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幕間 枯れた心が注ぐもの

 僕らは、リリィへ続く街道を外れ、森で野宿をしながらニルの旅支度が済むのを待っていた。

 とは言ったものの、その身一つで生きてきた彼女には、空ける家もなければ、持ち出すような荷物もない。

 それでも、初夏の夜をマシロさんと二人で過ごしているのは、ニルが母から譲り受けた宝物を取りに戻りたいと望んだからだった。

「自分で隠したのに、場所を忘れるなんて、ニルも抜けてるね」

 風に靡く焚き火をいじりながら、誰にともなく呟く。

 すると、寝床の準備を終えたマシロさんが近づいてきて、静かに背中にもたれかかってきた。

 お互いに何を言うこともなく、密かに呼吸を合わせて、夜空に瞬く星を望む。

 けれど、薪が尽きる頃になっても、ニルが帰ってくることはなかった。

 寝床に入り、虫の輪唱に耳を傾けていると、慣れない旅による疲労もあって、すぐに眠りに落ちた。

 しかし、鞄を抱いて気持ちよく寝ていると、思い切り頬を引っ叩かれて起こされる。

「お腹減った」

 頭を膝で挟んでぺたんと座り、夜の端を背に見下ろしてくるニルは、ひどく不機嫌でいた。

「……他に言うことないの? 」

 痛む頬を摩りながら苛立ちを漏らすと、彼女は耳を折って落ち込んでしまう。

「叩いちゃって、ごめんなさい……」

「……そうじゃなくて。先に言うことがあるでしょ? 」

「……ただいま? 」

「うん。おかえり」

 僕は横になったまま鞄を開けて、飴玉をひとつ取り出してニルの唇に押し当てる。

(……ごめんね)

