第十二話 爪と牙、翼と尾
日の出を合図に、寝床から跳ね起きる。
「よしっ! 」
覚悟を胸に、ひとり河原へ向かった。
「うん、あれにしよう」
猪ほどの岩を獲物に定めて、風下で息を潜めた。
すとんと腰を落とし、獲物の観察に入る。
相手は、血の通わない岩だ。こちらのことを微塵も警戒していない。
辺りに邪魔者の気配もなく、道も十分に開けている。
しかし、足場は小石が多くて、不安定だ。深く踏み込めば、先に地面が鳴いてしまう。
(一気に近づかないと)
吐息で牙が濡れる。動悸で爪が震える。
けれど、負けの目だけは、絶対にない。
水流の音に耳を傾けて、邪念を落とす。
同時に、獲物に飛び掛かるための力を溜めていく。
岩が、ヒツジ雲の群れに入った。
まもなく、風はぴたりと止み、地上に落ちた光が明滅する。
僕は、弾けるように地面を蹴り、距離を詰めた。
「…………”砕く”! 」
固めた爪を、拳と打ち出す。
しかし、振り抜いた腕は岩肌に弾かれて、盛大に尻餅をついてしまう。
「いっ…………!? 」
世界がひっくり返る中で、見知った二匹と目が合った。
(いつの間に!? )
僕は、小さい獣たちの前に倒れ込む。
「うぐっ……」
二匹は小馬鹿にしたように、半目で見下してきた。
「無理ムリむり! こんなの割れる訳ないよ! 」
「……カー」
「……ナー」
「うるさーい!無理ったら無理!」
そこまで言って、咄嗟に口を塞いだ。
(言葉は、大切にしないと……)
エーテルに想いを伝える。それが、言葉の力。
言葉を軽んじたり、信じ切れていなければ、魔法は正しく成立しない。
「”無理じゃない”。まだ一回目だし」
握る拳は、微かに震えていた。
そんな時、上機嫌に揺れる尻尾に目が止まる。
「ナー」
小さな石を気に入ったのか、灰猫さんは、その上で日向ぼっこを始めた。
「焦り過ぎたかな……」
手頃な小石に目をつけて、祈るように拳を突き落とす。
すると、雷鳴に撃たれたように、石は真ん中で綺麗に割れていた。
「や、やった! 見て見て、今度は割れたよ!! 」
成果が出ると、途端にやる気が湧いてくる。
僕は、徐々に獲物を変えて、自分の力量を測った。
しばらくして、大きさが手のひらを超えた辺りで、途端に歯が立たなくなる。
「なるほど。割れやすい石もあれば、硬い石もあるんだね」
何度も繰り返し検証しているうちに、同じ種類の岩石でも、脆い部分やヒビが入っているものがあることに気がつく。
物は試しと、硬い石ころを取り上げた。
「この辺かな……。”割れろ”! 」
突いた拳は、あえなく弾かれた。
しかし、ほんの僅かだが、小さな石片が拳に刺さっている。
「まずは、経験を積むところからか……。よし、考えるより先に体が動くようになろう! 」
放つ言葉に勢いをつけるように、ひたすら岩を割り続けた。
陽が高くなる頃には、脆い岩石なら、大きいものでも拳が通るようになった。
高度の硬い石も、節理を見極めれば、亀裂を入れられた。
「特訓のおかげだね」
森に引きこもっていた頃は、ただ走るだけでも息が上がっていた。
それが、今では河原を一息で駆け抜けて、岩を砕けるまでになっている。
とは言え、動物ほどの岩となると、まだ歯が立ちそうにない。
「どうせなら、特別な狼になりたいな……」
活路を見出すように、無心で大岩を殴り続ける。
すると、黒い影が目の前を横切った。
「ん、どうしたの? 」
カラスさんと目線を合わせて、おもむろに手を伸ばす。
けれど、その手は赤黒く染まり、岩に負けた肌が包帯にこびり付いていた。
「……心配してくれてるの? 」
「…………」
「ありがとう。でも、安心して。痛みはないし、まだ逆の手も、足もあるから」
僕は、手のひらを振って見せて、再び岩と向き合った。
けれど、今度は灰猫さんも寄ってきて、何やら訴えるように鳴き始める。
すると、思い出したように、腹の虫が鳴った。
「ご飯にしようか」
カラスさんの先導で、森の木々を縫うように走る。
風が吹くままに、気の向くままに。目についた食べ物を咥えては、みんなで分け合って食べた。
「きみは、カーさん。きみは、ナーさんね」
「アー」
「ニャー」
「……気に入らない? 」
「カー」
「ナー」
「ん、じゃあ決まり! 」
小さな群れを成して、僕らは巣へ戻る。
