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第2話 異世界で美少女といきなり同棲生活が始まった話

 ここは、喧騒と酒気と湿った空気が満ちるギルドの酒場。


 俺は入って一番奥のテーブルに座っていた。向かいにいるのは、ジト目の美少女──いや、正確には、表情の読めない目元に細い口を添えた、言葉数の少ない女性だった。


 名は小町。俺をあの洞窟で救ってくれた張本人だ。無言のまま、水の入ったグラスを口元に運び、こちらをじっと見つめてくる。


 居心地が悪い……観察されている感覚が強いというか──


「君、名前は?」


 ようやく発せられた言葉は、耳を澄ませていないと聞き逃しそうな程静かで無機質だったが、圧が強い。


「……あ、俺は──」


 一瞬、本名を名乗っていいものか迷った。そのとき、先ほどのチャッピーの冷淡な台詞が脳裏によぎる──『ようやく起きましたか、“《《社畜さん》》”』。


 咄嗟に口をついて出そうになった本名を慌てて飲み込み言い直す。


「社畜、あ、いや、鯱く……鯱です」


 どこか自分でも違和感のある響きに、小町がジト目をさらに細めた。 小町は軽く頷くだけで返した。


 このギルドの酒場は、ただの飲み屋ではないらしい。冒険者たちの情報交換、取引の場、交渉の場……そして、場合によっては、裁定の場にもなるという。ちらりと視線を横に向けると、隣の席でごつい男が地図を広げていた。その向かいには装備の整った女性が頷いている。その隣では、既に酔いが回ったらしい若者が、依頼書を握りしめて誰かに詰め寄られていた。


 しばらく沈黙が続いた後、小町が口を開いた。


「その服、珍しい。素材も仕立ても見たことがない」


 スーツ姿の俺を見て、小町が静かに尋ねる。


「装備もなし、仲間もなし、一人でダンジョンに入る、まるで死にに行くようなもの。……一体何をしていた?」


 核心に触れるような質問に、俺は言葉に詰まる。


「いや……その、気づいたらそこにいたというか……」


 小町は眉をわずかに動かし、じっとこちらを見据える。その視線に、嘘は通じないと感じた。が、それ以上は何も言わず、目の前の女はグラスの水を一口飲んだ。


「……なるほど」


 呟いた声は、俺が何を言わなかったかを測っているようだった。


「記憶が曖昧?あるいは、言えない理由がある?」

 

 俺はなんと答えるべきか判断できず言葉に詰まる。小町はそれを追及せず、グラスの水をもう一口含んだ後、視線を落とした。


「……あなたは、自分の置かれてる状況、どれくらい理解してる?」

 

 言葉の端々に探るような気配が混じっている。


「さっきも言ったけど、一般人が丸腰で一人、ダンジョンにいたってことは本来なら良くて死亡、運が悪ければ魔物化して一生ダンジョンを彷徨う可能性すらある。でも君は生きていた。それも、装備なしで」


 小町は肘をつき、手の甲で口元を隠すようにして、こちらの反応を窺っている。


「そんな話聞いたことない。よほどの運か──それとも、異質な存在か」

 

 そこまで言って、小町はふっと視線をそらした。


「鯱、あなたは“迷い人”?」


 小町が、まるで断言するように確認してくる。


「……迷い、人?」


 口にしたその言葉の響きに、何か特別な意味が込められていると直感する。


「こっちの世界の人間じゃない──私たちの知らないどこか別のところから来た存在。そういう人たちのことを、私たちは“迷い人”って呼ぶ」


 小町は声を潜め、周囲に誰も注意を払っていないことを確認してから続けた。


「ここじゃ、その存在を巡って騒ぎになることもある。知識や技術を手に入れようとする連中もいれば、宗教的な理由で排斥しようとする勢力もある。……だから、今後そのことは誰にも言っちゃ駄目」


