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暴力と権力

困ったな。


俺は足元に転がる男を眺めた。

いろんなところから血を流し、すっかり伸びてしまっている。


携帯に手を伸ばし、電話をかける。


「まずいことになった。

すぐに来てほしいんだけど。」




10分後、小平さんは面倒そうに公園にやって来た。


「早かったね。」


「家近いから、車で飛ばしたらこんなもんだね〜。

それでどうしたの?」


「ああ、ちょっと殴っちゃって。

どうにかしてほしいんだよね。」


俺は足元の男を示した。


「キャッ!!なに!?死体?

悪いけど、病院ってのは生きた人間が専門だから死体は無理だよ。」


「生きてる生きてる。

ほら、呼吸してるのわかるでしょ?」


俺は足で男を転がし、小平さんに見せつける。

彼女は怪訝そうに男を覗き込み「あ、ほんとだ」と呟いた。


「普通に救急車呼べばいいじゃん。

ボコボコに殴られてるけど、自分はなにも知りませんって言ってさ。」


「いやそれが、この人のことちょっと消したいんだよね。」


「どういうこと?」


小平さんが 再び怪訝そうな顔をする。

ちょうどその時、俺を呼ぶ声がした。


「光ヶ丘くん?どこ?」


「あれ〜?鷺ノ宮さん?」


「あ、小平さん。来てたんだ。」


「そう、一応手当て必要かなって。」


鷺ノ宮さんは汚物を見るような目で地面に転がる男を見た。


「この男を消せばいいんだね。」


「そう、よろしくね。」


「ちょっと待ってよ。

話についていけないんだけど。」


小平さんが不服そうにこちらを睨む。


「あー、あのね、この人恋ヶ窪さんの父親らしいんだけど二ヶ月前に恋ヶ窪さんのお母さんは離婚してこの人から逃げたんだ。

というのも、この人が2人に暴力を振るってたからなんだ。」


小平さんが「ドメスティックバイオレンスか……。」と呟いた。

そういうことだ。


「そう。

それでここに越して暮らしていたけど、なんでかこの人は2人がここにいることを知って、しつこく戻るように迫った。

そして今日も2人の部屋に押し入って……。」


酷いものだった。

何かが倒れる物音、恋ヶ窪さんのお母さんの叫び声、恋ヶ窪さんが怒鳴る声。

それ以上に鈍い、暴力の音が聞こえて俺は気が狂いそうだった。


だから俺は彼女の家に駆け込んで、この男を引きずり出した。


恋ヶ窪さんの痛ましい姿が目に焼き付いて離れない。

全身痣だらけだった。


彼女は意識を失っていたが、母親の方は意識があったのですぐに救急車が来ると伝えて出て行った。


それから俺はこの公園まで男を連れ出し、彼がしたことをそのまま彼に返したのだ。


「待って、なんで光ヶ丘くんが恋ヶ窪さんの家の近くにいたの?」


「やっぱり気持ち悪いな〜。」


「恋ヶ窪さんが暴力を振るわれてるって、この間わかったんだ。

もしかしてって思って張り込んでて正解だった。」


彼女の手当てをしたとき。

偶然だ。

やましい気持ちは一切なかった。

ただ脛の傷を手当てしようとしたとき、スカートが捲れて太ももがちらりと見えたのだ。

彼女に付けられた禍々しい痣も。


二ヶ月前に両親は離婚したという割にはくっきりしていたので、離婚した今でも暴力を振るわれているのだろうと思った。

最初は母親かと思ったが、まさか離婚した父親が彼女たちを追い回していたとは。


「なるほどね〜。

それでこの男をどうするの?」


「本当は殺したい。

でも、恋ヶ窪さんはそれを望んでいるかわからない。

だから殺すんじゃなくてもう2度と彼女に会えないようにしようと思って。」


俺は2人を見た。

2人は侮蔑しきった目で男を睨んでいた。


「小平さんにお願いしたいのは、別に大したことじゃない。

ただ、意識が戻ったらすぐに連絡してほしい。」


「そんなことでいいの?

