『我が子を食らうサトゥルヌス』は若い女と不倫している中年男に似ている
「『我が子を食らうサトゥルヌス』ですか」
ある特別展で、中年の女性が一心に見ている絵があった。
私は彼女がそこまで熱心に見ている理由がわからなくて、声をかけてしまった。
『我が子を食らうサトゥルヌス』。それはローマ神話の神が我が子を食べるという話の絵である。食べられた子どもたちは末子によって助け出されるので、食べられたというのは誤りである。
「これを見ていると、しょぼくれた中年親父と不倫する若い子が思い浮かびます。この絵を見てください。こんなしょぼくれた親父相手に不倫したくなりますか? 若くてかっこ良いなら、手を出したくなるのも納得できます。何を好き好んでこんなしょぼくれた親父を選ぶのやら」
独特な感想だ。
サルトゥルヌスが食べているのは物理ではなく、比喩だとしたら、我が子のように若い女との関係だったら、彼女の感想は正しいだろう。
自分の父親と変わらない歳の男と不倫する若い女。
彼女の言う通り、若くもなく、格好良くもない男と、不倫したくなる気持ちは理解できない。
しょぼくれた中年親父が好みだとしても、妻子持ちとの恋愛である。
禁断の味でも楽しみたかったのだろうか。
金目当てでなければ、オジ専の中でも特殊性癖と言えよう。
「確かに理解出来ませんな」
「無垢で馬鹿なのか。変な正義感に振り回された馬鹿なのか」
「馬鹿しか言っていませんが?」
「馬鹿は馬鹿としか言いようがないでしょう」
「因みに、意味を聞いてもよろしいでしょうか?」
彼女は絵に向き合う。
「しょぼくれた中年親父にキュンときて何も考えず不倫した馬鹿か、勝手に同情して思い込みで妻を敵視して不倫という罪から目を逸らした馬鹿か」
「何も考えず不倫した馬鹿か、罪から目を逸らした馬鹿ですか」
彼女は金目当てだとは考えなかったらしい。この絵を見て、妻子持ちの中年男と不倫する若い女だと思っただけに、答えは純粋だった。
「中年男の罪は、諭すべき歳であるにもかかわらず、自分の欲の代償にしたことです。この絵のサルトゥルヌスも自分の欲から子どもを食べました」
「そして、妻に復讐された。不倫した若い女には罪がなくて、男にだけ罪があると?」
「男には不倫だけではなく、若い女を止めなかった罪もあります。男はしょぼくれるだけの歳を取っていながら、頭の中身は不倫相手以下だったということですよ」
「不倫相手以下ですか」
「“ママがいないと何も出来ないの”」
思わず吹き出して笑ってしまった。
「妻は母親のように我が儘を聞いてくれる相手ではなく、子どもの我が儘を聞く立場になって、気付けば、家族から距離をとっていた。その結果、人として成長することがなかった。子どもがいなくても、妻という赤の他人と共同生活をしていくのだから、妥協するなり、譲歩しなければならないこともあります。逃避することでそれを我慢していたんでしょう」
彼女は私に向き直る。
「ただ無駄に歳を取った男と、そんな男を好きになった馬鹿な若い女。時の神が我が子を食べる愚行とよく似ていますよね」
あなたの夫も若い女と不倫したんですか、とは聞けなかった。
私は黙って彼女の隣りに立ち、『我が子を食らうサトゥルヌス』を見た。
あまりにも淺ましく、獣のような男が人を食べている。
我が子のような年頃の女と不倫する男の顔だと言われて、否定できそうな顔立ちではなかった。
絵はトラウマ級なので検索しないことをお勧めします。