ひこうき雲を追いかけて
ショウタがいなくなってから、ケンカ相手がいなくなったせいか、十歳を過ぎて、ぼくもだいぶ大人しくなった。
昼間、ずっと一人ぼっちじゃ寂しいだろうからと、家の隣にあるヒロさんとカオルさんの仕事場に、毎日一緒に連れて行ってもらえるようになった。
作業台の下に置かれた、小さなクッションの上で、にぎやかなおしゃべりの声を聞きながら、ウトウトするのが日課となった。
お昼になると、おしゃべりなおばちゃんたちから、時々、お弁当のおすそわけをもらえるのも、楽しみの一つだった。
たまに、バイクの音に反応して、ワンワン吠えて叱られたけど、「看板犬」なんて言われて仲良くしてもらっていた。
一匹になってから2年後の夏、仕事場から歩いて3分くらいの所に引っ越しをした。
新しい家の匂いに興奮して、ぼくは新品の畳の上に思わずウンチをしてしまった。
「こら~!」
「ちょっと、ちょっと~!」
ヒロさんとカオルさんに同時に叱られたけど、
「ま、運がついたってことで・・・」
と許してもらえた。
今までは2階に住んでいたから、ベランダにしか出られなかったけど、今度は庭に出られるから、トイレもカサカサした紙の上じゃなくて自由にできる。やっぱり、草の感触と匂いはたまらない。
ちょっと外に出たい時や、トイレに行きたい時は、台所の勝手口の扉をカリカリとかけば、誰かが扉を開けてくれた。ぼくはもう、脱走を試みるほど若くなかったから、リードも付けずに自由に庭に出してもらえるようになった。車にぶつかるのは、こりごりだし。
新しい家での生活にも慣れた頃。
「ボーボの口の周り、すぐ茶色くなるね」
「ボーボ、口臭~い!」
子どもたちに近付くと、そんなことを言われることが多くなった。
「口臭すぎるの、あんまり良くないことみたいだよ」
カオルさんが気にして、病院に行くことになった。いつもの、T先生だ。
先生は、ぼくの口をパカッと開けてクンクンとぼくの口の匂いを嗅ぐと、
「結構ひどい歯槽膿漏ですね。あまり軽く考えない方がいいかもしれません。このまま治療しないでいると心臓病になることもあるから、抜歯した方がいいですね」と言った。
結局、そのままぼくは置いていかれ、歯を抜く手術をすることになった。
なんだか、T先生のところに来るといつも置いていかれて、急に眠らされて、起きるとぼくのどこかが少し痛くてちょっと変になってて、しばらくすると調子が良くなる気がするんだけど、ぼくの気のせいかな。
今回も、夕方家に帰ったら、なんとなくご飯が噛みづらくなってて・・・
・・・ん?
だいぶ、歯が足りないじゃないか!
だけど、どうやら悪い歯を抜いたおかげで、子どもたちから「口くさくん!」とか言われなくなったから、T先生のしたことは、やっぱりぼくにとって良いことだったみたいだ。
◇ ◇ ◇
ショウタを見送ってから3年半ほど経った2月20日のことだった。
朝から、ぼくはケホケホとカラ咳みたいなのが出て、気持ち悪かった。時々、ケッケッと吐きたいのに吐けないでいるような、変な咳が止まらなかった。
カオルさんが寄って来て、
「この前、盗み食いとかしたからじゃないの?大丈夫?」と背中をさすってくれた。
数日前の夜、子どもたちが一瞬席を離れたすきに、ぼくはお皿のすみに除けられていた3センチくらいの細い鳥の骨をこっそりいただいて急いで飲み込んだけど、バレバレだったのだ。
「やだなぁ。もしかして、それがどこかに引っかかってるのかもよ」
とカオルさんは心配になって、午前中にぼくを病院へ連れて行くことにした。
T先生は、何度もゆっくりと聴診器をあててから、ちょっと難しそうな顔で、カオルさんに話をしていた。
「心臓音がおかしいですね。かなり危険な状態かもしれません。抜歯したのがちょっと遅かったかのかも・・・」
歯の経過もあまりよくなく、レントゲンや血液検査のために、ぼくはその日も、そのまま半日入院することになった。
先生に抱きかかえられて、哀しい目でカオルさんに訴えてみたけど、、
「今回は、検査だけだからね」と、頭をひとなですると、ぼくを置いて帰ってしまった。
夕方、カオルさんが迎えに来てくれた。
T先生と、とても神妙な面持ちで話していた。
「残念ですが、心臓に血栓ができていて、年齢的にも病状でも、手術はもう無理な段階です。その血栓がはじけたり、脳に回るといつ何があってもおかしくないから怖いんです」
「もしかして、もしかしなくても、もう、あまり長くないかもしれないってことですか」
