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 サウルの記憶にある限り、エレオノーラ・ベル・フェリスは無邪気で明るく屈託のない少女だった。人並みの恐怖心は持ち合わせていたが、好奇心旺盛で、新しいことには物怖じせず何でも取り組みたがり、そして時々こちらが呆れるくらいにマイペースなところがあった。少なくとも他人と自分を比較して卑屈になるような性格ではなかった。

 苛立ちにも似た不快さを持て余しながら、窓の外を睨む。陽はすっかりと落ちきって、空は黒に近い紫色だ。建物の合間を縫って遙か西の方に、僅かばかり茜に染まった雲があるが、それももう間もなく見えなくなるだろう。この時間では、ぽつぽつと灯されたガス燈の火の方が余程彼女の瞳に近い輝きをしている。


(何があった……?)


 別に、今のエレオノーラが嫌だというわけではない。彼女がどのように振る舞おうとも、サウルにとっては可愛らしく、愛おしい。だが、あのように悲しい顔で自分を卑下するエレオノーラは見ていて痛々しかった。そして自分がどのように言葉を尽くしても、その何ひとつ彼女には届かないというのが悔しかった。

 一体何が、誰が、彼女を変えたのか。


(家族という線はまずあり得ない。亡きご夫妻はネリーを大切にしていた。サムは褒めはするが彼女を貶すことなんて絶対にしない。使用人もそうだろう。彼女の様子を見る限りではとてもそんな虐待を受けているようには見えない。そもそもそんなことがあったらサムが放っておくはずがない。外部は……いや、それこそあり得ないか。徹底的に保護されていたはずだ)


 ひとつひとつ可能性をあげては潰していく。しかし彼女の狭い交流関係からは原因が見つかりそうにない。彼女があのようになったのは、ここ五年の間で間違いないはずなのに、その原因となるできごとは起きる可能性すらないように感じられる。厄介なのは、もしかしたらヘクターでさえ彼女の卑屈さに気づいていないかもしれないということだった。


「何か気になることでも?」


 対面からかけられた声に視線をそちらへと移せば、金色の瞳と視線がぶつかる。凹凸の少ないのっぺりとした顔立ち。細面で異国風の目鼻立ちは、見慣れればそれはそれで均整が取れているが、いかんせん表情が乏しい。薄紅とも薄紫ともつかない色の巻き毛が男の雰囲気をやわらかく見せているが、涼しげな切れ長の双眸は鋭く、どのような些細な異変も見逃さないことを、サウルは長年のつき合いからよく理解していた。


「もしかしてまたフェリス家の姫様ですか」

「「また」とは何だ」

「これは失礼。口が滑りました」


 口では「失礼」と言っておきながら全く悪びれた様子はない。青年の無礼は今に始まったことではないので今更目くじらを立てる気もないが。


「それにしても毎日飽きませんねぇ。先代公爵も奥方様を、まあ良く言えば(・・・・・)溺愛しておられましたが、閣下も相当ですよ。もしかして血筋ですか?」

「……お前のその軽口はどうにかならないのか?」

「毎日閣下がお出かけする度に逃げられる俺の身にもなってくださいよ。軽口くらい大目に見てくれてもいいでしょう。……それで、今度は一体何をお悩みで? 今日の逢引は成功ですよね? 男性恐怖症の姫様の籠絡なら割と順調に進んでるんじゃないですかね」

「クロト」


 言った側から口の減らない護衛に思わず頭を抱えたくなる。こちらはエレオノーラに少しでも心を開いてもらえるよう必死なのに、あまりにも酷い言い草だ。わざとこういう言い回しをしてくるのだから余計に質が悪い。この男はエレオノーラに心を砕くサウルのことを絶対に面白がっている。無表情のくせにニヤニヤと人の悪い笑みが透けて見えるようだ。


「あ、もしかして怒りました?」

「不愉快ではある」

「それはすみません。まあ、俺もちょっと調子に乗ったなとは思いました」


 言外にそれ以上余計な口を利くなと伝えると意外にも素直に謝罪が返ってきた。この男は昔からこうだ。無礼だが人の機嫌を損ねる一線というのは弁えている。だからといって黙りはしないが。


「いやあ、俺こう見えても感動してるんですよ。あの他人どころか自分すらどうでも良さそうだった若様が、まさかこんなに誰かのために献身するなんて。随分人間らしく成長しましたねぇ。姫様には感謝しないと」

