殺人サーブと犠牲
誰もいない。
私のボールに当たった結衣も、秋津くんも、あとついでにサボってた千川くんも居残りしなきゃいけないのに誰もいない。
どうしてだ……と思っていたら、結衣から「秋津くんとご飯食べに行きます」と連絡が来た。
結衣の居残りに関しては私が悪いので、先生には早退したって言っておこう……。
秋津くんと千川くんは知らん。
それにしても。
今の時間、部活があるため体育館は人でいっぱいだ。
授業の居残りということで、私は体育館の入り口あたりの隅っこでサーブの練習をしているのだが、いつ誰に当たるかわからずヒヤヒヤしていた。
多分、先生も。
「いい?恋ヶ窪さん。
真っ直ぐ手を伸ばしてそのまま力を抜いて打つの。」
「はい、わかりました!」
「あ、あー!恋ヶ窪さんそれじゃ右に……!」
ボールは大きく右に曲がった。
おかしいなあ。どう打ったらああなるんだろう。
「先生、ボールがおかしいってことはないでしょうか?」
「さっきから木に引っかかったり屋根に引っかかったりして別のボール使ってるけどなんの変化もないじゃない。」
「すみません……。」
「どうしてそんなにノーコンなのかな……。
他はなんでも出来るのにねえ。」
「いやあ、褒めても何も出ませんよ。」
「呆れてるのよ。
ほら、もう一回アドバイス通りにやってみて。」
私はボールを構えた。
真っ直ぐ腕を伸ばして、振る。
バンといい音がしたボールは、途中までは美しい放物線を描いていたのに、何故か直線に変わり、体育館を飛び出した。
「……恋ヶ窪さん。呪われてるの?」
「いやそんなはずは……ないです……?
あの、拾って来ます。」
私は慌ててボールを拾いに行く。
ああ、もう。
どうしてこうも変な方向に飛んで行くんだろう。
ボールは体育館の裏側にあった。凄いところまで飛んでったな。
その横に、女の子が横たわっている。
……まさか。
「あの、えーと、もし?
どうして倒れてらっしゃる?」
「……ん……。」
あれ、このくるくるの髪、もしかして中井さんじゃない?
彼女は制服姿で室外機にもたれるように倒れていた。
「中井さん!ごめん!大丈夫!?」
「……ゆうちゃん……?」
「いえ、アヤちゃんです!
どうしよう、どこ打った?頭?ごめんほんと、ノーコンで。
保健室行こう。」
「ゆうちゃんは……?」
中井さんの目の焦点があってない。
ああ、打ち所が悪かった。
結衣みたいに江戸っ子になってないだけマシなのだろうか。
「ゆうちゃんって誰?」
「ゆうま……。」
「ゆうま……?
んと、えっと、とにかく保健室行こう!
ちょっと待っててね!
先生!」
私は体育館内で仁王立ちして呆れ顔をしていた先生の所へ駆け寄った。
「すみません!私また人にぶつけたみたいで……!」
「何言ってるの。
ボールは見つけたわよ。」
先生はハアとため息をつきながらボールを掲げた。
あれ?どういうことだ?
「え?でも中井さんがボールの横で倒れてて……。」
「なんですって!?分身の術まで使えるようになったの!?あなたそれサーブじゃないわ、暗殺術よ!」
「すみません!まさか自分がアサシンだなんて思わなくて……。」
「しょうがないわね、とにかく中井さんはどこ!?」
「あ、あそこです。」
私と先生は体育館の裏手に走る。
中井さんはボンヤリとした顔で座っていた。
「中井さん!大丈夫?」
「……わたし……どうしてここに……。」
「どうしよう、また私1人の人生を狂わせてしまった……。」
「まだ朝霞さんも中井さんも狂ってないわよ!
中井さん、立てそう?」
中井さんはボンヤリとしたままだ。
あの中井さんがボンヤリするなんて。
居た堪れない。
「だいじょうぶです。立てます。」
「あの中井さんが普通に返事してる……これはおかしいわね。
やっぱり保健室に連れて行きましょう。」
「どうしよう先生。中井さんがこのままだったら。」
「そうね、少し授業がしやすくなるわ。」
先生は中井さんをゆっくり起こさせ、肩を担ぐ。
「ゆうちゃんにわたし、いわなきゃ……。」
「あの、そのゆうちゃん、ゆうまさんって苗字なんて言うの?
わたしの知ってる人?」
そのゆうちゃんとやらの名前を先ほどから連呼している。
「ゆうちゃんは……せんかわ ゆうまです。」
「せんかわ ゆうま……。千川夕間!?」
千川くんのことゆうちゃんって呼んでるの!?なにその呼び方!?
仲良しか!?いつも口論してるのに!
