腐敗した世界のたった一人の友達
私のお腹に命が宿った。
先生にそのことを話すと先生は怯え泣き叫んだ。
両親にそのことを話すと両親は怒鳴り泣き叫んだ。
私はよく分からないまま堕胎した。
その時の病院が良くなかったらしい。
私の子宮は傷ついて破裂した。
もう2度と子は望めないと医者から言われている。
これについて両親は喜びと怒り、両方抱いたようだ。
もう2度とこんなことが起こらないという喜びと、孫の顔が望めないという怒り。この家が絶たれる悲しみ。
退院して学校に戻ると、私の妊娠は皆が知っているものとなっていた。
どうしてだか知らない。人の口に戸は立てられないものだ。
そこで待ち受けていたのはイジメだった。
まさか歓迎されるなんて思っていないが、ここまでするか、と感心するほどのものだった。
私はある程度慣れていったが、先生はそうではなかった。
ある日先生は自室で首を吊って死んだ。
そもそも未成年の教え子に手を出したのだから逮捕されるはずだったのだが、それよりも早くに先生は自殺した。
本当にクソ野郎。死ぬならもっと早くに死ね。
いや、クソなのは私か。
全てにおいて軽率だった。もっと慎重に行動していればこうはならなかっただろうに。
私の周りから人はいなくなった。
両親も、祖父母も、友人も。
母は私が2度とこんなことをしないようにと私に極端に甘くなった。私が望めばなんでも買い与えてくる。
しかし私が母と関わろうとすると激しく拒絶する。穢らわしいと。
父はもっと極端で、顔を合わすことすらしない。
私は元の親子に戻りたくて必死に望むことを行なっているが、結局受け入れられたことはない。
祖父母とは事件以来会っていないし、友人は誰1人残らなかった。
いや、夕間を友人とするならば彼だけは残ったのか。
家が近所という理由で一緒に遊んでいただかの関係だが。
それでも夕間は私がこんな事件を起こした後も変わらず接してくれた。それは彼の両親にとって不都合だったようで2度と関わるな淫乱と言われた。
私ももう関わるつもりはなかった。
しかし夕間は私が悪く言われていると言い返すという。
それで揉めて、喧嘩になって、問題になって、荒れていった。
ある時、彼が金髪に染めているのを見たときは心底驚いた。
あの顔で金髪にしたら殆どヤクザだからやめておけとあれほど言ったのに。
彼は昔から父の会社を継ぐと言っていたのに、今のままじゃ叶わないだろう。
それどころか逮捕すらされそうだ。
同じ高校に入学すると聞いた時も驚いた。
彼がどうしてあの学校に?と思ったが、コネで入るらしい。
夕間を更生させるチャンスだ、だからお前は絶対関わるなよと彼の父親から念押しされている。
……まあ今こうして彼の部屋にいるわけだが。
きっとバレたら大変なことになる。早い所お暇しよう。
「私も悪かったわ。あなたと話したりするべきじゃなかった。
私たちはもう他人なんだから、私が原因の喧嘩は……というか、喧嘩はもう2度としないで。真っ当に生きて、前みたいに……。」
「……他人なら俺がどう生きようと関係ねえだろ。」
「それもそうね。
じゃあもう、お互い干渉はやめましょう。」
夕間は頷かなかった。
「……光ヶ丘の席は隣の校舎がよく見えるよな。
お前はあの時、光ヶ丘の席に座ってあのサッカー部の奴らの動向を伺ってたんだな。
言ってたよ、お前が来て土下座したって。」
今度は私が黙る番だ。
本当に嫌な奴らだ。
「自分のことは好きにすればいいが、他の人に迷惑をかけるのはやめてくれって言ったんだってな。お前にしては殊勝なことを。」
「……私をイジメたい余り、大袈裟な噂流したり私と話しただけの人に向かって失礼なことを言っていたみたいだったから。」
「髪を切ったのはあいつらか?」
気付かれていたのか。
思わず自分の髪を触る。
こうやってお団子にすれば髪を切られたことを誰にも気付かれないと思ったのに。
「そんな感じよ。」
「あの3人じゃねえな。誰にやられた。」
「さあ。知らない人だから。」
「女か?」
いかにも女ってやり口だもんな。
夕間は呟いたが、私は答えなかった。
「……入間か?」
「名前までは知らないわ。」
嘘だ。
入間 仁美。そいつだ。
夕間の恋人。
私の何が気に食わないのか、噂が流れてからしつこく「ビッチちゃんは次はどの先生の子供妊娠するの?」と言ってきた。
「入間だろ。あのクソ女。」
「仮にも彼女にクソは無いんじゃない?」
「ハア!?誰が彼女だよ!」
「入間さん。彼女なんでしょ?
