『結月ゆかり』があざとすぎる件
「おや、新しいバイトくんですか?」
声をかけられたのだと気づき、慌てて携帯端末から顔を上げる。
こぼれ落ちるような淡い髪色。
瞳には、紫の美しい月が、二つ。
蠱惑的な瞳に見つめられて、固まる。
満足げに笑みを深めた彼女は、歌うようなきれいな声で。
「こんにちは『結月ゆかり』です」
お辞儀にあわせて、トレードマークの兎耳のフードが跳ねる。
あいさつ、ただの挨拶だけれど。
暴力的なまでの、まばゆい笑顔。
完璧さに、目と、耳が痛い。
きっと、彼女はどう見られたら魅力的に見えるのか。
わかっていてやっているんだろう。
そんな、計算された仕草だった。
「……あざとい」
「はて、ほめ言葉ですかね?」
ほめてない。
けれど、彼女の笑顔の前には、誤用も賛辞にかわる。
「ところでバイトくんは、どちらに行く予定だったんです? 迷子ですか?」
集合時間はとっくに過ぎていますよ、と親切そうに付け加えられる。
バイト初日から遅刻。
ぜったい、目立つ。
というかもう、目を付けられたのか。
帰りたさに、満ちている。
*
やる気のなさそうな社員に、面倒だけはおこすなよとくぎを刺された。
本日のバイトは、会場設営。
週末から開始する『結月ゆかり』のデモンストレーションのイベント会場。
製品の販売前から全国を回っていたそうだが、販売開始後の今も『好評につき期間延長中』だそうだ。
ヒトの生活に密着してサポートする、福祉系ヒューマノイドは多岐に渡り販売されている。
その中でも『結月ゆかり』が属する、ボーカロイドというジャンルは、近年急成長した市場だ。
歌うことに秀でた、いわゆる歌う機械。
後発社として、ユーザーに体験して良さを知ってもらおうと、デモンストレーション機を全国に巡業させることにしたらしい。
本当は、販売開始までのデモンストレーションだったそうだけれど。
今は、次の主製品が売り出されるまでの、猶予期間。
「バイトくん、手が止まってますよ」
休憩まであとちょっとです、がんばってくださいね。
そんな優しい言葉をかけながら、怠慢を許さない彼女。
監督役である社員がやる気を出さなくても、彼女がいれば現場はスムーズに回る。
だてに全国、回ってないということか。
「まぁ、この街が最後になりますし」
「え、そうなんですか?」
呟くような言葉に、少し驚く。
最後なら、もっと特別感を出すんじゃないか、とか。
まぁ、勝手な想像だけれど。
「いつでもこの街が最後だと。そういうつもりで、わたしは、仕事に励んでいます」
そう言って、さらににっこりと微笑む。
笑顔はやっぱり、作りこまれたまでの完璧さだったけれど。
どこか取り繕われたような。
そんな気がした。
**
きらびやかなステージ。
流れる音楽に被せて、音響スタッフたちの指示が飛び交う。
リハーサル、調整。
臨時の設営バイトには関係のない話。
タイムカードを押そうとしたら、彼女につかまった。
「バイトは、解散でいいんじゃないんですか?」
「遅刻したので、その分です」
バイト代、欲しいでしょ? と有無を言わさない笑顔に、ただただうなずく。
「音楽関係のお店に、ご挨拶に行くのも大事なお仕事です」
ネット上で事前告知をされていても、興味のないヒトには届かない。
調べてくるヒトは、もちろん大切だけれども。
アナログだけど、店頭告知や、地道な口コミは効果があるのでわかる。
けれど。
「え。わざわざ『ゆかりさん』が告知チラシ配りに行くんですか」
それこそ、バイトとか。他のスタッフの仕事じゃないんだろうか。
「わたし、当日もチラシ配りますよ?」
ステージで忙しい彼女が、わざわざ?
「これがわたしの、お仕事ですから」
彼女は『結月ゆかり』のファンを作ることが、仕事。
元々、興味がないヒトに、興味を持たせることが大事な業務。
きっかけ作りの告知チラシを、広告塔の彼女自身が手配りする。
ひどくアナログで。
とてもローテク。
彼女自身は、先進技術のかたまりなのに。
そのギャップが、魅力の一つになる、ということか。
観客からすれば、ついさっきまで、きらびやかなステージで歌っていた『結月ゆかり』が直接目の前にくる。
会いに行ける、どころじゃない。
購入さえすれば、自分の家に来る。
購入者のためだけの、歌う機械。
それが、ボーカロイドで。
『結月ゆかり』の魅力だと、彼女は体現するのか。
「すごい、ですね」
「そうでしょう」
嬉しそうに胸をはる彼女。
ささやかなふくらみに目をやってしまったのは、不可抗力だ。
「何、見てるんですか」
じと目で睨まれて、彼女の笑顔以外の表情を、初めて見たことに気付く。
一部の隙も入らないような、完璧な笑顔よりも。
個人的には、クるものが……って、いやいや。
「み、みられるのが、仕事じゃないんですか」
「……言いますね」
***
「もしよろしければ、お気軽にお越しください」
輝くばかりの完璧な笑顔で、店員にポスターを渡す。
挨拶というのは、本当で。
どの店にも、押しつけがましくなく、時間を取らせず、鮮やかな手際だ。
「このあたりの方は、『ボーカロイド』に好意的なようですね」
最後の一軒に向かう途中で、彼女がそんなことをつぶやいた。
彼女が全国を回る途中では、色々、あったらしい。
「まぁ、水をかけられるぐらいなら、へっちゃらですよ」
生活防水の優秀性を示せますからね! と前向きに締めくくる。
衝撃にも強く、耐久性にも優れ、多少ガサツに扱われても、平気だと。
