第8話 異世界で美少女の胃袋を完全に手中に収めた話
─────ギルド裏の訓練場
パーティー結成から 三日後、早朝。
鉄のように冷えた空気が、肌を刺すように張り詰めている。誰もいない、まだ薄暗い訓練場で、俺は一人訓練用の重い木刀を振っていた。
「……はっ、はっ……!」
乾いた吐息を漏らしながら、何度目になるか分からない素振りを繰り返す。
あれから、三日。
あの日、食事を共にし、正式に“火のダンジョン踏破訓練パーティー”を結成してから、三人とは相談の上で、三日後からダンジョン攻略を始めることを決めていた。
その間、俺はギルドの業務をこなしつつ、こうして毎朝、ギルド裏の訓練場で素振りを日課にしていた。
「……いい調子」
ふっと耳に届く静かな声。
振り返れば、いつものように無言で立ち会ってくれている小町の姿があった。一言だけ頷き、俺は木刀を静かに下ろし、小町に向き直る。
「……小町さん、ちょっと相談したいことがあるんです」
「……なに?」
言いかけて、少しだけ言葉を選んだ。
「……俺、3人にステータスを見せようか、迷ってて……。自分の素性を伏せたまま付き合うのは仲間に対して失礼なんじゃないかって思って…」
小町は、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「……信用、しすぎるのは危険。あまり推奨はしない」
そう言ってから、小町は一歩俺の方へと近づき、俺の真意を確認するようにじっと俺の目を見つめて来る。真剣な表情だから目を逸らすわけにはいかないが、あまり女性慣れしていない俺にとっては非常に恥ずかしい。
「気持ちは分かる。でも、信頼は“ステータスを見せること”でしか築けないわけじゃない。むしろ、それに頼らずに積み重ねた方が意味があると思う」
俺は、拳を握りしめたまま小さく息を呑む。小町はさらに、ほんの少しだけ声のトーンを落として続けた。
「……何より、あなたの場合、あなたの“秘密”を知ったことで、あの三人に……危険が及ぶ可能性もある」
その言葉に、胸の奥がずしりと重たくなった。
「……難しい、ですね……」
俺が呟くと、小町は静かに頷いた。
「……だからこそもっと慎重になる必要がある。仮にステータスを見せるにしてもそんなに焦る必要はない。それよりも今は一回でも多く剣を振る事を考えた方が良い」
その言葉に、俺はゆっくりと目を閉じ、深く、深く息を吐いた。
「……はい、ありがとうございます」
小町はそれ以上何も言わず、ただ静かに俺の横に立ち、再び俺の素振りを見守るように、そっと目を細めていた。
しばらく、その静かな時間が流れる。だが、ふと小町が一歩前に出て、俺の前に立った。
「……明日に備えて…少し、打ち合ってみる?」
その提案に、俺は驚いて思わず木刀を握り直す。
「え、今、ここで……ですか?」
「そう。軽くでいい。勿論私から当てるつもりはない」
小町は木立の木刀を選び両手で軽く構えた。俺は、戸惑いながらも一歩踏み出すが、剣を振るうことが出来ない。
「……す、すみません。やっぱりいくら俺の方が弱くても女性に攻撃する訳にはいきません!」
小町は一瞬びっくりしたような表情を浮かべ、その後ふっと口元を緩める。
「天地がひっくり返ってもあなたが私に一太刀浴びせられることはない。むしろ一太刀浴びせられるくらい強くなってくれたとしたら私は非常に嬉しい」
その言葉に、思わずぐぬぬとなるが、小町の発言は挑発でも皮肉でもなく事実を述べているだけなので文句は言えない。
「……やります」
俺は小さく呟き、木刀を構え直す。
「……お願いします」
小町はふっと静かに息を吐き僅かに膝を緩め構えを低くする。
「来なさい、鯱」
喉の奥がひどく渇く。木刀を握る手のひらがじっとりと汗ばむ。少しだけ、足元の土を踏みしめる感覚が頼りなく感じるが、逃げる訳にはいかない。
「……いきます」
短くそう告げぐっと膝を曲げ力をためる。小町は微動だにせず、ただ俺の一挙手一投足を見据えている。
緊張に、息を飲む音さえやけに大きく響いた。
「はあああああっ!」
一歩、踏み込む。木刀を、全身の力を込めて振り下ろす──その刹那。
「……遅い」
小町の口が静かにそう動いた気がした次の瞬間、俺の視界がひっくり返る。気づけば俺は地面に仰向けに倒され眼前に模擬刀をつき突き付けられていた。
「……これが現実」
いつもと同じ声色で小町は淡々と告げる正直俺は何が起きていたのかすらわかっていなかった。
「も、もう一回お願いします!」
「……次はオムライスを要望する」
小町の瞳がギラりと光る。
「……え?」
