CHAIN_46 "Hello, Cyber World!"
電脳世界深層部。アドレス不明。アクセス不可。
そこは森の中の穏やかな湖畔。雲一つなく晴れ渡った空が透き通った湖に反射していた。
年端もいかない少女が水際で遊んでいる。
「ねえ、パパ! 私つまんない!」
「困った娘だ。さっきおもちゃを与えたばかりだろうに」
パパと呼ばれるその男の顔はブロックノイズで乱れている。
「あのおもちゃもう飽きた! 新しいのがほしい!」
「そんなすぐには用意できないよ。いい子ならしばらくそれで遊んでなさい」
「……はーい」
少女は不満そうに振り返る。その足もとには人の形をしたものが転がっていた。
「――獣。飢えた獣がやってくる」
男がそう呟いた矢先に空間が大きく振動した。それは数回続いたのちに収まった。
「パパ。大きかったね」
「そうだね。たぶん檻に穴が空いてしまったんだ。すぐに塞がると思うけど。気をつけないとね」
「うん。ここは私とパパのお家だから」
少女は男の手をぎゅっと握って空を見上げた。
それは現実の世界よりもずっと色鮮やかな青をしていた。
§§§
ある日の朝。寝ぼけ眼でニュースを見ていた望美ツナグは驚いた。世界中で絶大な人気を誇るE-Sportsの電脳闘技、略してDENTOの特集中に訃報が届いたのだ。
デントプロリーグの世界ランキング一位アレン・ラッセルが不慮の事故死。それにより繰り上がりでランキング二位のギルバート・テイラーが一位となった。
彼は全身不随のプロプレイヤーで長年活躍している。医療設備の関係で色々と制限は多いが、その実力は折り紙付きである。
「へえ、亡くなったんだ」
彼のことは定期購読している電子マガジンで知っていた。以前はデントにさほど興味がなかったが、とあるきっかけによりまた一から始めることになった。
そのきっかけというのが、
「ねえねえ! ツナグっ!」
顔の周りを飛び回るこの口うるさい電脳の妖精。名前はリン。亡くなった祖父のミツルが創りだした未完成の人工知能。
彼女の姿はツナグ以外には見えない。なぜなら彼女は本体の指輪を通してツナグの体に寄生しているからだ。つまりその姿はツナグの脳が見せている幻覚ということになる。
この奇妙な共生生活が始まってからすでに一ヶ月以上が経つ。その間には色々なことがあった。大きなところで言えば秋季東京都高等学校デント大会の本選に団体として進出したことだろうか。
それは来週に開催される個人戦のシーズン予選のあとにおこなわれる予定だ。
「行ってきます」とお気に入りの靴を履いて家を出るツナグ。
この日は祝日でお休み。もちろん予定がある。
「あ、ツナグ」
外で待っていたのは幼馴染みの檜山アイサ。クラスは違うが同じ学校に通う一年生。
「ねえ、またその香水つけてるの?」
「なんだよ。文句あるのかよ」
「べっつにー。ただ私の好きな匂いじゃないってだけ」
最近になってからアイサの態度が変わった。以前はもっと穏やかだったのに、なにかと束縛したがるようになった。
「短期間での感情の変化。ふむふむ。興味深いわね」
リンはツナグの頭の上で胡座をかいていた。彼女は『知る』ことにとことん貪欲で特に理解しがたい人間の感情については優先度が高かった。
「この私のためにもちゃんとデータを集めてよねっ!」
「うるせえ」
「え?」と突然のことにアイサは目を丸くした。
「あ、ごめん。うるさい虫がいるなあって」
このようにリンはツナグ以外に見えないので無意識の一言が他人に拾われてしまうと面倒なことになるのだ。
「あ、そう。それならいいけど……」
アイサは怪訝な顔をして前を向いた。
今日はアイサにデントの手ほどきをする約束だった。ツナグとしてはお茶を濁したつもりでいたのだが、本人が思いの外本気だったので付き合うことにした。
かと言って電脳空間にすらあまり慣れていない彼女をいきなりデントの世界に放り込むのは無謀と言える。だからツナグはまず慣れることから、電脳世界にお出かけをして感覚を掴ませることから始めようと考えていた。
電脳世界は第二の世界と呼ばれていてかつては小さなオープンワールド型のVRMMOゲームだった。それをユーザーという名の開拓者が切り拓いて発展・拡張を続けたのちに類を見ないほどの超巨大な仮想世界が構築されたのだ。
デントのシーズン予選もここが舞台となる。大規模な多人数同時参加型になるからだ。
安価なヘッドギアでもその世界を体験することはできるが制限が多い。やはりDIVEを通したほうがより効果的で没頭できると二人は最寄りのデントセンターにやってきた。
「私の会員証、とうの昔に失効してるんだけど」
「じゃあ作り直してこいよ。ここで適当に待ってるから」
以前同じ経験をしたツナグはさほど時間はかからないだろうと施設内をぶらぶらした。
デント専用にカスタマイズされたモデルが多く汎用モデルも並んでいる。どちらのDIVEを使用しても電脳世界へはログインできる。デント専用モデルは他よりも特別感度が良く高性能なので使用料がお安くない。
「ごめん。準備できたよ」と受付から駆けてきたアイサ。
「じゃあ行こうか」
ツナグは彼女をデント専用モデルのほうへと案内した。どうせデントをやるならそちらに慣れたほうがいいだろうという心遣いから。
DIVEに入った二人は離れ離れにならないようにマッチングコードを共有してからいざ電脳世界に接続した。
第二章、開幕。
またこれからもよろしくお願いします。
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