カオルさんは少し目に涙をためて、腕の中にいたぼくを見て、きゅっと腕に力を入れて抱え直した。
家に着いてからも、ぼくはあまり調子が良くなかった。一度咳込んだあと、クルリと宙を見回すように頭が揺れてから、パタッと横に倒れてしまった。
苦しくて少しもがいた。
ショウタが苦しそうに転がっていた姿を思い出していた。
やっと落ち着いて、しばらくちょこんと座って同じ姿勢のままじっとしていた。
「先生が言っていた通り、血栓がはじけたのかな・・・」
カオルさんたちが、心配そうにぼくのそばにいてくれた。
後ろ足がふらついて、あんまりちゃんと歩けない感じがした。
とてもくたびれていたので、おとなしくこたつ布団のへりで眠っていた。
カオルさんが、子どもたちに話している声が聞こえた。
「ボーボがさびしくないよう、いっぱい声をかけてあげよう。もっとたくさん、色んなところに連れて行ってあげれば良かったね・・・」
一日中、落ち着いている日もあった。でもちょっとでも咳込むと、カオルさんは飛んできて、おそるおそるぼくの体をさすってくれた。
「高齢だから仕方ないとは言え、どうしてあげたらいいのか、ただその時を待つしかないのがつらいのよ。本当はボーボが心配で、どこにも出かけたくないんだよ」
カオルさんは、つらそうな声でぼくに話しかけ、ごめんね、と言って、出たり入ったり忙しそうだった。
◇ ◇ ◇
2月24日
朝、ぼくはまた咳込んだ後、ヨロヨロとして、またバタリと倒れてしまった。
苦しくて、ちょっと鳴いた。
起き上がりたいのに、足が空をかいて、思うように動けなかった。
カオルさんが急いで来て、大丈夫?とそっとなでてくれたけど、触れられると痛かったりすることがあって、唸ってしまった。
「苦しい?触ると痛いの?」
カオルさんは、ぼくの気持ちを分かってくれたみたいで、ただ寄り添って、発作が治まるのを待ってくれた。
発作を起こして倒れる、その後、落ち着くとまたしばらくちょこんと座って、同じ姿勢でじっとしている、というのが、ぼくの体調の悪い日の流れになっていた。
発作が治まると、カオルさんは、ぼくをそっと抱き上げた。
いつもなら、もぞもぞと自分の心地いい体勢に直すのに、ぼくは体に力が入らなくて、抱きあげられたまま、くたりと身をあずけるしかできなかった。
夜、カオルさんが日記を書きながら、時々鼻をすすっているのが聞こえた。
〈ボーボの容体が目に見えて良くない方に行っているのが分かるのがつらい。
なるべく出かけず、ボーボに寄り添っている。
仕方ないという思いとやるせなさが湧きあがる。何もできないのがつらい。
とにかく哀しい目で見ないようにしよう。
ボーボが最後まで家族と楽しい気持ちでいられるように。
ボーボの中で、私たちがいつも笑顔だったという記憶で終れるように。
たくさん声をかけて、たくさん触って、たくさん大好きと言ってあげよう。〉
2階の寝室で、カオルさんの枕元にぼくのクッションを置いて寝ていると、夜中にまた発作が起きた。何度も咳込んで、息をするのが苦しかった。
ハッハッと速く荒い呼吸をしていると、カオルさんが聞こえて目が覚まして起き上がり、ぼくの方を覗いてきた。ぼくも、薄暗闇の中、不安になって見つめ返した。
そっとカオルさんの手が伸びて来て、ぼくの呼吸が落ち着くまでなで続けてくれた。
◇ ◇ ◇
2月25日
朝も再び、発作が起きた。
午前中、カオルさんはぼくを連れて病院へ行った。
「正直、このままの心拍数だと、一か月ももたないかもしれません。いつ急にその時が来てもおかしくない状況です」
T先生は、決して気休めを言わない。
「寝ている間は、自律神経があまり働かないせいで、やはり夜中に発作が起きやすい。心拍数を抑える薬を増やし、それで落ち着かなければ、心臓が働き過ぎているから、かわいそうですが、もう無理だと思います。
でも、奇跡的に、心拍数が減って落ち着けば、あと2~3年頑張れる可能性は出てくるんですが・・・
今日出す薬は3日後くらいに効果が現れるので、その状態を診てみないと、今は難しいとしか・・・」
T先生の言葉に、カオルさんは返事もできないまま、哀しそうな深いため息をついた。
ぼくは自分の体がどうなっていくのか良く分からなかったけど、マズイ薬をなんとか飲み込んだ。
その夜もカオルさんの日記をつけるのが、いつもより時間がかかっていたように感じたのは、ぼくの気のせいなのかな。
〈いつも的確で、無駄に期待を持たせるような楽観的ななぐさめは言わないT先生。
ボーボの状態は良くない。
