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第3話 誰しも欲求には抗えない

「マシロ」

「……え?」

「私の名前。マシロ」

 僕が焚き火でお湯を沸かしていると、女の子はぶっきらぼうに名乗った。

「あなたは、レイ」

「覚えててくれたんだ」

「生まれた街はレスト。でも、今はホームレスでニート。その日暮らしの貧乏人」

「ごめんね働いてなくて!」

「気にしてない」

「そうは見えないけど……」

「さっき言った。初めから期待してない」

 そう言うマシロさんではあるが、その表情は助けを求める相手を間違えたとでも言いたげで、嫌みたらしく嘆息を漏らしている。

「ここが嫌なら、街に住んでる友達を紹介しますよ。二人は優しいですから、きっと力になってくれます」

「別に森に不満はない。あなたといるのが嫌なだけ」

「そ、そうですか……。友達は働き者なのでお気に召すかと」

「そうだといいけど」

 マシロさんは揺れる炎を眺めながら退屈そうに欠伸を噛み殺す。

 街や友人のことを聞き返してこないあたり、本当に他人に興味がないのだろう。彼女は冷たく硬い地面に座り込んで、膝を抱えて茫然とした時間を過ごしていた。

 そんな元奴隷の女の子は、僕より十歳ほど年下に見える。普通であったら学生生活を謳歌している年頃だ。幼さの中に女性らしさを主張する容姿が眩しく、綺麗な花に蝶や蜂が集まるように自然と目が引かれる。

 けれど、彼女が身につけている衣服は作りが雑で、身じろぎするたびにチラチラと玉肌が覗くから心臓に悪い。

「……どこを見てるの」

「何も見てませんよ!?」

「変態」

「だって……!」

「別に構わない。でも、こんな体に欲情するなんて、寂しい人生ね」

「馬鹿言わないでください!マシロさんは天界にでも住んでいたんですか」

「どう言う意味……?」

 小さく首を傾げるマシロさんの肩に、僕は有無を言わさず冬物の上着を被せた。すると、彼女は警戒して大きく飛び退く。

「……何のつもり?」

「春とは言え、まだ夜は寒いですから。よければもらってください。ニートの使い古しが嫌でなければですが」

 そう言って火の番に戻ろうとすると、背中に石ころを投げつけられた。

 何事かと振り返ると、マシロさんは不満そうな顔でいた。

「……見せて困る体してない」

「さ、際ですか……」

「……あなたも隠さなくていい」

 僕の返事に納得がいかないのか、マシロさんはおもむろにコートをはだけた。けれど、その仕草はどこか作業的で色気のようなものは感じられない。

 しかし、彼女の表情は自信に満ちている。

「男たちはみんな私を欲しがってた。すぐに手を出してきた。逃がさないように捕まえてきた。なのに、あなたは違うの……?」

「できれば違うと思いたいですけど」

「説明になってない」

「でも、マシロさんだって相手は選びたくないですか?」

「私が選ぶ……?」

 僕は疑問に首肯する。

「嫌なことは嫌だと言えて、気に入った相手を特別扱いできる。それが自由と言うものじゃないですか?」

「……ごめんなさい。よくわからない」

「そんなにじっと地面を見てたって幸せは落ちてませんよ。自信を持って上を向かないと。ほら、空には綺麗な星が……って、そう言えば曇ってるんでした……」

 当てが外れた僕は誤魔化すように笑う。

 しかし、顔を上げたマシロさんは、目を丸くしていた。頬はほんのりと上気していて、新しい気づきに瞳を輝かせている。それは宝石のフレアのように力強く、また色鮮やかで、虹を見るようだった。

 けれど、美しい虹色は、すぐに灰に戻ってしまう。

 それでも、彼女の隠れた一面を見ることができたのは素直に嬉しかった。

(奴隷なのに態度が大きいとは思ってたけど、強かな子なんだな)

