表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/28

第7話 『遥かな夢のつまみ食い』

※本文には過激な表現が含まれます。15歳未満の方は閲覧しないでください。また苦手な方も無理のない範囲でお楽しみください。

 場合により、本話はノクターンノベルズに移動する可能性があります。

 マシロが洗い物に出かけると、わたしはオスと二人になった。

「ねぇ、起きてる?」

 這い寄って顔を覗くと、小さく返事をくれた。

 でも、声はとっても眠たそうで、体の力も抜けてる。

「弱いくせに、警戒心ないね」

 縄張りの中で無防備に弛緩してるオスを見てると、なんだか歯が痒くなった。

「そうだ!」

 昨日の仕返しをしてやろうと思い、集めておいたビリビリを取りに行く。

「よかった。まだ残ってた」

 服の上にキノコを乗せて戻ると、オスは木に寄りかかってすやすや寝息を立ててた。

「……えい!」

「んぐ……!?」

 締まりのない唇にキノコを押し込むと、オスが苦しそうな声を上げる。

「んんっ!!」

 目を覚ましたオスは、驚いた顔でじたばた暴れた。

 でも、逃がしてなんてあげない。

「食べ物を粗末にしちゃいけないんだよ?」

 寝起きで頭がぐるぐるしてるオスを蹴り倒して、お腹の上に跨って口と鼻を塞いだ。

 すると、すぐに唾液と空気の絡んだだらしのない音が鼓膜を舐めてくる。

「えへへ」

 オスは目尻に涙を溜めてた。その瞳に映るものがわたしだけだと思うと、とっても気持ちが良かった。

 どんな顔をしてるか気になって、そっと手を退けてみる。でも、鼻水と涎がびょーんってついてくるから、折角の気分が台無しだ。

「ニル! いきなり何するの!」

 ベタベタの手をオスの体で拭いてると、肩を掴まれて怒られた。

「喉に詰まったらどうするの! 死んじゃうでしょ!」

「わたしがそばにいるのに、ぐーぐー寝てるお前が悪いんだ」

「信用してたんだよ!」

「何それ」

「ニルはこんなことしないと思ってたのに、見損なったよ!」

「う、うるさい! わたしのことをお前が決めないで!」

「んごっ!?」

「お前は弱いんだから、わたしに従ってればいいの!!」

 文句ばっかり出てくる口を埋めると、むしゃくしゃした気持ちが少しだけ晴れた。

「まだまだ、たくさんあるからね」

 胸の上に頬杖をついてお口を観察しながら、隙間ができたら丁寧に詰めてあげる。

 けど、不意に胸に伝う音が小さくなって、慌てて中身をかき出す。

「まだ死んじゃダメっ!」

「……誰のせいで! ごほっ……こうなってると、思ってるの!」

「お前が弱いのが悪いんだ!」

「僕は人間なんだよ! 魔人と同じにするな!」

 オスはわたしを押し退けて、顔を青くしながら水筒を掴む。

 でも、手が震えて上手に蓋が開けられないみたいで、すっごく苛々してた。

「ねぇ、助けてほしい? 指を舐めたら、開けてあげてもいいよ」

「いらない!」

 オスは負けず嫌いで、一人で頑張ってた。

 けど、最後に水筒を使ったのはわたしだ。いっぱい締めたから、人間の力じゃ開けられっこない。

「指を舐めるだけでいいんだよ? 誰も見てないよ」

 焦れたオスに言い訳をあげて、口の前に指を出してみる。

 すると、彼は悔しそうな顔をして、チロリと舌先で舐めてきた。

「……っ!!」

 温かくて柔らかい舌が触れた瞬間、体がぞくってした。胸がきゅってして、嬉しい気持ちがいっぱいに広がる。

 わたしの言葉を信じて縋ってくるオスが可愛かった。泣くのを我慢するところは、少しだけ見直した。ほんのちょっぴりかっこいいなって思った。

 でも、もっと情けない姿が見たくなって、つい涙袋に手が伸びてしまう。

