1.薄紅
血とかグロいの苦手の人は自己責任で。
(そこまでグロいとか、血沢山ではありませんが)
「ソレ、どうするつもり?」
頭上から降ってくる、声。
「もう、こと切れちゃってる。分かってるでしょ?」
ゆるやかに降り続ける声。
でも、僕の時は止まってるようだった。
ただ、見つめていた。
石畳の上。毒だと教える匂いに変わり果てかけている、モノを。
鼻の奥で感じる匂いが、うるさいくらい危険を訴えてる。
「ジュリ!」
動けない。
「ジュリ!」
分かってる。
動け。動け。
動け、動け、動け!
「ジュリ!!」
動けない。動かない。
声も出ない。
嫌だ。ヤダ、ヤダ、ヤダ!!
喉の内側を掻きむしられるような恐怖に、飲み込まれる。
「ダメだ!ジュリ!」
そんな叫び声が、遠くから聞こえる。
「閉じろ!」
得体の知れない暗闇の真空世界。
全身が痛い。
「ジュリ!!」
意識が無理矢理、解離される轟音の渦。
濁流に乗っ取られる…!
「…ぅぁ…っ」
喉を押しつぶされたような、声にならない息。
絞りだせた抵抗は、それだけだった。
「ジュリ、…ジュリ、ダメだ、ジュリ」
不快な轟音の中、わずか聞こえる声。
僕の名前を呼んでる声。
引き上げるように、身体が支えられてる。
遠くじゃない。
声は、すぐ側。
「ひぁ…っ」
息が出来ない。
「閉じろ、ジュリ!」
頭が熱い。
全てを、手放しかけた。
その瞬間、見えた。
柔らかい、微かな光。
真っ白な、小さな、小さな灯り。
「ル…、ル…カ…」
振り絞ると、漏れた声で名前を紡げた。
「ジュリ!」
僕を支配しようとしてる轟音。
守らなきゃ。
あの灯りを。
「ルカ、…」
守らなきゃ。
「駄目、…駄目だよ?ジュリ。赦さないよ、オレ。赦さないから絶対」
痛い。
…痛い、痛い。
直接、心臓を握り潰されるような痛みに、声が漏れて、涙が溢れる。
「か…っ、ひぁ…っ」
動け、動け、動け、動け、動け!
「ジュリ、赦さない、赦さないっ、赦さないんだからっ」
守る。
守るんだ。
「っ…」
言葉も、声すらも出ない。
凌駕される痛み。
不快な轟音は頭を、喉を。
ギリギリと潰されているのは、心臓。
見開いているはずなのに、闇しか見えない。
「ジュリっ、嫌だっ、嫌っ、嫌だっ」
声、ルカの声、近い。
ルカの首、すぐそこ。
「く…ぁっ」
躊躇う暇もなく本能のまま、噛み破った皮膚。
「っ…」
半狂乱に、僕を抱きしめ、泣き叫んでいた声が止まった。
首元に食らいついただけで、止まっている僕の牙に、ルカの脈がぶつかってる。
口の中、溢れそうなほどに、唾液が溜まる。
わずかに、顎を緩め、舌先を下顎の牙と食らいついてた皮膚の間に差し込む。
「…ジュ…リ?」
ルカの声音が、正気の色に変わった。
呼気がこぼれて、顎が閉まる。
下顎の牙が、差し込んだ舌を貫く。
「く…ぅっ」
走る痛みに白んだ視界。その刹那、わずかに視覚が戻った。
「ジュリっ!」
僕より早く、正気に戻ったルカが、僕の顎をこじ開ける。
こじ開けられた顎から、空吸いした空気に、喉が詰まる。
「っ…かっ」
詰まった喉に、口腔内に溢れてた唾液が追い打ちをかけ、咳き込んだ。
目の裏が脈打つ痛み。
牙に貫かれてた舌から溢れる血が、咳の合間に流れ込んで、さらなる咳を呼ぶ。
咳と共に、嚥下できなかった血液と唾液が溢れる。
「ジュリ、大丈夫?ジュリ!」
這うような姿勢で咳き込んでる僕を、ルカが抱き起こそうとする。
口の中、ルカの血と自分の血が混ざり合ってる。
ルカの腕をどうにか解いて、目の前の黒色化した血溜まりへ這い出した。
吐きそうな刺激臭にむせそうになりながら、血溜まりの源泉に辿り着いた。
「何、…やってる…の?」
背後から聞こえるルカの声が、震えてる。
「…。」
か細い指は陶器のようで、指先にも、爪にも、あるずの薄紅が消えていた。
そんな手に触れると、まだ柔らかく、体温を錯覚する。
豊かな黒髪は、この辺りでは珍しい。
だからなのか、その身体はとても華奢だった。
うつ伏せに近い状態の、少女であったモノ。
何故か、僕は魅了されていた。
「ジュリ、何、…何やってんの?ダメ、駄目だよ?」
ルカの、何か悟った声。
僕の手が、黒髪に触れる。
指先が勝手に、髪をすくう。
すくった黒髪の下、あらわれた頬。
「駄目、ジュリっ」
警告音のような、ルカの悲鳴。
でも、黒髪の下、あらわれた頬は、わずかに薄紅色が残っているように見えた。
空気を裂くような声で、ルカが僕の名を呼ぶのと同時に、僕は黒髪の下の首筋に噛み付いていた。
額や頬が石畳に擦れようが、ルカが泣きじゃくってようが、関係ない。
何度も顎を緩めながら吸い上げている内に、自分のじゃない、ぬるすぎる血液が口に微かに拡がり始めた。
差し込んでた牙を、一度完全に抜いて、大きく息を吐いた。
薄い皮膚を一舐めして、舌先ごと噛み付いた。
ルカが、何か叫んでるけど、知らない。
吸い上げている血液をはるかに超えた量が、吸い上げられていく。
危ない、ヤバイって、頭の中で警鐘が鳴り響いてる。
だけど、止められない。
「ジュリっ!!」
頭が、クラクラ、チカチカし始めたと同時に、すごい力で引き剥がされた。
「る、ルカ…」
苦しい、息してても、空気が足りない。
生理的にボロボロ溢れる涙。
目の奥が痛い。
失血の渇きで、喉がヒューヒュー鳴ってる。
泣きじゃくりながらルカが微笑んで、僕を抱きしめた。
ルカの手が、僕の後頭部に添えられ、首筋に誘導する。
瞬間意識が飛んで、戻った時には、ルカが肩で息してた。
ルカから離れて、僕はまた、少女に噛み付いた。
奪われていくまま、彼女に血液を垂流す。
腕の中の身体が、さっきまでとは違う弛緩になる。
牙に当たる脈も、力強い。
血の味も、同族のものにいれかわった。
大丈夫、これで大丈夫…。
そう思った瞬間、意識が途切れた。