第1話 義手の商人、のちの雷撃の水精
河原でせっせと野宿の支度をしていると、いつの間にか食料の数が減っていることに気がついた。
「マシロさん。ここに置いてた物知りませんか?」
僕は木の枝片手に水遊びをするマシロさんに尋ねる。けれど、何のことかと首を傾げられた。
「お昼はお肉のつもりだったのに……」
昼食の食材を置いていた石を見ると、綺麗に肉だけが消えている。盗みの手も鮮やかなもので、体毛や唾液といった痕跡は残されていない。
「ちょっと不気味だけど……。まぁ、そう言うこともあるよね」
犯人が誰であれ、生き物にとっての空腹は耐え難い不幸だ。僕らが我慢をすることで満たされるものがあるなら、それはそれで構わなかった。
けれど、草むらから物音が聞こえてきたから警戒する。
(流石に、二度目はないからね!)
咄嗟にナイフを手に取り待ち構える。
しかし、奥から出てきたのは魔獣ではなく、一人の女の子だった。
「ごめんなさい。驚かせちゃった?」
罰が悪そうに苦笑する彼女は、両手を上げながらラムネと名乗った。
「ラムネ……」
「何も言わないで。親が適当につけた名前なの。……それより、いきなりで悪いんだけれど、お水を少しわけて貰えないかしら? 歩き続けで喉がカラカラなの」
疲弊した様子の来訪者に水筒を渡すと、詳しい事情を話してくれた。
「ラムネさんは、商人なんですね」
「父さんが商会をやっててね。あたしは、まだ見習い」
「どうして森の中に?」
「馬車で荷物を運んでいたのだけれど、途中で人攫いの一団に遭遇してしまってね。やり過ごすために身を潜めていたの」
「でも、お一人ですよね? 他に仲間の方はいらっしゃらないんですか?」
「初めは一緒にいたんだ。でも、飢えた魔獣に襲撃されてね。噂には聞いてたから、一応Bランクの冒険者を雇ってはいたんだけれど、あれは勇者でもないと無理ね」
「それで、散り散りになってしまったんですね」
「本当、化け物みたいな強さだったわ。スキルを使っても避けられるし、身体能力も異常に高かった。先輩たちも無事だといいけれど……」
ラムネさんは不安そうに俯く。
けれど、体の方は他に心配事があるようで、ぐぅと可愛らしい音が聞こえてくる。
「ご飯食べていきますか? お肉がなくて野菜ばかりですが、温かいスープくらいなら出せますよ」
「お世話になるわ」
ラムネさんは照れたように、小さく手のひらを合わせた。
僕はマシロさんを呼び戻して昼食の準備を始める。
「レイさんは奴隷と旅をしているの?」
「はい。昨日森で出会って、今朝出てきたばかりなんです」
「大丈夫? 付き合う相手は選んだ方がいいと思うけれど」
「人を見かけで判断するべからずです。僕もさっき思い知りました」
「あ、年下だと思って。商人相手に説教かしら」
「いいえ、そんなつもりは。ただ、損得勘定で目が曇ることもあるかなって程度のお話です」
「商人が利益だけを目的に動いてると思わないで」
「そう言うことなら、マシロさんのことは秘密にしてくれませんか?」
「そんな回りくどいことしなくても、恩人を売ったりしないわよ」
ラムネさんは腕を組んで立腹する。
そこへ、都合よくマシロさんが薪を抱えて帰ってきた。
「枝集めた」
「すごい量ですね。これだけあれば、夜まで持ちそうです」
「よかった」
僕は食材の下拵えをする。その間に、マシロさんが焚き火の準備を整えてくれた。
しかし、問題はここからだ。
「火がつかない!」
「お腹空いた」
「そんなこと言われても……」
「コツがあるのよ。ちゃんと見てなさい」
ラムネさんは慣れた手つきでナイフの背と火打石を擦り合わせる。すると、僕らの苦戦が嘘かのように、一瞬にして種火が出来上がった。
「すごい! もう薪が燃えてる!」
「空気の通り道を確保してあげるのが重要よ。火は生き物のように繊細だから、目をかけてあげて」
ラムネさんの助力もあり、つつがなく料理は完成した。
「あったかくて美味しい」
「お世辞でも嬉しいです」
「塩味が体に染みるわ」
僕らは黙々と食事を口に運ぶ。
途中、ラムネさんは幾度となく匙を落としていた。
「もしかして、手が不自由なんですか?」
「ええ。子供のころに事故に遭ってね。これで三代目になるかしら」
ラムネさんは利き手の手袋を外す。その下からは、鈍色の金属が出てきた。
