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4. 涅槃

 ゴブリンは森の中で走るのに長けている。身体は小さいものの、猿のように枝にピョンと飛びついて藪を軽々と越えてくるその俊敏な身のこなしは見事で、徐々に距離は詰められてしまっていた。


 ガサガサと迫ってくる多数のゴブリンの足音に、ベンは顔面蒼白となる。


 はぁはぁはぁ……、ダメか。


「早く早くぅ!」


 シアンは楽しそうにクルクルと回りながら言った。


「チクショー!」


 ベンはそう叫ぶと覚悟を決め、下剤を取り出して一気にあおった。


 クハァ!


 口の中に広がるドブのような臭さに目を白黒させながら必死に逃げる。


「ほうら来たよ! がんばれー!」


 シアンは無責任に応援する。


「くぅ……。便意、便意! 早く! カモーン!」


 癪には触るが、今は生き残らなくてはならない。ベンは泣きそうな顔で便意を待った。


「グギャァァァ!」


 ついに追いつかれ、先頭のゴブリンがこん棒を振り下ろしてくる。


 うわぁ!


 何とかかわすものの、バランスを崩し、藪に突っ込んだ。そのすきに周りを囲まれてしまう。


 二十匹はいるだろうか、口々に


「ギャッ!」「ギャッ!」


 と、嬉しそうな声を上げ、勝利を確信した醜いにやけ顔で距離を詰めてくる。


 その時だった、


 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――。


 ベンの下腹部に猛烈な痛みが走り、腸がグルグルとのたうち回った。


 ぐぅぅぅ!


 ベンは歯をギリッと鳴らし、下腹部を押さえる。と、同時にポロン! という電子音とともに青いウインドウが開き『×10』と、表示された。


「キタキター!」


 シアンは満面の笑みで叫びながら、ベンの周りをおどけながら逆さまなって飛ぶ。


「これで最後ですよ!」


 ベンは腰の引けた体勢で、脂汗を垂らしながら短剣を構える。


 すると、一匹のゴブリンがこん棒を振り下ろしながら突進してきた。


 ベンは左手で下腹部を押さえつつ、半ば朦朧としながらひらりとこん棒をかわし、カウンターでのど元を切り裂いた。


 さっきとは全然違う洗練された身のこなしに一瞬ひるむゴブリンたち。しかし、魔物の本性として人間は襲わねばならない。


 ゴブリンたちは興奮し、威嚇(いかく)の声を叫びながら一斉にベンに襲いかかる。


 しかし、ステータスが十倍となったベンは、すでに中級冒険者レベルの強さだ。内またながら軽やかな身のこなしでゴブリンの間を()い、まるで舞を舞うように素早く短剣を正確に振るい、のど元を切り裂いていった。


 しかし、ベンも無事ではない。動けば動くほど便意は悪化する。


 ぎゅるぎゅるぎゅ――――。


 くふぅ!


 思わず膝をついてしまうベン。


 ポロン! と鳴って、『×100』と、表示されるがそれどころではない。


 ギリギリと下腹部を締め付ける強烈な直腸の営みに、肛門の突破は時間の問題だった。


「キタキタ――――!」


 シアンは嬉しそうにクルクルッと回る。


「ク、クソ女神! も、漏れる……」


 なんとか歯を食いしばって必死に暴発を押さえようとするが、肛門はもはや限界に達していた。暴発したらスキルは解除、ただのベンに逆戻り。それはそのまま死を意味する。


 その時、子供の頃にじいちゃんに毎朝暗唱させられていた般若心経が、なぜか自然と口をついた。


観自在菩薩(かんじざいぼさつ)行深般若波羅ぎょうじんはんにゃはら……」


 仏教の一番基本のお経は独特のイントネーションで、唱えているうちに瞑想状態に近くなり苦痛を和らげる。


羯諦羯諦(ぎゃーてーぎゃーてー)波羅羯諦(はーらーぎゃーてー)!」


 ベンは何とか暴発を食い止めることに成功した。


 はぁ……、はぁ……。


 息荒く肩を揺らすベン。


 ゴブリンは調子悪そうなベンを見て、チャンスと襲いかかってくる。


 ベンはユラリと立ち上ると、短刀をしまい、トロンとした目で迫りくるゴブリンたちを睥睨(へいげい)した。


「ギャ――――!」


 奇声を上げながら飛びかかってくるゴブリンのこん棒をユラリとかわし、顔面にパンチを叩きこむ。パラメーター百倍の人類最強のパンチはゴブリンをまるで豆腐みたいに粉砕した。


 そして内またでピョコピョコっと次のゴブリンのすぐ横に迫ると、今度は裏拳でゴブリンを粉砕する。


 それでもまだゴブリンたちは諦めない。


 ベンは苦痛に顔をゆがめ、ギリッと奥歯を鳴らす。


 五、六匹倒した時だった、


「矢が飛んで来るよー」


 シアンが後ろを指さした。


 ベンは振り返る。すると何かが飛んできていた。無意識に手が動き、ガシッと握る。それは矢だった。奥に弓を構えるゴブリンがいたのだ。


 ベンはギロリとその弓ゴブリンをにらむ。


 シアンがいなかったらやられていた。例えステータス百倍でも、相手が弱くても戦場では『隙を作ったら負けだ』ということを思い知らされる。


 ベンは自分を戒めながら、つかんだ弓を逆にダーツのように投げ、脳天に命中させた。


 最後にまだしつこく襲ってくる残りのゴブリンを処理し、ベンはゴブリンたちを一掃させたのだった。


 しかし、勝利の余韻などない。括約筋がさっきから悲鳴を上げている。もう何秒持つか分からないのだ。


「あー、漏れる漏れる!」


 急いでベルトを外そうとしたとき、シアンが嫌なことを言った。


「待って待って! これからが本番だゾ!」


「ほ、本番!?」


 直後、遠くで嫌な声がした。


「キャ――――! 助けてぇ」


 女の子の声だった。その叫びには鬼気迫るものがあり、ただ事ではない様子である。


 そんなの知るか! それより早く出さないと!


 ぐぅ~、ぎゅるぎゅるぎゅる~。


 腸が過去最高レベルで盛大な音を立てている。運動しすぎたのだ。人のことなど構っていられない。今ここにある脅威、便意こそが解決すべき課題なのだ!


 その時、ポロン! と鳴って、『×1000』と、表示される。


「キタ――――! 千倍! ほら、女の子が待ってるゾ!」


 シアンは嬉しそうに言うが、冗談じゃない。


 ステータス千倍となれば勇者の十倍以上強い。きっと女の子を襲っているトラブルなど瞬時に解決できるに違いない。しかしそれは便意が絶望的にキツいということも意味していた。


「いやぁぁぁ!」


 女の子の悲痛な叫びが森に響き渡る。


「ほら、宇宙最強! 急いで、急いで!」


 シアンは楽しそうにベンの周りを飛びまわりながら言う。


 ベンはギュッと目をつぶり、ギリギリと奥歯を鳴らすと、


「くっ! ブラック女神め!」


 と、悪態をつき、下腹部を押さえながらピョコピョコと駆け出した。脂汗がぽたぽたとたれ、真っ青になりながらも歯を食いしばり、声の方向を目指す。


 このクソ真面目なところが過労死の原因だというのに、転生してもまだ治らない。ベンは朦朧とした意識の中で『ここでの寿命も長くないな』と悟った。





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