 寝起きの不機嫌をぶつけてしまった罪悪感に、飴を支える指が小さく震える。

 ニルはいきなりのことに困惑しているように見えた。

 けれど、すぐに唇の力を抜いて、差し出した指ごと謝罪を受け取ってくれる。

「汚いよ」

 お腹を壊してはいけないと、手を引こうとする。

 しかし、ニルは自分のものと腕を掴んで離してくれない。

 彼女は真剣に、丹念に指を舐めてくれる。それが、魔人にとって単なるグルーミング行為であると分かっていても、羞恥に顔が熱くなった。

 けれど、隣で寝ていたマシロさんが起きると、僕の腕は投げるように捨てられてしまう。

「ニルだわ」

 マシロさんはニルの姿を見つけて、心底嬉しそうに微笑んだ。

 対して、ニルの表情はぎこちなく、一向に返事をしようとしない。

「……ニル? 」

「どこか具合悪いの?もしかして、怪我でもした?」

「うるさい……! 二人とも、わたしに構わないで!! 」

 心配で声をかけるも、逆に怒らせてしまい睨まれてしまう。

 それでも、敵意を向けられたのは、ほんの一瞬のことだった。

「わたし、悪くない……」

 大きな声に固まる僕らを見て、ニルは瞳を揺らしながら悔しげに顔を伏せる。

「ご飯、今用意するね」

 ニルの笑顔が見たくて、僕らは急いで朝食の支度に取り掛かった。

 僕が火を熾している間に、マシロさんが木の葉の包みを解いて、保存していた枝肉から三人分を切り分ける。

 肉を焼き始める頃になって、ようやく森に朝日が差し始めた。

「動かないで。じっとしてて」

 調理中、マシロさんが垂れそうになっていた汗をか細い指で掬ってくれる。

「お水、飲んだ? 」

「そう言えば、起きてから何も飲んでません」

「これ、飲んで。もっと体、大事にして」

 マシロさんは水筒の中身をマグカップに注いで、僕の口元まで両手で運んでくる。

「じ、自分で飲めますから」

 気遣いに照れてしまい、素直にお礼を言うことができなかった。

 それでも、僕が水を呷るのを見たマシロさんは、ほっと表情を緩める。

「もう一杯、いる? 」

「大丈夫です」

「そう。よかった」

 マシロさんの静かな笑顔に、心を奪われる。

 しかし、カタカタと食事を催促する音が聞こえてきて、意識が現実に引き戻される。

「も、もう少しだから!いい子で待っててね」

「……早くして」

 ニルは、苛ついたように奥歯を噛んでいた。

 けれど、それも料理が完成するまでのことだ。

「これでよし! 」

 直火で焼いた肉を薄切りにして、ラムネさんから貰った黒パンの上に並べれば、朝食に相応しいトーストの完成である。

「どうかな?食べられそう? 」

 ニルは初めて見る食べ物を警戒して、安全を確かめるように恐る恐ると器に鼻を近づける。

 けれど、マシロさんがトーストに口をつけたのを見ると、今度は競うようにパンに食らいついた。

 彼女の食欲は底なしだった。僕らの分を譲っても、まだ物足りなさそうに口をいじっていた。

「ごめんね。お昼はもっとたくさん作るから」

 ニルは何か言いたげにしていたが、我慢するように口を噤んでしまう。

 そんな彼女を、マシロさんはおもむろに抱き寄せた。

「やっ! 離せ! 」

 ニルは体に触れられることをひどく嫌がっていた。

 しかし、手のひらが頭を撫でる感触に脱力してしまう。

「帰ってきてくれて、ありがとう」

「……っ!? 」

 マシロさんの幸せそうな表情に、ニルは驚いたように体をびくつかせる。

 彼女は溢れる想いを押し付けるように、マシロさんの胸に顔を埋めた。

「……ただいま、マシロ」

「うん。おかえり」

 それからしばらくして、彼女は大きく伸びをしながらあくびを吐いた。

「頑張ったね」

「うん」

「寝るなら着替えてからにしてよ」

「……ん」

「ばんざいしても、僕はやらないからね」

「じゃあ、いい」

 ニルは面倒くさそうに言うと、敷きっぱなしにしていた僕の寝床を見つけて、頭から潜り込んで丸くなる。

「ちょっと! 寝るなら、せめてマシロさんの方で……! 」

「レイ」

 マシロさんは、小さく首を横に振る。

 ニルは、すでに夢の世界にいた。

「早いうちに、ニルの分も用意してあげないと」

「ニルは、レイのにおいがする方が安心すると思う」

「なんだか動物みたいですね」

「ニルは女の子よ」

「……わかってます。だから、困るんです」

 ニルは魔人だ。人間ではない。

 それでも、高い知性を持っていて、人間と同じように言葉を話すことができる。

 だから、そう言う関係になることも、きっと叶うのだろう。

 あの日の出来事以来、彼女は明らかに好意を示してくれている。それはもう、甘くてしつこくて、チョコレートの食べ過ぎで鼻血が出る時みたいに、ただただ幸せな時間だった。

 けれど、折角取り戻した自由をその場で投げ売るような必死な求愛は、孤独の不安が見せる悪夢に惑わされているだけのように思えてならない。

「レイは、ニルと寝るのは嫌? 」

 マシロさんの質問に、すぐに答えは出なかった。

「……誰かの近くで眠るのは、遠足の夜みたいで楽しいです。目が覚めた時、そばに誰かいてくれると、なんだか安心できます。それに、ニルはふさふさで、もふもふですから。これからの季節はともかく、冬は気持ちよく寝られるかもしれません」

「なら、どうして? 」

「だって……まだ返事をしてないのに、僕ばかり貰うのは狡いじゃないですか」

「返事、ちゃんと考えてるのね」

「マシロさんとの約束も忘れてませんよ」

「私は十分もらった。だから、ニルのお願いを叶えてあげて」

「マシロさんの願いも、ニルの願いも叶えてみせます」

「違う。そうじゃない」

「これが僕の夢なんです。だから、頼りないかもしれませんが、頑張るくらいはさせてください」

 そう言葉にするも、胸の奥がずきりと痛んで苦しくなる。

「レイ……? 」

「……ごめんなさい。少しだけ嘘をつきました」

「わからないわ……」

「僕には、ハヤトの真似は無理みたいです」

「……勇者になりたかったの? 」

「願うだけで勇者になれるような薄っぺらい世界なんて、ごめんですよ」

「…………そうね」

 もしも、夢見る物語が叶うとするなら、それは可哀想な奴隷がお姫様になったり、魔人が万人に受け入れられる世界であるべきだ。

 二人は、僕とは違う。自力で夢を叶えようと努力をしている。夢のために歩み続けることができる。

 そんな二人を前にして、自分の慾を明かすことなどできるはずもなかった。

「ニルとは仲良くなれそうですか?」

「私は、そばに居られれば、それでいい」

「でも、お友達になりたいんですよね?」

「……そうなれたらいいなって、思ってる」

 マシロさんは弱々しく頷くと、穏やかに眠るニルの前髪をそっとかき分ける。

「ニルの夢が、素敵なものでありますように」

 僕らはニルの耳元で、楽しいことや美味しい食べ物の名前を思いつくままに囁く。その度に、彼女はいちいち幸せそうに破顔してくれるから、時間を忘れて言葉を紡ぎ続ける。

「こんな日が、ずっと続けばいい」

「僕も、そう思います」

 そんな願いばかりは、どうして叶わぬ夢を前に項垂れるような力のないものになってしまうのだろう。

 それでも、悪戯に目を覚ましながら、満ち足りた表情を浮かべる君の姿を見ると、沈んでいた気持ちが晴れるようだった。

はじめましての方は初めまして。一話から読んでくれている方は、お久しぶりです。

三章を書き終えましたので、これから少しずつアップしていこうと思います。よろしくおねがいします。

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