幼馴染の貴族令息にかわいいと言い続けたら開き直られた
「ねえ、レーネ。このかわいい僕との婚約が嫌だっていうの?」
彼は笑みを浮かべながら顔を近づけてくる。その中性的な顔、自信に満ちあふれる瞳、不敵な笑み。この男は私がこの顔に弱いことを知っているから顔を近づけてくるのだ。思考が回らなくなる。とにかく顔がいい。かわいい。
「かわいい」
「知ってる。ねえ、いいでしょう?」
顔がいい。かわいい。あ、駄目だ。何も考えられない。
「うん」
あれ、私は何を言ったんだろう?
「頷いたね、言質とったから」
我に返ったときにはもう遅い。とんとん拍子に私はこの男、アデルバート・ユスティティアとの婚約が決定していた。
どうしてこうなった。昔からかわいかったけど、ここまでかわいいを武器にしていただろうか。
私、マグダレーネ・リベルタスとアデルバート・ユスティティアは幼馴染だ。初めて会ったのは5歳のときだ。
そのときからアデルはかわいかった。雰囲気は少し違ったけれど。長いまつげが伏せられた瞳を際立たせ、彼の自信なさげな表情は儚さを感じさせた。ちらりと目線をあげ私の顔をみたアデルの顔を見た途端、心を掴まれた気がした。
「かわいい……」
「え?」
きょとんとした顔でこちらをみてくる。先ほどまで伏せられていた銀の瞳がまんまるになってこちらを向いている。かわいい。
「ぼく、男だよ」
「うん。知ってる。でもかわいい」
「え……?」
「困った顔もかわいい」
「ええ……?」
こいつ何言ってるんだ、と言いたげだけどそれすらかわいい。神は間違って天使をこの世に送り込んだのか?
「かわいいって言われるのいや?」
じっとアデルをみる。やっぱりかわいいな。妖精か? 神が作った奇跡に違いない。あ、顔を少し赤らめた。照れてる。つまり、嫌がっていない! もう一押ししたら許される気がする。
「ねえ、いや?」
「いやではないけど、ぼくなんて……」
「いやじゃないなら、いいよね!」
よし。許された。これから思う存分かわいいと言える。素直に気持ちを伝えるのは大事ってお母様が言ってたもん。いいよね。
そこから、10年にわたって私はアデルにかわいいと言い続けた。
「かわいい」
「え、うん……」
「かわいい」
「そうかな?」
「かわいい」
「ありがとう」
「かわいい」
「そうでしょう?」
「かわいい」
「知ってる」
私がかわいいと言い続けるうちに返事が変わってきた。最初は戸惑って恥ずかしそうだったのが、だんだん平然としているようになってきた。照れ顔かわいかったのに、最近はみせてくれない。むしろ挑発するように得意げな笑みを浮かべてくる。でもそれすらかわいい。
「アデルはかわいいね」
「うん。知ってる」
ずっと変わらないと思っていた。
そんなある日。周りの友達がどんどん婚約者が決まっていって。私も考えないと、と焦りをおぼえ始めた頃のことだった。
「ねえ、アデル」
「なに?」
「え、振り向く顔もかわいい」
「うん。それで?」
「そろそろ婚約者考えないといけないんだけど、誰か紹介してくれない?」
「は?」
アデルの顔が歪んだ。何でだろう。でも、歪んだ顔もかわいいって本当に人間?
「レーネ、この前婚約はまだしたくないって言ってなかった?」
「うん。でも友達がみんな結婚していくんだもの。私も急いだ方がいいかなって」
「この前まで興味なさそうだから油断してた……」
アデルがボソリと何かを呟くけど、上手く聞き取れなかった。
「アデル、何か言った?」
「ううん。何も」
アデルがこちらを向いて微笑む。かわいい。
「かわいいからなんでもいっか」
「うん。知ってる」
前の席に座っていたアデルが立ち上がった。私の前の机に右手をおいてじっとこちらを見てくる。どうしたんだろう。それにしてもかわいい。
「レーネ」
「なに? 下からみてもかわいいね」
「うん。知ってる。それで相手を探しているのなら僕でいいよね?」
僕でいいよね? ちょっと理解ができない。
「え、どういうこと? 顔近づけてこないで! かわいくて思考が止まるから」
「知ってる」
「え、その小悪魔みたいな顔やめて。かわいい」
「ありがとう。それで返事は?」
「えっと……」
アデルはずっと幼馴染なわけで。それが急に婚約? 確かに他の人よりはアデルといる方が楽だけど、でも……。
「ねえ、レーネ。このかわいい僕との婚約が嫌だっていうの?」
顔が近い。かわいい。あの自信がなさそうだった少年はどこにいったのだろう。この自信にあふれた表情は彼のかわいさの魅力を余すことなく発揮している。かわいい。
「かわいい」
「知ってる。ねえ、いいでしょう?」
そこで縋るような瞳をするのはずるい。彼の銀の瞳が不安そうに揺れる。ああ、かわいい。駄目だ。何も考えられない。
「うん」
「頷いたね、言質とったから」
そう言ったアデルは満面の笑みを浮かべた。近い距離でそんな笑みを浮かべないでほしい。かわいい。アデルのその笑みが見られたなら何でもいっか。
そして次の日には私の親もアデルの親にも伝わっており、婚約の書類にサインするだけの状態まで話を進められていたことを知り、驚愕することになる。
「これで婚約者になったね」
機嫌よさげに笑っているアデルはかわいい。かわいいけど、そういえばなんでアデルは私との婚約に乗り気なんだろうか? あ、そうか。
「アデルも婚約者決めるのに焦っていたの?」
「え……?」
「だから私を婚約者にしたんでしょう?」
アデルが少し表情を引きつらせた。そんな顔もかわいい。
「レーネ」
「なに?」
アデルが真剣な表情でこちらをみてきた。やっぱりかわいい。
「僕は君のことがずっと好きなんだ。愛してるよ、レーネ。君がかわいいっていうから僕は自分を好きになれたんだ」
アデルが私の髪を手ですくい上げて唇を落とす。その姿はかわいいというよりも。
「ちょっと一人にさせて」
「え、レーネ」
私は部屋を飛び出した。誰もいない廊下の隅でしゃがみ込む。
バクバクと胸の音がする。
好き。愛。アデルの言葉が頭の中で何度も繰り返される。私の髪に口づけたアデルは。
「かっこよかった……」
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