「こら、鞄で爪研ぎしない」
「ナー」
「不満そうな顔しないの」
逃げ回るナーさんを追いかけていると、横からカーさんが近寄ってきた。
「ほら、一緒にあそぼ」
猫手で手招きをすると、その腕にカーさんが止まった。
嬉しくなって、喉を撫でようとする。
けれど、解けた包帯の端を咥えて逃げてしまった。
「もう、カーさんまでいたずら? 」
何処までも伸びていく包帯は、青い空や白い雲と並べると、ひどく醜い色に見えた。
地面に落ちても、区別がつかない。
改めて、自身の体を顧みる。
血の滲んだ包帯は、汗を吸ってひどく蒸れていた。
恐る恐る鼻を近づけてみる。
「うっ…………!? 」
雨上がりの土と、腐った果実を混ぜたような臭いがして、胃袋が裏返るようだった。
「……水浴び、しようかな。痛いの、やだな……」
日差しに肌を焼かれていて気がつかなかったが、木影に入ると、途端に虫が這いずるような掻痒感に襲われる。
恐怖に耐えられなくなり、僕は森の草木を踏み倒しながら、衣服を脱ぎ捨てて、川の中へ飛び込んだ。
「———」
じわり、と。体が溶けるような感覚がした。
澄んだ水が、たちまち濁ってく。たなびく流れは、命の色をしていた。
包帯の下は、とても見れなかった。
目を瞑ったまま、服を脱ぐように、仮初の肌を剥いでいく。
冷たい流水の中で、体の熱が引くまで、じっと耐える。
しかし、恐怖が限界を迎えて、気づけば鎮痛剤に手が伸びていた。
噛み砕いて飲み下すと、たちまち痛みが遠のいていく。
「…………ふぅ」
緊張が解けると、腰が抜けた。
同時に、重たい倦怠感で、一歩も動けなくなる。
「……ニル、褒めて」
弱音が漏れて、カッと顔が熱くなる。
「ンーーー!! 」
川の淵で、ひとり悶える。
すると、ナーさんが木の枝を咥えてやってきた。
「ン」
ナーさんは枝を落とすと、くるっと円を描くように回ってみせる。
「ありがとう、ナーさん。……でも、僕ね、自分に治癒魔法は使えないんだ」
人間の言葉では、動物には気持ちは伝わらない。そう思っていても、声に出す他に、方法がなかった。
しかし、こんなひどい体でも、二匹はお構いなしに乗っかってくる。
「こら」
「にゃん! 」
「……なんで喜ぶのさ」
頭を小突くたび、ナーさんは黄色い声を上げる。それを聞いていると、少し心が軽くなった。
冷静になると、肌をくまなく撫でる風が、忘れていた羞恥を運んでくる。
「……あれ、服がない。何処に脱いだっけ……? 」
辺りを見回していると、カーさんが鞄をつつく。
「変えの服、あんまりないんだ」
「カー」
「僕、ニートだから」
人には言えなくても、動物になら打ち明けられる。
隠し事がなくなると、晴れやかな気持ちになった。
「……流石に、下は探さないとな」
「ナー」
群れのみんなで探したおかげで、すぐに衣服は見つかった。
けれど、どれも川の水を吸って、ずっしりと重たい。
「ついでだし、洗濯しよっと」
「カー」
「うん。天気いいから、すぐ乾くね。それまで、人に見つからないといいなぁ」
川辺に腰を下ろすと、二匹は平然と寄ってくる。
「……君たちも、あんまり見ないでね」
「ナー」
「そこ、遊ばない」
「にゃん! 」
なぜか構ってモードのナーさんをカーさんに任せて、僕は服の汚れを洗い落とす。
「全然落ちない……」
適当なところで切り上げて、日向の岩場の上に広げた。
包帯も巻き直して、ほっと一息つくと、小さな仲間たちが寄ってきた。
「お魚釣るから、お散歩して待ってて」
疲れた声で言うと、すぐに二匹は何処かへ行ってしまった。
「さて、リベンジだ」
即席の釣竿が完成する頃には、もう日が傾いていた。
「……全然釣れない! 」
飽きて竿を投げると、ナーさんがお散歩から帰ってくる。
「おかえり。どこまで行ってきたの? 」
ナーさんは、誇らしげに獲物を見せびらかしにくる。
「おお、やったね。ご馳走だ」
肥えたネズミには、所々につまみ食いの跡があった。
けれど、ナーさんは獲物を置いたきり、口をつけようとしない。
「食べないの? 」
首を傾げていると、ナーさんはネズミを咥え直して、またぽとんと僕の前に落とした。
かと思えば、上空からは蛇も降ってくる。
「……二人とも、僕にもくれるの? 」
動物から施しを受けるのは情けないが、背に腹は変えられない。