「……ダメダメ! 約束を破るのは悪者のすることだ!」

 わたしは水筒を開けて、オスに水を飲ませてあげた。

 でも、中身は空っぽで、なんにも出てこない。

「……そうだ。魔法の袋だと思ってひっくり返したのに、すぐに水が枯れちゃったからポイしたんだった」

「ニル……!」

「わたし、悪くないよ! 飲んでいいって言ったのはお前だもん!」

「中身を捨てただけだろ!」

 オスは喉が渇いて我慢できないみたいで、汲み置きの生水を沸かし始める。

「くっ、体が痺れて……ああ、くそっ! 面倒くさいなっ!」

「下手くそだね」

「は?」

「へへ。怒っても怖くないよ」

「寝てる人間に毒を盛る卑怯者に言われたくない」

「毒じゃないよ!ちゃんと危ない模様のは捨てた!」

「どうだか」

「信じてないな!」

「言っとくけど、幻覚作用があるマヨイタケは、シビレタケと模様は同じだから。裏から肉の詰まり具合を見ないと、正確には判別できない」

「そうなんだ。知らなかった。次は気をつけるね」

「……次ってなんだよ。ふざけてるの?」

「……なんか、今日は怒りっぽいね。お前らしくないよ……?」

「……らしいってなんだよ。僕は元からこうだろ! 何も変わっちゃいない!」

「え、なに? ちょっ、わっ……!」

 わたしはオスの手に押されて、一緒になって地面に倒れる。

(どうしよう……襲われちゃった)

 人間の膂力は弱くて、魔獣と違って動きもとろかった。だけど、初めての経験にびっくりして、体が全然言うことを聞いてくれない。

 わたしを見下ろす目は、獲物を見るみたいに鋭かった。

「僕は無機物に手間を取らされるのが一番嫌いなんだ。それなのに、こんなに手が震えてたら、何もできないじゃないか」

「だ、大丈夫だよ。寝て起きたら治るよ」

「そんなことはどうでもいいんだよ。この後もやらなきゃいけないことがたくさんあったのに、このままじゃ役立たずと思われるじゃないか。どう責任取ってくれるんだよ」

「……でも、ビリビリして美味しかったでしょ?」

 怖い顔で見つめられるのが嫌で、笑顔を誘うように言ってみる。そうすれば、いつもの優しいオスに戻ってくれるんじゃないかって思った。

 でも、彼のいじわるな目は、わたしを捕まえて逃がしてくれない。

「謝りもしないで、どこに行くつもり?」

 抜け出そうとしてもがくと、頭の上で手首を掴まれた。蹴り飛ばそうと思っても、股に膝が刺さって力が入らない。

 胸の上にシビレタケを積まれる。聞かなくてもわかる。全部、わたしに食べさせようとしているキノコだ。そう思うと、体の芯からぶるりと震えた。

「口を開けて」

「無理だよ! そんなに入らな……んむぅ!?」

「ほら、柄がはみ出てる。唇を窄めて」

「うぅ……おっ、んっ。……ほう、はんはんらのい!」

「喋る暇があったら食べないと。息ができなくなるよ」

「やら……からだ、じくじくして苦しいの!」

「……そうだよ。シビレタケを食べると、体が苦しいんだよ」

「いや、やめて……」

「ニルも同じ思いをしろ。何も手がつかなくなるまで痺れさせてやる」

 本気のオスは遠慮を知らなかった。無理やりお口にキノコをねじ込んできて、指でお鼻も摘まれて、咀嚼しないと息ができないようにされる。

 キノコの中には、たくさん危ないのが混じってた。でも、そのことを伝えようとして口を空けても、すぐにいっぱいになるまで埋められちゃうから何も言えない。

(あ……これ、頭がぐるぐるになるやつだ……)

 噛み砕いた肉が胃に落ちると、お腹がふわふわしてきて、頭がじわってした。視界がぼやけた。呼吸をするたびに、心臓がバクバクいってうるさくなる。

 でも、たくさん息をしても、全然苦しいのが治ってくれない。

(やだよ、怖い!)

