線の痕
SMプレイの話です
いつものように依澄を待つ。
拝島くんは学校にいないから警戒をする必要は無いけれど、これも習慣だ。
それにしても依澄遅いな……。
図書室にベタの図鑑返しに行ったみたいだけど。
一緒に行けばよかったな……。
腕時計から顔を上げると、黒塗りの車が校舎をスーッと通った。
この学校の生徒のものだろう。
お金持ちが多いから。
けれどどうして駐車場に停めないんだろう?
私は好奇心で車を追いかけた。
黒塗りの車は校門近くに停まっていた。
誰のか知らないけど、かっこいい車。
運転席を見ると、更にかっこいい男の人がいた。
眼鏡変えてよかった。
お陰でよく見える。
そう、とてもよく見えた。
彼の手首の痣も。
……紐で縛られたような赤い線。
私の背筋に電気が走る。まさかね。
私は窓をノックした。
「こんにちは。この学校に何か?
先生呼びましょうか?」
窓が下げられ、運転席に座るその人が顔を出した。
「ああ、いえ。
人を待っているだけなので。」
見かけより低い声。
「そうですか。
ここ、駐禁の取り締まり厳しいんですよ。
駐車場までご案内しますか?」
「いえ、それには及びません。
もうすぐ来ると思いますから。」
私みたいな小娘にも敬語使うんだ。
彼は袖を巻くって腕時計を確認した。
腕時計の下にも赤い線が見える。
「……あの、どなたをお待ちですか?
私、お役に立てるかもしれません。」
「1年Aクラスの光ヶ丘 翡翠を待っているのですが……。ご存知でしょうか。」
翡翠くん!
知ってるも何も、協力関係にある、良く言えば仲良しさんだ。
「ええ。私、翡翠くんのクラスメイトです!
私のクラスはもう帰りのホームルーム終わりましたけど……。
探してきましょうか?」
「いえ、きっとご学友と談笑されているのでしょう。
駐車場に停めることにします。
……駐車場教えて頂けますか?」
彼は少しだけ微笑んだ。
可愛い。なんて可愛い。
明らかに年上の男の人に言う言葉じゃないけれど。
「もちろんです。
この道をまっすぐ……」
彼は運転席から降り、私の横に立った。
それがマナーなのだろう。
「この道をまっすぐ?」
「え、ええ。
そしたら3個目の曲がり角で曲がってください。
駐車場が見えると思います。
標識もありますから、迷わないと思います。」
「わざわざありがとうございます。」
彼は頭を下げて、運転席に戻ろうとした。
行ってしまう。
そう思ったら、私は彼の手首を掴んでいた。
「……あの、その手首の痣、なんですけれど……。」
その言葉に彼は鋭く反応した。
肩が跳ね、全身が硬直する。
「こ、れは、」
「もしかして他の部分にもあります?
例えば……そう、こことか……?」
私は自分の腹を撫でた。
彼は顔を赤くして目を逸らす。
「なにを、言っているのか……」
「あなたにはきっと、赤い縄が似合うでしょうね……。」
背も高くて筋肉もある。おまけに顔も良い。
そんな人が縄で、縛られていたら?
私はゾクゾクした。
きっと美しい光景だろう。
「あ、なたは、一体……?」
「鷺ノ宮です。鷺ノ宮 亜弓。」
「そうではなくて……。」
「あなたのお名前は?
是非教えてください……。」
私は彼の手首の痣を撫でた。
綺麗に付いてる。
これがもし、私が付けた跡だったならなあ……。
「……沼袋 秀市です……。」
「沼袋さん、そうですか。
沼袋さんって大胆なんですね。
こんな目立つところに跡を付けるだなんて。」
「それは、やめてくれと頼んだんです!」
「バレたらどうするんですか?
光ヶ丘くんの家の人なんですよね?