そう笑って言い切れる、彼女はとても強く、美しい。
けれど、店に入る前に、一瞬身構えるのに、気づいていた。
保険としての、同行者が必要なぐらいには、彼女は、恐れている。
それでも彼女は、他の『結月ゆかり』のために、働く。
「次のお店は、音楽喫茶のようですね。楽しみです、早くいきましょう」
気まずい雰囲気をごまかすように、彼女はまた笑う。
そうか、と気づく。
完璧なまでの営業スマイルは、彼女の作った武装なのか。
****
「わたしの最後の巡業になりますが、全力でがんばります」
どうぞ、お力添えを、と彼女がいつも通りの完ぺきな笑顔で、朝礼を続ける。
イベント開始当日の朝に、彼女の口から伝えられた本部の意向。
言葉が右から左に抜けていく。
彼女の予想は、外れなかった。
彼女と一緒に巡業を回ってきた、音響スタッフの中にはうっすらと涙ぐんでいるものもいる。
しんみりとした雰囲気にならないように、彼女は言葉を選んでいく。
最後は、雇われたばかり者ですら、奮起しだすぐらいに、スタッフの士気をまとめ上げた。
けれども、彼女の、彼女とマスター登録をしている社員だけは、興味もなさそうに、あくびをしている。
圧倒的な、温度差。
彼女の視界に入らないように、さりげなく、移動する。
「あの『ゆかりさん』このイベントが最後なんですね。盛り上げられるように、頑張ります」
「あっそう」
あっそう、って、なんだ。
彼女はイベント用のデモンストレーション機で、本当の意味でのマスターではないかもしれない。
でも、一時的にだって、このヒトはマスターだ。
「まだ何か?」
面倒事さえ起きなければいい、そんな雰囲気がありありと感じられて。
単発の設営バイトのはずが、そのまま開催中のイベントバイトに雇われただけのただのバイト。
それでも。
無性に、やるせなかった。
*****
「あー、あのヒト。あぁいうヒトだから、この現場に回されてるんだよ」
昼休みに、朝涙ぐんでた音響スタッフたちに、思わず愚痴る。
午前中のステージが、自分ですら『結月ゆかり』が欲しくなる魅力的なものだったから、余計に。
歌って、踊って、トークもできて。お客さんの反応も上々。
その場で購入契約を成立させていくヒトも、多くいた。
「まぁ、あーいうヒトじゃなかったら、この仕事は耐え切れないって」
ヒトを精巧に模した彼女であったとしても、機械は機械、と割り切って認識できる。
ビジネスライクな関係を築くのには、最適と判断されて本社から送り込まれた人材。
「むしろあのヒトが、最後までちゃんと顔出してるのが、奇跡」
「あんなにやる気なさそうなのに」
「まぁ、俺等の『ゆかりちゃん』は優秀だかんなー」
どっと笑い声が起きて、少しだけ気が晴れる。
「みなさーん、休憩時間もうすぐ終わりますよー」
彼女の変わらない笑顔に、救われたような思いがして。
音響スタッフたちに礼を言ってから、腰を上げる。
「まぁ、でも。俺はきっと『結月ゆかり』を買う日は来ないな」
「俺も」
聞こえた言葉に、思わず振り向く。
笑顔で早く行けと手を振られ、しぶしぶ頭を下げて立ち去る。
******
このイベントは、ひどく矛盾している。
彼女を、知らなければよかった。
知らずに『結月ゆかり』に出会えれば、よかった。
日がたつにつれて、彼女の新しい顔を知る。
仕事熱心で、魅力的で。
彼女の熱意に当てられて、多くの人に『結月ゆかり』を知ってもらいたいと思う。
『結月ゆかり』が売れて欲しいと、願う。
けれど。
動いて、笑って、歌う『結月ゆかり』が。
彼女でなければ、受け入れられないことに、気づいた。
*******
「どうかしたんですか」
そんなに思いつめた顔をして、と茶化すように彼女は言う。
そして、あきらめたように、どうぞ、と促された。
「『ゆかりさん』のマスターに、してもらえませんか」
「無理です、ごめんなさい」
事務的、業務的。ルーチンワーク。
きっと、彼女にとってはどの現場でも、何回だって、あったイベントなんだろう。
でも、この現場は違う。まだ、望みはある。
「最後、ですよね。だったら」
「わたしには、すでにマスターがいます」
ご希望ならわたしの性格データをコピーした子を、とセールストークに流そうとする。
同じ容姿に、同じ声。
望めば性格だって自由自在。
限りなく、自分の理想に近づけられる。
ヒトの形をした、歌う機械。
それでも。
そうして新たに作ったものは。
「どれも同じ『結月ゆかり』ですよ」
完璧な、笑顔で、にっこりと、微笑む。
このイベント中足しげく通ってきていた、小さな子どもの淡い感情を。
気づかせる前につんでいた時と、同じ顔。
「わたしは、デモンストレーション用です。製品版とは性能が異なります」
期間限定であることを、自覚した上で、職務を全うした彼女に。
ボーナストラックを期待してはいけないのだろうか。
「あぁ、もう。泣かないでくださいよ」
いつもの笑顔を崩して、わたしまで、泣きたくなっちゃいます、なんて、優しい言葉をかけられたら。
場所もわきまえずに、とうとう泣き出したダメなバイトに。
彼女は、わたしの仕事を何だと思ってるんですか、とぼやく。
「わたしがいなくなっても、忘れないでくださいね」
大好きでしたよ、と耳元で囁くおまけつき。
思わず悲鳴を上げて、しゃくりあげながら、彼女を睨む。
作りこまれた笑顔の、その頬には、一筋の光。
計算されたかのような、狙いすました、表情。
「……あざとい」
「しってます」