 体が自分のものじゃなくなるみたいで、不安でぎゅっと目を瞑った。

 だけど、オスが大丈夫って、優しく頭を撫でてくれた。

「ニル」

「あっ……」

 体は苦しいままだった。苦しくしてくるのはオスだった。なのに、心配するような目と手つきに、心からほっとする。

 薄く覗いた視界の中で、彼は小刻みに震えてた。自由の利かない体に苛々して、ぎりぎり奥歯を噛んでた。

 そんな人間のオスは、わたしだけに全力でいてくれていた。

 口の中に物を突っ込まれるのは嫌だった。

 けど、わたしが喉を鳴らして飲み込むたびに、彼は嬉しそうに笑ってくれる。言う通りにしたら、えらいって褒めてくれる。頑張ったねって、優しく頭を撫でてもらえた。

 だから、苦しいのを我慢してあげてもいいかなって思った。

 でも、それは負けを認めるみたいで嫌だった。

 わたしは考えて、大きく息を吸うふりをして悪戯を誘ってみる。

 けど、やり方を間違えたみたいで彼を怒らせてしまった。

「反省する気はないんだね」

「ち、違うよ! これは、お前が……!」

他人(ひと)のせいにするんだ。なら、こっちも手加減しないから」

「そうじゃないの! これは……」

「言い訳は聞きたくない」

「いやっ……くぅぅ、あぅ……」

 謝ろうとして口を開けると、キノコで口を塞がれそうになる。それが嫌で唇を閉じると、反省してないっていっぱい怒られた。

(どうしたら許してくれるの……?)

 唇でキノコを防ぎながら、オスの目を見て考える。

 そこで、ふとお母さんに叱られた時のことを思い出した。

(……そっか。わたしが食べさせた中にも、きっと危ないのが混じってたんだ)

