解答
恋ヶ窪さんは焦っていた。
どうしたんだろうか。
俺の家まで来ると言っていたが……。
彼女は電話から1時間もしないうちに駅に着いたと連絡してきた。
沼袋にお願いして迎えに行く。
「恋ヶ窪さん。」
恋ヶ窪さんは汗まみれだった。
相当走ったんだろう。
こんなに焦ってるなんて、何があったんだろう。
「光ヶ丘くん……。」
「どうしたの?
あ、暑いでしょ。車入って。」
「ありがとう……。」
恋ヶ窪さんは不安そうだった。
車に並んで座って、彼女の手を握る。
沼袋は何も言わないで車を発進させた。
「いきなり家に行くって言って大丈夫だった?」
「……うん。大丈夫だよ。」
本当はあまり大丈夫ではない。
沼袋もミラー越しに俺を見た。
わかってるよ。
10分程度で家に着く。
俺は恋ヶ窪さんの手を引いて家に入れる。
「お、大っきい家……!!
家?城?」
「リフォームして外だけよく見せてるんだよ。」
最近壁の色を塗り替えたばかりだし。
そう言って玄関を開けた瞬間悲鳴が聞こえてきた。
「あああああ!!!!なんなのよ!!!
何が誰も寝てはならぬよ!!寝かせなさいよ!!」
恋ヶ窪さんは固まっていた。
俺は手を強く引く。
「ごめんね、うちの母親ちょっと病んでて。」
「えっ、あ、うん?」
「気にしなくていいから。」
母に気付かれないように慎重に廊下を歩く。
見つかると面倒だ。
「翡翠。」
声がかかる。
誰かと思ったら兄だった。
「兄さんか……。」
「は、初めまして……!恋ヶ窪と申します……。」
兄は眉一つ動かさないで「アベック……」と呟いて母のいる部屋に向かっていった。
「……アベック?」
「気にしなくていいから。
兄も……変?」
ギリギリ病気ではない。
ただ、表情が全く変えられないだけだ。
……やはり病気かもしれない。
「ごめん、今日は家族全員いるんだ。」
「挨拶……」
「しなくていいよ。」
慎重に階段を登る。
後ろで何かが割れる音がし、拍手が聞こえてくる。
母が皿でも投げ、それを見た兄が拍手しているのだろう。
恋ヶ窪さんにまた「いつものことだから気にしないで」と言って腕を引いた。
自室に入ろうとドアノブに手をかけた時、隣の部屋の扉がゆっくり開いた。
「おにーちゃん……?」
「琥珀。」
弟の琥珀は固まった表情でこちらを見ていた。
「もしかして……彼女?」
「そうだよ。恋ヶ窪さん。」
「は、初めまして!恋ヶ窪です!」
弟の顔が驚愕に染まる。
「おにーちゃん、いつの間に……!
この間あたしにいないって言ったのに!」
「だってお前うるさいんだもん。」
「うるさくないもん!
いつから!?なんで!?」
「ほらうるさい。
邪魔しないでね。」
俺は恋ヶ窪さんを部屋に押し入れる。
琥珀の相手していたら日が暮れる。
「妹いたんだ……!可愛いね!」
「あれ弟。」
確かに髪の毛を伸ばしてツーテールに結び、フリフリのワンピースを着ているから女にしか見えないだろう。
しかし残念ながら琥珀は男である。
「おと……うと……?」
「今日は女の格好したい気分なんだよ。
気にしないで。」
琥珀はなんでかわからないが毎日変装する。
この間はアノニマスのお面を被って過ごしていた。
「へ、へえ?」
「ごめんね、忙しなくて。
……それでどうしたの?」
俺が小さな折りたたみのテーブルを広げて置くと、恋ヶ窪さんはその前で正座した。
「あ、あの……。
……私のお父さんってどうなったの……?」
「……俺は知らないな……。
お母さんが知ってるんじゃない?」
「ほ、本当に何も知らない?
私もお父さんも小平さんの系列の病院に入院してるのって偶然?
っていうか、光ヶ丘くんの周りの女の子ってみんなその……権力のある家なんだね。
それも偶然……だよね……?」
誰に何を吹き込まれたやら。
そういえば最近朝霞さんの周りに秋津がウロチョロしていた。
あいつだろう。
口は回らないが頭は回るようだ。
「偶然だよ。」
「……わたしのこと、いつから好き?」
「……恋ヶ窪さんと同じ。
教室で恋ヶ窪さんに泣かれてからだよ。」
恋ヶ窪さんは不安そうに目を泳がせている。
「……清瀬さんとか、中井さんとか、小平さんと仲良くするのは、その、権力を使うため……?