この一週間で、ボーボはみるみる容体が悪化しているのがよく分かる。意識が遠のく回数も増えている。
子どもたちも、不安そうだ。
でも、ボーボは交通事故に遭った時だって、奇跡的に助かった強運の持ち主。
百獣の王なんだから。
ボーボ、頑張れ。
明日も明後日も、ずっと朝を迎えられて「不死身のボーボ」「百獣の王」の名を、もう一度証明してくれますように。〉
◇ ◇ ◇
2月26日
薬が強かったのか、朝起きて吐いた。
吐いたらスッキリして、いつも通りのぼくだった。
ヒロさんとカオルさんは、ぼくの運動量を減らすように言われたらしく、登ったり降りたりの運動は危険だというので、ソファーまで片付けてしまった。
だけど、ぼくはみんなの心配をよそに、よく動いた。
上向きになって背中をすりすりしたり、外に出たいと、ドアをカリカリしたり吠えたりした。
お腹にやさしくて力が付く消化の良いものをって、カオルさんがうどんやおかゆを作ってくれた。
おいしくて、薬と一緒にたいらげた。
今日は、毎月行っていた床屋さんを予約していたのに、それもキャンセルになった。
あんまり床屋さんに行くのは好きじゃないから、それはちょっと良かったかも。
今日は発作が起きなかった。
薬の効果がもう現れたのかも。
◇ ◇ ◇
2月27日
カオルさんが出かける時、いつもカーテンの下から顔を出して車を見送るんだけど、今日は出かけたことも気付かないほど、眠りこんでしまっていた。
2時間ほどしてカオルさんが帰ってきたけど、ぼくはカオルさんがいなかったことも気付かないで、こたつぶとんのすそで、同じ姿勢のまま、ちんまりと丸まって眠っていた。
薬が効いてきたのか、比較的調子がいい気がしてる。
昨日の夜も、ぐっすりとよく眠れたし。
◇ ◇ ◇
3月1日
診察の日だったので、病院へ行った。
T先生は、ぼくに聴診器をあてながら、
「心拍数が落ち着いてきてます。薬が効いてるようですね。現状維持できるようにね。・・・がんばって」。
とぼくの鼻先をなでてくれた。
カオルさんも、少しホッとしていたみたいだった。
◇ ◇ ◇
3月7日
昨日の夜は、また呼吸が荒くなって息をするのが苦しかった。
ハッハッハッ。
一日中、体調が良くなかった。
それでもトイレには行きたくなるから、庭に出てみたけど、おしっこをしようとして片足をあげたら、フラフラしてしまった。
足があがらないまま、なんとなくななめになっておしっこをした。
「ごはんだよ~」と言われると、反射的に起き上がれる。
食欲はあるんだけど、食べているうちに体力が落ちて来て、残してしまった。
寝る時間になっても、ぼくは動きたくなくて、カオルさんが抱き上げようとしても、うまく体を預けられなかった。やっとのことでカオルさんの腕におさまって、2階に上がりカオルさんの枕元で眠った。
◇ ◇ ◇
カオルさんは、深いため息をつきながら、時々鼻をすすりながら、ぼくの横で毎日日記を書いていた。そして、そーっとぼくの頭をなでてくれた。
〈不死身のボーボなんだから、余命1カ月の宣告から十カ月、今も元気にしています、と来年の年賀状の文句まで頭に思い浮かべているんだから。
だけど、今日のボーボを見ていると、今回ばかりは先生の言った通り、あまり長くないかも、と思わされる。
ボーボ、がんばって〉
〈3月8日
昨夜、ボーボの夢を見た。
倒れたボーボが、無理に起き上がって子犬の頃のように走り出す。
「走っちゃダメ!」と、急いで追いかけて抱きかかえると、ボーボが逝ってしまい、泣く夢を。
涙の冷たさで、目が覚めた。本当に泣いてしまっていたらしい。
ボーボの方を見ると、静かな寝息が聞こえてきて、ホッとする。
どうかこれ以上、ボーボが苦しい思いをしませんように。
この先、ボーボが逝く時が来ても、苦しまずに穏やかに、眠るようでありますように。〉
◇ ◇ ◇
3月14日
週に1回の診察と薬をもらいに病院に行った。その時、T先生が、
「とにかく安静に、動かないことが一番」
と言っていた。
カオルさんは、困ったような顔をして、
「犬だから、動いちゃダメっていうのも難しいですよねぇ」と話して、
「ボーちゃん、じっとしてられないもんね」とぼくの頭をつんつんした。
心臓発作が起きたら困るからなのだが、ぼくも調子がいい時はいつも通りに動いちゃうしね。
カオルさんは家に帰ると、
「日向ぼっこしよう」と、ぼくを膝に乗せて庭石に座った。
「散歩もダメで、寝かしっぱなしで、薬入りのご飯もらうだけなんて、イヤだよねぇ。そんな犬らしからぬ生活をしてまで長生きした方がいい?