「魔杖義手よ。見たことはある?」
「はい。ですが、随分と年季が入ってますね」
「新品は買えないからって、父さんが見つけてきてくれた骨董品なの。おかげで、サイズはぴったり。触覚まで再現してくれるおまけ付きよ」
「神経に同調する魔導具なんて珍しいですね」
「本当に、とんだ掘り出し物よね。ただ、性能が良いのも悩みものでね。整備ができる人がいないの」
「触ってみても良いですか? 魔窟由来の技術には興味があって」
「いいわよ。でも、関節部には触らないで。挟まると危ないから」
僕はラムネさんの冷たい手を取り、矯めつ眇めつ観察する。
「……そんなにじっくり見られると恥ずかしいわ」
「すみません。もう大丈夫です」
「喜んでもらえたようね」
昼食の後は、各々自由な時間を過ごす。
「本当に泊めてもらってもいいの?」
「布を一枚敷いただけの寝床になると思いますが、それでも良ければ、ぜひ」
僕は引き留めるように、ラムネさんにお茶を押し付ける。
「ところで、それは何をしているの……?」
「これですか? できてからのお楽しみです」
「砂弄りなんて、子供みたいで可愛い」
「これは下書きです!」
馬鹿にされた仕返しと、おもむろに義手を掴む。
「そこに寝てください」
「どうしてよ」
「言っても、大人にはわかりませんよ」
「わかったわ。もう、わからない人」
ラムネさんは諦めたように横たわる。
僕は義手を膝上に迎えると、カフスを外して袖を捲った。
「ちょっと、何をするの!?」
「じっとしていてくださいね。生身には触りませんから」
「そう言う問題じゃ……って、待ちなさい! この不快な金属音は何!?」
「さっきの清書です」
「なっ……!? もしかして、嫌がらせのつもり? 気に食わないなら、口で言いなさいよ! こんな仕打ち、あんまりだわ!」
「物の価値を上げる行為は、器物破損には当たりませんよ」
「ふざけないで! 悪戯にしたって質が悪すぎよ。あなた、弁償できるんでしょうね!」
「はい。ほら、直りましたよ。アップグレード完了です」
「え……?」
ラムネさんは真っ赤な顔で飛び上がると、慌てて義手の動きを確認する。
「え、嘘! 新品みたい!」
快調な動作を見た彼女は、怒りを高揚に変えて、ぱぁっと笑顔を咲かせた。
「一体何をしたの? 商会の技師でも直せなかったのに!」
「動作に関わる刻印が消えかけていたので、彫り直しただけですよ。あくまで応急処置です」
「謙遜はよして! こんなに鮮明な感覚と分解脳、高価な精密義手でもなければ不可能よ!あなた何者?」
「ニートよ」
マシロさんは突然、僕らの間に割って入ってくる。
「マシロさん、お昼寝してたんじゃないんですか?」
「日向があったかかったから。レイも水浴び、どうかなって」
「なるほど。いいかもですね。ラムネさんも一緒にどうですか?」
「遠慮しておくわ。水場は嫌いなの」
「それは失礼しました」
「違う。ラムネはウンディーネよ」
「ウンディーネ……?」
「ええ。そう言うこと」
ラムネさんは困ったように苦笑する。
「ラムネさんは、どうして水が苦手なんでしょうね」
「ウンディーネは制約を破ると、魂が消えて水になる」
「なるほど。そう言うことだったんですね」
マシロさんは髪を洗う片手間に、ウンディーネという種族について教えてくれた。
「つまり、水の近くで罵倒されると、ラムネさんがラムネになってしまうんですね。なんだか美味しそうですね」
「……えっち」
「言ってみただけなのに!」
僕は水浴びをしながら、軽蔑の視線も浴びる羽目になる。
体を綺麗にした後は、暗くなる前に夕食の準備に取り掛かった。
「あたし、帰れるのかしら」
夜が更けて、マシロさんが眠った頃。ラムネさんはぽつりと不安を漏らした。
「レストの街までなら、一人でも何とかなると思う。でも、リリィまでとなると、自力で辿り着ける気がしないわ」
「リリィと言うと、花の都ですね。王族の別荘もあるって聞きました」
「そうね。……だから、街に入るためには、最低でも身分の証明は必要になるわ」
彼女は空の鞄を開いて見せると、苦しそうに笑う。
「仲間と合流できればいいんですか?」
「ええ。でも、無理ね。帰り道なんて覚えてないもの」
「じゃあ、明日の朝までになんとかしますね。だから、もう寝てください」
