第三話 致死の祝福
群れに大鷲の一家を迎えた翌日。僕らは森の小川へ出てきて、夕飯の食材を集めていた。
「アヅキって強いんだね」
「天月だ。アヅキではない」
「でも、アヅキの方が呼びやすいし、美味しそうだよ」
「理由になっていない」
一番に成果を上げてきた天月、もといアヅキさんは、上気したニルに捕まっていた。
「やめろ。俺には渦螺がいる」
「まだ何もいってないのに。もしかして、お前も未来がわかるのか? 」
「目は口ほどに物を言うものだ。それでなくとも、魔人は体に出やすい。強くなりたいのなら、感情のコントロールくらいはできるようになっておけ」
アヅキさんは欲情した狼から逃れると、水面に糸を垂らす僕の頭の上にとまった。
「重い……」
「不漁のようだな」
「……アヅキさんには敵いませんよ」
「やめろ。俺に当たるな」
アヅキさんは絡まれるのを嫌がり、ウズラさんのところへ飛び去ってしまう。
そんな彼は、単身で魔獣を仕留めて帰ってきた。それも、エルダーリザードと言う大型の魔獣である。
リザード種の尻尾は、独特ながら深みのある味わいと噛みごたえが特徴の高級食材だ。魔人や魔獣たちも好んで捕食するようで、成体で尻尾を有した個体は多くない。
しかし、河原の木陰に置かれた獲物は、太く立派な尻尾を完全な形で残していた。
「すっごくおいしそう!」
ニルは口に指を当てがい、肉の味を想像して笑顔を浮かべる。
「レイ、マシロ! 今日のお夕飯はステーキにしよう! 」
ニルは喜びを抑えきれないようで、ぶんぶんと音を立てて尻尾を振っていた。
そんな彼女の幸せそうな姿が、僕には見ていて辛かった。
「お魚も美味しいと思うわ」
隣で針子をしていたマシロさんが、作業の手を止めて慰めてくれる。
けれど、朝から始めた釣りは、日が傾いても釣果を出せていない。
「一匹も釣れなかったらどうしようかと思ってましたが……アヅキさんのおかげで、夕食はご馳走ですね」
「釣りは諦めるの?」
「日が落ち切る前に支度しないとですからね」
「お料理なら、練習したから。自信があるわ」
「マシロさん、いつも手伝ってくれますもんね。それに比べて……」
僕らは背後から聞こえてくる生々しい音に、恐る恐る振り返る。
そこには、魔獣の肉に夢中で喰らいつく狼がいた。
「あ……」
視線に気がついたニルが、顎を開けたまま固まる。
彼女は額に冷や汗を浮かべながら、赤く濡れた口元を拳で拭って誤魔化そうとする。
けれど、その瞳には、変わることなく底なしの欲望が覗いていた。
「お腹が、空いてたの……」
ニルは、咄嗟に言い訳を口にする。
しかし、僕らの反応が思わしくないと見ると、やにわに食事を再開した。
彼女は魔獣の肉を食い千切り、それを咥えたまま駆け寄ってくる。その勢いのまま、僕は餌付けをされるように、リザードの肉片を口の中に捩じ込まれた。
「独り占めしてごめんなさい」
不安で満ちた声とは裏腹に、膂力に手加減は一切感じられなかった。
「ひょ、はひふるほ!? 」
「一番おいしいところだよ。ふかふかで柔らかいし、ほんのり甘くておいしいだろ? 」
魔獣の血肉で溺れかけている僕に止めを刺すように、ニルは両手で口を塞いでくる。悪意の感じられない笑顔で、自分が感じた幸せを共有しようと嚥下を強いてきた。
僕のことを見下ろす瞳は、期待の色に染まっていた。はやる気持ちを抑えられないように、口を塞ぐ手が顔面を押し潰さんと力を増す。
飲み込むまで、解放されることはない。そう理解した瞬間、体が諦めたように生肉を受け入れてしまう。
「あはっ! 」
大きく隆起する喉から空気の絡んだ重たい音が鳴るのを聞いて、ニルが幸せそうに微笑む。
その瞬間、僕の中で何かが弾けた。
「……退いて」
怒りが込み上げてきて、ニルを思い切り突き飛ばす。
「……どうして? なんで、そんなこと言うの? 」
ニルは、信じられないと言った様子で呆然としていた。
「レイ。大丈夫? 」
マシロさんが慌てた様子で、僕の体を抱き起こしてくれる。
彼女は生肉を吐かせようと、何度も背中を叩いてくれた。力が足りないとわかると、血の通った髪を腕の代わりにして、思い切り腹部を押し込んでくれる。
しかし、出てくるのはわずかな胃液ばかりで、肝心の肉塊は腹の下で重く居座ったまま動く気配もない。
「……マシロさん、もう大丈夫です」
「でも……」
「平気ですよ。毒キノコを食べた時だって、なんとかなったじゃないですか」
マシロさんに心配をかけまいと、必死に笑顔を浮かべて見せる。
彼女は不安そうにしながらも、何も言わずに手を握っていてくれた。
しかし、怒ったニルが間に割って入ってくる。
「マシロ、邪魔しないで」
「ニルの邪魔をするつもりはない。でも、私たちは、生のお肉は食べられないから……」
「お前が好き嫌いするのは勝手だ。でも、レイは違う。わたしの取ってきたものは、必ず食べてくれるんだ」
「ニルは、レイが病気になってもいいの? 」