「お前は私の何なんだ……」

「何ってお目付役じゃないんですか? いざという時に閣下が暴走しないための。……あっ!」


 畔人(くろと)はわざとらしくぽんと手を叩いた。


「なんなら俺のこと「師匠」って呼んでくださってもいいんですよ?」

「誰が呼ぶか」

「何だ残念」


 全く残念そうに見えない上、言った本人も残念には思ってないだろう。立て板に水のようによく喋る男だが、その言葉の大半は中身がない。


「で、何でしたっけ? ああ、閣下のお悩み相談か」

「お前と話していると大半の悩みはどうでもよくなりそうだな」

「まあまあそんなこと言わずに。話すだけ話してみればいいじゃないですか」


 そうは言われても、非常に繊細な問題だ。そしてこれは彼女自身の問題であって、決してサウルが外から勝手に踏み込んでいい問題ではない。事実、踏み込もうとしたら酷く傷つけてしまった。それをおいそれと第三者に漏らすほど無神経な人間ではないつもりだ。

 とはいえ、畔人が自分とは違う「目」を持っているのも事実。何か自分には見えていないものが、この男には()えている可能性もある。


「お前は、彼女をどう思う?」


 結局、率直に見解を訊ねることにした。


「どうってごく普通の貴族のお嬢さんでしたね。それもかなり箱入りの。でもまあいいんじゃないですか、どうせサルヴァシヨン家ってそんなに社交は必要ないでしょ? 『魔族公』って肩書きと魔法を怖がらないって時点でもう充分珍しいですけど、閣下にちゃんと人として接していらっしゃるという点で俺の中で彼女の評判は鰻登りですね。……ああ、でも首んとこだけやたら青かったのは気になるな」

「青かった……?」


 青い、という言葉はこの国でも様々な意味がある。色の名前。顔に血の気のない様子。人間性や言動、または技術が未熟であること。この男が使う「青い」という言葉も大抵はそのいずれかを指す。しかし今の言い回しはどれでもないだろうと察せられた。嫌な予感がする。


「それは綾籠(あやかみ)特有の言い回しか」

「そうですね」

「……つまり、お前の『魔眼』で何か視えたということだな?」

「うっわー出た、魔眼発言!」


 訊ねると、畔人の声の調子があからさまに嫌そうなものになった。


「外国人ってすぐそうやって視える能力を何でも「魔眼」のひと言で片づける! いくらこっちでは少ないからって、それ綾籠の人間からしたらすっげぇ遺憾なんですけど。あのねぇ、俺のは青目(あおめ)っていう上方(かみがた)の中では対して珍しくも何ともない能力なの! 「魔眼」って言うと何かやたらと強そうじゃないですか、やめてくださいよ気持ち悪い。何回説明させる気ですか」

「『魔眼』には変わりないだろう。何をそんなに呼び方にこだわる必要がある。あと、この国では外国人はお前の方だ」

「じゃあ言わせてもらいますけどね! この国でやれ人外だ『魔族公』だって恐れられてる閣下のその能力! それ、俺らからしたらただの上方の人間ってだけですからね! あと閣下のその貴石眼もただの『魔眼』の一種ですよ! どうですか、しょっぼい俺と同列に扱われるのは? さすがに嫌でしょうよ。少なくとも俺は劣等感が刺激されてすっげぇ嫌です」

「心底どうでもいい」

「ああーそうですか相変わらずムカつくな! どうせ閣下からしてみれば姫様以外の大抵のことは「どうでもいい」で片づくんでしょ。もうやだこのクソガキ。何で俺こんな情緒の動かない人の部下になっちゃったんだろう」

「そういうお前は表情が動いていないせいで説得力が欠片もない。いいから、何が視えたのか説明しろ」

「……俺が見えるのはいわゆるケゲレってヤツですよ。『気を枯らす』と書くんですが、まあ瘴気とか、怨念とか、そういう文字通り(・・・・)人の『気』を『枯れ』させる元凶です。他にも色々ありますが、気枯れてるものは大体『青い』って言いますね」


 脱線していく話に痺れを切らせてせっつくと、ようやく異国出身の部下は本題に入った。


「つかぬことを伺いますが、国内の魔族や魔力持ちを誘拐していた人身売買の組織に、姫様が拐かされたのが五年前。で、先代のご命令で囮となって一味の根城に潜入していた閣下は、その時に姫様と出会われた。捕まっている間はお二人ともずっと一緒だったわけですよね?」

「ああ、そうだ」

「姫様はその誘拐の一件を除いて、特に事件らしい事件に巻き込まれたことはない?」

「そのように聞いている」

「家族仲も使用人たちとの関係も良好で周囲から大事に育てられてきた?」

「そのはずだ。少なくともサムや私の知りうる限りでは」

「充分です。では、最後にもうひとつだけ」


 畔人の声が一段と低くなった。


「姫様、誘拐されてる時、一味の誰かに首を絞められたりしませんでした?」

本日更新分をもちましてストックが切れたため、次回より不定期更新となります。

遅筆のためゆっくり更新となるかと思いますが、何卒ご理解頂けますようよろしくお願い致します。

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