「なんとかって……あなたは寝ないの?」
「ちょっと落書きしたい気分なので」
僕はラムネさんが眠るのを待って、徹夜で義手に刻印を施した。
「……何これ。刺青?」
ラムネさんは目覚めるなり説明を要求してくる。
「それは、コンパスです」
「方位磁石なら、もう持ってるわよ!」
「まあまあ、そう言わずに。試しに行きたい先や探したいものをイメージしてみてください」
「いや、イメージって……」
「ほら、呪文を引くみたいに」
「……一回だけよ?」
ラムネさんは訝しみながらも「荷馬車」と唱えた。
すると、義手の甲に光針が浮かぶ。
「何よこれ。地図まで出てきたわ!」
「魔窟探索用に普及している刻印ですよ。地上用に無理やり改竄してみました」
「針の指す方に馬車があるってことよね? わかりやすくていいわ」
「でも、目的地までの距離の単位が変えられなくて……。階層表記のままなので、そっちは参考程度にしかならないと思います。……どうでしょう? 役に立ちそうですか?」
「何言ってるの! 役に立つなんて物じゃないわ! あなた、最高よ!」
「それならよかったです。……言われても、元には戻せないので」
僕は極道顔負けの刻印から静かに目を逸らす。
「でも、いいの? こんなに高価なものいただいてしまっても」
「つまらないものですよ? 仮眠したら内容も忘れちゃいましたし」
「嫌よ、揶揄わないで。これほど美しい刻印を見るのは初めてよ。どこで買ったのか教えてちょうだい」
「だから、夜のうちに考えたんですって」
「……本当に?」
「僕、高等大学に通ってたんですよ。冥界学の魔窟科、不可思議材の……細かいことはともかく、刻印魔法が専攻だったんです」
「全く見えないわ。人は見かけで判断しちゃダメね」
ラムネさんはしみじみと頷いた。
「だけど、一生食い扶持に困らない技術よ。なぜ活かそうとしないのかしら?」
「ちなみになんですが、それでいくらくらいになるんですか?」
「最低でも、これくらいかしら」
「銀貨十五枚……? 意外と安いですね」
「ニートには大金ね」
「ですね」
「馬鹿! 金貨よ!」
僕とマシロさんは揃って首を傾げる。
「なんと言うか……」
「高すぎて、よくわからない……」
「でも、値段を聞いたらもったいない気がしてきましたね」
「うん」
「お代は払うから安心してちょうだい」
「そう言う意味で言ったわけでは! 僕が勝手に義手につけたものですし、個人的なプレゼントということでいいですよ」
「そういうわけには参りません!」
「ラムネがお仕事モードよ」
「じゃあ、お金の代わりに、ラムネさんの商会を見学させてください」
「それは構わないけれど……そんなことでいいの?」
「森を抜けたらリリィに寄る予定だったんですが、僕たちはこんな身なりなので。ニートでも街に入れるようにしてくれたら嬉しいなって」
「そう言うことなら、わかったわ。各部に話は通しておきます」
ラムネさんの目は言いたげだった。けれど、払えと言われて払える額でもないのだろう。渋々ながら納得してくれる。
「あたしは仲間と合流してから、街に衛兵を呼びに行くつもり」
「道中、気をつけてくださいね」
「二人もね。特にマシロさん。あなたは女の子なんだから、気を抜いてはダメよ。人攫いもそうだけど、魔獣にも十分に注意して」
ラムネさんは挨拶を済ませると、光針の示す方へと歩き出した。
けれど、彼女は商人見習いの女の子だ。その背中は、どこか頼りなく見える。
「ラムネさん! 危なくなった時は、こう、気合を入れてグーパンしてみてください!」
「何よ、それ」
「何事も、気合いが大事ですよ!」
「はいはい、覚えておくわ」
僕らはラムネさんと再会を約束して別れた。
「素手で魔獣に勝てるの?」
マシロさんは何気なく尋ねてくる。
「実は夜のうちに、こっそり魔改造したんです」
「楽しそうにして。悪い人ね」
「マシロさんほどじゃないですが、雷が出せるんですよ。連発こそできませんが、大半の生物は一撃です」
「ラムネが蒸発しないか心配」
「安全装置はつけたから大丈夫ですよ」
「使い方は教えた?」
「説明書は読まない派なんです」
そんなことを言っているそばから、森に雷撃が轟く。
「何よコレェ!? レイのバカァ!!」
ラムネさんの怒号が聞こえてきて、僕らはすっと背を向けて知らないフリをした。