 俺が何かを答えるより先に、小町は確信を持って言葉を重ねていく。

 そのとき、不意にポケットの中で震動が走った。思わず手を入れると、スーツの内ポケットに収めていたスマートフォンが振るえたため、取り出して画面を確認しようとした時—


「やめなさい」


 小声で、しかし力強い小町のその言葉に、俺は瞬時に手を引っ込めた。

 それを見届けた小町は、大きなため息をつき、すっと立ち上がる。


「ここじゃまずい。ついてきて」


 促されるままに立ち上がった俺は、小町に導かれながら喧騒の酒場を抜けていく。



◇◇◇

───────小町の部屋


「さっきも言ったけど、あなたは自分の置かれている状況をまったく理解していない」


 小町は扉を閉めると同時に、非難を込めた声で俺にそう告げる。


「このままでは遅かれ早かれあなたは野垂れ死ぬことになる」


 振り返った彼女のジト目には、酒場で見せた沈黙とは別種の警戒が宿っていた。


「あなたには、選択肢がある」

 

 小町は淡々と続ける。


「ひとつは、迷い人として知識を求める貴族や研究者の庇護を受ける道。そこでは物理的な安全は約束されるけど、自由はほとんどなくなる。住まいも行動も管理され、まるで囚人のような生活になる」


 その言葉には、わずかに憎しみのような感情が滲んでいた。


「もうひとつは、自分が“迷い人”であることを伏せて生きる道。……最も無難なのは冒険者。登録して依頼をこなし、少しずつ信用を得ていく。ただ、当然ながら危険は多いし、最低限の訓練や仲間探しから始めなきゃいけない」


 小町は一呼吸置いた。


「最後に、地味だけど確実な道だし、贅沢もできないけど、私と同じギルドの職員として働く。庇護もあるし、表に出る危険も少ない」


 そのどれを選ぶかは君次第──そう語る小町の目は、静かに、だが真っすぐに俺を見据えていた。


「ただし──そもそも、私を信用するかどうかも、あなた自身が決めなければならない」


 淡々とした口調のまま、それでもどこか突き放すように小町は言い切った。

 かなり真剣な話をしてくれているのはわかるんだが、俺は初めての女性の部屋に入って入ってそれどころではない。どうしようなんかいい匂いする。


「申し訳ないがあなたの足は腐ったオークの肉の臭いがする。期待には応えられない」


 まるで俺の心の中を読み取ったかのように俺の心を抉ってきた。泣きたいけど完全に俺が悪いので軽い咳払いの後、話を戻す。


「小町さんの仰る通り……俺、自分の状況なんて何も分かってなかったと思います」


 認めざるを得なかった。異世界に飛ばされた、なんて漫画やゲームの話じゃあるまいし、そんな非現実を前に冷静でいられるわけがない。迷い人だと認めたところで、どうすればいいのか、考える暇もなかった。


 研究対象?、まっぴらごめんだ。自由を奪われて管理されるとか、想像するだけで息が詰まる。冒険者?、もっと無理だ。体力もないし、戦う訓練なんて一度も受けたことがない。そんな俺が、命がけで魔物と戦うとか正気じゃない。


