第1話 NEET Meets Slave
「夢ってなんだろう」
僕は青空を見上げながら思う。
雲一つない快晴は無限の可能性で満ちているように見えた。
けれど、逆を言えばそれだけだ。まるでテレビでも見ているかのように、こことは別の世界であるように思えてならない。
かく言う僕には、夢と呼べるものがない。ついでに言うと仕事もない。いわゆるプー太郎。ニートと言う奴だ。
「何か面白いことないかなぁ」
そんなことを思いながら心揺さぶられる何かを探す日々も、早数年になる。
それでも、レストの風景を退屈と思う日はない。
僕が生まれ育ったレストと言う街は、王国と帝国との国境に位置している、海と森に挟まれた自然豊かな街だ。
治安は場所が場所なだけあって、中の下と言ったところ。とは言っても、深夜に一人で出歩かなければどうってことはない。問題があるとすれば、若者たちが王都に出稼ぎに出てしまって、万年労働者不足ということくらいだろう。
そんな訳で、今日の僕は早朝から漁船でお手伝いである。
「いいなぁ。“魚を引き寄せる光を放つ”スキル」
「そこは漁師の専売特許よ。それに、お前の“幸運”も捨てたもんじゃねぇ」
「そうですかね?」
「ここんところは不漁続きでな。それだって言うのによ、こんなに上等な鰆が拝めるなんて夢みてぇだ。これで当分家族を食わせていける」
「漁師さんの腕がいいんですよ」
「がははっ! 嬉しいこと言ってくれるじゃねぇの。ありがとうな。また頼むわ」
船に満載で操業を終えると、セリの声を背に市場を抜けて、書き入れ時の飲食店の給仕係に入る。
「“美味しくな〜れ!”」
制服に着替えてホールへ出ると、俗っぽいセリフが聞こえてくる。けれど、その呪文が“料理の美味しさを二倍”にすると言うのだから侮れない。
「嬢ちゃん、こっちも頼むよ」
「はい、ただいま!」
店主の一人娘さんが慌ただしく店内を駆け回る。その先々で呪文を唱える姿は、正直見ていて少し痛い。
それでも、この店が競合店より繁盛しているのは、ひとえに彼女のスキルとサービスあってのことだ。
しかし、彼女のスキルには代償がある。それを食べて消化するのも、自分の仕事の一つだった。
「ほら、早く食いなさいよ豚。あなたの餌よ」
「……いつものことながら、性格変わりすぎでは?」
「うっさいわね。中年相手の接客ばっかでストレス溜まってんのよ」
娘さんは四つん這いの僕の背に座ってタバコを吹かすと、苛立ちを発散するように頭を小突いてくる。
衝撃に視線を落とすと、そこには美味しそうなオムライスが置かれている。けれど、スプーンは用意されておらず、地面に直置きされた皿もよく見れば犬用の餌入れだ。
とは言え、畜生扱いはいつものことだ。
「いただきます」
イカれた待遇に驚くこともなく、獣のように顔を皿に近づける。そんな自分の滑稽な姿を見る時だけは、娘さんは心から楽しそうに笑ってくれた。
しかし、料理の味は最低もいいところ。スキルで旨みを搾り取った後の残り滓は、文字通り空っぽである。
「ご、ご馳走様でした……」
「よく食べたわね。えらいわ」
「褒められても困ります」
「それね、私が特別に作ったのよ。ねぇ、美味しかった?」
「いつも通りですよ。全く味がしませんでした」
「そこは嘘でも美味しかったって言いなさいよ」
そんな雑談をしている間に昼休憩は終わり、夜の営業に向けて支度をする時間になる。
「パートの人が来るから、もう上がって」
「はい。無理はしないでくださいね」
娘さんから貰ったお小遣い手に、今度は冒険者ギルドに向かった。
「こんにちは、Eランク君。今日も薬草集めかしら?」
「はい。依頼残ってますか?」
「ええ。あなたが受けると思って取っておいたの。受注金は銅貨十枚よ。どうする?」
「やります!」
「即決ね。達成ポイントの付与先はお友達でいいのよね?」
「はい、お願いします」
今日の稼ぎの九割を受付のお姉さんに支払って、依頼書の写しを受け取る。
薬草が自生する森に着く頃には、すでに陽が傾き始めていた。
「じゃあ、張り切って行こ〜!」
指定の薬草を摘み取りながら、夕食に使えそうな山菜も合わせて採取する。
森は幼少期から遊び場にしていたこともあって庭も同然だ。それに、友人のわがままで本物の薬草を使いお医者さんごっこしていたから、植生や分布も把握している。
「よし、こんなものかな」
雪解け水が流入する森は実り多く、素人でも数時間とかからずに依頼の品が集まった。
気づくと空には星が瞬いていた。耳を澄ませば魔獣たちの息遣いも感じられる。
「暗くなってきたし、納品は明日にして帰ろっと」
薬草と山菜を布に包んでポーチにしまうと、星の配置を頼りに帰路に着く。