「生肉を食べる練習しててよかった」
「ナー」
「はいはい。大きい骨取るから、ちょっと待ってね。……こら、噛まないの! 僕は餌じゃないよ! 」
「ナー」
「……もう、反応を見て楽しんでるでしょ。カーさんからも、何か言ってやって」
「カー」
「…………」
「……あ、うん。もう好きにして」
みんなで獲物を囲い、思い思いに口をつける。
生肉を食べてお腹を壊さないか不安だったが、不思議と何ともなかった。
巣に帰る途中で、美味しいキノコを見つけた。
けれど、二匹は嫌な顔をして、最後まで口をつけてくれなかった。
寝床まで戻ってくると、ちょうど月が雲に隠れる。
「ただいまー。そして、おやすみぃ……」
「……カー」
「……僕は地面でも良いんだけどなぁ」
「ナー」
「あー、もう。わかった。起きます、起きますよ」
二匹に攻撃されて、仕方なく巣作りをする。
「”光よ”」
雑に呪文を引くと、ぼんやりとした明かりが手元に灯る。
それでも、寝床を作るだけなら、十分事足りる。
「ナー」
「ん、気になる? 」
「にゃー」
ナーさんは、物欲しげな目をして鳴いた。
僕は、二匹を寝床に招いて、お勉強会を開く。
「魔法を使うには、設計図と魔力が必要です。設計図は、こんなことしたいなーって気持ち。魔力は、そのままエーテルのことです」
「カー」
「エーテルと言っても、幾つか種類があるんだけどね。覚えておかないといけないのは一つだけ。自分の中のエーテルだけは使っちゃダメってこと」
「ナー? 」
「エーテルは、想いに感応して、魔法に成る。その魔法に、想いそのもの。例えば、血や肉、命や魂を使うと言うことは、魔法に命を与えると言うことになる。さて、何で使ったらダメか、わかるかな? 」
問いかけてみると、二匹は揃って首を傾げた。
それでも、お利口に話を聞いている君たちのことだ。僕が大事な話をしていることは、本能で理解しているように思う。
「感応力の高い端材があるから、専用の杖を作ってあげる。でも、完成までは邪魔しないこと。危ないからね。約束できる? 」
カーさんも、ナーさんも、元気の良いお返事が返ってくる。
僕は光を呼び直し、手帳で設計図を作る。
「安全よし。スペルミスもなし」
「ナー。ナー」
「うん。指差し確認は大事だね」
「にゃん! 」
適当な革紐を見繕い、丁寧に呪文を刻印する。
最後に、持ち歩いていた画材の石を並べて、二匹に気に入ったものを選んでもらった。
「これを、ここに取り付けたら……はい、完成! 」
二匹の承諾を得て、革紐を首にかける。
魔杖には、揃ってラピスラズリが下がっていた。
「綺麗な石じゃなくて、ごめんね」
そんな言葉は、興奮した二匹には届かない。
「それじゃあ……魔法、使ってみよっか! 」
僕は、カラスと猫の鳴き真似をして、拙い光を出して見せる。
すると、小さな瞳が、にわかに輝いた。
「カァー」
「ウニャー」
「そうそう、そんな感じ」
可愛らしい鳴き声が、夜の森に響く。
カーさんは、数分と経たずに魔法を会得した。
ナーさんも苦戦こそしていたが、時間をかけると、カーさんよりも強い光を呼び出してみせた。
「僕、使えるまでに一ヶ月かかって、落第しかけたんだけどなぁ……」
ひとり肩を落としていると、二匹は光の玉を投げて欲しそうに、こちらに持ってくる。
「君たちには、光も遊び道具なんだね」
しばらく構っていると、遊び方を覚えたのだろう。自分たちで遊びはじめた。
「二人とも、仲良くね」
僕は木に寄りかかり、手帳を取り上げる。
けれど、筆は進まない。
「うーん……」
頭を捻らせて唸っていると、二匹が膝に乗ってきた。
僕は、ひっそりと打ち明ける。
「”好き”な人にね、告白するんだ。……秘密にしてよ? 」
「ナー」
「だーめ。中身は内緒です」
「……カー」
「そりゃあ、書くのはこれからだけど……秘密ったら秘密なの! 」
小さな友人たちに揶揄われながらも、僕は秘めた想いを言葉に変えていく。
ありきたりな言葉を重ねても、きっとニルの心には届かない。
狼になるだけでは、足りない。
弱さを捨てず、人のまま、狼になりたい。
「ニル、待ってて……」
新たな決意を胸に、今日も眠りにつく。
残る薬は、あと半日分。
けれど、もう気にする必要は、なくなった。




