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突然だが、私は男が嫌いだ。単なる男性蔑視と言われてしまえばそれまでだし、こうなった原因のほとんどが私の男の見る目のなさにあるので自業自得だとも思っている。だけど正直に言わせてもらえば、私と同じ目に遭えば世の大半の女性は男嫌いになるとも思う。
二十八年という短い人生、小学校一年時のクラスメイトから卒業まで嫌がらせを受け続けて以来、私は本当にろくな男と出会ったことがない。中学の時に、同級生からセクハラ紛いのからかいを受けたことすら、今となっては可愛いものだ。
通学のためにひとりで満員電車に乗れば度々痴漢に遭遇したし、真っ昼間の街道を露出狂に自転車で追い回されたこともある。これらの経験は私の自尊心を酷く傷つけ、異性に対して臆病にさせた。
被害に遭ってしばらくは、混雑に巻き込まれないよう早起きして、登校時間よりもずっと早く学校に向かっていた。明るい時間帯にも関わらずいつもの通学路が怖くて、ひとりで歩けず自宅と駅の間を母に送迎してもらっていた。隣の席の背の高い男の子が立ち上がる度にビクついていたし、そんな自分が心底恥ずかしかった。
それでもこれだけだったなら、やがて時間が解決してくれたのかもしれない。無情にも現実は厳しかった。
その後現れた初恋相手や交際相手も質の悪い男ばかりだった。上辺だけ優しくして陰で私の悪口ばかり言いふらす。恋人がいるにも関わらずそれを隠して、同時に複数の女性と平気で関係を持ったりする。そんな男としかつき合えなかったのは、確かに相手の本質を見抜けなかった私にも非があるだろう。だけど死ぬ間際までつき合っていた婚約者は、本当に酷かった。
彼は髪型や服装、化粧の仕方から休日の過ごし方にまで何かと口うるさく文句をつけ、事ある毎に私を束縛しようとした。残業で遅くなったり休日出勤することにさえ怒り、ふた言目には「早く仕事を辞めろ」と言った。一番許せなかったのは、留守の間に私が大切にしていた私物を勝手に捨ててしまったことだ。それなのに反論すれば、謝罪どころか生意気だと暴力を振るわれた。耐えかねてとうとう別れを切り出せば逆上されたので始末に負えない。
前世の最期の記憶と言えば、鬼のような形相で私の首を絞めている婚約者の顔だ。そこできれいさっぱり意識が途切れてしまったのだから、おそらく私は殺されたのだろう。この一件だけで、もう二度と男性とはお関わりになりたくない。
だがこんな私でも、唯一好ましく思える男性の種類が存在する。それが漫画、小説、ゲーム、アニメなどに登場するキャラクターたち。そう、二次元の男性だ。
サイコパスやヤンデレなど現実では絶対にお近づきになりたくない人種でも、架空のキャラクターというだけでそれが魅力的に見えるのだから次元の壁は偉大だと思う。もともと漫画や小説を読むのが好きだった私は、学生時代に完全にオタクとして目覚め、創作投稿サイトで二次創作を読み漁る他、SNSで知り合った人の影響でコスプレまで嗜むようになっていた。
中でも私が一番好きだったのが『聖と魔を巡れるスフィア』という乙女ゲームに登場する、サウル・レイモンド・サルヴァシヨンというキャラクターだ。初登場作品では時折ふらりと現れてはヒロインを助けてくれる役回りで、攻略対象外のサポートキャラクターだったのだが、その圧倒的人気ぶりから続編ではメインヒーローの座を勝ち取った。因みに新ハードに合わせてリリースされたリメイク版では、続編に繋がる彼のルートが実装されるという徹底ぶり。サウル様推しは大歓喜した。
かくいう私自身もサウル様とヒロインの二次創作を日々探し求め検索をかけていたひとりだったりする。二作目でもヒロイン据え置きでサウル様がメインヒーローと知った時は喜びのあまり情緒不安定になり、発売された『聖と魔を巡れるスフィア2』はサウル様ルートを何度も噛みしめるようにプレイした。
因みにサウル様自身はサイコパスでもヤンデレでもない。ただ家柄により迫害されていたことで少し情緒が発達していなかったり、大半の人間に対して驚くほど興味が薄かったり、敵と見なした相手には容赦がなかったりするだけだ。
