から、彼の姿を見なくなった。
季節は春から初夏に変わり、蝉の声が響き始めても、彼は現れなかった。
寂しいなって、そう思っていた頃。
――一か月前、雨の日だった。
あの日、降り出した夕立の中。
私はその日、なぜか土手から小さな橋の下に伸びる河川敷の道を通った。
そして、あの小さな橋の下で、私は見つけた。
ずぶ濡れになりながら、柱に寄りかかっている彼の姿を。
彼はいつもの学ランのまま、傘も持たずに、雨宿りしているように見えた。
「忘れたのかな、傘……。彼、意外とドジなんだ」
思わずそう呟いて、私はくすりと笑ってしまった。
すれすれまで増水した川面を気にしながら通り過ぎた。
「危ないぞ、こんなところにいたら」
そう呟いた自分が、一度だけ泥に足を取られた。
*
それからというもの、私は雨の日が待ち遠しくなった。
決まって雨の日、彼はあの橋の下にいたから。
「彼ったら、ほんとうにドジなんだな」
だけど、話しかける勇気はなかった。
彼の存在が私には遠すぎて、手を伸ばすことすら怖かった。
*
「行ってきま~す」
返事はない。まあ、そんなもんでしょ。
そんなある日、天気予報で「帰りは雨」と聞いた私は、
意を決して、傘を二本、鞄に忍ばせた。
「今日は、渡せるかな……」
心臓がどきどきしていた。
それにしても、最近文芸部のみんなとも話をしていない。
なんだか、みんなしんみりとしていて話しかけづらかった。
……そういえば、最近、誰ともちゃんと話をしてない気がする。
まあ、気のせいだよね。
夏休みに入る前に、部誌の編集で話し合うし。
下校の時間、雨は予報通りに降っていた。
ぽつぽつと、まだ小雨だけど、すぐに本降りになる気配。
胸に抱えているのは紺の傘、もう一つの白い傘を開いて、私はいつもの帰り道を歩く。
少し早足になるのは、雨が冷たいからだけじゃない。
彼に、会える気がして――
ううん、今日は会わなきゃって、そう思っていたから。
古い橋が見えてくる。
河川敷の道を下り、橋の下へ。
コンクリの壁際。
そこに、やっぱり彼はいた。
学ランのまま、壁にもたれていた。
顔は伏せ気味で、俯いているようにも、ただ眠っているようにも見えた。
「……やっぱり、いた」
私はゆっくりと歩み寄る。
足音に気づく様子はない。
いつもは視線だけでも気配を感じていたのに、今日は妙に静かだった。
彼の前で立ち止まる。
でも、声が、出なかった。
こんなに準備してきたのに、何を言えばいいのかわからなくて、
心臓がどくどくと音を立てるばかり。
けれど、勇気を振り絞った。
彼の手元に、胸にしていた傘をそっと差し出しながら、私は声をかけた。
「……あの、良かったら、これ、使ってください」
その瞬間、彼がゆっくりと顔を上げた。
初めて、間近で見る彼の顔。
雨で濡れた髪が額に張り付き、雫が頬を伝っていた。
その瞳は、どこか遠くを見るような、深い色をしていた。
「……それ、僕に?」
かすれた声。
けれど、私にはちゃんと聞こえた。
彼も緊張してるのかな……。
少しほっとして私は頷いた。
「はい。いつも、ずぶ濡れだったから……」
彼は少しだけ驚いたように目を開いたあと、ゆっくりと、ふっと微笑んだ。
その微笑みが、どうしようもなく優しくて、胸がぎゅっと締め付けられた。
「……ごめんね。君を救えなくて」
彼はそう言って、そっと私の手を押し戻すように小さく手を上げた。
え? 私を……救うって?
私が混乱しながら黙っていると、彼はそっと言った。
「君にはもう、傘は要らないんだ」
「え……?」
私は思わずそう聞き返した。
彼は私をじっと見つめた。
「だって、君は――もう、雨に濡れたりしないだろ?」
言葉の意味がわからなくて、私は黙ってしまった。
ふと、制服に目を落とす。
確かに、私は濡れていなかった。
こんなに強い雨なのに。
私の身体は、髪も服も、どこも濡れていなかった。
……おかしい。
ふと彼の背後を見ると、折れて骨を覗かせた白い傘と、花束。
え? わたしの――傘?
そっと見守る彼の微笑みが、どこか悲しそうで――
そう思った瞬間、背後から突風が吹き抜けた。
ざあっと雨音が強くなる。
気づけば、彼の姿も、雨音の向こうに滲んでいく。
驚いて瞬きをした――
――次の瞬間。
わたしは家のリビングにいた。
すすり泣く母の声。
「……お母さん、どうしたの?」
声をかけたけど、振り向いてくれない。
まるで、私の声なんて届かないみたいに。
どうして、私の方を見てくれないの?
ねえ、わたしはここにいるのに。
そして、つきっぱなしのテレビからニュースが流れた。
『事故の女子高校生、病院で死亡』
一か月前、雨で増水した川に落ちた女子高校生を助けようとして、男子高校生が死亡した事故がありました。
救助された女子生徒は意識不明のまま入院していましたが、今朝、死亡が確認されました。
……えっ?
まさか、これって……。
その瞬間、あの光景が――。
雨で増水した川。
泥に足を滑らせて、私は流れに呑まれた。
宙を舞う白い傘。
そして、駆け寄ってきた彼。
水の中で差し出された、彼の手――。
ドジなのは――私だ。
テレビに映し出された“亡くなった二人”の顔写真は――
私と、彼だった。
◆
その橋の下は、雨の日になると、ふたりの制服を着た幽霊が出ると噂されている。
傘を差し出す女の子と、それを受け取る男の子。
そしてふたりは微笑みながら、仲良く紺と白の傘を差して歩き出し――
ふっと雨の中に、溶けるように消えて行くのだそうだ。
……だから、雨の日に、その橋の下で傘を差し出されても、
決して、受け取らないでほしい。
そのまま、ふたりと一緒に――
雨の中へと、消えてしまうかもしれないから。
※最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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