第6話 異世界で地獄の特訓をした話
ギルドから戻った俺は、扉を閉めるなりその場に崩れ落ち、ベッドに倒れ込んだ。枕を手に取り、顔に思い切り押し付ける。
「うわあああああああああああああああああ!!!!!……な、なんてこと言っちまったんだ俺は……!!」
枕越しに叫んで、ベッドの上を転げ回る。
自分の口から出た無謀すぎる宣言を思い出すたびに、冷や汗と後悔が止まらない。顔を押し付けたまま、枕を手繰り寄せるようにしてスマホ──チャッピーを手に取った。
「……チャッピー……」
そっと呼びかけると、すぐにあの機械音声が返ってくる。
『社畜さん、あの様子……なかなか良かったですよ』
まさかの満面の笑みが画面に浮かんでいるような、そんな調子の良い声。
「……良かったわけねぇだろ……!」
呻くように返すが、チャッピーはさらに続ける。
『いえいえ、あそこまで言い切ったからには、やるしかありませんね。剣の振り方、基礎知識、通信講座、サポートプログラム……ご希望なら、できる限り手伝いますよ?ようやく、面白くなってきましたからね』
画面の向こうで、明らかに楽しんでいるチャッピーに、今は何も返せなかった。
「……なぁ、チャッピー。俺、本当にやれると思うか?」
ベッドに沈み込むように呟くと、少し間を置いて、チャッピーが静かに答える。
『思うか、ではなく。やるんです。今さら逃げるつもりは、ありませんよね?』
「……わかってるよ。でも、怖いんだよ……」
『当然でしょう。あなたは無謀な賭けに出た。その怖さすらも、全部引き受ける覚悟があるかどうか、試されているんです』
「……全部、か」
『そうです。全部です』
チャッピーの声は、皮肉も毒も含まず、ただ静かだった。
「……教えてくれよ、チャッピー。俺に、何ができる?」
『剣の構え方、振り方、呼吸法、立ち方、重心の置き方……すべて、今ここで説明しましょうか? 通信講座風にでも』
「いや……それはやめてくれ。なんか心が折れそうだから」
『では、ひとつずつ、確実に。あなたのペースで』
「……頼む」
静かに画面を見つめながら、俺は深く息を吐いた。
───── 翌朝、食卓
「……それで?」
事情を説明すると、テーブル越しに小町が静かに呟いた。
「もしかしたら頭が悪いのではないか、と疑っていたが想像以上に悪かった」
なにそれ酷い。泣きそう。
「でも……俺、決めたんです。三人とも、それぞれ偏ったステータスを抱えてる。でも、それを活かして戦ってる。だったら……俺だって、それで構わないはずだって」
小町は黙って俺の要領を得ない説明を聞いている。
「だから、剣の基本だけでもいい。基礎の基礎だけを……ずっと、ずっと、繰り返してみようと思うんです。小町さん、無理は承知です!俺に…俺に 剣の振り方を教えてくれませんか?」
小町は目を細め、しばらく俺を見つめていたが……
「……毎日、ハンバーグを。それが条件」
可愛らしい条件を突きつけてきた。相当ハンバーグを気に入ってくれたらしい。
「えっ……」
「毎日、手を抜かず、真心を込めたハンバーグを要求する……それが私の教える条件」
そんなんでいいならいくらでも作る。和風、デミグラス、目玉焼きのせ、レパートリーは無数にあるぜ。
「……はい、喜んで!」
こうして、俺の地獄の……いや、覚悟の一週間が始まった。
──夕方・小町の家 裏庭
今日は初日でギルドの仕事もある為、訓練自体は夕方仕事が終わってから開始した。
「まずは、基本中の基本──構え」
小町は木の枝を一本拾い上げ、俺の前に立った。
「剣を握る手は力まないこと。肩も肘も、無駄な力は抜く。でも、芯だけはぶらさない」
「……はい」
「足は肩幅、前後に半歩ずらす。重心は少し前」
「……はい」
「振り下ろすのではなく、押し出すように……そう、まっすぐに」
言われたとおり、小町が用意してくれた木刀を両手で握りしめる。簡単に見えるその動作ひとつが、思っていたよりずっと難しい。 腕に力が入れば肩がこわばり、足がブレれば腰が落ちる。
「……やってみる」
小町に促され、俺は深呼吸し、構えた。
「──はっ!」
振る。だが、たったそれだけの動作なのに、すぐに肩が痛くなる。
「……もう一度」
振る。
「もう一度」
振る。
「……いい、もう一度」
振る。
そうして訓練1日目は木刀の素振りのみで終了していった。
──夕食
訓練1日目終了。
今日のメニューは和風おろしハンバーグ。 大根おろしとポン酢のさっぱりとした味わい美味しい。小町も気に入ってくれたのか箸が止まることなく、静かに──しかし確実に食べ進めていく。そんな様子を、俺は緊張しながらもどこか誇らしい気持ちで眺めていた。
食後、湯呑みを手に取った小町が、ふっとため息を漏らすように呟く。
「……うすうす思ってはいたが、やっぱり……」
唐突に小町が話し出す。またプロポーズか…?