お父さんを消すため……?」
秋津。
放っておくべきではなかった。
拝島を排除すれば危険は減ると思ったのに。本当の意味での危険は秋津だったのか。
まさか恋ヶ窪さんが俺を疑うだなんて。
こうなっては仕方がない。
「違うよ。
……たまたま、利用できる力があっただけ。」
「え……?」
「今後のために仲良くしておいた……っていうか、お互い望むことを叶えてただけなんだけど。」
「なら、お父さんは……」
「……マグロ漁船にいる……かな。」
恋ヶ窪さんの顔がドンドンと青くなっていく。
「マグロ漁船!?
ひ……光ヶ丘くん、何考えてるの?」
「何って?」
「私と付き合ったのはどうして?
私はなんの役にも立たないよ?」
「……恋ヶ窪さんのことを好きな気持ちだけは本当だよ。」
俺が身じろぎすると恋ヶ窪さんの肩が跳ねた。
怯えられている。
俺は彼女が好きで、彼女を守りたいのに。
「俺の家はこんなんだし、周りも胡麻擦ってくる連中ばっかりだ。
でも恋ヶ窪さんは違うよね。だから好き。君の純粋さが。」
「……わかんないよ、私、頭ぐちゃぐちゃなの……。
光ヶ丘くんは、みんなと持ちつ持たれつ、利用するために仲良くしてた?」
「そう。前もそう言ったよね。」
「どうして?そんなことする必要ある?」
「あるよ。」
恋ヶ窪さんの手を引いて腕の中に閉じ込める。
彼女は全身が硬直していた。
「ねえ恋ヶ窪さん。
俺から逃げられる?」
「逃げ……?」
「そう。
そうだな……。普通に家出してみたとして、でも簡単に捕まえられる。警察に頼めばいいだけだ。
じゃあ俺と連絡を取らないのはどうかな。俺の連絡を全部無視したりとか。
でも朝霞さんに何かあったら怖いよね?これも無し。
誰かの家に駆け込む?朝霞さんは助けてくれるだろうけど、やっぱり何かあったら心配でしょ?
千川くんは喧嘩は強いけど、中井さんって弱みがある。同じくらい喧嘩の強い拝島くんもだね。田無さんが弱みだ。
じゃあ逆に中井さんや田無さんに頼んでみる?結果は変わらないけど。
中学校の友人に匿ってくれるように頼む?
そうだな……。確か、高山さんって人と仲よかったんだよね?
住所も知ってるよ。
他の人のもね。
教師に助けを求めるのは1番の愚策かな。
彼らだって人間だ。自分の身が可愛いだろうしね。」
他に案あるかな、と恋ヶ窪さんを見た。
彼女は信じられないものを見るような目で俺を見つめていた。
「恋ヶ窪さんは俺から逃げられないね。」
「……私をどうするつもり……?」
「どうもしないよ。
ただ、側にいてくれればそれで。」
彼女はただただ困惑していた。
俺はその冷たい頬に手を当てる。
「俺が何のために彼女たちと仲良くしてたかわかった?
恋ヶ窪さんを逃さないため。
俺1人の力じゃ限界があるからね。」
「逃げたりなんか……」
「本当に?」
彼女の頬に当てた手が思わず顎を掴んでいた。
「今日、秋津の家に行ってたね?
どうして?」
「それは、結衣と一緒に遊ぶつもりだったのに秋津くんが結衣を連れてっちゃったから……!!」
「ふうん……?
わかった。恋ヶ窪さんの意思じゃないんだね。
……でも今度他の男の家に行ったりしたら許さない。」
恋ヶ窪さんを見つめる。彼女は泣き出した。
俺は彼女を抱き締めた。
なんて弱いんだ。こんなの泣くようなことじゃない。
「恋ヶ窪さん……。泣かないで、安心して。
君が俺から逃げ出したり、他の男の元に行こうとしなければ、俺は何もしないよ。」
彼女の頭を撫でると、彼女は震えだした。
「どうして……どうして……?怖いよ、光ヶ丘くん……。」
「君が好きだから。それだけだよ。」
「おかしいよ、全部、何もかも。」
「そうかも。ごめんね。
でも逃す気はないんだ。何があっても。」
恋ヶ窪さんは何に泣いているのだろう。
ただ俺は泣き止むのを待っていた。
「ごめんね、恋ヶ窪さん。
でも絶対君を守る。これ以上傷付けたりしない。
幸せにするから……。だから、安心して?泣かないで……。」
俺が恋ヶ窪さんに縋ると、彼女はかすかに頷いた気がした。