本人がそう言ってたけど。」
夕間は苛立ったように枕を殴った。
可愛らしい八つ当たりだ。
「あいつは彼女でもなんでもねえよ。
ただ擦り寄ってくるだけだ。」
「あら、でも胸は大きかったわよ。
恋人になって貰えば?アダルトビデオとさよならできるわよ。」
「だから!俺は別に巨乳が好きなわけじゃねえっての!」
「なら貧乳?」
「そう……」
夕間はしまった、と口を抑える。
貧乳が好きなのか……。まさか彼も小児性愛者じゃないだろうな。
「話逸らすなよ!
入間に髪を切られたんだな!」
「はいはい、そうよ。」
彼女じゃないなら庇う必要もないだろう。
私は頷く。
夕間は長いため息を吐いた。
「……あいつがやたらお前に突っかかると思ってたけど、まさかそんなことまでしてたとはな……。」
「気にしてないからいいわ。
髪なんていくらでも生えてくるし。」
「あの日、俺が喧嘩した日、お前が体育館裏に倒れてたのは入間のせいか?」
「恋ヶ窪さんのボールが当たったのよ。
たんこぶで済んでよかった。」
「なんで体育館裏までボールが飛ぶんだよ。
ちゃんと答えろ。」
恋ヶ窪のボールが体育館裏に飛んだとしても驚きはしない。
あれはノーコンとかそんなレベルではない。人に当てにいっている。
「恋ヶ窪さんったら流石よね。」
「暁、茶化すのやめろ。」
キョウと呼ばれて少し驚く。
久しぶりに名前で呼ばれた。
私があの事件を起こしてから互いに名前で呼ぶのはやめようと言ったから。
「何があった?」
「少し話をしただけよ。」
「話をしたら気絶するのか。」
「疲れてたのね。」
夕間は立ち上がると私に近づいた。
彼の手がゆっくりとこめかみを撫でた。
ちょうどタンコブのあった位置だ。
「入間は何した?」
「…………よく覚えてないの。
あそこに呼び出されて……言い争った気がするんだけど……。
気が付いたら保健室だったから。」
これは本当のことだ。
入間に「話がある」と言われ無理矢理あそこまで連れ出され、あのサッカー部の連中を含めて何か話した気がするが、その内容を覚えていない。
気が付いたら保健室のベッドに寝ていた。
教師に勧められ病院で検査をしたが特に異常は無かった。
「……覚えてねえのか。」
「本当よ。
頭を強く打つとそういうことがあるらしいわね。」
「……頭を強く打つと、様子がおかしくなったりもするか?」
「様子が……?さあ、知らないけど。
私の様子がおかしかったってわけ?」
夕間は「ああ」と頷いてから、徐々に顔を赤くした。
……なんだその反応は。
「私何したの?
朝霞さんみたいに江戸っ子の喋り方とかしてないでしょうね?」
「朝霞は江戸っ子になったのか……?
お前は俺のこと昔みたいに呼んで抱きついてきたけど……。」
…………抱き……?
それはどういうことだ。詳しく聞きたい。
しかし聞くのも怖い。
私は何をした?
「抱きついたの、あなたに。」
「ああ。」
「昔みたいにってことは、ゆうちゃんって呼んでたの。」
「ああ。」
「それは、まさかと思うけど、恋ヶ窪さんがいる前で?」
「ああ。」
最悪だ。
夕間に抱きついたことも、あだ名で呼んだことも最悪なのに、それを恋ヶ窪に見られたなんて。
最悪に最悪をトッピングしたようなものだ。
「……入間さんにお礼しなくちゃね。」
「……入間は多分もう学校にいない。」
「えっ?」
「お前が倒れたから、教師が虐めに気付いたんだよ。
虐めてた奴らに話聞いてそれぞれ処分されたらしい。
そのとき入間は虐めだけじゃなくて、飲酒喫煙がバレて退学になった。
勿論、あの3人も退学。あいつらはお前を……性的暴行しようとしたってことがわかったから。
俺もあいつらボコボコにしたけど、俺が謹慎で済んだのは光ヶ丘のお陰だな。
あいつが教師に正当防衛ですってゴリ押ししたから。あいつもボコボコ殴ったのにお咎めは無いけどな。」
「………………知らなかった。」
なんだか私にとってすごく都合のいい展開だ。
誰かが裏で糸を引いてるんじゃないかと思うほどに。
「光ヶ丘が口添えしたみてえだな。
虐めをしていた奴らの処分は重くしろって。
恋ヶ窪の為だろ、あいつがお前の虐めを知って泣いてたから。
それにあの3人は光ヶ丘としても邪魔なんじゃないか?
