第八話 猛特訓
魔導具の納品を終えて寝床に入る頃には、すでに東の空が白み始めていた。
「朝帰りとはいい度胸だな」
「あ、アヅキさん。帰ってたんですね」
「お嬢がご立腹だぞ」
「朝ご飯の当番、僕でしたっけ? 」
「いいから、今すぐ水浴びをして来い」
「少し寝かせてください。それに、こんな時間に川に入ったら、夏でも風邪をひいちゃいますよ」
僕は彼に背中を向けて、頭まで毛布を被る。
「不潔な男だ」
アヅキさんは呆れたように言うと、態とらしく音を立てて飛び去って行った。
僕は睡魔に負けて、早々に瞼を閉じる。
しかし、彼と入れ替わるように、マシロさんとニルが帰ってきた。
二人は水着姿で、川魚を数匹抱えていた。
ともかく、今朝の食事当番が僕と言うことはなさそうだ。
憂いがなくなると、どっと眠気が押し寄せてきた。あくびをつくと、心地よい疲労感と共に、全身の力が抜けていく。
久しぶりにぐっすりと眠れそうな気がした。
けれど、今度は駆けるような足音に邪魔をされる。
直後、脇腹を抉るような衝撃に襲われた。
転がるように寝床から弾き飛ばされる。
考えずとも、ニルの仕業だとわかった。
あまりに理不尽な仕打ちに、拳を握りながら上体を起こす。
しかし、顔を上げた先で、ニルが体を震わせながらボロボロと涙を溢していたから、胸が詰まった。
「に、ニル……? 」
恐る恐る声をかけるも、ニルは顔を伏せたきり反応してくれない。
マシロさんに訳を尋ねようにも、全く目が合わなかった。
ひとまず、二人が風邪を引かないように毛布をかけようとする。
けれど、どちらも逃げるようにして、半身で距離を取られてしまう。
そこで、ようやく自分の方に非があるのではと気が付いた。
(ど、どうしよう……)
何かしなければと、慌てて焚き火を熾した。ニルが集めた枯れ葉に、マシロさんが組んだ枝に、僕はただ火を入れる。
その間も、彼女らが着替えようとする様子はなかった。長い髪はしっとりと濡れたまま、古着を流用した水着も嫌に肌に張り付いている。
しばらくして、焚き火が安定すると、気持ちに余裕ができてきた。
そこで、ふとアヅキさんに言われたことを思い出す。
まさかと思いながらも、自分の身体の匂いを嗅いでみる。
すると、何がとは言えないが、漠然と不安な気持ちにさせられた。
自分の正気を疑った。頭に浮かんだ思いを認めたくなくて、激しく左右に首を振る。
おもむろにウズラさんが寄ってきて、小さな薬瓶を渡される。
ガラス製の容器には、朝日も通さないほど暗い宙色の懸濁した薬液が満たされていた。
「くれるんですか? 」
目線を合わせて尋ねると、言葉の代わりに栓を抜かれた。
「……何の薬ですか? 」
「睡眠薬だそうだ。服用後、速やかに睡眠状態に導入し、数刻の間、外的刺激で覚醒しなくなる」
「薬効はわかりましたけど……。なんで僕じゃなくて、ニルに言うんですか? 」
「馬鹿につける薬はないと言うことだ」
「じゃあ、この薬は何のために……」
僕は不貞腐れるように、ウズラさんに薬を返す。
すると、初めから予定していたかのように、彼女はニルに小瓶を受け渡した。
「ニル、飲んじゃダメだよ! 」
考えるより先に、言葉が出る。
幸い、ニルが薬に口をつけることはなかった。
けれど、ウズラさんから栓を受け取ったあたり、全く興味がないと言う様子でもない。
どうにか興味を逸らそうと、雑多な鞄の中身を頼る。
同じ不安を抱いているのか、マシロさんも協力してくれた。
試行錯誤の結果、特別な日のために取り置いていた缶詰を開けることで、少しだけ機嫌を直してくれた。
しかし、涙の枯れた瞳は、変わることなく僕を穿つように闇を湛えていた。
「……どうして体を許した。どうして嫌だって言わなかった」
ニルは、マシロさんに着替えの世話をされながらも、自身と異なる容姿を疎むようにして、細い肢体を弄ぶ。
「レイも、マシロも、わたしのものなのに……。こんなことなら、最初に殺しておけばよかった」
ニルは半裸で這ってきて、僕の肩に両手を置いて見下ろしてくる。
「あいつが邪魔なら、そう言え」
悪魔のような言葉を囁きながら、焦らすように後ろに体重をかけてくる。
「ま、待って! もうしないって約束するから、こう言うことはやめよう? ……ね? 」
「へぇ。ずっとお前との約束を信じて我慢してるのに、また約束を増やすのか」
「へ、返事はするよ! 絶対に! 今は、まだ無理だけど……」
「……両想いの相手も襲えない意気地なしは、どうやって気持ちを伝えるんだろうな」
ニルは、ニヒルに笑った。
それでいて、どこか反撃を期待するかのように、恍惚とした表情で愛でられる。
「早く返事ができるように、わたしがお前を一人前のオスにしてあげる」
僕には頷く他に、目前の狼から生き残る術がなかった。
「私も手伝うわ」
「俺も協力しよう。狩りに活かせる手練手管には、多少の覚えがある」
マシロさんたちがニルの味方についたことで、完全に逃げ道を塞がれる。
「手加減しないから、死ぬ気で頑張れよ」
「本当にいいの? 」
「そう言う無意味なことにばっかり頭を使うところ、本当に嫌い」
「……なんか、最近当たり強くない? 」
「無能に優しくするわけないだろ」
「すみません……」
「謝るくらいなら、行動で示せ」
「それは無理! 」
「……クソニート」
「ニル!? 」
「交尾はできなくても、図星つかれて怒る知能はあるんだな」
ニルの皮肉に、アヅキさんがお腹を抱えて笑う。
「言われっぱなしでいいのか、人間」
「魔人の倫理観がおかしいだけです」
「そう言うことなら、ウズラに頼んで、ニルには人並みの恥じらいを覚えてもらおう」
「何で笑うんですか」
「後悔するなよ、人間」
アヅキさんの提案を聞いたニルは、見るからに面倒くさそうな顔をしていた。
しかし、彼が何やら耳打ちすると、途端に乗り気になる。
「決まりだ」
「ニル、頑張って」
マシロさんは、他人事のように応援する。
けれど、ニルが勝ち逃げを許すはずもなく、彼女も否応なくウズラさんの淑女教育に巻き込まれた。
僕らは、顔を見合わせて苦笑する。
こうして、辛く厳しい特訓の日々が始まった。




