第6話 想いを金貨と代えて
病院の前まで来ると、マシロさんは表情を曇らせた。
「私はいい。お金がもったいない」
「もしかして病院が怖いんですか? 子供ですね」
「そんなことない」
「だったら平気だってところ、僕に見せてください」
「……嫌い」
マシロさんは不機嫌な顔で診療を受けに行った。
「レイさん。彼女の保険証はお持ちですか?」
「いいえ」
「では、いつも通りになります」
僕はマシロさんが薬剤師の仕事を眺めている隙に、手早く会計を済ませた。
「気は済んだ?」
「いいえ。次は服屋に行きます」
「……しつこい男ね」
僕らは並んで靴箱に向かう。
しかし、マシロさんのサンダルは予め回収済みだ。
「靴がない……」
「ありますよ。これです」
「サンダルでいい」
「これに履き替えてください」
「今日のレイは意地悪ね」
マシロさんは渋々とブーツを履く。包帯の巻かれた足が隠れると、荒れていた心がいくらか落ち着くのがわかった。
「立てますか?」
慣れない靴に戸惑う様子を見て手を差し伸べる。
「獣臭い」
マシロさんは自身の手に移った臭いに顔を顰めた。
「お肉、投げてあげればよかったのに」
「砂だらけの食べ物は嫌じゃないですか」
「……そうね。そうだったわ」
そう言うマシロさんは、暗い表情で笑っていた。
僕らは公園の水場に立ち寄り、念入りに手を洗ってから服屋に向かった。
「あら、ナツキのお友達の」
「どうも」
「いらっしゃい」
服屋のふくよかな店長さんは、マシロさんに一瞥を投げる。
「恋人かしら?」
店長さんは頬に手を当ててニヤついていた。けれど、マシロさんが首を横に振ったのを見ると、素直に非礼を詫びてくる。
「ニートのあんたが、よくこんな可愛い子を捕まえられたわね。一体どこで拾ったの?」
「語弊のある言い方はやめてください。彼女が森で迷子になってたので、一晩泊めてあげただけです」
僕は女物の服を一通り見繕ってもらえるよう、店長さんにお願いをする。
すると、すぐに快諾が返ってきた。
「あなた、名前は?」
「マシロよ」
「マシロちゃんね。さぁ、こっちにいらっしゃい」
店長さんはマシロさんの背中を押して奥へと消えて行く。
「レイ君! 予算はどれくらい?」
「結構いけます!」
「いいわね! 期待してて!」
店先のベンチで待っていると、しばらくして足音が近づいてくる。
僕は軽い気持ちで振り返った。
しかし、そこには見知ったマシロさんの姿はなかった。
「こんな服、ダメよ。落ち着かない」
慣れない服に恥じらうマシロさんに、僕は思わず息を呑む。
「何も言わずに見てはダメよ」
マシロさんは心細そうに身を縮こめる。
そんな彼女は、ドレスを模したコートを身につけていた。それでいて、服のように軽やかに見えるから不思議だ。
「気に入ってくれたみたいね」
奥から遅れて、したり顔の店長さんが出てくる。
「この服は?」
「冬服が好きな孫が考案したのよ。コートを普段着として着られるようにって落とし込んだものなの。耐久性や機能性は変わらずよ。防汚処理もしてるし収納も多いから、森でも役に立つはず」
「すごいお孫さんですね」
「自慢の孫ね。売り上げの方は微妙だけど」
「みんなの見る目がないんですよ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない! でも、鐚一文負けないよ」
「いいものにはお金を払わないとですもんね」
「そう言うことさ」
僕は店長から代金の打ち込まれた電卓を受け取る。
「他所行きの服を一式に、普段着も数セット用意した。ソックスとインナーも選んでもらったわ。寝巻きとタオルは、まぁ、おまけでつけてあげる」