 オスが怒ってるのは、お母さんと同じ理由だ。わたしが悪いことをしたから、苦しいのを我慢して一生懸命になってくれてるんだって思う。

 なら、もっと真剣に謝らなきゃいけない。誠意を見せないとって思った。

「……んっ!!」

 わたしは両手で服を捲ってお腹を晒した。

 格下相手に弱点を見せるのは恥ずかしかった。だけど、今は悔しいのを我慢して、ヒスイに教わったごめんなさいを伝える。

 なのに、いけないことをしてる背徳感と、お腹を圧してくる熱に浮かされて、体が勝手に盛り上がっていく。

 尻尾がぴんと立って痛かった。

 オスは気づいて、ゆっくり腰を上げてくれる。

 けど、今度は知らない疼きに襲われて、不安になって、追いかけるみたいに腰が浮いてしまう。

「……ごめんなさい」

 ぐるぐるな頭で、何とか言葉にする。

 でも、オスは信じてくれない。

「顔を隠してるけど、本当に反省してる?」

「してる。してるよ」

「何を? どんな風に? お腹なんか見せなくていいから、言葉で聞かせて」

「危ないの食べさせて、体痺れるの怖くて……だから……」

「なんだ。謝罪かと思ったら、自分の心配か」

「……許して! もう、いっぱいなの!」

「そんなこと言って、喉は焼けるくらい熱いよ」

「それは……!」

 喉をぐりぐりされると、身体が悦んでびくって跳ねた。

「わかるよ。本当は欲しいんだよね。さっき寂しいって言ってたもんね。食べ足りないんだよね」

 オスの言葉を聞くと、勝手に涎が溢れてくる。いじわるを誘うみたいにもくもく湯気が立ってるのが見えて、恥ずかしくて顔が熱くなった。

「よかった。ニルのお腹をいっぱいにするのが僕の夢だったんだ」

 わたしのにおいが、オスを狂わせていくのがわかる。

「お願い……優しくして」

「大丈夫。限界まで食べさせてあげるから」

 オスは優しいフリをして、ぐるぐるのキノコばっかり選んで口に入れてくる。

「くぅっ……優しくって、言ってるのに……」

 無理やり食べさせられて涙が溢れてくる。

 きっとオスは、わたしを許す気なんてない。さっきのわたしみたいに、いじめて楽しんでるんだってわかった。

「せっかく取ってきてくれたんだから、残さず食べないと勿体ないよね」

「うぅ……。ひっく……」

「そう。ゆっくりでいいよ。味わって食べて」

 前より口には余裕ができた。だけど、自分の意思で食べているんだって思い知らされてるみたいで、心臓がぞわぞわってする。

「美味しい?」

 嬉しそうな声が耳にかかって、体がひゃってなる。

「耳は、や……。大事なとこなの」

「そう。なら、大切にするね」

「あっ……だめって、言ったのに……」

 オスは付け上がるばっかりで、少しも正気に戻ってくれない。

 なら、早く楽になりたい。もう苦しいだけなのは嫌だった。

「……お願い。ちゃんと食べるから、お残ししないから……一個ずつ、ゆっくり食べさせて」

 自分でも聞いたことがない、恥ずかしくなるくらい甘く蕩けた声が出る。

 でも、オスは笑わないでいてくれた。

「幸福は恐ろしいものじゃないよ。悪いことでもない。幸せは生きる者の義務だから、素直に享受していいんだよ」

「でも……」

「他に見てる人はいないよ。だから、大丈夫。欲しいものは欲しいって言っていいんだよ。僕がなんだって叶えてあげるから」

 オスに頼めば、どんなお願いでも叶えてもらえる。そう思うと、わたしの中で何か重たい鎖が弾け飛んだ。

「わたしを見て」

「どんな風に?」

「それは……いや、ダメだよ。違うの。お前には言えない。それに、どうせ……」

 かっこ悪いお願いが溢れそうになって、拒まれるのが怖くって口を閉じた。

 なのに、オスは分かった目をして触ってくる。

 右耳に親指を入れられて穿くられた。顎を爪先で掠めるように、かりかりって引っ掻かれる。

 でも、どっちも下手くそで、気持ちいいところを避けるみたいで苛々する。

 くるくる。こねこね。さわさわ。彼の手つきはねちっこくて、もどかしい。

 だけど、触って欲しいところばっかりは絶対に弄ってくれない。

(そこじゃないっ!!)

 指を良いところに当てたくて、迎えるみたいに頭を動かす。

(ほら、ここ!)

 差し出した体に迫る指を見て、期待に思わず笑顔が浮かんだ。

 でも、あと少しのところで、急に手が止まる。

「……なんで?」

「指を舐めたらしてあげる」

「……そんなこと、しないもん」

「そうこなくっちゃ」

 勝負を挑まれたわたしは、いつもの癖で受けて立ってしまった。

 そこからは、たくさん苦しいが続いた。

「ん゛んっ。ふーーっ。んっ、んっ。はっ、はう。うっ。んむっ!もごっ、ぐっぽ。けほ、けほ……」

 包むみたいに耳を握られて血潮の音を聞かされながら、抵抗する口をキノコで塞がれて、許しを求める舌さえ自由を奪われる。

 だけど、もうどうでもいい。負けでも、それは毒のせい。わたしが弱いことにはならない。わたしはオスより強い。もし負けたとしても、次で勝てばいい。

 とにかく、さっきからキノコがご馳走に変わって見えて、きゅうきゅうお腹が鳴って、切なくって我慢できない。

「んあぁ」

 わたしは大きく口を開いて、ご飯をおねだりした。

 でも、オスの手が来たのを見て、きゅって閉じてやる。

「へへ。ばぁか」

「いい度胸してるね」

 乱暴に腕を掴まれて、逃げられなくされて強引に注がれるのは、とっても気持ちが良かった。

 それでも、休む暇がないと、段々と辛くなってくる。

 意識が遠のき始めて、飲み込むのが怖くなる。口に運ばれる食べ物の見た目が、味や触感と噛み合わなくって気持ちが悪い。

 汗をかき過ぎて喉が乾いた。絶え間ない食事に、息つぐ暇ももらえない。

(もう、むり……!)