「私が一本を取ったらオムライスを要望する。手伝うご褒美は重要」
呆れるしかない提案だったが、俺には断る権利などなかった。
「……わ、分かりました……!」
再び立ち上がり、木刀を構え直す。
「次は……負けませんから!」
気合いを入れて踏み込む──が、再び地面に転がされる。
「……次は、唐揚げ」
「……はいっ!」
何度挑んでも、何度転がされても、 そのたびに小町から繰り出される晩ご飯リクエストが増えていく。
「グラタン」 「チーズインハンバーグ」 「角煮」 「プリン」
その度に気が遠くなりそうになるが、それでも俺は立ち上がり続けた。
「……次は……!」
「タコライス」
「…………はいっ!!」
こうして俺の地獄──いや、胃袋奉仕契約は永遠と続いていった。
─────
その日の午後、ギルドの図書室。
今日は小町さんの計らいでギルドの雑務は午後半休を貰っていた。…が
『……さて、座学の時間です、社畜さん』
チャッピーの機械音声が朝からの訓練と午前中の慣れない事務仕事で眠さに負けそうな俺を現実に引き戻す。
『では、基礎から確認していきましょう。火のダンジョン──通称"煉獄の奈落"。総階層数は三十、五階ごとに一方通行の帰還用ワープポイント、十階ごとに双方向ワープが設置されています』
チャッピーが淡々と説明を始める。
『火のダンジョンは、この地方で最も初心者向けとされる訓練用ダンジョンです。ギルドに登録されたばかりの新人冒険者たちが、最低限の実戦経験を積むための場所として用意されています。とはいえ油断は禁物。魔物を甘く見て、深追いしすぎた者、立ち回りを誤った者、油断した瞬間にやられる者……決して危険が無いわけではありません』
チャッピーが淡々と続けるその説明は、どこか教科書を読み上げるような無機質さがあったが、逆にそれがリアルに響いた。
小町が棚から一冊の資料を取り出し、机の上に広げる。
「ここが初めてのダンジョンって者も多いから、事前に知識を頭に叩き込んでおくことは、命を守る上でとても大事」
『地形構造についても触れておきましょう。階層ごとの環境は一定ではなく、地熱による蒸気地帯、崩落しやすい岩場、視界の悪いガスエリアなど、単調ではありません』
小町がページをめくりながら、指先で一枚の簡易地図をなぞる。
「このダンジョンは行くたびに地形を変わる厄介な一面がある」
『また、五階ごとの中ボス、十階ごとの階層主が存在します。階層主の強さは新人向けとはいえ、最低限の連携と役割分担が求められる相手です』
小町が俺を見やる。
「……一人で戦うことは推奨しない。仲間と一緒に討伐すること。約束して」
その目は、甘さや慰めとは無縁の、鋭く冷静な色を湛えていた。
「はい……十分、分かっています」
俺は頷き、拳を握りしめる。
「三人と……ちゃんと連携して、絶対に、誰も欠けずに帰ってきます」
そう言い切ると、小町はようやく、その厳しい視線を少しだけ和らげ、ふっと鼻を鳴らした。
「……それでこそ、担当職員の言葉」
『まぁ私は何も期待していません。どっちにせよ私はダンジョンの中も同行しますけどね』
チャッピーが嫌味とも取れる調子で言葉を挟む。
小町が資料を閉じ、机の上に手を置いた。
「明日が決戦。しっかり食べて、しっかり寝て、万全の状態で迎えるべき。早く帰ってオムライスを作る」
「……はい!」
俺は大きく頷き、立ち上がった。
───── 翌朝・ギルド正面玄関前
朝の陽射しが穏やかに降り注ぐ中、俺はギルドの正面で、三人の到着を待っていた。少し早めに着いてしまったが、落ち着かない。足元の石畳を見つめながら、気持ちを整える。
「……よっ、鯱」
一番に現れたのはフェリスさんだった。いつも通りの不愛想な表情に逆に軽く安堵する。
「今日から本番だな、宜しくな」
その後すぐにバルドさん、そしてミィナさんも合流した。三人揃って、俺の背後に並ぶ。
「じゃ、リーダー。出発の号令でもかけてくれ」
「……え? 俺ですか?」
バルドさんの突然の無茶ぶりにみっともなく狼狽える俺。
「当然じゃろ。担当職員で、しかもきっかけを作ったのはお主じゃ」
「……え、いや、その……」
視線が三人から一斉に向けられ逃げられないことを悟った。
「……じゃあ……えっと……と、取りあえず行きましょう!」
思わず声が裏返りそうになったが、誰も笑わなかった。
若干緊張した面持ちでフェリスさんが軽く頷き、バルドさんがゆっくり歩き出し、ミィナさんが静かにその後に続く。その背中を追いながら、俺もゆっくりと歩き出す。
…いよいよ火のダンジョン踏破に向けた冒険が始まる。