「足りるかなぁ……」
僕がお財布の中身と相談していると、店長さんが焦れったそうに引ったくってくる。
「あら、随分と持ってるじゃない。分割払いさせようと思ってたけど、いらない心配だったわね」
そう言う店長さんから返ってきた財布は、驚くほど軽くなっていた。
「毎度あり!」
僕は服を押し付けられて、強制的に取引を成立させられてしまう。けれど、マシロさんが普通の女の子に近づいたかと思えば、これくらいの出費は安いものだ。
「そう言えば、着てた服はどこに?」
「あんなもの捨てたわよ」
「どうしてですか!?」
「どうしてはこっちのセリフよ。上着だけならともかく、女の子に自分の下着を着せるなんて、いい趣味してるじゃない」
「仕方ないでしょ! 他にないんですから」
「まさか、裸で転がり込んできたわけでもないでしょう?」
「…………」
「え、そうなの?」
僕と店長さんは、揃ってマシロさんに視線を向ける。
マシロさんは普通の服に慣れずそわそわとしていた。その危うい姿が、どうにも嗜虐心を刺激してきていけない。
「可愛いからって襲ったら犯罪よ」
「そんなことしません」
「…………」
「あら、もう手を出した後だったみたい?」
「揶揄うのはやめてください!」
「そう言うのはいいから、ぶっちゃけどうなのよ」
「嘘つきませんって!」
「でもねぇ……」
店長はマシロさんの様子を訝しむ。
「……なに?」
「あら、そう言うこと」
店長さんは帰ろうとする僕らを引き止めると、奥から黒い袋を持ち出してきた。
「マシロちゃん、これあげる」
「何?」
「武器かしら。襲われた時、きっと役に立つわ。おばさんからのプレゼント」
「ありがとう」
袋の中身を見たマシロさんは嬉しそうに微笑む。
「武器って、魔法剣?いいなぁ、それ滅多にないんだよ」
「ダメよ。これは私の」
「そうよ。男が女の物を覗こうとするじゃないの」
「見せてくれるくらいいいじゃないですか」
僕は強引に袋の中を覗こうとする。しかし、店長に阻まれて近づけない。
けれど、マシロさんは優しい。
「あとで見せてあげる。だから、今は我慢して」
マシロさんはそっと袋の口を閉じると、悪戯っぽく言った。
「本当ですか! 使わせてくれますか? 本物を見るのは初めてなんです!」
「壊さないように優しくね」
「やったね!」
僕は年甲斐もなくはしゃいだ。
「レイ君、すごい子を拾ったわね……」
店長さんは恐ろしい物を見るように言う。しかし、当の本人は素知らぬ顔でそっぽを向いていた。
服屋で用事を終えた頃には、空は茜色に染まっていた。
「次は?」
マシロさんは当然のように尋ねてくる。
「昨日の話、覚えてますか?」
「何のこと?」
「友達を紹介するって話です。お昼も食べてませんし、二人を誘って外食でもどうですか?」
僕が言うと、マシロさんの腹の虫が鳴る。
「決まりですね」
「……いいの?」
「悪銭身に付かずってやつです。それに僕が持ってても、あるだけ無駄遣いしちゃうだけですから。マシロさんの明日の糧になるなら、これ以上の使い道はありません」
「ご飯だけじゃない。病院に連れてってくれた。服も買ってくれたわ」
「心配しなくても、まだお金はありますよ。ほら、銀貨が一枚も残ってます」
疑われないように銀貨を見せて言うが、マシロさんの表情は暗いままだった。
僕は無性に不安になる。
「……マシロさんの笑顔は、いくらで買えますか?」
「笑顔?」
「いえ、何でもありません。遅くなると混みますし、早速行きましょうか」
僕は恥ずかしくなり、逃げるように歩き出す。
マシロさんは僕の背を追いかけてきてくれた。けれど、いつまでも隣に来ることはなく、数歩後ろを黙ってついてくるだけだった。