第十話 命題
朝日が差し込む森に、空腹の音が響く。
「ひもじいなぁ……」
腹の虫を慰めるように摩ると、どこか懐かしさを覚えた。
ニルから逃げて、はや一夜。持ち出した食料は、すでに底をつきかけていた。
「こんなことなら、もっと詰めておけばよかった」
緑葉の下で蹲っているうちに、いつしか足の裏には根が張っていた。
しかし、体は正直だ。いよいよとなれば、恥も外聞もなく、ひとりでに動き出すだろう。
けれど、心の方が二の足を踏んでいる。
「これから、どうしよう……」
戻る他に、当てなどない。
それでも、大義名分が必要だった。
「ニル……」
この感情に名前をつけたその日から、必死に道を探し続けている。
けれど、その背は遥か彼方にあって、遠く届かない。
「うがぁぁぁぁ!! 」
どこまでも先が見えない思考に堪えかねて、酸欠のように重い頭を掻きむしる。
すると、僕の咆哮が、にわかに森が騒がせた。
「もうやだぁ……! 」
努力の成果は、あらぬ方向へと伸びていく。
不貞腐れるように項垂れると、今度は犬のようにちょこんと座る自分の姿が見えた。
「もう、馬鹿みたい……」
包帯だらけの体を楽にして、途方に暮れる。
けれど、すぐに姿勢は戻した。
「……別に、狼になりたいわけじゃないからね」
そんな言葉に反して、静かに胸が軽くなる。
それでも、泥に塗れて、血反吐を吐いた成果がこれでは、笑うに笑えない。
もう直に、痛み止めも切れる。予備はあるが、持っても二日だろう。
薬の効果が切れる瞬間を思うと、今から泣きなくなった。
「強くなりたいなぁ……」
夏風が、花と鳥と、木立の間を駆け抜けていく。
悩めば置かれて、立てば背中を押してくる風は、僕から春を連れ去るようだった。
人としても、狼としても半端な心が、静かに膝を折る。
けれど、意地で一歩前に踏み出すと、甘い匂いが悪戯に鼻を掠めた。
僕は誘われるままに、森を彷徨った。
香りを辿って獣道に入り、落ちた木の実を拾っては、つまみ食いをしながら歩く。
ひとつ、またひとつ。僅かに、けれど確かに積もる喜びに、体が自然と前へ出る。
気づくと、小さな果実をつけた低木の前にいた。
「お、ベリーだ! 」
僕は、吸い寄せられるように飛びついた。
頬張ったベリーは、ほんのりと苦かった。
けれど、ひとたび齧ると、渇いた口の中で瑞々しく弾けて、酸味が体中を駆け巡る。
「んんん、すっぱぁ! 」
目の覚めるような味に悶えているうちに、苦味は優しい甘味に溶けていた。
「持って帰ったら、マシロさん喜ぶかな? ニルはエグいの苦手だけど、煮詰めてお肉のソースにしたら、口をつけてくれるかも? 」
踊るようにベリーを摘んでいると、あっという間に手のひらがいっぱいになる。
けれど、ひとつが音もなく、優しく崩れた。
傷んだ黝色が、白帯に滲む。
僕は慌てて、手のひらの果実をまとめて口へ放り込んだ。
噛み締める瞬間、咄嗟に身構えた。
しかし、不思議と酸味は頬を撫でるばかりだった。
瞼を開くと、すでに手のひらは黒く染まりきっていた。
「お腹空いたなぁ……」
元いた木の下について、またまたぐるると唸る。
「二人とも、心配してるかな……」
そんな甘えた考えが、胸の奥に巣をつくっていた。
いつの間にか、彼女たちの好意にあぐらをかいて、僕は許されることを疑いもしなくなっていた。
「そんなわけない……! 」
認めるのが怖くて、激しく頭を横に振る。
けれど、どうしようもない不安が弱音を吐いた。
「……ニルが謝りに来るまで帰らないんだからっ! 」
言葉に出すと、どっと体が重くなる。
けれど、腹の虫が治ることはなかった。
残しておいた干し肉を掴み取り、奥歯で思い切り齧り付く。
「……おいしい」
狼好みに振った黒胡椒が、ピリリと辛かった。