尊すぎてさすがに自分ではサウル様やヒロインのコスプレはできなかったが、都合がつけば近場のイベントに参加して二人の同人誌を買い求め、或いは二人のコスをしている他レイヤーさんの麗しいお姿を目に焼きつけ、撮影可能な会場ならば写真を撮らせて頂いたりなどしていた。間違いなくこの頃が、私の人生で最も幸福な時期だった。イベントに参加できた日はほくほく顔で家に帰り、入手した素晴らしい作品を読みふけるという至福の時間を過ごした。
婚約者と同棲を始めてからはイベントへ行くのも禁止されていたので、あの頃は本当に辛かった。何を隠そう、彼に捨てられた私物というのは、私がこつこつと集めていた『聖と魔を巡れるスフィア』の公式グッズや同人作品、そして時間と心血を注いで作ったコスプレ衣装たちだった。
全部が全部買い集められるほどお金も収納スペースもなかったので、グッズや本は推しに関わるものだけを選びに選んで手元に置いていた。衣装だって食費を削って材料費を捻出し、イベントに間に合わせるために徹夜をして仕上げた力作だ。どれも私の宝物で、日々を生きていくための活力源だった。それが十二連勤から帰ってきたら問答無用で処分されていた私の無念を、誰かお解り頂けるだろうか。せめてゴミ収集車に回収されたのではなくどなたかの同志の手へお譲りできたのなら、この悲しみも少しは慰められていたのかもしれない。
ところで、私の最推しであるサウル様には、ヒロインが現れる前、侯爵令嬢の婚約者がいた。
サルヴァシヨン公爵家の別称は『魔族公』。初代公爵から連綿と続く魔族の家系で、その強い魔力と能力を代々受け継いでいるがゆえの呼び名だ。王家に固く忠誠を誓っているが、領民以外の民衆からは蛇蝎のごとく忌避されている。『魔族公』という言葉も、ほとんど蔑称として使われている。
もちろんこの婚約者も、例に漏れず魔族であるサウル様を嫌悪しており、密かに婚約破棄を望んでいた。その気持ちを利用された彼女は、続編でサルヴァシヨン公爵家を陥れようとする策略に加担し、結果ヒロインと共に計略を暴いたサウル様に斬り捨てられるという最期を迎える。いわゆる悪役令嬢だ。
一作目にも悪役令嬢の断罪イベントがあったので、このシリーズのお約束展開なのだろうとそこまで気にしてはいなかった。というよりも、あの展開があってこその盛り上がりだった、と認識している。
しかしたった今、こうして前世の記憶を思い出してしまったからには制作スタッフを恨まずにはいられない。なぜ、同じシリーズで同じネタを二度も繰り返したんです? ……もう一度言いたい。なぜ、同じシリーズで同じネタを二度も繰り返したんです!?
お約束展開なんかクソ食らえ。盛り上がり? そんなことより明日の我が身だ。命大事に。これ鉄則。前世の死因が死因なせいか、私は人一倍生き残ることに貪欲らしい。
私の目の前には一枚の肖像画が差し出されている。縁談の釣書として持ち込まれたものだが、見た瞬間かつてない衝撃を受けた。
いかにもさらさらとしていそうな、癖のない艶やかな黒髪。普通の人間ではまずあり得ない、宝石のような輝きを持つ深い緑色をした瞳。美しいのひと言では表しきれない、浮き世離れしているほど整った美貌。
間違いない。画風は違うが、これはゲームスチルや広告や二次創作イラストで親の顔より見たサウル様の肖像画だ。同姓同名の別人などという淡い希望は砂粒ほども抱きようがない。
そもそも魔族公以外に、サルヴァシヨンの姓を名乗る人間など誰ひとり存在しないのだから当然といえば当然なのだが、だからと言ってこの展開はあんまりだろう。神よ、私が何をしたのか。
推しの肖像画を見て婚約者に殺された前世を思い出し、再び婚約者に殺される今世の結末を悟るなんて、こんな酷い話ある? 思わず絶望に泣きそうになるのを、歯を食い縛って必死に堪える。
今世での私の名前はエレオノーラ・ベル・フェリス。どうやらサウル様の婚約者であり、『聖と魔の巡れるスフィア2』の悪役令嬢に転生してしまったようだ。