モノローグ 「孤月灯滅」
銭湯を出た後、私はナツキの家でお泊まりをすることになった。
ナツキに貸してもらったベッドは、レイの寝床よりも心地良かった。隣で横になっている彼女も、すでに穏やかな寝息を立てている。
それに対して、私は頭のお団子が気になってなかなか眠れなかった。ナツキは髪が痛むからと言って結ってくれたけれど、どうにも違和感が拭えずに目が冴えてしまう。
「ごめんなさい」
私は布団を出て、そっと髪を下ろした。
夜風を求めて窓を開くと、空に大きな月が浮かんでいた。その淡い光を眺めている時だけは、漠然と郷愁のようなものを感じて落ち着くことができた。
「レイ」
気づけば彼の名前を口にしていた。
レイはハヤトの家に泊まっている。だから、明日になれば会える。
けれど、私は彼が別れ際に浮かべた寂しそうな表情が忘れられずにいた。
「私は月を見てる。あなたは何をしているの?」
私は慰めを声にした。けれど、彼の耳に届くはずもない。
それでいて、痛むのは私の胸ばかりだ。
「わからない……」
ふと帰路の出来事を思い出す。
レイの隣は、ナツキだけのものだった。よそ者の入り込む余地はなかった。
「私もレイと話したいこと、いっぱいあった……」
ずっと、ずっとだ。私は彼にお礼を言いたかった。
なのに、彼の横には常にナツキがぴったりとくっついていた。前屈みになり顔を見上げる彼女はとても幸せそうで、それを見ると喉が詰まって声が出なかった。
私の目は節穴だった。レイは路傍の石ころなんかじゃない。みんなに好かれる星のような人だった。
たった一日だ。眠って起きて夜になる間に、私だけの特別は終わってしまった。
「私だけって言ったのに……!」
私は窒息感に喘ぐ。空っぽの手のひらが辛くて、きつく自身の体を抱き込んだ。
すると、望んでもいないのに大地が軋み、辺りの空気が一瞬にして凍る。
舞う雪を追いかけると、ベッドの横に立てかけられたコルクボードが目に入った。そこには、たくさんの写真が飾られていた。しかし、私の姿はどこにも写っていない。そんな当たり前な現実が耐え難くて泣きそうになる。
「レイなんて嫌いだ」
不快だ。ひどく不愉快だ。気持ち悪い。今にも吐きそうだ。
なのに、どうして、私は彼のことが気になるのだろう。
“レイを馬鹿にしないで”
ナツキの言葉が胸に刺さる。
「……私はレイの弱みを利用してただけなの? だったら、どうして忘れられないの?」
私は必死に理由を探す。
けれど、辿り着いてしまえば単純なことだった。
(――ああ、そうか)
私はやっとの思いで見出した幸せを他人に掠め取られて、逆恨みをしていたんだと気が付く。
普通のナツキたちが、ニートのレイを選ぶのは自由だ。それなのに、いつか私は、彼が自分だけのものであるように思っていた。
嫌われて当然だ。そう思った。こんな悪い子は、特別に選んでもらえるわけがない。もう二度と、この手は埋まらない。そんな恐怖に、世界がぽろぽろと崩れていく。
いっそ本当に壊れてしまえと、そう願った。
「綺麗ね」
私は夜に映える白を憾んだ。
けれど、月は闇夜とあればこそ輝くものだ。
ならば、私の居場所は、ここの他にない。
「助けて」
私は歪んだ氷輪に切なる夢を見る。
けれど、それは決して叶うことのない苦いだけの悪夢だった。