 棘のある言葉や視線を浴びせられた時には、心が凍りついているのではと思った。しかし、何も人の厚意に心が動かない訳ではないらしい。

「……何か失礼なこと考えてる」

「気のせいですよ」

「嘘。いやらしい目つきをしてた」

「それは難癖です!」

「……どうでもいい」

 マシロさんは揶揄うことに飽きたのか、膝に頬を乗せてじっとこちらを観察してくる。

「……それ、食べるの?」

 無言で薬草をすり潰していると、マシロさんは苦虫を噛み潰したような表情で聞いてきた。

「これは薬草ですよ。切り傷に塗る用です」

「まさか、私に……?」

 マシロさんは恐ろしげに言う。

 しかし、綺麗な御御足に跡が残っては未来を狭めかねない。

「はい、できましたよ!足出してください」

「嫌」

「わがまま言わないでください。ちゃんと本に書いてある通りに作りましたから大丈夫ですよ」

 僕は逃すまいと足首を掴む。

「変態! 触らないで!」

「なんと言われても結構です」

「それのどこが薬なの!」

 マシロさんは濁った薬液を見ると、ぶるりと震えて暴れ始める。

 けれど、太ももの付け根が見えそうであることに気が付いた彼女は、慌てて膝を突き合わせると、恥じらうように服の裾を引き伸ばした。

「……見てはダメよ」

「は、はい」

「フリじゃない。するなら早くして」

「わかってます!」

 不意にしおらしくなったマシロさんに動揺しながらも、なんとか消毒と治療を済ませる。彼女は傷口に触れられても声ひとつ上げることはなかった。

「どうですか? 痛みは引きましたか?」

「楽になった」

「それはよかったです。でも、この本には傷も塞がるって書いてあるんですけどね。どうしてだろう……?」

 そうして患部の状態を確認していると、マシロさんから冷眼を浴びせられる。

「足が動かなくなったら責任取って」

「それは……はい……」

 感染症を防ぐために、患部には包帯を使用した。靴の代わりになるかはわからないが、また足を切らないようにと厚めに巻いてあげる。

「楽しそうね」

「はい。初めて上手く巻けました」

「どういうこと……?」

「ち、違います! そんなことより、次は腕の治療を……って、あれ?治ってる?」

 僕はマシロさんの腕を取る。しかし、無数にあった傷はすっかり消えていた。

(あの時は暗かったし、見間違いだったかな……)

 自分で言って納得がいかず、裏面や逆の手も確認した。しかし、どこにも異常は見つけられない。

 対して、彼女は執拗に腕に触られているにも関わらず、つーんとした態度で唇を引き結んでいる。

(もしかして、何か隠してる?)

 スキルの中には、怪我を治癒するものもあると聞く。強力なものになると、欠損部位の再生すら叶うそうだ。

 けれど、治癒系統のスキルは最強クラスの能力だ。それほどまでに強力なスキルを授かる者は、全世界の人口の一割にも満たない。

 第一、彼女は無能力者である。仮に治癒スキルが使えたとしても、傷を一瞬にして再生する術は地上にはない。

(考えすぎなのかなぁ)

 もしかすると、彼女は生まれつき傷が癒えるのが早い体質なのかも知れない。魔人や魔獣の中には胴体を切られても死なず、断面を繋ぐと元に戻る個体もいるそうだから、きっと彼女もそんな感じだろう。

 そうして物思いに耽っていると、また石ころが飛んできた。

「火、消えそう」

「あ、本当だ。薪取ってきますね」

「どこ?」

「いいですよ。マシロさんはお客様です。ゆっくりしてていいんです」

 火の番をマシロさんに任せて、僕は最後の薪を取りに向かう。

「明日は薪割りもしないとかぁ」

 僕一人ならサボっていたところだろうが、お客様を凍えさせる訳にはいかない。明日の夜は筋肉痛だろう。

「……あれ?何の音だろう」

 残りの薪を一度に抱え上げると、奥からカコンと低い金属音が聞こえてくる。

 不思議に思って隙間を覗き込んでみると、そこにはビーフシチュー缶が転がっていた。

「おお、やったね!」

 缶のラベルには見覚えがある。宿屋を手伝った時に、着火剤と一緒に貰ったものだ。

「とんだ掘り出し物だね」

 幸いと容器は無事である。消費期限も当分先だ。お客様を歓迎するのにはもってこいの品だった。

 僕が意気揚々と戻ると、マシロさんは足の傷が気になるようで、包帯の上から患部を触ろうとしていた。

 しかし、彼女は人目に気がつくと、思い直したように手を引っ込める。

(やっぱり怪しい。……でも、そう言うのもありだよね、うん!)

 面白いことが起こるのではと言う期待に胸を躍らせながら、いそいそと缶詰の封を切る。すると、すぐにブイヨンと野菜の香りに鼻腔がくすぐられた。少し遅れてやってくる肉の重たい香りに、胃袋が歓喜しているのが伝わってくる。

 しかし、これはマシロさんの食事だ。

(匂いも平気そうだし、塩味も調整したから食べやすいはず)

 飯盒に空けたシチューは焚き火に温められて、ぐらぐらと小気味良い音を奏でている。

「どうぞ。缶詰温めただけですけど」

 僕は木彫りの器にシチューをよそい、マシロさんに差し出す。

 しかし、彼女は塩を毒と疑っているようで、なかなか口をつけてくれない。

「さっきの白い粉。睡眠薬よね」

「薬を買うお金なんてないですよ。それに、睡眠薬は誰でも手に入れられるものじゃないんですよ」

 僕は料理が安全であることを証明しようと、よそったスープに口をつけた。しかし、とろみのあるシチューは想像以上に熱を持っていて、激しく咳き込んでしまう。

「……あなた、馬鹿なの?」

「でも、折角だし食べてほしくて……!」

 僕はマシロさんの分を改めてよそい、警戒されないように地面に置いた。

 しかし、彼女は料理には手をつけず、僕の横にある食べかけのシチューの方を指差す。

「そっちがいい」

「でも、これは僕が口を……」

「それじゃなきゃ嫌よ」

 マシロさんの圧に負けて、渋々器を取り替える。

(そんなに疑わなくてもいいのに)