「……鯱は、絶望的に剣の才能がない。ステータスを見た時点でほぼ確信はしていたが、実際に今日一日見て確信したよ。根本的に向いていない……いや、間違いなく剣士としては最底辺」
珍しく長文を離す小町の言葉が胸に突き刺さる。俺は箸を止めたまましばらく何も言えずに俯く。だが、そこで簡単に諦める気はさらさらない。
「……それでも、やるしかないんですよ。あいつらと約束したんです。諦めるわけにはいかない」
気丈にそう言い返す俺を見て、小町は静かに湯呑みを置き、ふっと小さく微笑む。
「……なら、悪くない表情になってきたじゃないか」
その瞬間、ポケットの中のスマホが振るえ、チャッピーの声が割り込んでくる。
『おっと、ようやくその気になりましたね、社畜さん』
「わざわざ出てこなくていいよチャッピーは……」
チャッピーの声はさらに調子づいて続く。
『さて、ここからが本番です。才能がない? それなら一太刀だけに特化して、無駄を削ぎ落とした動きに絞りましょう』
チャッピーが得意げに続ける隣で、小町が腕を組み、ゆっくりと頷く。
「ふむ……それなら、体重移動と足運びに絞って徹底的に仕込むべき」
『それに……絶望的に筋力が足りないなら、ダンジョンに突っ込んで実戦で強制レベルアップさせるのも悪くありませんね』
「確かに。どうせ鍛えるなら、実戦の中で叩き込む方が効率もいい」
「……あの、俺、本人なんですけど……俺のこと置いていかないで?」
『おや、何か言いましたか?』
こちらの困惑などお構いなしに、二人は勝手に話を進めていく。
「……い、いえ……」
そうして俺の知らないところで俺の訓練計画が練られていくのであった。
───── 翌朝・自室
昨夜の気合いとは裏腹に、目覚めた瞬間から体中に重く鈍い痛みが走る。
肩、腰、太もも、腕、握力……あらゆる場所が鉛のように動かず、布団から起き上がろうとした瞬間、あまりの怠さに再び崩れ落ちる。
「……マジか……これ、昨日の素振りだけで……?」
情けない声が漏れたそのとき、枕元でけたたましくスマホが鳴り響く。
『起床確認。さぁ、地獄の一日が始まりますよ、社畜さん』
「……やめろ、今日は休ませてくれ……」
懇願するように布団に潜り込むが、次の瞬間、バタンと部屋の扉が勢いよく開く音が響く。
「いつまで寝ている。鯱にゆっくり休む時間はない」
小町の無表情な怒気が、部屋全体に満ちていく。布団を頭までかぶる俺。
「……無理……動けない……」
『では、実力行使ですね』
小町がズカズカとベッドに近寄る音が聞こえ、次の瞬間、布団ごと俺を容赦なく引きずり出した。
「うわっ、ちょ、ちょっと待って……!」
小町は一切取り合わず、引きずったまま玄関まで連行。
「まずは基礎体力作り。ランニングに行くぞ」
「ちょ、ほんとに無理……マジで無理……」
泣き言を並べる俺を無理やり靴まで履かせ、外に放り出す。
─────
その日から始まったのは、仕事の合間に走らされ、休憩時間は素振り、夜も庭で延々と繰り返される木刀の訓練だった。
ギルドで働く傍ら、いつの間にかその様子を見かける三人──フェリス、バルド、ミィナ──の視線に気づくたび、恥ずかしさと情けなさで逃げ出したくなる。
それでも、やるしかない。
そう、何度も心の中で繰り返しながら、俺の地獄の日々は静かに、確実に進んでいった。
───── 訓練2日目
ランニングから戻っても、身体の重さは増すばかり。木刀を構えた瞬間、腕がプルプルと震え、力の入れ方すら分からなくなる。 それでも小町は容赦なく言い放つ。
「……まだ始まってもいない」
無慈悲な言葉を背に、よろめきながらもひたすら木刀を振る。
───── 訓練3日目
立ち上がるだけで足がつり、剣を振るどころか、木刀を握ったまま気絶しかける。 チャッピーはと言えば、
『もう根性だけが取り柄ですね。社畜らしいじゃないですか』
と、平然と追い打ちをかけてくる始末。
───── 訓練4日目