 酸素が欲しくて、気道を通そうとえび反った。

 けど、オスにはおねだりと勘違いされる。

「待って……! もう、あたま、真っ白で……! がんがんって、ダメなの!」

「でも、美味しそうに食べてたよね」

「あとで食べるから……今は休ませて!」

 わたしは必死にお願いした。

 だけど、オスは聞いてくれない。

 感覚が遠い体で逃げようと暴れた。本当に息が足りなかった。頭が痛くて、何も考えられなかった。

「わたしの負けでいいから……許して」

 じわりと涙が溢れてくる。

 もう限界だった。

 なのに、体は少ない酸素を抵抗に使わずに、咀嚼に使ってしまう。

 こく。こく。

 喉に親指をあてがわれているせいで、飲み込む感覚が鮮烈に響く。

 オスは溢れる涙を指ですくって、わたしを透かして愛でてくれた。

 胸がじぃぃんってした。許してもらえたように感じて、全身の力が抜けていく。

 緊張で強張っていた体を投げ出すと、もう少しも力が入らなかった。

 でも、不意に視界を埋め尽くすご馳走が見えて、堪らず目を見開く。

「全部入れちゃえ」

「ひっ、や……」

 オスの言葉に痛いくらいの快感が奔った。

 彼が両手に集めたキノコは、とても一回じゃ食べ切れない量だった。それなのに、上から無理やり捩じ込んできて、かみ砕く時間もくれずに飲み込まされる。

 ごきゅっ。ごきゅっ。

 いやらしくて重たい音が響く。

 丸呑みでぷっくり膨らんだ喉を爪で潰されると、頭がチカチカして幸せだった。気絶しかけて、景色が白く飛ぶ。

 でも、落ちた側から口に残ったものを無意識に飲み込んで、刺激に叩き起こされる。

 そこからは、意識が飛んでは目覚めるを繰り返しだった。

 頭は眠るたびに全てを忘れて、体から送られてくる刺激に弾ける。

 でも、その味は憧れと似ていて、心地よかった。

(わたしのことも……)

 食べ残しを押し上げるくらい重たい唾液がゆっくりと頬を這う。

 わたしは弛緩したからだで、オスを誘った。

 でも、彼は一人勝手に目を覚ましてしまう。

「ニル……ごめん。こんなことするつもりはなかったのに……苦しかったよね、ごめんね」

 オスは真っ黒な目をしてた。覗いていると落ちてしまいそうなくらい暗い瞳だった。

 わたしが先に手を出したのに、自分のせいだってぼろぼろ泣いていた。さっきは涙を堪えてたのに、わたしに嫌われたくない。それだけを不安に思って、嗚咽を漏らしてくれている。

 寄る辺のない冷たい闇が、心を惹きつけて離さなかった。吸い寄せられるように伸びる手は、答えを知っているみたいだった。

 わたしは自分の心に任せてみる。

 気づけば、わたしは彼をひっくり返して、上から唇を奪っていた。

(だいじょうぶ。だいじょうぶだから)