とは言うものの、僕には帰る家もない。実家に帰ろうにも、学校の卒業と同時に家族には勘当された。両親は真面目な人で働き者だから、自分の甘えた生き方が許せなかったのだろう。
「だからって、戸籍まで抹消しなくてもいいのにさ」
そんな物騒な愚痴も、就労意欲のないニートが言うと同情の余地なしである。
それでも、生きるためだけに生きるのは辛い。夢なき日々を行くのは、暗闇に独りで潜るようなものだ。魂の輪郭を見失いそうで不安になる。
だから、僕は曲がりなりにも考えて、他人の夢に生きようと決めていた。
とは言え、何も大層な考えがある訳でもない。
「“幸運”か」
この世界に生を受けた人たちは、必ず一つの”スキル”を授かる。
千差万別な上に十人十色であるスキルは、それそのものが夢だ。けれど、能力は自分で選べない。だから、みんなは自身の力をどう活かすか、誰と生きるかを選択していく。
故に、強いスキルを持つ者は万人に愛され、無能は蛇蝎の如く嫌悪される。幸運な者は無条件に愛される。幸運が幸運を呼ぶ。けれど、不幸な者は人としてすら扱われず、時には処分されて名前すら残らない。選民思想と能力主義に支配された昏い世界だ。
かく言う自分は、スキルだけなら人に誇れる立派なものを授かっていた。けれど、それ以前に人間性が伴っていないから、街から排斥されてしまった。
ともかくだ。スキルを滅多に使わない僕には、街に一角たりとて居場所はない。
だから、今は子供の頃に友人たちと作った秘密基地だけが心から気の休まる場所だった。
「ただいま」
森の木々を柱にした簡単な掘立て小屋は、二十年近くの歳月を経て朽ち始めている。
それでも、雨風を凌ぐには十分に役に立つ。
「みんなで土木の勉強をしたっけ。もう忘れちゃったけど」
今から勉強し直しても、きっと同じ物は作れないだろう。そう思うと、幼い頃の自分たちが眩しく思えた。
小屋を建てる前に作った石積みも懐かしかった。思えば、ここが全ての始まりだった気もする。
「もしやり直せるなら、ここからがいいな」
そんな戯言と共に、石碑に野花を献花をする。
「さて、夕食の準備をしないと」
在庫少ない薪を使って火を起こす。
けれど、どうにも今日は上手くいかない。
そこで、秘密兵器の登場だ。
「ジェル状着火剤は偉大だね!」
宿泊施設のオーナーに譲ってもらった化学燃料は、太い薪に一瞬にして火をつけてくれる。おかげで闇に包まれていた辺りが一気に明るくなった。
蓋をなくした飯盒を取り出して、鍋がわりにしてお湯を沸かす。
適当に山菜を放り込むと、すぐに独特な香りが漂ってきた。
「どれどれ」
枝の箸で山の幸をつまむ。けれど、お世辞にも美味しいとは言えない。
「明日は食費と銭湯代を稼がないと」
ぐるぐるとお腹が切実に鳴く。空腹は何にも変え難い不幸だ。
それに、春になったとは言え川の水はまだまだ冷たい。夏になるまでは浸かるのは勘弁である。
「誰のお手伝いをしようかなぁ。宿屋のお兄さんには馬小屋の掃除を頼まれてたし、貴族の奥さんには飼ってるペットの餌やりをしてほしいってお願いされたっけ。教会の屋根の張り替えは……うん。余裕がある時にしよう」
生きるためにはたくさんのお金が必要になる。しかし、技能も資格もない上に、身分証明も叶わない人間を正規雇用するような物好きはいない。任せてもらえたとしても、子供でもできるような雑用がせいぜいだ。正規の労働ではない以上、貰えるお金も相手の気分次第で変動する。
今日の稼ぎは銅貨十二枚。およそ外食一回分くらい。比較的良い方だ。
けれど、手元に残っているのは銅貨二枚だけ。銭湯に入るには最低でも五枚は必要になる。
「よし、明日は貴族様のところに行こう。そうしよう」
貴族と言っても特別羽振りがいい訳ではない。それでも、報酬を前もって約束してくれているのは魅力的だった。それに、彼らは身分と家名に誇りを持っているから、よほどのことがない限り嘘はつかない。
「久しぶりに服も新調できるかな」
とらぬ狸の皮算用と言うべきか、はたまた自転車操業と言うべきか。どちらにしても、逼迫した生活が続くのは息苦しい。
それでも、嘘をついて生きるよりはよっぽど良い。
「なにか面白いこと起きないかな」
夢を探すようにして燃える熾を掘り返してみる。熱が放出されると、皮膚が焼けそうになる。けれど、心に火が付くことはない。
「……違うだろ」
性根の腐った自身にため息をつきながら、焚き火の後始末を始める。
しかし、不意に近くの茂みが揺れて手を止めた。
「何だろう。魔獣かな?」
僕は好奇心に負けて、危険を承知で茂みを掻き分けて進む。
しかし、物音の正体に目を見開いた。
「どうして、こんなところに女の子が……」
森の木々の隙間を縫うように落ちる月明かりの下。光に照らされて暗闇から姿を現したのは、傷だらけの女の子だった。