運命の1 同じ朝がまた来る
もう逃げ出したい。
何度思ったことだろう。
何度も何度も願っていた。
もう終わらせてほしい。
なのに、やってくる朝はいつも同じだ。
「おはよう、イェルダ」
目が覚めて、また絶望する。私は、また同じ朝を迎えた。
「おはよう、母さん」
私は今日、教会で神託を受ける。お前こそがこの国の聖女なのだと告げられるのだ。
これで101回目。
繰り返し、繰り返し、繰り返し過ぎて、もう、嫌になってきた。
ふわふわのピンク色の髪も、青く澄んだ瞳も、白魚のような指先も。美少女と言われる要素はがっつり詰め込んである感じの容姿は、最初の頃こそ喜んだけど目立ちすぎてなぁ。
(逃げるかな……)
逃げてもどうにもならないことも知っている。100回くらいは試しているからだ。
私は、本当はイェルダではなかった。もっと詳しく言うなら、私はイェルダを知ってはいた。
乙女ゲームのヒロインとして。
「ラブラブマジカルナイト~聖なる乙女の涙~」
タイトルはともかくとして、わりと難易度が高いのが売りだった乙女ゲーム。略称はラブマジだ。庶民の女の子が聖女であるという神託を受けて、王宮で保護されることになり様々な男子と恋に落ちるという展開の王道恋愛もの。
ありがち。でも私はすごくハマっていて、それこそ全員分のスチルを集めて逆ハーレムエンドも見て、攻略本にあるような知識も全部記憶していた。
けれど。
自分がイェルダになりたいなんて思っていなかった。
傍観者としてあれこれ口を出すから楽しいのであって、ヒロインそのものになりたいなんて思っていなかった。
あの日。
<<<思い知れ>>>
イェルダは画面越しに私にそう言った。
<<<私の人生を振り回すのは、楽しかったでしょうね。今度はあなたが私と同じ目にあえばいいのだわ>>>
初めて見るスチルだった。そして私はイェルダになったのだ。
何を言っているかさっぱり分からないと思う。私だってさっぱり分からない。
はじめは楽しかった。とっても楽しかった。覚えている知識をフル活用して、このゲームの世界を楽しんだ。10回目のループが起きた時、私は気付いた。私は、ひどく短い期間をひたすら繰り返しているのだと。そしてそれがいつ終わるのか分からない繰り返しなのだと。
目が覚めた時、そうでなければいいと願ってしまう。
「……さて、どうしたらいいのだわ」
この出だしのイベントで脱走を試みたのは確か、25回目の時だ。記念回だね。やっふー。もう、そんなテンションでないとやっていけない。神経だって磨り減る。でも消えられないし、ループは続くし、だったら出来るだけ条件のいいエンディングを迎えるのも手だと思って、思い出せる限りの知識を総動員して逆ハーレムエンドもやったし個別の真エンドだって全部見た。でも、変わらなか った。何も。
同じ日がまた、やってくる。
イェルダは恐怖だったと思う。もし、今の私と同じ状況だったというのなら。
おとぎ話はめでたしめでたしで終わるけど、読み手側はそれで満足するかもしれないけど、物語の登場人物たちの人生はそこで終わりなわけでは当然ない。そこまで考えてゲームなんてしてないし、小説もマンガも読んでいなかったけど、当事者となった今はとても身につまされる事態だ。
神託さえくだらなければ、普通の女の子として暮らせるのではないかと思ったけど、私自身だけにくだるものではないから、今逃げ出しても意味がない。
でも、逃げたい。逃げ出したい。
もう嫌なんだもの。
やっと三年間が終わったと思えば、また始まりの朝に戻ることの繰りかえし。発狂してもおかしくはなかったと思う。発狂しなかったのは、やっぱり本物のイェルダのせいなのかな。
「今日は教会へ行く日でしょう? 支度はすんだの?」
「大じょばない。いえ、大丈夫ではないのだわ。ちょっと仕度をするのだわ」
「朝ご飯がもうすぐ出来るから、はやくいらっしゃいね」
「はーい」
言語だって崩壊するっての。本当にこの繰り返しは、ずっと、終わらないものなのだろうか。
もう何度も繰り返すイェルダとしての人生のせいで、元々の自分の名前も忘れてしまった。家族がいたはずなのにその顔さえ思い出せないのに。
元に戻ることは、出来るのだろうか?
はい、思考停止。やめやめ。
ネガティブになったってゲームは進行するんだから、こんなこと考えてたって仕方がない。ポジティブなのだけが今の私の取り柄だ。それはまさにヒロインであるイェルダの取り柄でもある。
イェルダは、本当の彼女は、どんな気持ちだったんだろう。
今、この瞬間も、それは分からない。きっちり全部私にぶつけてから押し付けてくれたらよかったのにね。さあ、気持ちを切り替えていこう。
「クローゼット、オープン」
ぽそり、と私がつぶやけば、目の前にはぎっしりといろんな道具が表示された透明の枠が表示される。このあたりはゲームといっしょ。クリアしたデータのアイテムが引き継がれているのも、いっしょだ。
「どこだっけ。あ、あったあった」
日記、とある。そこには今までのループの失敗から、事細かに攻略としての必要事項やら何やらを書き記してある。これは、この世にたった一冊しかない、私のための攻略本だ。
すっかりボロボロになっているこのノートは、私のための命綱。酷い目に合わないように、出来るだけ今世も穏やかにループを乗り切りたい。どうせ、またこの朝に戻ってくるというのなら。
私には、この世界に来る前に得ていたチート能力がある。見たことを覚えている。それは本であればページ数から何から全部、まるごと暗記できる。暗記できる量には残念ながら限りはあるが、このノート一冊くらいだったら全然問題はない。
「今回も、しのぎきってやるのだわ」
ノートを抱きしめれば、今までの記憶が走馬灯のように蘇ってくる。
そういえば、この語尾が「~のだわ」になるのも、ヒロイン補正ってやつなんだっけか。普通に喋っているつもりが、なぜかこうなる。気にしても仕方ないというのが分かってからは、そのままだけど。
日記をクローゼットの元の位置に戻して、表示を閉じる。開きっぱなしでも他の人には見えないけど、何せ視界がうるさいからね。
「さ、何はなくとも腹ごしらえしよ」
教会で、私は神託を受ける。そこからは今までの知識を総動員するだけだ。
そう思わないとやってられない。
私は、戦場へ向かう兵士のような顔をして、自分の部屋を出たのだった。