 天地を返して、細かく砕いたキノコを唾液といっぺんに注ぐ。

 要らない理性を溶かしたくて、余計なものをねぶり取るように、絶え間なく想いを流し続けた。

 頭を掴んで口移しをされたオスは、たくさん泣いてた。でも、肌になじむ涙はあったかかったから、きっと間違ってない。

 くちゃくちゃ、どろどろ。

 頬に詰め込んだものを言葉の代わりに渡す。オスがくれた苦しいくらいの幸せを、わたしの嬉しいと混ぜて一緒にして返してあげた。

 酸っぱい匂いがツンと鼻についた。苦味と痺れで口がおかしくなって、緩んで閉まらない。

 食べきれないと思っていた幸福は、二人で分けるとあっという間になくなった。

 繋がる理由がなくなった唇で、惜しむように赤身を啄む。

 朦朧と熱に浮かされる中で、漏れる吐息が揃うのが堪らなかった。

「毒が消えかけてたのに、どうして……」

「わたし、まだいっぱいじゃないよ。ひとりで先にご馳走様なんて嫌だ。最後まで一緒がいい」

 オスが息を吐く度に、わたしの匂いがする。彼の声を聞いて、耳が悦んでるのがわかった。

 だけど、もうおあずけは嫌だ。

 わたしは目の前の幸せを貪る。

「……ぁ、すれ……」

 心地良い場所を探して、思うままにのたうち回る。

 でも、込み上げる熱を慰めるにはもどかしいばっかりで、苦しくて涙が溢れてくる。

 無知なわたしは、優しい彼の手を誘った。

「ねぇ。たくさん、きもちい、きもちいしよ?」

「ニル……」

「ぎゅーってしてあげるから、ね?」

 わたしはオスの欲に、こっそり自分の欲を混ぜる。

 でも、彼は何かに葛藤してて、全然構ってくれない。

 だから、ごろんて位置を替えて、手を出しやすいようにしてあげる。

「……ほら。こーやって、りょーてでお口広げて待ってるから。たくさんちょうだい」

 羞恥で真っ赤になりながらオスを唆す。

 すると、彼は最後の一つを拾い上げて、当たり前みたいに丸ごとくれた。

 だけど、彼もお腹が寂しいのか、妬むように見てくる。

(そんな目で見ないで)

 わたしは口の中身をオスと半分こした。

 普段なら、他人に食べ物なんて分けてあげない。でも、今は自然とそうしたい気持ちが込み上げてきた。

 優しいオスは目を回してた。獣の色が表に出てきてた。

「君って子は……」

「わたし、魔人だよ。人間じゃないもん」

 お互いに両手を伸ばして、喉に指を押し当てる。

 示し合わせなくても嚥下が揃った。誰かと一緒に食べるご飯は、とびきり頭が痺れた。

(これが、おすそ分け)

 口に親指を入れられて、他の指で頬を撫でられる。

「乱れて、ヘロヘロで。だらしない顔」

 オスの悪口が褒め言葉に聞こえるわたしは、きっとどこかおかしいんだと思う。

 しばらくして、毒が切れかけてくると、急に寒くなって体が震え始める。

「どこ? どこにあるの?」

 嫌な汗をかきながら、ご馳走を探して体を弄ぐり合う。

 あちこち服を捲った。袋の中も漁った。でも、何にもなかった。

 ふと心くすぐる匂いがして体を回すと、鈍く光るものが見えた。

(きっとここだ!)