 ……となれば、残るのはひとつしかなかった。


「ギルド職員として──雇ってもらえませんか」


 小町は特に驚いた様子も見せず、静かにうなずいた。


「そのつもりだった。仮採用だけど、当面は私の監督下って形でやってもらうことになる」


 それでも、今の俺にはありがたすぎる言葉だった。


「ただし、すぐに給金が出るわけじゃない。生活費はどうする?」


 言われて初めて、自分がまったく金を持っていないことに気づいた。


「……すみません、なにも当てはありません……」


 小町はわずかに瞬きをし、感情の揺れを一切見せない声音で応じた。


「予想通り」


 そう言うと静かに立ち上がり、棚に向かって鍵を取り出す。


「私が借りている部屋の一室を使えばいい。最低限の寝具と設備は揃っている。水道、簡易調理場、照明あり。衛生環境に問題はない。キッチンは共有。

 恐縮して言葉を探す俺を見て、小町が静かに言った。


「……このまま追い出す方が気を遣う。独りで生活できる準備ができたら出ていけばいい」


 その声音は相変わらず淡々とし、必要事項を読み上げるような口調だったが、拒絶するような雰囲気はまるでなかった。


 俺が黙り込んでいると、小町はほんのわずかに視線を動かした。


「……それと、念のために言っておくけど」


 唐突にそう切り出され、思わず背筋が伸びる。


「もし、男女ということで何かを気にしているなら、それも不要」


 そこで一拍の間を置く。


「あなたが私を力づくでどうにかできる可能性は限りなくゼロ。足の臭いも酷い」


 助けられた際に小町の強さは目の当たりにしているのでそれはわかっているのだが、現代日本で育ち”彼女いない歴=年齢”の俺はそれでも気にしてしまうのは許して欲しい。


 しかし現実的に考えて、今の俺にとって願ってもない程好都合なのもまた事実。


「お言葉に甘えて、少しの間お世話になっても良いですか…?」


 そう言うと、小町は軽く瞬きをして、ほんの一呼吸分だけ間を空けた。


「了承した。必要な生活用品は最低限こちらで用意する。入浴と洗濯のルールについては、後で書面で渡す」


 抑揚のない声ながら、それは確かに“受け入れた”という意志のこもった返答だった。俺は頭を下げた。


「ありがとうございます。本当に助かります」


「当然の対応をしたまで」


 小町はそう男前に告げると、再び背筋を伸ばした姿勢のまま、どこか一点を見つめて黙り込んだ。


 そして数秒の静寂の後、再び口を開く。


「そんなことよりも、あなたは一刻も早くこの世界の常識を学ぶ必要がある」


 その口調はこれまでと変わらず淡々としていたが、言葉の選び方には、明らかに“警告”の意図がにじんでいた。


「その中でも、まず覚えておくべきはステータスの存在。ここの住人は、自分自身の状態を把握するための仕組みとして、それを持っている」


「ステータス?」


「意識するだけで脳内に展開される。内容は名前、年齢、職業、身体的な数値、属性傾向など。自分以外には見えない」


 小町は座ったまま、まるで読み上げ原稿でもあるかのように情報を並べていく。


「自分以外にステータスを見せるとしても、せいぜい家族か、極めて信頼のおける相手にするべき。つまり、あなたにそれを許可する者はいないと考えていい」


 説明は簡潔だったが、十分に要点を押さえていた。


「自分のステータスを見てみたいと思えば、今すぐ確認できる」


 そう言われ、俺は少しだけ躊躇したが、やがて軽く息を吐いて意識を向けた。


(……ステータス、確認)


 意識した瞬間、脳裏にふわりと光のような枠が展開された。そこに浮かび上がったのは、まるでゲーム画面のような整然とした情報の数々だった。


――――――――――

【名前】鯱

【年齢】28

【種族】人間

【職業】未登録

【LV】1

【HP】46/46

【MP】11/11

【STR】9

【VIT】10

【DEX】10

【INT】12

【AGI】8

【LUK】7

【スキル】派遣(??)

【所持品】ビジネスバック(ノーマル)/スマートフォン(神話級)

――――――――――


「……え?」


 思わず声が漏れた。

 全体的に数値はどれも二桁未満か、ギリギリで10を超える程度。

 ……とはいえ、これがこの世界でどれほどの水準なのか、判断のしようがない。


「派遣……?」


 唯一表示されたスキルは、見慣れない“(??)”の表記つき。その意味も効果もわからない。今のところ説明すらない。


 問題はそおこではない。

 所持品は、ビジネスバッグとスマホ──ただし、後者の等級には思わず目を疑った。


「神話級……?」


思わず声に出してしまった直後、目の前で小町が大きくため息をついた。


「私が悪者だった場合、今すぐあなたを拉致し監禁している」


 淡々としたその口調に、背筋が凍る。


「……え?」


「あなたは馬鹿なのだろうか。あれほど、ステータスは人に知られないようにと言ったのに」


 そう言いながらジト目で睨まれる。


「スキルにしても、アイテムにしても、神話級に分類されるものは、今現在確認され

ている限りでは数件しか存在していない。どれも国一つの在り方を変えるほどの存在。そのひとつを所有していると口にすることが、どういう意味を持つかわからない?」


「……すみません」


 謝る俺に目を向け小町は改めて大きなため息をつく。

 どうやら俺は、またやらかしたらしい。



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