「そうです。せんかわ ゆうま。
ゆうちゃんはどこですか?」
お、落ち着け。
取り敢えず、千川くんを探してこよう。
「あの、先生。
私千川くん探してきます。」
「ああ、お願い。
ついでにお前このままだと成績2になるぞって言っておいて。」
「わかりました!」
そう意気込んだはいいが、千川くんがどこにいるか検討もつかない。
まだ教室にいるかな。
私は持てる力全てを出し切って教室まで走った。
途中、学年主任の怒鳴り声が聞こえてきたが、今は一大事なので無視することにした。
「あの、せん、千川くんって、いる、?」
私は滝のような汗を流しながら、ちょうど教室から出てきた小平さんに縋り付いた。
「大丈夫〜?
死にそうだけど。」
「だ、大丈夫。それより、千川……」
「俺に何の用だ。」
いた。千川くん。
まだ教室にいたんだ。よかった。
「あの、ちょっと、まあいいや、取り敢えず、保健室に来て欲しい。」
「なんでだよ。」
「呼吸が、整うまで、待って。とにかく、保健室に行こう。」
千川くんは三白眼の目で蔑むように私を見てきた。
なんでこんなヤンキーが金持ち学校にいるんだよ。いや私のような貧乏人もいるけどさ。
「……わかったよ。
そういうことだから、俺は悪くない。」
え、と顔を上げると光ヶ丘くんが横に立っていた。
パッと体を隠す。
こんな汗まみれなところ見られたくない!
「ひ、光ヶ丘くん……!
お願い、今は、来ないで……!」
「……わかった。
終わったら連絡してね。」
光ヶ丘くんは教室に戻って行った。
ふう、危ないところだった。
こんな汚い姿見られたら嫌われるに決まってる。
「……なんで俺が睨まれなきゃなんねえんだよ……。」
「え?」
「おい、とっとと保健室行くぞ。」
千川くん話早い。
私は呼吸を整え、汗を拭きながら保健室に向かった。
「……で、何の用だよ。」
「中井さんが千川くんのこと呼んでたから。」
「……どういうことだ。」
千川くんの目が鋭くなる。
ヤンキーというよりヤクザだな。
「えっと、私がボール中井さんにぶつけちゃって、中井さん倒れちゃったんだ……。
で、中井さんが…………。」
「中井が?」
「忘れてた。このままだと体育2になるって。」
「んなことどうでもいいんだよ。
中井がどうしたんだよ。」
「…………それが………………ゆうちゃんはどこですかって………………。」
千川くんは暫く唖然とした表情になった。
その後、ブワアと顔が赤くなっていく。
「な、てめぇ、舐めてんのか?」
「ひえ、そんなわけないじゃん!
本当に中井さんがそう言ったんだよ!」
「あいつが俺のことそう呼ぶわけねえだろ!」
「で、でも本当だから!」
私は逃げるように保健室のドアを開け、中に入る。
保健医と体育の先生が何やらコソコソ話ししていた。
「先生、中井さんは?」
「ああ、えっと、そこで寝てるわ。」
私たちは中井さんの寝ているベッドに近づく。
先生たちは何故か外に出ていた。
子供に聞かせたくない話ってか?
「中井さん。
千川くん連れてきたよ。」
カーテンを開けると、中井さんはボンヤリした表情でベッドに半身起していた。
頭に包帯が巻かれている。
バレーボールにそこまでの威力が出るなんて。本当に申し訳ない……。
「……中井?」
「…………ゆうちゃん…………。」
千川くんの肩がビクリと跳ねた。
本当にゆうちゃん呼びされてるとは思わなくて驚いたんだろう。
「ね、ゆうちゃんって呼んでるでしょ。」
「……どうしたんだよ、お前……。」
千川くんはゆっくり中井さんに近づいた。
手を中井さんの顔の前で振る。
中井さんはそれをボンヤリ眺めていたが、その手を掴んで自分の頬に寄せた。
え、え?中井さんと千川くんってそういう関係?
