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月曜日

作者: slowwhales

これは私の漠然とした人生への理不尽さを書き連ねただけの、小説でもなんでもない話です。でも、読んでほしい。


「人生の総幸福量は全員同じにできている」「苦しい後にはいいことが起きる」。自殺者数が増えている今日この頃にも関わらず、いや、だからだろうか、こんな言葉を耳にすることが多くなったような気がする。

間違いなく、小さな悲しみに直面した時はそう思った方が人生は楽だし希望が見える。しかし本当にそれは正しいのだろうか。僕はそうは思わない。


「昨夜遅く、長野県佐久間市の県道で大型自動車どうしが衝突するなど4台が関係する事故があり、6歳の女の子、笹本陽菜ささもと・ひなちゃんが死亡し、女の子の母親が意識不明の重体になっています。」


1Kの古いアパートに置かれ、今や教科者置き場として使われているテレビから、こんなニュースが入ってくる。この家族に救いはあるのだろうか。6歳の陽菜ちゃん。春の菜の花の季節に、陽だまりに照らされながら生まれたのだろうか。それとも、太陽のように周りを照らせる子になってほしいという願いから名付けられたのだろうか。きっとひなちゃんがまだお腹の中にいて名前をつけている時から今の今まで限りない愛情を注がれながら育ったひなちゃんは一瞬で帰らぬ人になってしまったのである。重体のお母さんはどうだろうか。医療の進歩に助けられ奇跡的に意識が戻って、病室で目を開け天井の模様を見ながら、旦那さんに陽菜ちゃんの現実を伝えられた時、絶望以外に感じられるものはあるのだろうか。その現実に直面していない人間に「人生の総幸福量は全員同じにできている」「苦しい後にはいいことが起きる」と言われたとして、それを前向きに受け取れるのだろうか。そんなわけがない。これからの人生、きっとどんな美味しいものを食べても、どんないいことが起きてもこの悲しみや苦しみをかき消せるものはない。これらの格言と言われるフレーズたちは人間の都合のいい時だけ使われ、本物の絶望に相対した人たちの前ではなんの処方箋にもならず、むしろ追撃にさえなってしまうのである。別に僕がそれを解決したいわけでも絶望に嘆くわけでもない。だけど、いつでも、今すぐにでも、その永遠に忘れることができない絶望が、襲ってくるかもしれない。それだけは避けられない現実だと改めて感じながら、今日も僕はいつもと同じ目玉焼きと味のないトーストを食べる。


そんな、月曜日の始まりであった。


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