もしかしたら、寿命を縮めてしまうかもしれないけれど、ボーボが自分で動ける間は、トイレの時は庭に出て、太陽の光を浴びて、風の匂いや草の感触を味わって、最後まで犬らしい生活した方が嬉しいよねぇ。・・・違うかな?人間の勝手な考え方かな。
ボーボはどっちが幸せ?」
カオルさんは、ぼくの背中をゆっくりとなでながら、ぼくに聞いた。
◇ ◇ ◇
4月7日
なんとか現状維持を保っていたのに、夕方一度、ぼくは軽く倒れた。
胸がざわざわした。
◇ ◇ ◇
4月9日
今週は、ずっと体調が思わしくなかった。
前みたいに発作を起こして苦しむことはないけれど、貧血を起こしたみたいにグニャリと倒れることが、1日1回くらい起きた。
ぼくの体に何かが起きていた。
◇ ◇ ◇
4月11日
朝と午後、トイレで庭に出たら、2回ともおしっこをし終わると、力が抜けてぐらりと倒れてしまった。
今週は、これで何度目だろう。
カオルさんたちの顔つきが、ちょっと険しくなったように見えた。
夕方、金曜日だったので少し遅くまで友だちの家に遊びに行っていた子どもたちを、カオルさんが迎えに行った。
帰って来るとすぐに、
「ボーちゃん、ただいま~」と抱きあげられたのだけど、なんだか違和感があり、そのとたん、ぐにゃりと力が抜け、ぼくは意識をなくしてしまった。
何度か名前を呼ばれ続け、少しぼーっとしていたら、意識が戻りいつも通りになった。
みんなが心配そうにぼくを覗きこんでいた。
「がんばれ、ボーボ」
◇ ◇ ◇
四月十二日
ぼくがあまり動きたがらないので、カオルさんだけ、薬をもらいにT先生のところに行ってくれた。
「血圧が下がっていると思うから、週明けに連れて来て下さいって。
ボーちゃん、今の状態で行けそう?」
カオルさんは、ぼくがトイレに出るたびに倒れるので、外に連れ出すのが怖いと言っていた。
その夜も、ぼくは喜んでしっぽを振ったり、元気にワンワン吠えてたか思うと、急に後ろ足が空回りして倒れそうになったりで、自分でもうまく体のコントロールができなくなっていた。
あまり動かすのが怖いからと、カオルさんはぼくと一緒にリビングに布団を敷いて寝てくれた。
夜中も一度、ムクリと起きあがってみたけど、ドタッと倒れ、しばらく動けずにいてそのままおしっこをしてしまった。
その後も、苦しくて、2度ほどギャン、ギャンと鳴いて、寝たままおしっこをしてしまった。
カオルさんは、泣きそうな顔でぼくをきれいに拭いてくれて、朝までそっとぼくの背中に手を置いてくれていた。
◇ ◇ ◇
四月十三日
今日のぼくは朝から動けず、かなり不調だった。
天気も良くなく、カオルさんたちの不安な気持ちをひしひしと感じた。
朝からぼくは飲まず食わずだった。
クッションからも動けず、小皿に入ったミルクを口元に持ってきてもらったけど、2口飲むのがやっとだった。立ち上がる気力も体力もなく、そのまま、またずっと寝ていた。
「大丈夫・・・じゃないよね・・・」
カオルさんの小さなつぶやきが聞こえた。
午後一度、ぼくが自力でおすわりをしたタイミングで、カオルさんはぼくを抱き上げて庭に出た。
倒れないようにぼくの体を支えながらそっと立たせると、少しだけどちゃんと自分でおしっこができた。
家に入り、クッションの上に戻ったら、すぐにヨロヨロとして、力が入らなくて、また後ろ足が空回りして倒れるように座りこみ、そのまま眠りに落ちてしまった。
昨日までは、食いしん坊のぼくは具合が悪いことも忘れて、みんなの食事中、誰かの脇の下から鼻をもぐり込ませて、おこぼれをもらおうとしてたのに、今日はまったくそんな気分になれなかった。
自分でも、なんだか体がとても薄っぺらくなったみたいで、ぱたりと横に倒れたような格好で眠っているのが、楽だった。
