第五話 白熊の魔人
「あづい……」
茹だるような暑さに、堪らず口をつく。
「夏ね」
「ですねぇ……」
青空に浮かぶ大きな入道雲と強い日差しが、本格的な夏の到来を知らせるようだった。
「水浴びしたら気持ちいいでしょうね」
「そうね」
木の間に張った簡素な天幕が、一応の日陰をもたらしてくれている。
けれど、吹き出る汗は止めどなく、時折抜けていくそよ風も思わせぶりで、かえってもどかしさばかりが募った。
とは言え、暑さも悪いことばかりではない。
「レイ」
針仕事の成果を披露するように、マシロさんが縫い上げた水着を体に合わせて見せてくれる。
「ナツキの家で見せてもらった雑誌に載っていたの。私には似合わないかもしれないけど……」
「いいですね。すごく似合ってると思います」
「よかった」
マシロさんは黒い水着を抱きしめると、安心したように表情を緩ませた。
古着をリメイクしたそれには、撥水性は微塵もない。水遊びのために仕立てたと言うだけの、ただの衣服だ。
それでも、特別に胸が高鳴るのは、男の性なのだろうか。あるいは、相手が彼女だからなのだろうか。
「……あれ、そっちの水着は? 」
マシロさんの水着姿に期待を膨らませていると、ふと手縫いの水着がもう一着あることに気がついた。
「これは、ニルのよ。使った生地は違うけど、デザインは私とお揃い」
「自分のよりも凝ってませんか? 」
「見た目よりも、着心地を大事にしてたから。激しく動いても大丈夫なように工夫したの」
「こっちも可愛いですね。気に入ってもらえるといいですね」
マシロさんは思いを言葉にする代わりに、こくこくと頷いた。
「ニルが散歩から帰ってきたら、みんなで川に遊びに行きましょうか」
「命令? 」
「命令です」
「わかったわ」
マシロさんの笑顔が、想う相手に届けばいい。そう感じるほどに、彼女の笑顔は優しく、またとても幸せそうだった。
しばらくして、ニルが散歩から帰ってくる。
けれど、その表情は険しく、全力で走った後のように汗をかいていた。
普段は可愛らしい丸い瞳が、何かを警戒するように鋭く、森の一方を穿つように睨みつけている。
「ニル、どうしたの? 」
「……ナワバリに誰か入ってきた」
迫る気配を感じて、ニルはいつでも飛び出せるように姿勢を低くする。
まもなく、木々の合間から大小二つの人影が現れた。
「…………」
大柄の者は、全身を覆う厚手の防護服を身に纏っていた。背中に担ぐ使い込まれたシャベルが、物々しい雰囲気を漂わせている。
「今すぐ、わたしの前から消えろ」
ニルが牙を剥き、侵入者たちを威嚇する。
すると、大柄の背後から、慌てた様子で白熊の少年が姿を現した。
「待って、狼のお姉ちゃん! ぼくたち、悪い人じゃないよ! 」
「そんなに濃い血の匂い、わたしは知らない」
「き、気のせいだよ! そうだ、今朝食べたお肉の匂いだよ、きっと! 」
「お前じゃない。隣のやつだ」
ニルの殺意に反応して、大柄が鈍色のスコップに手をかける。
「ふ、二人とも落ち着いて! 」
一触即発の空気に、少年は額に汗を浮かべながら訴える。
しかし、ニルは警戒を緩めるどころか、より一層敵意を強めた。
「勝手に人の縄張りに入ってきたくせに、偉そうなことを言うな。ここは、わたしたちの巣だ」
「それは、ごめんなさい……。でも、ラムネお姉さんに、この辺りだろうって聞いたんだ! 」
「ラムネさん……? 」
突然知った名前が出てきて、僕らは顔を見合わせた。
「もしかして、ラムネさんと知り合いなんですか? 」
「うん! 人間に襲われそうな時に助けてくれたんだ」
少年は、命の恩人との出来事を一頻り語ると、今度はこちらを値踏みするような視線を向けてくる。
「ぼくの名前は雪。魔導具を修理できる人を探してて、ラムネさんに相談したら、知り合いに腕の立つ技師がいるって紹介してもらったんだ」
「魔導具の技師ですか。こんな森の中にいるなんて、お二人は運がいいですね」
僕は白熊の魔人、もとい雪君の幸運を喜ぶように笑顔を返す。
(すぐに見つかるといいけど……)
ラムネさんは、嘘をつくような人ではない。
とは言え、悪い人間たちから遠ざけるための方便だった可能性は十分にある。
いずれにしても、僕にできることは少ない。突然の来客に、歓待を繕うくらいのものだろう。
けれど、薄ら笑いを浮かべる僕を、マシロさんとニルは両脇から無言で小突いてくる。
二人の目は呆れたようで、それでいて背中を押すような妙な熱を帯びていた。
「……え、まさか技師って僕のこと!? 」
二人とも明らかな返事はしてくれなかった。
それでも、こちらを誇らしげに見上げる姿が、何よりの答えに思えた。
「無理無理! 僕、技師の免許なんて持ってないよ! 」
「だけど、ラムネの義手は直していたわ」
「それは、たまたまで! 」
「首輪を外して、わたしを助けてくれただろ」
「壊しただけだよ! 」
「どっちも同じだ」
「どこが!? 真逆だよ! 」
「逆じゃない。わたしを助けてくれた時と同じ。必死に自分にできることはないかって、ずっと探してる」
ニルは、拗ねたようで不機嫌だった。
それでも、仕方ないなと笑ってみせてくる。
「困ってるやつがいて、お前は助けられるかもしれない。それなのに、何もしないなんて許さないぞ」
普段はがさつなのに、こう言う時に限って魔人の力に頼らないニルが、ひどく憎らしい。
「天邪鬼」
「どこが」
「私たちだけじゃ、足りない? 」
マシロさんとニルは、何やら言いたげでいて、それでいて首を横に振ることは許してくれなかった。
一部始終を見ていた雪君は、可笑しそうにお腹を抱えていた。
「変人だとは聞いてたけど、本当に不思議な雰囲気の人だね」
「レイを笑うな! 」
「だって、ぼくらを前にしても、気持ち悪いくらい普通だから。さっきから悩んでるのだって、王国の法律とか他人の目じゃない。魔導具を直せるか、それだけ。本当に、人間なのに、普通じゃない」
雪君は、自身と連れの得物を下ろすと、ひとり深々と頭を下げた。
「お兄さん。突然押しかけてご迷惑だと思いますが、どうかお願いします。ぼくのお姉ちゃんを助けてください」
彼の言葉と共に、大柄が重装備を解く。
諸肌を脱いで現れたのは、僕よりも頭ひとつ大きい、強そうで綺麗な女の人だった。