 僕は選ばれなかったシチューを憐れみながら飯盒に戻した。

「食べないの?」

「さっき食べたから」

「そう」

 シチューの残りは一人前と少しだ。けれど、叶うことならマシロさんにはお腹いっぱいになってほしい。

 しかし、体は悲しいまでに正直だ。僕の口の中は、涎でいっぱいになっていた。

 そこからの時間は、僕がマシロさんを観察する番だった。

(不思議な人だ)

 マシロさんは口数が少ない。と言うよりは、何かを言おうとしても、舌がもつれて口篭っていた。例えるなら、考えがまとまらないうちから発話をしようとしている。そんな感じだ。

 けれど、一転して表情の方はわかりやすい。料理を一口運ぶごとに、いちいち顔色が変わる。複雑な滋味に驚き、多様な食感を喜び、幸せそうに微笑む。二つの瞳を輝かせながら、シチューの中に宝物でも探すかのようにいつまでも楽しげに遊んでいた。

(可愛い)

 子供じみた一面に、心の底から思う。

 しばらくすると、逃れ難い睡魔に襲われた。

(まだ寝たくないな)

 焚き火にあたる体は血の巡りがよく、頭もぼんやりとしてくる。

 こくり、こくりと。揺れる火の前で船を漕ぐ。

 すると、控えめに石ころ転がってきた。

 僕は泥濘とした思考のまま顔を上げる。

「すみません。寝ちゃってました」

 寝ぼけ眼に見たマシロさんの器は、舐めとったかのように綺麗に空いていた。

「今よそいますね」

 僕は空の器を取ろうとする。

 しかし、マシロさんは慌てた様子で首を激しく横に振った。

「おかわり、いりませんか?」

 眠気に頭を揺らしながら尋ねると、マシロさんは俯いて弱々しく否定した。

「遠慮しないでください。残してしまっても、もったいないですから」

 欲張ることは悪いことではない。そんな気持ちを込めて、シチューをめいいっぱいによそう。

 マシロさんは料理を受け取ろうと手を伸ばしてくれた。けれど、その手は震えていたから、器は地面に置く。

「これが、おかわり」

 本当に食べてもいいのかと目で訴えるマシロさんに、僕は笑顔を返す。

 彼女が二杯目を食べ終わる頃には、焚き火は消えかけていた。

「そろそろ寝ましょうか」

 僕たちは火の後始末を済ませて基地に入る。マシロさんは食べ過ぎで膨れたお腹を不安そうに摩っていた。

 けれど、床に敷かれた布団を見ると目の色を変える。

「今夜はここで寝てください」

 良かれと思い乱れた布団を引き直すと、こもっていたカビの臭いが一気に広がった。辺りの砂埃も宙に舞ってしまい、激しく後悔する。

 思えば、長らく起きて寝るだけの場所だ。掃除も長いことしていない。最後に布団を干したのは何日前のことだろう。少なくとも記憶のうちにはない。

(こんなことなら、日頃からちゃんとしておくんだった)

 とてもではないが、こんな汚い布団にお客様を寝かせるわけにはいかなかった。

 しかし、不思議とマシロさんに気にした様子はない。

「……こんなのでよければ、布団使いますか?」

「あなたは?」

「一つしかないですから、その辺で寝ます」

「…………」

「疑わなくても何もしませんよ!」

 マシロさんは訝しむように僕を見てくる。けれど、布団の魅力には勝てなかったようで、いそいそと毛布の中へと潜って行った。

 彼女が落ち着いたのを見た僕は、壁に背を預けて目を瞑る。

 隙間風が吹き込む底冷えする室内は、とてもではないが快適とは言えなかった。

 しかし、何とも不思議なもので、一度眠りにつくと、今日一日の出来事が蘇ってくる。同時に、温かな何かに包まれるような幸せな感覚に襲われた。

(……夢でもいい)

 胸に燻る熱が夢幻であることはわかっている。それでも、この幸せを失いたくなくて、離したくなくて、体を丸めて逃がさまいと抱いて眠る。

「……いじわる」

 夢の中でも変わらず彼女は辛辣だった。それでも、躊躇いがちに触れてくる手のひらの熱が堪らなく愛おしく感じる。

(この子を守りたい。この子を幸せにしたい)

 そんな恥ずかしいセリフは、夢の中でも言えそうにない。

 しかし、彼女の夢を陰ながら応援をすることくらいは自分にだって許されるはずだ。

「レイ」

 彼女は僕に囁く。

 けれど、僕は返事をすることはできなかった。

 まだ日付は変わっていない。未だ闇の時間だ。こんなにすんなり眠れたのは、一人になってから初めてだった。

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