夜、薬入りのお肉を2かけもらって、なんとか食べたけど、それ以上に欲しいとも思わなくて、そのまままたすぐに眠ってしまった。
今までに感じたことがないくらい、とにかくぼくはダルかった。とにかく、眠っていたかった。
ぼくが抱きあげられたがりもせず、しんどそうに寝ているので、カオルさんは、今日もリビングで、ぼくの横に寝てくれた。
倒れたように眠っているぼくを見て、カオルさんがまたつぶやいていた。
「本当に元気がないねぇ。あと10日で、14歳のお誕生日なのに・・・。
ボーちゃん・・・なんかいやな予感がするよぉ。
かわいそうだけど、倒れるボーボ見るのが
正直、つらいし、怖いんだよ。
もう、頑張れなんか言えない。ただただ、いつもかわいいボーボがいてくれたことに、ありがとうの気持ちでいっぱいだよ。
・・・ボーボ、大好きだからね」
ぼくの耳の上に、ぽたりと冷たいものを感じた。
4月14日
明け方、4時過ぎのことだった。
ハッハッ、ハッハハッ・・・と呼吸が不規則になってきた。
とっても、息苦しかった。
コト・・・
頭を少し動かそうとしたら、体にも首にも力が入らなくて、クッションから頭が落ちてしまった。
すごく小さな音だったのに、カオルさんがすぐに起き上がって、ぼくの方を見てくれた。
昨日の夜は、クッションから頭が出てしまっていても、カオルさんに頭を手で持ち上げてもらって、自分で頭を起こして体勢を直せたのに、今朝のぼくは、もうその力がなくなってしまっていた。
カオルさんの手に、そのまま重力のまま、頭ををあずけるしかできなかった。
頭の下に枕を入れてもらったけど、横たわったまま動けない。
なんだか、とてもゆっくりとしか、息ができなくなってきた。
ハァッ・・・ハァ・・・
ハァァッ・・・ハァ・・・
カオルさんの涙が、ぽたぽたとぼくの鼻先に落ちてきた。
トク・・・トク・・・・・
トク・・・・・・ト・ク・・・
苦しかった胸のあたりも、どんどんゆっくりとしか動かなくなってきた。
ぼくの頭の下あるカオルさんの手が、とても暖かかった。
ぼくにおおいかぶさるようにして、ぼくの体をさすっていたカオルさんのぼくの名前を呼ぶ声が、少しずつ、少しずつ遠ざかっていった。
ガッガッ・・・
今までしたことのない咳のように喉が鳴った。
トク・・・ト・ク・・・ト・・ク・・・
3回、心臓がゆっくりと脈を打った。
・・・
そして、ぼくはとても静かに、とても安らかに眠りに落ちた。
二度と目覚めることのない、深い深い眠りに。
遠くで、カオルさんの声がしていた。
「ボーボ、やだよ!」
「ボーボ!」
「ボ~ボーーー!!!」
ふふ、カオルさんが遠吠えしちゃ、だめじゃないか。
◇ ◇ ◇
小雨が降っていた。
ヒロさんも、子どもたちも、抜け殻になったぼくを抱えたカオルさんを囲んで泣いている。
ぼくを、庭の毎日みんながよく通る2階の窓からも一番良く見える場所に、ぼくの抜け殻を寝かせてくれた。
ぼくの抜け殻の上に、カオルさんが桜の木を植えてくれた。
桜が咲くたびに、ぼくのこと、思い出すようにって。
ぼく、桜の花をいっぱい咲かせて、ありがとうの気持ち、伝えるからね。
さて。
雨がやんだら、ぼくは飛行機雲を追いかけて、ショウタの所に行かなくちゃ。
ショウタの遠吠えはヘタッピだから、きっとすぐに見つかるさ。
アオーン、ワン!ワワワン!
アオォォ~ン!アオォォ~~ン!
アオォォ~~~ン!
ありがとう。
◇ ◇ ◇
ぼくの桜、今年もいっぱい咲いてたね。
雲の上から、みんなのこと、いつも見てるよ。
カオルさんが、時々懐かしそうに空を見上げている。
そして、ちゃんと聞こえてくる。カオルさんの声が。
ボーボ。
ずっとずっと、大好きだよ。
〈 了 〉