私が光ヶ丘くんなら、親に言いつけるかも。」
私が笑うと、沼袋さんは顔を真っ青にした。
「ま、待ってください、」
「仮定の話ですよ。ご安心ください。
大体、光ヶ丘くんは知らないんですよね?この趣味。
誰かに言われない限りは。」
「……何がお望みですか?」
彼は泣きそうな顔で私を見てきた。
なんて可愛いのだろう。
「ごめんなさい、脅してるわけじゃないんです。
ただあなたとゆっくり話がしたいだけで……。」
沼袋さんは私をジッと眺めると「わかりました。」と答えた。
光ヶ丘くんに告げられるのではという弱みもあるとはいえ、彼が了承してくれるとは思わなかった。
沼袋さんは言葉を続ける。
「……今日はきっと、早く帰されます。
うちに来てください。」
「よろしいんですか?」
「……今日の19時にあそこの駅で待っていてください。迎えに行きます。」
その時、後ろから名前を呼び掛けられた。
なんていいタイミング。
私は沼袋さんに目配せをすると、光ヶ丘くんに向き直った。
✳︎✳︎✳︎
待ち合わせの時間よりも早く沼袋さんは来ていた。
着替える時間がなかったのか、スーツのままだ。
私は慌てて彼に駆け寄る。
「お待たせしました……!」
「いえ、時間より早くに来ていただけです。
……本当に私の家に来てよろしいんですか?
他の場所でも構いませんが……。」
「余り聞かれたくない話ではないですか?」
聞かせたいならそれでも構わないけれど。
彼はグッと言葉を詰まらせ、渋々といった感じで私を近くに停めていた車に乗せた。
先ほどの黒塗りの高級車ではなく、シルバーの軽自動車だ。
「……簡単に人の車に乗るのは危ないと思いますが。」
「ああ、そうですね。
でも何かあったら危なくなるのは沼袋さんの方ですから。」
彼は何も答えずに車を発進させた。
しばらく無言で夜景が流れるのを眺めていた。
「いつから……こういったことに興味を持ったんですか?」
「こういったこと……?」
「…………緊縛とか……その……」
「SMプレイのことですか。
いつから……と言われても……。
ええっと、SMプレイというものの存在を知ったのは最近なんですけどそれよりも前から男の人が縛られたり殴られたりするのを見るのが好きでした。」
父は政治家だ。
かなり真っ黒の。
お陰で家にはいつも怪しい人が出入りしていた。中には明らかにマトモではない人も。
そういった人が、仕事で失敗した人を拷問のような目に合わせるのをもう何度も見ていた。
そして私はそれを見るのが好きだった。
大の男が縛られて殴られて、許してくれと泣きながら懇願している様はたまらない。
私のような性癖は、サディズムというと中学の時に知った。
縛って鞭で打ったり、蝋燭を垂らしたりするという。
私はネットの海でその知識を蓄えた。
中学生ながら変態だ。
「貴女はまだ15歳、未成年です。
そういったものに近づくのはまだ早いですよ。
大体、私が貴女に対して酷いことをする男だったらどうするつもりなんですか?」
「……そうですね。すみません。」
沼袋さんはミラー越しに私を見て、少しだけで息を吐いた。
呆れられてるのだろう。
私自身、信じられないほど大胆な行動だと思う。
「もう家に着きますが、まだ私と話をしたいと思っているのですか?」
「車の中でも構いませんけど、でももう少しお話ししたいです。」
「……わかりました。
家に案内します。」
彼の家は大きなマンションだった。
エントラスは寒々しいが、広々としている。
「何階にお住みなんですか?」
「5階です。」
沼袋さんはオートロックを開けると、エレベーターへと乗り込んだ。
まだ新品の匂いがするエレベーターだ。
「ここです。降りてください。」
言われるがまま降りる。
廊下は迷路のように入る組んでいるけれど、綺麗だ。
「素敵なお住まいですね。」
「……なんだか大人みたいなこと言うんですね。」
「嫌でしたか?」
「いえ、翡翠さんの周りは不思議と子供らしい方はいらっしゃいませんから。」
確かに子供らしくない生徒が多いクラスだと思う。
でも1番子供らしくないのはまさに翡翠くんその人だろう。
彼は奥の方まで進むと、ドアの鍵を開ける。
「どうぞ。入ってください。」
「お邪魔します。」
一歩足を踏み入れると、部屋からは春の匂いがした。
もう夏も近いのに。不思議なことだ。
沼袋さんの後に続いて廊下を歩く。
なんだか気持ちのいい部屋。
綺麗にしてあるけれど、生活感もある。
「お掛けになってください。」
沼袋さんに示され、ダイニングテーブルのアンティーク調の椅子に座る。
なぜか傷だらけの椅子は座り心地が良かった。