学校にあんなのがいたら危ないしな。」
恋ヶ窪が。……変な女。
泣くことでもないだろうに。
そこでふと違和感に気づく。
「……私、あの3人に性的暴行なんて受けてないけど。」
夕間は自分の口を手の甲で押さえた。
また失言したようだ。
「何を隠してるの?はっきり言って。」
「俺は何も知らねえよ。」
その言い草に腹が立つ。
私は背伸びをして夕間の頭を掴んだ。
「また喉元に噛み付かれたい?今度は噛み千切るわよ。」
小さいとき、夕間と大喧嘩をした。
その時私は夕間の喉に噛み付いたのだ。
あれは結構な大惨事になったので彼もよく覚えているだろう。
「知らねえって、光ヶ丘から聞いただけだから。」
「そんなに噛み付かれたいなんて、そういう趣味かしら。」
私は掴んだ夕間の頭をそのまま強引に下げた。
そして喉元に噛み付いてやろう……と思ったが、やめる。
この体格差だ。昔のようにはいかないだろう。
私は夕間の頭を離してやる。
「…………私に隠してること全部話しなさい。」
「なんも隠してねえよ。」
「……ああそう。
じゃあ清瀬さんに言うしかないわね。」
「……清瀬に言う……?」
「巨乳コスプレイヤー桃子。」
私の言葉に夕間はハッとなった。
「おい、待て……」
「清瀬さん、下世話な話大好きだから大喜びするでしょうね。
きっと教室のまんなかで巨乳コスプレイヤー桃子を連呼するわ。」
清瀬が教室で大騒ぎする所が目に浮かぶ。
彼女は育ちはいいはずなのに、どうしてああなったのやら。
「や、やめろ!お前そんなことしたら俺はクラスの奴ら全員、いや学校中に俺の趣味がバレることになるんだぞ!」
「学校中で済むかしら。」
「……街中か……。」
夕間の絶望に染まった呟きに私は頷いた。
「恐らくは。
さあ、隠していることを話しなさい。
私が性的暴行を受けかけたって言うのはどういうことなの?」
「……知らねえって……」
ここまで脅しても言わないだなんて。
そんなに深刻なことなのだろうか。
彼がもう少し嘘が上手だったり口が上手ければ気付かなかったのだが。
私はやり口を変えて攻めることにした。
「……思い出した、入間さんとあの3人は繋がってたのね。
あの時、私は入間さんに連れ出された。体育館裏にいたのはあの3人。
あいつらは私を襲ったんでしょうね。私は抵抗して、誰かが私を突き飛ばした。
動かなくなった私を見て4人は怯え、逃げ出した。
……いや、怯えたから逃げたんじゃないか。どうでもよくなったから放っておいただけ。」
「……思い出したのか。」
夕間も単純な奴だ。
「いいえ、鎌かけただけ。
入間さんも中々の屑ね。人を襲わせるなんて。」
私のハッタリに気付いて、彼は私を睨む。
しょうがない。こうでもしないと言ってくれないでしょうから。
それにしても、入間はそこまで私が憎かったのか。
私も入間は嫌いだったが、そこまでではない。
「お前……鎌かけんなよ。」
「最初から教えてくれればしなかった。」
「教えられっかよ。」
彼は乱暴に言葉を吐き捨てた。
乱暴な言葉遣いだけれど、昔から変わらず夕間は優しい。
私にとって彼だけが。
「……ねえ、夕間。
もう私のために喧嘩しないで。今日でお互いに干渉するのはやめて、他人になりましょう。
あなたまで道を踏み外すことない。今ならやり直せる。」
私は彼の手を握った。
「私、転校することにしたわ。
私の噂を知らない所に。そしたらこんなことも起こらないだろうし。
だから今後私のこと悪く言う人がいても私にはもう関係ない。」
「転校って、どこに。」
「外国。」
夕間は私の顔を覗き込んだ。
情けない顔。
「……俺が不甲斐なかったからか?
中学の時も結局何も出来なかった。今回だって……。」
もしかして、ずっと気にしていたというのか?
夕間に責任は何もないのに。
「いいのよ、気にしてないから。」
「気にしてないって……」
「もうずっと何も気にならないの。
堕した時に感覚が全部無くなったみたいで。ブランドのバッグをいくら貰っても嬉しくないし、殴られても髪切られても悲しくない。喧嘩を売られれば買うけど、土下座しろと言われたらするわ。
他人に中傷されたって平気。なにも感じない。
だからあなたも気にしなくていいわ。」
私が笑うと夕間は私の体を引いて強く抱き締めてきた。
私の言葉はより彼を傷付けたようだ。
彼は泣いていた。
「何も泣くことないのに。
そんなんだから泣き虫ゆうちゃんってからかいたくなるのよ。」
「……ごめん……。」
「何に謝ってるの?」
「……全部。」
全部って、また大袈裟な。
夕間は何も悪くないのに、こうやって全部自分が悪いと思ってしまうのは良くない所だ。
「いいよ、今日まで友達でいてくれてありがとう。」
彼のような人が私の側に居ことを残念に思う。
おかげで今日まで生き永らえてしまったのだから。