「うるさい! レイは、わたしのだ! お前には関係ないだろ! 」
「レイは物じゃない」
「レイのこと独り占めしてるお前に言われたくない! 」
「そんなつもりは……」
「わたしだって、レイと、もっと……もっと! 」
ニルはマシロさんの胸ぐらに掴み掛かると、首を絞めるように体を持ち上げる。
「ニル……、苦しい……」
マシロさんは掠れた声で助けを求めながら、地面を探すようにつま先を伸ばしてもがく。
「おい、いい加減にしろ!! 」
静観していたアヅキさんが、我慢の限界と大声で制止する。
「黙って見ていれば、お前らが言い争いをしてどうする。口論なら後にしろ。今はレイの心配をする時だろう」
「……わたしは悪くない」
「ニル! 」
「……何もしない癖に。わたしを群れから追い出したいなら、はっきりそう言え! 」
「違う! 私は、そんなこと一度だって考えたことない! 」
「…………黙れと言ったのが聞こえなかったのか」
アヅキさんが、重く静かな怒声を漏らす。
その瞬間、二人は恐怖に表情を凍らせて、膝から崩れ落ちた。
「頭を冷やしてこい。レイは、俺と渦螺で治療する」
アヅキさんは僕の上にとまり、大きな翼を衝立のように広げる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
マシロさんは、震える体を両腕で抱きながら、力無い足取りで木陰に入り座り込む。
「……よそ者のくせに」
ニルもアヅキさんを鋭く睨め付けると、怒りのままに駆け出して森の中へと消えてしまった。
二人と離れると、肩の荷が下りたような気分だった。張り詰めていた空気が弛んで、全身の力が抜けていくのがわかる。
「今のが、アヅキさんのスキルなんですか? 」
僕は、好奇心のままに尋ねる。
しかし、授かった祝福を明かすと言うことは、相手に自身の弱点を晒すことと同義だ。
「お前は、群れの長だ。この程度のことが出来ずにどうする」
アヅキさんは、軽蔑の目で見てくる。
僕は、咄嗟に反論しようとした。
けれど、彼は言い訳を許してはくれない。
「仲間の面倒も見れていないのに、俺たち家族を受け入れたのか。……いや、お前は自分の世話もままならないんだったな」
大鷲は、可哀想なものを見るような目で言う。
僕という存在の全てを否定されたように感じて、空気を取り上げられたかのように息が苦しくなった。
緩い窒息感には、覚えがあった。むしろ、馴染みさえ感じられる。
(……そうか。僕はレストを出た頃から、何ひとつとして変わってないんだ……)
月夜にマシロさんと出逢った時、何かが変わるような予感がした。旅先でニルと巡り合い、番になろうと告白された夜には、心から変わりたいと願った。
けれど、はじめから間違えていたようだ。
天から授かった祝福を拒絶する。それは、同時に自由や幸せを享受する資格を放棄することだったのだと、今更ながらに気がつく。
天に望まれ生まれ落ち、自身に宿る力の輝きを知りながら、しかし何も成そうとしない命に、一体どれほどの価値があるというのだろう。
「……ごめんなさい」
誰にともなく漏らした声は、当然のように誰にも届かない。
でも、それでいい。それでいいのだ。
河原に横たわり、空を仰ぐ。
黄昏時の空模様は、こんな僕にも居場所をくれるような、そんな気がした。
しかし、突然目の前が真っ暗になる。
「むぐっ……」
顔を覆うようにのしかかる物体を退かそうと、両手で抱え上げる。
丸くて温かい重みの正体は、ウズラさんだった。
そっと腹部に下ろしてあげると、彼女は再び体を登ってきて、顔の上で落ち着いてしまう。
(……重い)
先ほどとは違った息苦しさに悶えていると、頭痛を堪えるようなため息が聞こえてくる。
「みっともない真似はよせ。そんなに物欲しそうな顔をしなくても、誰も取りやしない。そいつのことは、お前が診てやれ」
「…………」
アヅキさんの許しを得たウズラさんは、いそいそと診察の支度を始めた。
普段の彼女からは、およそ生気と言うものを感じられなかった。
けれど、医療行為に従事している時の姿は、とても生き生きとしていて可愛らしい。
(……マシロさんに、ちょっと似てるかも)
ひとりでこっそり和んでいると、不意に胸に痛みが刺した。
(……この呪いも、どうにかしないと)
ニルが施した呪いは効果が曖昧で、何気ないひと言にさえ、いちいち罰を与えてくる。
しかし、執拗な束縛を面倒に思いながらも、解呪に本気になれない自分もあった。
呪いのもたらす痛みが、身を裂くほどの激痛だったなら、迷う余地などなかったように思う。
けれど、それはひどく弱々しくて、切なげに咎めるようだったから、どうにも手放すことができなかった。
ウズラさんに悟られないように、噛み傷だらけの腕を隠す。
何故そんなことをしたのかは、自分でもわからない。
それでも、そうしなければならない。そんな気がした。
誤字脱字を直していたら目が滑り始めたので、ちょっとだけ休憩。