「な、に、やってんだ、お前。」
千川くんはビックリした表情だ。耳まで赤くなっている。
中井さんは千川くんの言葉を意に介さず、彼の胸に頭を寄せた。
私ここにいていいのかな。お邪魔じゃないかな。
「ゆうちゃん、ありがとう。」
「何がだよ。」
「味方してくれて。
でももういいんだ……。さようならだ。」
中井さんは千川くんからふっと体を離すと、枕に頭をつけ目を閉じた。
「……中井?」
中井さんは返事をしなかった。
私たちは暫く中井さんの側にいたが、目を開けようとはしなかった。
*
「……中井さんどうしたんだろう。」
「こっちが聞きてえよ。」
「中井さんの味方してたの?」
「さあな。
頭打って記憶が前後してんじゃねえの?」
つまり、味方していた過去があるということだろうか。
「中井さんと千川くんって、幼馴染とか?」
「…………家が近いだけだ。学校が一緒だったのは高校が初めて。そんな仲良くねえ。」
「ゆ、ゆうちゃんって呼ばれてんのに!?」
「そんな呼ばれ方してたのずっと前だからな!」
「いつくらい?」
「……中学2年生。」
結構最近じゃないか、それ。
2年前だよね。
しかもこの顔でゆうちゃんか……。
私は千川くんの顔面を眺め回した。
ゆうちゃんって言うからにはもっと可愛らしい雰囲気の子だと思ったら……こんな……ヤクザみたいな……。
「なんだよ。」
「もしかして中学2年生の時荒れたの?」
「なんでそう思うんだよ。」
「いや、中学2年生まで可愛らしかったゆうちゃんが、突然荒れたことにショックを受けた中井さんはそれからゆうちゃん呼びをやめて千川くんと呼び始めたのかと……。」
「そんなんじゃねえよ。恥ずかしいからやめただけだろ。」
そうなのか……。でも中学2年で荒れたのは本当のようだ。
そういえば私も昔は友達のことデブゴリラとか二頭身とか腐ったみかんとかひどいあだ名付けたけど、成長するにつれてそういう呼び方やめたもんな。
「中井さん早く元気になるといいね。」
「あんたがボールぶつけたんだもんな。
寝覚め悪いよなあ。」
「いやまさか、体育館裏側までボールが飛んじゃうだなんて思わなくて……。」
やはりアサシンとしての技術が芽生えてしまったということなのだろうか。
「……体育館の裏側?」
「うん。」
「そこに中井は倒れてたのか?」
「うん。」
千川くんは突然回れ右して走り出した。
「え、ちょっとどうしたの!?」
「うるせえ!付いてくんな!」
「いやいや!そんな気になる立ち去り方されたら付いてっちゃうよ!」
私は千川くんから置いてかれないよう必死で走る。
向かってるのはサッカー部の部室……?
「ここになんの用事が?」
「あんた……体力あんな。
まあいい。あんたには関係ない。帰れ。」
「ゆうちゃんってばつれないなあ。」
「光ヶ丘にあんたはトイレ行った後手洗わないらしいって言おうか?」
「やめて!」
なんという精神攻撃。
暴力に出ないあたり、彼はインテリだ。
インテリヤクザだ。
「あっれー、千川じゃん。
何してんの?」
後ろから声がし振り向くと、いかにも軽薄そうな男が3人立っていた。
みんなニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「……てめぇら……。」
「ああ、もしかしてあのクソビッチのことで来たのか?」
クソビッチって……。
清瀬さんから女性を蔑む酷い言葉だから絶対言ってはいけないと習った。
それをいとも簡単に言ってのけてるこいつらはなんて野卑な連中なのだろう。
「あいつに何をした。」
「やだなー、さすがに俺らは孕ませたりはしてないよ?
ただちょーっとシメただけ。」
「そうそう、生意気ばっかり言うからさ。
淫乱のくせによ。足開っつってんのによ。」
「ったく嫌になるよなー。
俺たち別に堕ろせなんて言わねえのにな!」
ギャハハと下品な笑い声が辺りに響く。
なんだこいつら。すごく嫌な感じだ。
「……恋ヶ窪。あんたとっとと行けよ。」
「行けって、どこに、どうやって。」
行く手はあの下品な男どもに塞がれている。後ろは部室だ。
「俺が隙を作る。
光ヶ丘のとこまで走れ。」
「おい、何話してんだよ!」
1人の男が千川くんに飛びかかった。
その後に2人続く。
乱闘だ。
どうしよう、と思ったら背中を押された。
「走れ!」
私はその言葉通りに走った。
「何逃げてんだよ!!」
助けて光ヶ丘くん。
こいつらは父親と同じくらい、いやそれ以下の屑の匂いがする。
光ヶ丘くん!
「恋ヶ窪さん!」
「光ヶ丘くん!!」
廊下の先に、光ヶ丘くんがいた。
光ヶ丘くんはどうして私が困ってる時必ずそこにいるのだろう。
私は光ヶ丘くんの胸に縋り付いた。
「光ヶ丘くん、光ヶ丘くん、大変なの。
千川くんが、3人相手に喧嘩してて……!」
「なんでそんなことに……。
わかった。恋ヶ窪さんは先生呼んできて。それまで俺がなんとかするから。」
「あ、だ、ダメ。行かないで。
あいつら喧嘩慣れしてる感じがした。」
「なら余計に行かないと。
千川くん1人じゃ大変だよ。」
光ヶ丘くんはニッコリ笑うと、千川くんの元へ走っていった。
光ヶ丘くん、どうするつもり?
追いかけたかったが、先生を呼ぶのが先決。
私は再び走った。
どうか何事もありませんように。




