第4話 異世界でも上司に恵まれない社畜の話
「どうしよう。面接なんて学生時代の就活の時以来で緊張する」
「大丈夫、マスターは贔屓目なしにクズで、自分にデメリットが無ければ一切他人に興味を示さない。それは新しい職員に対しても一緒。その辺は全てサブマスターの私に任せきりにしている」
さらっととんでもないこといったよこの子。クズとかサブマスターとか情報量が多すぎる。
「……え?サブマスター?こ、小町が?」
小町は特に否定もせず、無表情にサムズアップしている。
『事実を提示します。小町様は当ギルド運営における副管理責任者、通称サブマスターに登録されています。これは公式記録に基づく情報です』
昨日から今に至るまでこの世界のあれこれを小町は根気強く俺に教えてくれた。元々覚えることは苦手じゃないがそれでも覚えることは膨大にあるのだが、説明を受けてふと気づいたことがある。
生きるのに必要な知識や常識など、やけに日本と似ているものが多い。1年は365日だし1日は24時間。通貨の単位こそゴールドだが、物価や価値の感覚は日本円にかなり近い気がする。そもそも、初めて小町と出会ったとき、言葉も文化も不思議なくらい自然に通じていたのもその影響か。
……もしかしたら、この世界には、俺よりずっと前から多くの“迷い人”たちが足跡を残してきたのかもしれない。
「間違ってもチャッピーを出してはダメ、そこにさえ注意すれば後は適当で良い」
ちなみに、服は昨日のうちに小町が用意してくれていた。ギルド職員の制服らしいが、それまで着用していた血まみれの社畜使用のスーツより圧倒的にこっちの世界に馴染む。
ぱっと見た感じ、某巨人が進撃してくる漫画の調査する人たちの服装っぽくてかっこいい。……まさかこれも先達の影響か?
コンコンコンッ―
他の部屋よりも少し立派な扉を静かにノックする。
「…どうぞ。入りなさい」
部屋の奥からっ神経質そうな男の声が聞こえる。横に控える小町に視線を向けると無言で頷く。
静かに扉を開けると…待っていたのはギルドマスター、……否、豚の魔物だった!!
……その姿を見た瞬間、俺は思わず身構える。
(……豚……!?)
昨日、俺を追い回した豚の魔物がそこに座っており即座に反応する俺に対し、小町が淡々と補足を入れる。
「ごめん、言い忘れていた。マスターはただの醜く肥えた猪の獣人。昨日あなたを襲ったオークとは恐らく別の生物」
「小町さん……本人の前でそういう話は控えなさい……」
空気が凍った。
俺も思わず目を逸らす。豚の魔物……いや、マスターコモンは、何も言わずにただ重々しく椅子に座っている。昨日の時点で”獣人”という存在は知識として把握していたが、あまりに突然出会ったため一瞬焦ってしまった。
「マスターコモン初めまして。職員見習いの”鯱”と申します。小町さんの指導を承りながら、なんとかギルドの役に立てるよう精一杯頑張ります。どうぞよろしくお願いします」
魔物と間違えた時点でアウトかもしれないが、一応礼は尽くしてみる。
「うむ……うむ。そうか、うん。小町さんが選んだなら問題ないだろう。ま、私に迷惑さえかけなければ好きにやってくれて構わん」
思いのほかあっさりとした返答だった。肩透かしを食らった気分だが、何も言われない方が変に墓穴を掘ることもなくて助かる。
コモンはやたらと背もたれに深く沈み込みながら、机の上に置いてあった何枚かの書類を無造作に手繰り寄せると、やる気なさそうにペラペラとめくっている。
「……あー、そうそう。これ、領主様主催の晩餐会の招待状……ふむ、面倒だな……いや、でも顔出しておいた方がいいか……あー、でも、料理が口に合わないんだよな……」
完全に俺の存在を忘れているのか、独り言を漏らしながらスケジュール帳らしきものをめくっている。……小物臭、すげぇ。ああ、これ、会社にもいたわ。こういうやつ。
「マスターこれ、押印して。雇用契約書」
小町が最低限の説明でマスターに書類を渡す。中身を確認もせずコモンは押印しそれを小町に渡す。小町は特に何も言わず、その様子を当然のように紙を受け取る。
「ん、ああ、そうそう」
コモンが手を止め、こちらを向く。
「これだけは言っておこう。うちのギルドは、私に迷惑さえかけなければ、何をやっても構わん。もし余計なことを起こしたら──全部、小町さんの責任だ」
小町が、何とも言えない無表情でため息を吐く。
「……はい、マスター。承知しています」
「うむ。よろしく頼んだよ、小町さん」
俺じゃないのかよ。そう心の中で突っ込んだところで、コモンはもうこちらに興味を失ったようで、再びスケジュール帳をいじり始めていた。
やっぱり、どこにでもいるな。こういう奴。
俺たちはコモンに向けて小さく頭を下げて部屋を出ようとしたとき、隣で小町がぽつりと呟くように言った。
「……昔は、もっと尊敬できるマスターだったんだけど…」
それだけ言って、小町はコモンの方を一度だけ振り返り、すぐに俺に歩調を合わせる。その背中に、ほんの少しだけ寂しさが滲んでいる気がした。
「だから本人の前でそういu
「「失礼しました」」
奥から何か聞こえた気がしたが我々は退室した。
◇◇◇
———————ギルド事務所