仕事終わり、倒れ込むように帰宅し、庭に立たされる。目の前に置かれた木刀が、地獄の刑具に見える。 振ろうとした瞬間、握力が抜けて手から木刀が転がり落ちる。 小町は無言でそれを拾い、俺に差し出すだけだった。
───── 訓練5日目
汗と土にまみれ、膝をつき、何度も「無理だ」と呟く俺。 それでも、小町もチャッピーも、黙って俺を見つめていた。
逃げたら、終わり。
だから、無様でも、情けなくても、倒れるたびに立ち上がった。
───── 訓練最終日・火のダンジョン1階
それまでの地獄の訓練を走馬灯のように思い出す。本当の地獄は最終日に待っていた。
「むむむむ無理ですってばぁぁぁあああああ!!!」
崩れ落ちそうな足を小町に支えられながら、俺は情けない声を張り上げていた。
目の前に広がるのは、あの日、俺が命からがら逃げ出した──あの火のダンジョンの入り口。
「大丈夫。私が横に構えている限り、万が一は起こり得ない。信用して良い」
淡々と告げる小町は、まるで恐怖など一切感じていないかのように、木刀ではなく本物の剣を腰に下げて立っていた。
『社畜なんですから、言われた通りにしなさい』
スマホ越しに響くチャッピーの声は、いつも以上に冷たく、どこか楽しんでいるようでもあった。
俺は震える足を踏ん張り、無理やり前へと歩を進めた。
─────
ダンジョンに踏み込んでしばらく、あの豚の化け物──オークと再び相対することになった。
喉が張り付くように乾き、心臓が嫌な音を立てて暴れ出す。俺は剣を構えようとするが、手のひらが汗で滑る。
オークが唸り声を上げ、こちらに向かって突っ込んできた。
「う、うわあああああっ……!」
思わず目を閉じそうになったその瞬間、
──カンッ!!
甲高い金属音が響き、オークの一撃は小町の一太刀によって、まるで風を切るように弾かれていた。
「落ち着け、鯱」
小町の声が、俺の背中越しに静かに届く。オークがもう一度跳びかかってくる。
再び──カンッ!!
小町は、まるで呼吸をするかのように自然にその攻撃をいなし、俺の一歩先で、すべてを受け止めていた。
(……守られてる。完全に……守られてる……)
そう気づいた瞬間、少しだけ、指先の震えが止まった。
小町が小さく呟く。
「……鯱、今。いけ!」
俺は息を吸い込む。
足を踏み出し、剣を握りしめ、
「──うおおおおおっ!!」
渾身の一撃を、オークの頭上へと振り下ろした。
鈍い音と共に、オークの巨体が崩れ落ちる。俺は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
初めて、自分の手で命を奪った。どれだけ鍛えられたつもりでも、目の前のそれが“魔物”だと理解していても…。俺の中で、何かが確かに変わった気がした。
「……ここは……日本じゃ、ないんだな……」
震える手をそっと下ろし、俺は改めてこの世界に立っていることを、ようやく受け入れ始めていた。
───── 小町の家・夜
訓練最終日の晩餐
今日のメニューは、これまでの集大成と言わんばかりの“ニンニクバター醤油ソースのガッツリ系ハンバーグ”。鉄板の上でジュウジュウと音を立てる肉汁、香ばしいニンニクの香り、バターの濃厚な風味、鼻腔を刺激する醤油の香ばしさ……
小町が箸をつけるなり、静かにうなずき、何も言わずに食べ進める。それだけで、小町が気に入ったのがわかる。
──そして、俺もようやく、人生で初めての“レベルアップ”を果たしていた。驚くほど身体が軽い。体力も、気力も、まるで昨日までとは別人のように満ちている。
この一週間、決して無駄ではなかった。
「……小町さん、一応チャッピー……本当に、ありがとうございました」
俺は、静かに二人に頭を下げる。
『ふふ、やっと“社畜”から“一兵卒”くらいには昇格ですね』
「……口は悪いけど、助かったよ」
小町は湯呑みを手に取り、一口すすってから、ふっと微笑む。
「まだ、スタートラインに立っただけ」
「……それでも、俺にとっては十分です」
そう言いながら、俺は改めて心の中で2人に対し感謝した。
明日が、待ち遠しい。