 閉じた歯みたいな金物を引っ掻くと、中で何かがごそりと動いた気がした。

 逃げようとするオスの足を捕まえて、顔を下敷きにして、鼻で蓋を起こして先端を咥える。

 でも、マシロの足音が近づいてきて、それどころじゃなくなった。

 それなのに、今度は彼の方が抱きついて離してくれない。

「やめ……離れて。マシロに勘違いされちゃう……」

「そんな蕩けた顔して、何を勘違いされるって言うの?」

「ふぇ……?」

 気の抜けた声と緩み切った頬に気が付いて、慌てて手のひらで顔を隠す。

 口から滴る熱が、オスの服にシミをつくる。慌てて袖で拭いても、垂れて止まらなくて、お漏らししたみたいに広がって黒ずんでいく。

「……ごめんなさい。ごめんなさい」

 泣きじゃくりながら謝るわたしを、オスは許してくれた。涙を拭いてくれた。離れずにそばにいてくれた。

 おかげで、マシロに殺されずに済んだ。

「何してるの?」

「勝負、ですかね」

「そう。どっちが勝ったの? 尻尾振ってるから、ニル?」

「ち、違うよ!」

「じゃあ、なんで嬉しそうなの?」

「ひ、ひきわけにしたの! 今度決着つけようねって、約束もしたの」

 マシロに嘘をつくと、汗がだらだら流れた。触れ合うオスの心臓も、わたしに負けないくらいばくばくしてた。

 不安を埋めたくて、思いっきりぎゅってした。彼もわたしのことを頼ってくれた。

 でも、途中でマシロが割ってきて、離れ離れにされる。

「痙攣するまでしなくてもいいのに。二人とも顔が真っ青」

「「ぎもぢわるい……」」

「これ食べてたの? この前、毒って言ってなかった?」

「マシロさん、助けて……」

「それ、ちょうだい。苦しいの……」

「そんな目をしてもあげない。我慢して」

 マシロは優しく背中を摩ってくれた。

「なんで勝負することになったの?」

「昨日の仕返ししようと思って……」

「いたずらされたから、懲らしめようとして……」

「それは、ただの喧嘩。ほら、早く仲直り」

 わたしはマシロに言われて、オスと握手をさせられる。

 だけど、わたしは謝らなかった。

 意地を張ってるんじゃない。悪いことしたかなって思ってる。反省も、ちょっぴりしてる。

 でも、謝ったらもう終わりな気がして、この勝負をなかったことにはしたくなかった。

 黙ったままの彼も、きっと同じ理由で仲直りを嫌がってるんだと思う。そう思わないと、今にも泣いてしまいそうだった。

 そんなわたしたちを見て、マシロがぽんと拳骨を落としてくる。

「次は雷よ」

 マシロの両手は、バチバチ光ってた。

 力の差を見せつけられて、全身の毛が逆立った。このメスには勝てないって、本能でわかった。

「……いたずらして、ごめんなさい」

 わたしはマシロに言われて無理やり仲直りさせられた。

 でも、これじゃあ弱いって思われる。ダメなメスだって嫌われちゃう。

「んっ!」

 わたしはポケットに隠しておいたとびきりをオスの口に入れて、全力で逃げた。

 でも、彼の反応が気になって、途中で振り返る。

(喜んでくれるかな)

 わたしは期待に微笑む。

 彼は驚いてた。ちょっぴり怒ってた。でも、吐き出さないで全部食べてくれてた。

「あれ、美味しいかも」

「食べても平気なの?」

「はい。なんか身体が楽になった気がします」

 オスの笑顔に安心して、わたしは自分の巣に帰った。

「けふっ」

 小さな湖のほとりで、わたしは丸くなる。たくさん走ったのに、まだまだお腹が重たかった。

「楽しかった」

 今日あったことを思い出して見たくなって、そっと目を瞑る。

 すると、夢を冷ますみたいに夜風が吹いてきた。代わりに、白い幾望の光を浴びて、体が無理やりに火照っていく。

 幸せを塗りつぶそうとしてくる世界にムカついた。高く綺麗に輝く月を砕きたくなった。

 でも、オスの匂いが染みついた服が、今日の楽しいは本物だって教えてくれる。

「明日も会えるかな」

 手が汚れてるのが気になって、浅い水場まで起きて行く。

 湖面に浸かると、体の熱が浚われる。すると、本当の気持ちだけが残った。

「お母さん」

 幸せが抑えられなくて、天樹のふもとにいる家族を想って手を伸ばす。

「わたしね、空っぽだけど、食べてもらえたよ」

 ――だから、きっと。わたしの運命の相手も、必ず世界のどこかにいる。そう信じることができる。

「いつか、逢えるよね」

 人間のオスは、わたしを安心で満たしてくれた。

 だから、また昏い未来を歩いて行ける。

 もう寒いのは嫌だ。

「強くならなきゃ」

 わたしは決意して、縄張りを棄てた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