わかった。」


小平さんは頷いた。

鷺ノ宮さんは困った顔で俺を見た。


「私はどうしたらいい?」


「そうだなあ。

この人には海外にでも行ってもらおうと思ってるんだけど。」


「まだまだ働けそうだし、体も頑丈そうだもん。

マグロ漁船で頑張ってもらおうね。」


鷺ノ宮さんは手で丸を作ってニコニコと笑った。

鷺ノ宮さんの父親は政治家だが、悪人の政治家だ。

収賄、詐欺、殺人など朝飯前。

まさかマグロ漁船とも関わりがあるとは思わなかったが。


「ありがとう、助かるよ。」


「どういたしまして。

でもさ、病院に連れて行かないでそのまま持ってっちゃえばいいのに。」


「うーん、でも急にいなくなったら恋ヶ窪さんが心配するかもしれない。

一度病院に入って、自らの意思で何処かに消えたということにすれば恋ヶ窪さんも安心すると思うんだ。」


鷺ノ宮さんが呆れた顔をした。

小平さんは白い目で俺を見る。


「さすが。」


「気持ち悪いな〜。」


「お褒めの言葉をありがとう。

これ以上この人放っておくと死んじゃうかもしれないからそろそろ動こうか。」


「りょーかい。」


✳︎✳︎


白い清潔な病院のベッドに、彼女は横たわっていた。

包帯が痛ましい。


「恋ヶ窪さん……。」


布団から出ていた手を握る。

あの日、一緒に帰った時は暖かかったのに今は冷え切っていた。


彼女の家の監視をきちんと誰かに頼めば良かった。

俺だけでやろうと思ったのが間違いだったのだ。


いつも我が家の警護をしている人だったらすぐさま彼女の家の異変に気付いただろう。

彼女の家に父親を入れることすらしなかったかもしれない。


自分が情けない。


「あら、あなたは……」


顔を上げると、恋ヶ窪さんの母親が立っていた。

色んなところに包帯を巻かれ、顔色は酷く悪い。

俺は恋ヶ窪さんの手を離して挨拶をした。


「恋ヶ窪さんのクラスメイトの光ヶ丘と言います。」


「この子の……アヤの母です。

あの、あなたさっき私たちを助けてくれたわよね?」


恋ヶ窪さんの方を見る。

これで助けられたというのだろうか。


「……いえ、俺は……」


「ありがとう。本当にありがとう。」


彼女の母親は頭を何度も下げてありがとう、ありがとうと言った。

怪我をしているのだ。頭を下げて欲しくない。


「そんな、やめてください。

ああ、こちらに座って。」


俺は備え付けの椅子を持って、彼女の母親を座らせる。

彼女の母親はゆっくり椅子に座ると、呆然とした表情で恋ヶ窪さんを見つめていた。


「あなたが助けてくれなかったらきっと誰か死んでいたわ。」


恋ヶ窪さんの母親の目は澱んでいた。

背筋に怖気が走る。

もし、恋ヶ窪さんが死んでいたら……。


「本当にありがとうございます。」


「……彼女の、容態は。」


「命に関わるほどではないそうだけど、頭を打って脳震盪を起こしてて……。」


命に関わるほどではない、という言葉に安心するべきなのだろうか。

でもやはり、こんなボロボロになって欲しくない。


「……あの男はどうなったの?

あなたに殴られて、引きずられて行った後。」


「……病院に連れて行きました。

意識が戻ったら逮捕されるそうです。」


恋ヶ窪さんの母親は唇の端を吊り上げて笑った。


「逮捕ね。どうせすぐに出てくる。

腕のいい弁護士を知ってるのよ、アレは。

娘を殴ったのに正当な理由とやらを捏造して、刑期を短くする。

前もあったのよ、そういうことが。」


恋ヶ窪さんの母親は多分、ヤケになっているのだろう。

初対面の俺に、あの男の憎悪を剥き出しにしていた。


「……恋ヶ窪さんは何回も……暴力を受けてたんですか。」


「そうよ……。

やっとの思いで離婚したのに。逃げ出したと思ったけど、甘かった。

どこで私たちの居場所を聞いたのか……。


一ヶ月前、突然アレは現れた。

また寄りを戻そうだなんてバカみたいなこと言って、無理だとわかると殴ってきた。

警察に何度も相談しても無駄だった。

夫婦だったんですからって。」


彼女は疲れ切った顔をした。

未だにDV被害を理解できない警察官がいるとは思えなかったが、それが現実なのだろう。


「せっかく良い高校に入って、やっと幸せになれると思ったのに、また……。」


「……恋ヶ窪さんは特待生ですよね。」


俺は話題を変えようと話を振った。

このまま、あの男のことを考え詰める必要はない。

もっと和やかな気持ちになれる話をするべきだと思った。


「そう。うちお金無いから。

でも、どうしてもアヤには良い学校にきちんと通って欲しかった。

……私はね、高校を中退して、就職しちゃったのよ。家が貧しくて学費払えなくなったから。

でもそれが間違いだった……。

だからアヤには何が何でも高校を卒業して、大学に行ってもらいたいの。」


「恋ヶ窪さんはうちのクラスでも一番です。

きっと大学にも行けます。」


「あら、一番は光ヶ丘くん、あなたでしょ?」


思わず、彼女を見つめた。


「……知ってたんですか?俺のこと。」


「アヤがしょっちゅうあなたの話ししてたから。

入学した当初は、どうしても越えられない人がいるって悔しがってたけど段々あなたのこと褒めるようになって……。


頭も良くて、運動も抜群にできて、カッコよくて優しい人だーって。

そんな聖人君子いるかって思ったんだけど、いるものね。」


恋ヶ窪さんの母親はマジマジと俺を見た。

なんだか気恥ずかしい。


「聖人君子じゃありませんよ。」


「更に謙虚ときた。」


彼女はふふっと笑った。

先ほどの、あの男が憎くてたまらないという表情ではなく、気の抜けた穏やかな笑顔だった。


「……もしかしてアヤの恋人かしら。」


「……いえ、違います。

俺が一方的に好きなだけです。」


「あら!」


彼女はにっこり笑う。

女の人はこういった話題が本当に好きだ。


「一方的かどうかは置いといて……。

でもどうしてあの時、家の近くにいたの?」


「恋ヶ窪さんが何日も休んでいたので、プリントとノートを持って行ったんです。」


本当は監視をしていたのだが、小平さんのように「気持ち悪い」と思われると困るので黙っていた。


「巻き込んでごめんなさい。」


「……もう少し早くに気付くべきでした。」


「気付いてくれただけで、助かってるわ。」


恋ヶ窪さんの胸が上下する。

呼吸をしている。

生きている。


「……そろそろお暇します。

お邪魔しました。」


窓の外は暗い。

いつまでもここにいたいが、そういう訳にもいかないだろう。


「ああ、もうそんな時間なのね。

今日は本当にありがとうございました。

このお礼は必ず……。」


「なら、また来てもいいですか?」


「もちろん。」


彼女はにっこり笑った。

笑い皺が恋ヶ窪さんにそっくりだ。


「そうだ、あの男のことなんですが。」


「……何かしら。」


「もうあなた方の前に現れませんよ。

生きてるうちも、死んでからも。」


恋ヶ窪さんの母親は目を見開いた。

それから小さな声で「良かった」と呟いていた。

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