「まずギルドがどんな仕事をしているのか、簡単に説明する」
小町は歩きながら、事務所の奥にある大きなカウンターを指差す。
ギルドの事務所は、冒険者の出入り口でもある受付カウンターと直結しているようで、窓口では何人かの冒険者と職員が既にやり取りをしていた。
だが、どこか空気が重い。やたらと短い言葉でやり取りを済ませているし、何より冒険者の表情が明らかに硬い。
「……なんか、仲悪そうですね」
「実際、あまり良くない。職員側の搾取がひどいから」
小町がさらっと言い放つ。
「ギルドは本来、冒険者と依頼主の間を取り持つ仲介機関。国や領主、商人や個人から依頼を受け、登録している冒険者に斡旋するのが基本。でも、今は……その“仲介”を口実に、冒険者から搾り取る職員が少なくない」
その説明を聞きながら、窓口のやり取りを見ていると、確かに冒険者側が職員を警戒しているのが分かる。
「それでも、ギルドを通さずに活動すると……もっと危険な目に遭うから。完全なフリーでやっていけるのは、一部の実力者だけ」
小町はカウンターに目をやりながら続ける。
「ギルドに所属している冒険者には、それぞれ担当の職員がつくのが決まり。表向きは、依頼の管理や契約内容の確認、冒険者のサポートやフォローを行う役割……ということになっている。だけど実際には、先に説明した通り、冒険者から搾り取ることばかり考えている職員も少なくない」
怒りを抑えるように静かに説明を続ける小町。そんな現状を少しでも変えようと、小町は職員教育にも関わっているらしい。……俺がここに配属されたのも、その一環なんだろうか。
「……そして、今日からあなたも、いくつかの担当を持ってもらう」
その言葉に、思わず身構える。職員見習いになったとはいえ、俺に何ができるのか正直自信はない。なんとなく、とういかかなり派遣会社の経験は活かせそうではあるが…。
とりあえず、与えられた仕事は全て全力で受け止めるつもりだ。
「いきなり全てを任せるわけじゃない。もちろん最初は私がフォローする。まずは信頼関係を築くところから始めてほしい」
その言葉に少しだけ胸を撫で下ろすと、小町が静かに扉を開けた。案内されたのは、事務所の一角にある打ち合わせスペース。そこには、すでに三人の冒険者が待っていた。
フェリス、バルド、ミィナ。小町から事前に渡されていたメモにはそう書かれている。
「今日からあなたの担当になる三人」
値踏みするような目線で遠慮なく俺の全身を見つめる3人に対し、とりあえず俺は挨拶をする。
「……初めまして、鯱といいます。今日から担当になることになって……その……よろしくお願いします」
緊張で声が上ずりそうになるのをなんとか押さえて頭を下げる。だが、返事はない。
「……えっと」
沈黙に耐え切れず、俺はポケットから小町に渡されたメモを取り出す。
そこには三人の名前と、最低限の戦闘スタイルや得意分野だけが簡単に書かれている。
「フェリスさんは……弓と、索敵や罠探知……ですか?」
恐る恐る声をかけると、フェリスが鼻で笑った。
「……一応な。でも、それだけだ」
「バルドさんは……前衛、盾役?」
「壁だけじゃ。攻撃は期待するな」
ぶっきらぼうに返される。
「ミィナさんは……回復と、弱体化支援?」
ミィナは目を合わせず、コクンと小さく頷くだけ。覚悟はしていたがやっぱり、みんな壁を作ってる。しかもかなり分厚い。
「……ありがとうございます。俺も、まだ不慣れで至らないことも多いですが、皆さんの力をうまく引き出せるように──」
「で、あんたは?」
フェリスが、食い気味に言葉を遮った。
「……え?」
「こっちの話ばっかじゃなくて、あんたは何ができるんだい?」
突然の逆質問に、息が詰まる。
……何が、できる?
俺は、思わず言葉を失った。前職のことなんて話しても意味がないし、スキルも無ければ戦闘経験もゼロ。
それでも、何か言わなきゃ──
「……その、えっと……」
どうしようもなく情けない沈黙が、場に重くのしかかる。そんな俺を見て、フェリスは大きくため息をついた。
「……やっぱり、そういうことか」
バルドも肩をすくめ、ミィナは小さく首を振る。
「期待されていないのは分かっていますが、ここまであからさまな対応を取られると少し悲しいですわ」
そのミィナの言葉を最後に3人は無言で立ち上がり、こちらを一瞥しただけで部屋を出ていった。
3人がいなくなり空席となった椅子を見つめたまま小町がゆっくりと息を吐く。
「彼らは、ずっとこうやって“期待されては裏切られて”を繰り返してきた……」
その声は、まるで誰に聞かせるでもなく、自分自身に言い聞かせているようだった。
「……でも、鯱とチャッピーなら、もしかしたら……」
小町がこちらを見た。
「……彼らを救ってやれるかもしれない。根拠はないけどそんな気がする」
救う、なんて……そんな大それたことが、俺にできるのかはわからないけど、社内で唯一尊敬していた先輩社員から学んだ『派遣会社の社員としての在り方』を守れば、きっとこのギルドでも冒険者から信頼を得られる気がする。
「……やってみます」
気づけば、そう答えていた。小町はそれ以上何も言わず、ただ静かに一度だけ頷いた。
重たい空気が、少しだけ和らいだ気がした。